第九話:殺人

 *



 シノは、僕の言葉を聞いて、驚いたように少しだけ目を見開いた。いつも大袈裟で、フリばかりしているような奴だったが、この時ばかりは本当の感情が露見したように思えた。だが、それも本当に少しだけで、次の瞬間にはまた口元にあの薄ら笑いを浮かべていた。すっかり元の調子を取り戻したらしい。





「ふーん、まあ、及第点ってことでいっか」

 シノはそう言うと、くるりと後ろを向いて目の前の工場のような建物に向かって唐突に突き進んでいった。

「おいでよ、小瓶を助けたいんだろ?」

 僕がついてくる事など分かっているかのように、振り向かずにシノはそう言った。出会ってまだ一日しか経っていないから当然といえば当然だが、僕は未だにシノが何を考えているのか全く分かっていなかった。シノも小瓶の友達で、本当は助けようとしていて、それで遠回しに僕に助力を求めようとしていたのだろうか?それにしては随分と悪趣味なやり方だが。


 いずれにせよ、小瓶を廃役にさせないために何をしたらいいのか見当のつかない僕にとっては、誰かにヒントでもいいから方法を示して欲しかった。


 だから、意気揚々と荒れた敷地を進んでいくシノの後を追うために、僕は一歩を踏み出した。…外から見て分かっていたことだが、敷地内は本当に酷い場所だった。雑草がひび割れたコンクリートからこれでもかと生え散らかしていて、一歩踏み出すごとに虫がどこかで騒めいている。夏休みに小学生が来て、秘密基地でも作りそうな場所だ。



 僕らが道なき道を少し歩いて進むと、それからようやく建物の裏口が見えてきた。ひどく赤錆びていて、古そうだ。鍵は掛かっていない。



「開け、ごまー」

 シノはふざけたように扉の前でそういって、僕の方を見た。勿論こんな古ぼけた鉄製の扉に音声認識システムなんて付いているはずもない。「開け、ごまー」と、シノは再度僕を見てそういった。こんな可愛らしい僕に、開けろ、と、そう言っているらしい。……箱乃さんを帰らせるんじゃ無かった。


 僕は仕方なく、触りたくもない錆びた取手口を握って、扉を押した。額に汗が滲む。後でシノは、一発ブン殴ろう。



 ぎしぎしと扉が開いて、徐々に建物内に光が差し込む。ここに何があるのかと、問いただそうとシノを見ると、何故か彼は屈んで僕のスカートで鼻を覆っていた。……気持ちが悪い。吐き気がする。いやシノが僕のスカートを嗅いでいることも気持ちが悪いが、それじゃなくて、…それもだけど、そうじゃなくて、


「、っ、くっさ!」

 僕はすぐさまポケットからハンカチを出して鼻を覆い、片手で急いで扉を閉めた。扉を閉めると、醜悪な臭いは少し和らいだ。嗅いだことのある嫌な臭い。ああ、そうだ。何かが腐っている臭いだ。



 臭いが霧散しても尚鼻にこびりついた腐敗臭を必死に呼吸して追い出そうとしていると、シノはなんてことはないように元来た道を戻っていった。慌てて追いかける。一体何がしたかったんだ、殴っていいか?


「ねえ、何がしたかったの?小瓶を助ける気ある?殴っていい?」

「ごめんって、あんな臭くなってるとは思わなかったんだよ、俺も」

 全く悪いと思っていないような顔で、シノは悪びれもせずに地面の小石を蹴って遊んでいる。僕は殴りたくなる衝動を抑えて、シノに向き直った。



「僕に汚い扉を開けさせて、くさい臭いを前触れもなく嗅がせたことはもういい。…いい加減に、君が何をしたいのか教えてくれないかな。君も小瓶の友人で、小瓶を助けたいっていうなら僕はいくらでも協力するから」


 ため息をつきながら僕がそう言うと、シノは小石を思いっきり僕の方に蹴って、それから僕が地面に置きっぱなしにしていた鞄の上にどすんと座った。




「あの中にあったもの、なんだと思う?」

「……僕の鞄の上に座らないとそれは話せないのか?」

「死体だよ。死体。78人分のね」


 なんとか鞄の上からどかそうとシノの身体を押していた僕の手が、日常に不釣り合いな単語に驚いて、ピタリと止まった。今、なんて言った?


「この街の死体処理場なんだ、此処。まあ普通は廃役が決まる3月にしか使われないけど。小瓶の死体が捨てられるのも、多分ここだろうね」


 シノの言葉を理解した瞬間、肺の中に、すっかり出て行ったはずのあの嫌な臭気が湧き出した。……僅かな光に照らされた、あの扉の細い隙間から見えたあれ、は、…人間の手、か?




「お、吐くねー。そんなに屈むとパンツ見えるよ」

「…、…、なんで君、そんなに」

「平気なのかって?だって俺が殺したんだもん」

 僕は、自分の吐き出したものから目を離して、シノの方を見た。シノは変わらず口元に薄ら笑いを浮かべたまま、自分が今発した言葉がどう言う意味をもつのか、まるで理解していないかのようだった。



「んー、まだ気づかない?俺の制服見てもさ」


 呆然とする僕に、シノは自分の制服のワッペンを摘み上げて見せた。やはり見覚えのない校章だ。……見覚えがないってことは、この区の人間じゃないってことか?



「…仕方ないな。よく分かってない縫くんに、ネタバレしてあげよう。俺はあれだよ、君らみたいないい子ちゃん学校じゃなくて、悪役のための学校に通ってるんだよ。頭のおかしい奴を集めて、立派な悪役にするための学校。将来は魔王とか、犯罪者とか、そういうキャラクターになる奴らが通うんだ。…まあ、その学校は今は無くなってるんだけど」

「……君が殺したのは、」

「おー、察しがいいな。そうだよ、俺の通ってた学校の人間全員、俺が殺した。それがさっき見たあれ」


 僕はずりずりと、本能的に三歩ほど後退りをした。

 ……この世界で、人間を殺すことは罪ではない。だって、というのは、キャラクターにとって一つの才能だからだ。どんな物語にも悪が必要なことくらい、小学生だって知っている。そういった特殊な素質を持った子供たちが集められている学校があることは、聞いたことがあった。余計に人が殺されすぎないように、隔離して一つの区に集められているということも。




「俺はさ、「しなければならない」ってのがこの世で一番嫌いなんだ。この世界にはそれが多過ぎると思わない?作者かみさまに従って卒業したらキャラクターにならなければならない、物語の軸に沿っていかなければならない、…。

 俺は人を殺すなら自分の意思でやるし、誰かを喜ばせるために物語の中で生きていくなんて心底我慢ならない。

 …だから、「先生」と学校の人間を全員殺せば、このクソみたいなルールから逃げられるかと思ったんだけどね。…神様ってやつは俺なんかよりずっといかれた奴だったよ。両手を上げて喜んでた、稀代の悪役になれるってさ」

「……」

「だから、いっそのこと俺以外の登場人物ってやつを皆殺しにしようと思ったんだ。…そんでとりあえず近くの学校にいって、手近な奴を殺そうとしたんだけど」


 そこで、シノは何かを思い出したかのように、いつもの薄ら笑いとは違った、親しみを込めたかのような笑みを口元に浮かべた。僕はといえば、目の前の男とのあまりにも大き過ぎる価値観の差異に、ただぽかんと口を開けて話を聞いていることしかできなかった。




「そしたら面白い奴がいてさ。キャラクターにとって命にも等しいアンケート用紙を、ぽいってゴミ箱に投げ捨ててたんだよ。


 この世界の奴らにとっての当たり前を、殆ど空欄のまま、そいつはゴミ箱に捨ててたんだ。…俺は本当に、心底嬉しかった。

 神に唾吐いて、お前のいうことなんて聞くかっていってる奴が、俺以外にもいたのかって思ってね。



 …それが、君の大好きな空乃小瓶だよ」


 どうやら、小瓶は知らないうちに殺人鬼の魔の手から逃れていたらしい。さすが小瓶。…じゃなくて。

「…こびんはそんな、神とか大それたこと考えてないよ」

 本当に、びっくりするくらい、小瓶は何も考えていない。自分のことも、廃役のことも。だから困っているのだけれど。


「そうだろうね。…ま、とにかく、こうして俺は一旦、殺人計画を保留にしたってわけ。…君らを殺すのは、廃役になるまで小瓶が一体何してるのか見てからでもいいかなって思ってさ」


 …長い長い話を聞いて、ようやく分かったことは、目の前の男がとんでもない自己中で、人殺しで、異常者であるということだけだった。こいつを討伐する物語があるのなら、僕は勇者になってもいいとさえ思えるくらい、史上最悪の人間だ。





「…じゃあ、君はこびんの友人でも無いし、こびんを助ける方法は別に知らないのか?」

 僕は拳に力を込めながら、シノを殴るために一歩近づいた。こいつと何の為に話していたんだろう、時間を返して欲しい。

 シノは口元に例の薄笑いを浮かべて、今にも殴りかかりそうな僕を見た。…気のせいだろうか。まるで、僕の言葉を待ち詫びていたかのような、そんな顔をした気がする。



 …急に僕は、悪魔と契約する前の人間になったかのような不安を覚えたが、ぶるぶると頭を振ってそれをかき消した。

「いや、俺はもうその方法を言ったよ」と、シノはそんな僕の心情など見通しているかのように、目を細めてそう言った。











「簡単だ。空乃小瓶に人を殺させればいい」


 僕のずっと求めていた答えは、呆れるほどシンプルに、シノの口から紡がれた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る