第七話:廃棄

 5.6限は外部の先生による授業だったが、先生の間で風邪でも流行っているのか、2時間とも無くなった。もともと3年は授業数自体が少ないから、今日みたいに早く終わるのは珍しくない。




…小瓶にアンケート用紙を提出したかどうかを確認すると、「出したよ」と当然のように嘘が返ってきた。「先生」は僕にああやって頼んだが、小瓶が僕のいうことなんて聞くわけがないのだ。



 帰り支度だけは誰よりも早い小瓶を急いで追いかけて、下駄箱に向かう。もう9月の中旬だったが、外にはまだ暑さがじんわりと残っていた。

 …昼下がりの心地のいい風を感じながら、僕は横を歩く小瓶の顔を盗み見る。小瓶は、何も考えていなさそうな顔で、灰色の目を半分だけ開きながら、ぼんやりと前を見て歩いていた。


 ……卒業まで、もう残り僅かしかない。僕はこうしたふとした時に、いつも小瓶と廃役のことを考えてしまう。

 …誰だって廃役になるのなんて嫌なはずなのに、小瓶はまるでいつまでも終わりなんてないかのように、ぼんやりと日々を過ごしている。…他人の考えていることなんてわかるはずもないが、小瓶の考えていることだけはいつまで経っても永遠にわからないような気がした。



 小瓶が、もしも廃役になることが決まってしまって、それから、この世界から居なくなってしまったら____?考えたくないことだったけれど、考えなければいけないことだった。僕は一体どうするんだろう。他の人と同じように、作者かみさまの決めたことだから、仕方ないと思うのだろうか。




 誰からも選ばれない、必要とされないって、何て傲慢な言葉なんだろう。…一体誰がそんなこと、決める権利を持っているというんだろう。僕は小瓶のことを、本当に大切な人だと思ってる。





 それだけじゃ、駄目なのか?



 *


 小瓶を家まで送り届けた後、僕はポケットから例の紙を出した。住所が書かれた、小瓶がゴミ箱代わりに僕に渡してきた紙だ。


 地図で確認すると、どうやらここからそう遠くないところを指しているようだった。1時間もかからずに行けそうだ。なるべく汗をかかないように、冷房の効いた建物の中を通りながら、僕はあの忌々しい男の元へと向かった。



 …指定されていた場所は、閑静な住宅街をさらに突き進んだ、無機質なコンクリートが剥き出しになっている建物だった。人のいる気配がまるでしない立方体に、僕は思わず顔を顰めた。適当な住所を渡して、小瓶をからかったのだろうか。…それならあの男を地の果てまで追いかけ回さなくてはならない。




「顔、こわいよ。縫くん。人三人くらい殺しそうな顔してる」

「そうだろうね。今脳内で君のこと三人ころしてたから」

 僕の考えはどうやら杞憂に終わったようで、電柱の側に、ぬっとシノは座っていた。また箱乃さんを下敷きにしている。シノが立ち上がって「ありがとね、林檎ちゃん」というと、箱乃さんは心底嬉しそうな顔で去っていった。…僕が来なかったら、ずっとここで待機しているつもりだったのだろうか?


「やあこんにちは。今朝ぶりだね」

「挨拶はいらない。僕はただ、小瓶に二度とちょっかいをかけるなって言いにきただけだ」

 二枚の紙をシノに押しつけて、僕はそれだけ吐き捨てて帰ろうと、来た道へと足を向けた。引き止められるかとも思ったが、何も言われない。…言われはしなかったが、行動には移された。


「ふーん、パンツも女物なんだ」

「しね」


 スカートまくりである。公共の道のど真ん中で、男子高校生が男子高校生のスカートを捲っている。僕はあまりにも幼稚な行動に、一瞬思考が停止しかけたが、即座に脳味噌を動かした。回し蹴りだ。


「きいたよ。君、男だけどヒロインになりたいんだって?…あは。周りはみんな、君のこと気持ち悪いって思ってんじゃない?」

 僕の蹴りを避けながら、シノは薄ら笑いを浮かべてそういった。僕はその言葉をきいて、心臓に氷を押しつけられたかのような、そんな錯覚を起こすほど動揺してしまった。たった二文で、ここまで僕を不快にさせる言葉を、僕は知らない。吸い込んでしまった空気を無理やり吐き出して、僕は努めて平静に、「しねよ」と再度口にした。


「あー、怒んないでよ。冗談だからさ。小瓶が来なかったのは残念だけど、君もせっかく来たんだし、ここ、見学していかない?」

「君と一秒たりとも一緒にいたくないし酸素を共有したくないんだけど」


 僕がそういうと、シノは急に無表情になって無言で紙を差し出してきた。こいつから渡された紙は二枚になるが、最早ろくでもないものであろうことの検討はついていた。

「僕の誕生日は来月だ」

「それなら、アンハッピーバースデーってことで」

 僕がここで、受け取らずに帰るという選択肢を選ばなかったのは、シノの「小瓶に関係あることだよ」と続いた言葉のせいだった。小瓶はこいつと会ったことがあるような感じだったし、僕が小瓶について知らないことを、こいつが知っているというのは無性に嫌だったのだ。


 下らないものだったら即座に破り捨てようと、手に力を込めて紙を開く。だが、その力はすぐに緩められることになった。A4の紙の一番下段に、僕らの学校の校章のシンボルが記してあったからだ。


 何で君がこんなものを持ってるんだ、という疑問は、紙の一番上にある文字を脳みそが認識した瞬間に、すぐに引っ込められることになった。僕がずっと見ていた気になっていた現実が、目の前に押しつけられたかのような、そんな錯覚が、大きくぐらぐらと僕の脳味噌を揺らした。




「××高等学校   廃棄予定者



 3-A 箱乃 林檎

  空乃 小瓶


 3-C 夢乃 透流



                   以上」


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