第十話:逃避

 この世からやがて居なくなるであろう人間にも、学校行事というものは存在するらしい。わたしは頭を机に預けながら、クラスメイトの盛り上がる声をぼんやりと聞いていた。…うん。どうやら、劇に決まったようだ。




 __10月。人生最後の文化祭である。



 *

「こびん、捻くれてるくせに意外とこういうのちゃんとやるよね」

 切ったガムテープを差し出しながら、縫は何が嬉しいのかにこにこと笑ってそういった。…確かにわたしが捻くれていることは認める。認めるが、流石のわたしだってクラスの輪を捻るほどひねくれているわけではないのだ。


「…佐藤」

「それはもう前に言ってたよ、こびん」

「…加藤」

「それも言ってた」


 意趣返しにわざと名前を間違えたが、縫は全く意に介さないで、ふんふんと順調にガムテープを切っては、近くの机に貼り付けている。ちなみにわたしはそのガムテープで模造紙をひたすら貼り付ける係だ。劇の背景に使うらしい。


「縫、白雪姫の練習しなくていいの」

 くっついてしまったガムテープと格闘している事をごまかすように、わたしが縫にそう聞くと、縫はぴたりとガムテープを切る動きを止めた。隣の空き教室で、役を与えられた生徒は練習を始めているはずなのに、何故だか縫は行こうとせずに、裏方を手伝っている。





 …9月のある日を境に、縫の様子が少しおかしくなったことに、流石のわたしも気がついていた。体調が悪そうだとかそういうのじゃ無いけど、少し思い詰めているような、そんな顔を時々見せるのだ。それは、文化祭で男女逆転劇の主役をやることに決まっても、ちっとも変わらなかった。


 今の縫の表情も、あの思い詰めた時の顔と全く同じだ。何か言いたいことがあるのに、喉奥に無理やり押し込んでいるような、そんな顔。



「こびん。…どうして劇に出ないことにしたの?」

 やがて縫の口から出てきたのは、そんな言葉だった。わたしの問いは、何故か全く関係のない質問になって返ってきたようだ。日本語不自由なの?

「台詞覚えるのが面倒だから」

「…ああ、うん。そうだったね」

 自分で聞いてきたくせに、酷く不服そうな顔をして縫はそういった。今三割増しでブスになってるよ、といえば、少しはいつもの調子に戻ってくれるのだろうか。

 …いや、あれこれ考えるのはやめよう。ひっついてしまったガムテープを、ポイっとゴミ箱に投げ捨てて、わたしは模造紙をくっつける作業を黙々とすることにした。あと一枚で家に帰れるのだ。


「こびん」

 ぴっちりと完璧に6枚目の模造紙を貼り付けたところで、縫にそう呼ばれた。もうガムテープを使わないことは見れば分かるのに、縫は何故か苦い顔をして短いガムテープを生産し続けている。人の名前を呼んだくせに、いつまで経っても用件を言わないので、わたしは出来上がった模造紙を絵を描く班に預けて、早々に帰り支度を済ませた。


「縫、ガムテープもういらない。あと言いたいことあるなら早く言って」

「…あ、えっと…、待って。僕も帰る」


 縫は用途のなくなったガムテープを箱乃さんに押しつけて、机にかけていた鞄を持った。本当に帰る気らしい。仮にも主役なのに、練習しなくていいのだろうか?



 *

 外はまだ日が高い。どこからか金木犀の香りがして、わたしは少し顔を緩めた。金木犀はいい。幸せの匂いがする。


「こびん」

 縫がわたしの名前を呼ぶ。が、用件はいわない。今日で何度目だろう。もしかして、わたしの名前じゃなくてが欲しいのだろうか。忘れないように口に出してるとか?…いやそれはないな。


「こびん、………僕のこと、どう思ってる?」

 今度は、「こびん」の後に、きちんと疑問文がついた。投げかけられた問いは、ひどく抽象的で、まるで付き合いたてのカップルのような、そんな気の使ったものだった。今更なんだっていうんだろう。


「女装したクラスメイト」

 端的にそう答えると、縫は苦虫を100回ほど踏みつぶした後のような顔をした。わたしが思わず鏡を向けると、縫は瞬間的にベストな角度に顔を傾け、前髪に手を伸ばした。そんなところはいつもとちっとも変わらないのに、目の下にコンシーラーが薄く塗られているところが、いつもと全然違う。


「こびんは、…死ぬの、いやじゃないの?」

 今度は、宗教の勧誘のようなことを言い始める。これが日中学校帰りの高校生がする会話だろうか?

「普通にいやだよ」

「…なら、なんでちゃんとアンケート書かないの?10月の時のやつも、結局全部空欄だったよね」

「…。縫、その話、面白くない」

「ちゃんと答えてよ!僕は真面目に聞いてるんだ!」

 急に声を張り上げた縫に驚いて、近くで雀が数羽飛んで行った。情緒が不安定すぎる。わたしの友人は男だったはずだが、いつのまに生理が来ていたんだろうか。



「…こびん。ちゃんと生きようとしないのは、お父さんのせい?」



 縫が何の前触れもなく発したその言葉は、わたしの心臓の中のひどく柔らかい部分をぐにゃぐにゃとスプーンでほじくり返した。縫にはわたしの父のことを話した事はない。縫には、というか、誰にもあのどうしようない話はしたことはないのに。…さっきしていた話の100万倍、この話はちっとも面白くなかった。どこで父の話を知ったのかは知らないが、誰にも触られたくない心の器官に、触れられたような気分だ。つまり、最悪だった。





「こびんのお父さんが、あんな風に亡くなったのは、本当に悲しいし、虚しい事だとおもうよ。

 …でも僕らは、そういうものとして作られたんだ。物語の中で生きて、読んでくれた誰かに感動を与えられるのなら、それは本当に幸せな事だと、僕はそうおもう。

 …自分の役目を全部放り投げて、苦しいことから逃げて、死ぬのなんて…そんなの、勝手すぎるよ。こびんは格好つけて、廃役になるのなんて全然大したことないかのようにしてるけど、そんなの絶対嘘だ。

  



 最期のその一瞬に、君は後悔するに決まってるんだ」


 最悪な話は、縫の口から止まることを知らないで、ずかずかとわたしの心の中に土足で侵入してきた。縫の話は、誰がどう聞いたとしても、正しい話で、正論だった。…正論?…正しいって何だ。正しいかったら、それはいいことなのか?


 頭の中で、ぐるぐると縫への反論が渦巻いた。ぬるま湯に浸かって今までのらりくらりと過ごしてきた日常に、大きくヒビが入ってしまったような気がした。いや、…もうそれはずっと前から存在していて、ただわたしだけが見ないフリをしてきたのかもしれない。


「わ、たしは、ただ、…」

 ただ、なんだろう。…無個性で平凡で画一的で、どうしようもない自分が、この世界から捨てられてしまう前に、自分で自分に期待することをやめた?…父にくだらない死を与えた神様に、どうにか反抗しようとした?…その全部が嘘で、ただ面倒だっただけ?





 自分が一番見ないようにしてきたことを、他人に指摘されたわたしにできたことと言えば、ただ耳を塞いで、大声で「女装癖のくそやろう!!!!!!」と叫ぶ事だけだった。ただ、逃げたかった。現実から、縫から、ひたすら逃避したかった。







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