第八話:回想


「ちょ、痛いな。君そんな可愛らしいかっこしてる癖に、腕力はゴリラ並みだね。これがギャップ萌えってやつ?」


 紙の文字列を見て、一瞬で頭に血が上った僕は、気がつけばシノの胸ぐらを掴んでいた。多分今ものすごく不細工な顔をしているだろうけど、そんな事を気にしている場合じゃない。悪趣味な冗談なんて言葉では、到底許容できないことを、こいつは僕に突きつけたのだ。



「俺に怒りの矛先を向けるのは間違ってない?むしろ、早めに教えてあげたことに感謝して欲しいくらいだ」

「他校の君がこんなもの知り得るわけがないだろ」

「んー?まあそれもそうかもね」


 僕の目の前の紫色が、にいっと三日月に歪められた。発している言葉の全てが偽物で、なんの責任も負うつもりもないような、そんないい加減な代物で、意図がまるで掴みきれなかった。それが余計に不快で不気味だった。


「まあ、それは本物だけどね。…でも、もし偽物だとしても、君だってこれが真実になるかもしれないことくらい気がついてるんだろ?」

 その言葉に、僕は否応なく先日のほぼ白紙のアンケート用紙を思い出した。小瓶は結局、あれを出していない。

 …僕らが高校3年間で計36枚提出することになるあのアンケートは、自分の性格や特徴を作者に伝えるためのものだ。自分がどういうキャラクターなのかを伝えて、物語に相応しいかどうかを見極めてもらう為のもの。だから僕たちにとってあれは、将来に直結するとても大切なものになる。



 …僕は三年間小瓶と一緒にいるけれど、一度だってあのアンケートが埋まっているところをみたことがない。





「きっとあのやる気のない小瓶のことだから、廃役になってさよならだろうね。才能も趣味も個性もない、凡庸で愚鈍な彼女には、仕方のないことなんだろうけど」

「……それ以上喋ったら殴る」

「あは、それ怒ったフリ?小瓶が死んだら泣くフリでも見せてくれるのかな」

 こいつがどうしてか僕を怒らせようとしていることは明らかだったが、僕は怒らずにはいられなかった。誰だって、この世界で一番大切で尊敬している人を侮辱されたのなら、怒るだろう。僕は怒った。殺意さえ芽生えた。右手を振り上げて、僕は激情の赴くまま、へらりと薄笑いを浮かべるシノの顔を殴りつけた。


 シノは後ろに数歩ほどよろめいたが、何事もなかったかのようにまた口元に薄笑いを浮かべた。

「俺を殴ってもさ、なにも解決しないよ?小瓶は価値のない人間として、この世界から捨てられるんだ。それは俺が判断してるんじゃなくて、作者かみさまが決めることだろ?



 ……それとも君は、神様が間違ってるっていうのか?」



 ぐらり、とまた脳みそが大きく揺れた気がした。立ちくらみの時のように、視界が歪む。


 ずっと僕が逃げてきた問いを、シノが文字に起こして突きつけてきたのだ。



 …僕らにとって作者かみさまの選択は絶対で、選ばれないものがゴミ箱に捨てられるのは至極当たり前のことだ。「先生」も、僕の家族も、友達も、だれもがその事をずっと当たり前のことだと信じていたし、僕もそう信じていた。それは地球が丸いだとか、僕が波乃縫であることだとか、そういうのと同じくらい、僕の中に当然のルールとして存在していたのだ。それを否定することは、僕にとって雛が卵の殻を割って外に飛び出すくらい困難なことだった。



「…わからない」

 かさかさの唇から、ようやく絞り出せたのは、そんな頼りない言葉だった。シノはすっと薄ら笑いを引っ込めて、酷く下らないものを見るような目で僕のことを見たけれど、僕は手をぎゅっと握りしめて、真っ直ぐにその目を見つめ返した。





「…分からないけど、僕にとって小瓶が本当に大切な人で、いつまでもずっと一緒にいたい人だってことくらいは、分かってる。


 だから僕は、こびんが廃役になったとしても、何がなんでも助ける。今、そう決めた」




 *


 僕は、波乃縫は、どうしようもない大嘘つきだった。


 小さな頃から勇者じゃなくてお姫様の方に憧れていたし、泥臭い少年漫画なんかよりも、甘い少女漫画の方が好きだった。だけど、性差というものがはっきりしてくるにつれて、それが可笑しなことだということは、否が応にも理解するようになった。だから、は、嘘で包んで、覆い隠した。ズボンじゃなくてスカートがよかった。素顔じゃなくて、口紅を塗って、アイプチをして、カラコンをつけた自分の顔の方が好きだった。そんな事を口に出きないまま、僕はずっとずっと腹の奥底に抱え続けて、ぎゅうぎゅうと仕舞い込んで、それを無かったことにしようと決めた。



 高校になって、進路について初めて本格的なアンケートが行われることになった時も、僕は、あいも変わらず嘘をつき続けていた。そんな偽物だらけの僕のアンケートが狂ったのは、最後の問を答えようとしたときだ。


 100番目の問は、自分の将来希望するキャラクターを答えるものだった。すらすらと嘘をつき続けていたはずの右手が、ピタリと止まって、とたんに脳味噌の電気信号を受け付けなくなった。あとたった1つを答えればいいのに、そのたった一つの嘘が、何故かどうしてもつけなかったのだ。



 結局、授業時間を過ぎても最後の問は埋められなかったせいで、僕は放課後居残りを命じられてしまった。だだっ広い教室に、僕と空乃小瓶だけが残されていたことを、今でもはっきりと覚えている。

 小瓶はあの時も変わらず、アンケートなどまるで埋める気がないようだった。帰ることもできず暇だったのだろう、小瓶はシャーペンを持つこともせず、僕の方を頬杖をついてただぼんやりと眺めていた。




「あと一つなのに、どうして埋めないの」

 今から考えると殆ど奇跡みたいな出来事だが、この時、小瓶の方から僕に話しかけてきた。多分、本当に暇だったのだろう。

 僕は、ぴょんぴょんと跳ねている小瓶の髪の毛が気に入らなくて、少し顔を顰めながら「君に関係ないだろ」と言った。僕がなりたくてもなれない「女の子」のくせに、身なりに気を使わないところが、本当に嫌いだったからだ。

「関係ないけど、暇つぶし」

 僕の発した嫌いオーラを察することもせず、小瓶は短くそう言った。半分だけ開いた灰色の目が、僕の嘘まみれのアンケートを映していて、ひどく責められているような気分になった。





「…男のくせに、ヒロインになりたいからだよ」

 気がつけば、そう口にしてしまっていた。

 僕はきっと、本当に、いい加減嘘をつくのに疲れていたのだろう。もう二度と話すことはないであろう嫌いなクラスメイトにくらい、本当のことを言ってしまってもいいと思ったのだ。


 動かない右手とは正反対に、本当のことを喋り始めた口は、勢いよく動きはじめて、もう止まらなかった。

「僕は、本当は白雪姫なら白雪姫になりたいし、シンデレラならシンデレラになりたいんだ。マリオならピーチ姫がいい。男臭い勇者になるくらいなら、みんなを癒すヒーラー役か、導く女神役をやりたい。僕は生まれてから一度もズボンを履きたいと思ったことはないし、なんなら週一で女装して街を歩いてる。正直化粧した僕は君より可愛い。あと、その制服も僕の方が似合う」

 というようなことを、僕は一息で空乃小瓶に言った。空乃小瓶は、僕の言ったことに少し驚いたように灰色の目をぱっちりと大きく開いた。引かれたのだろうか、いや、別に引かれてもいい。もう二度とこの少女とは話さないだろうから。


 しばらく僕の顔を見ていた小瓶は、秒針が2周するくらいの時間が経ってから、ようやく口を開いた。





「…加藤は、よく喋るね」

 …一体どんな言葉が飛んでくるのかと身構えていた僕にとって、その言葉は本当に拍子抜けだった。加藤って誰?という疑問が僕の頭は占拠して、それからやがてそれが僕のことだと気がついた時に、僕は生まれて初めて腹の底から笑っていた。僕が決死の覚悟で自分のどうしようもない秘密を話したっていうのに、加藤って、ほんとに、だれだよ。


 一頻り笑ったあと、僕はそこで初めて空乃小瓶という少女と正面から見た。肩よりも短いボブヘアも、後頭部についた寝癖も、相変わらず気に入らなかったけど、でも、それでも今なら少し好きになれそうな気がした。



「僕は縫だよ、波乃縫。…君は、男のくせにヒロインになりたいだなんて、気持ち悪い、…と思う?」

 小瓶は突然笑い出した僕の顔を訝しがるように見たあと、僕の問いに少し首を傾げた。それは、否定が欲しくて発してしまった問いだった。誰かに、僕は間違ってなくて、そうやって決め付けている人たちがおかしいんだと、そう言って欲しかったのだ。


 だけど小瓶は、そんな浅ましい僕の願いに媚びるよなことはしなくて、淡々と、僕にただ一言こう言った。







「それは、貴方が自分で決めることだよ」






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