第四話:個性
誰もいない家の中に入って一人になると、漸く息をつけたような気がした。鞄を投げるように床に置き、ソファに寝転がる。ごわごわと強張る制服が煩わしい。中途半端に慰められた胃は、まだ自身の空っぽを主張していたけど、それは気づかないふりをした。
ごろりと寝返りをうつと、机の上に置きっぱなしになっていた本が目に入った。擦り切れた汚い本だ。中身も大して面白くないもの。
見慣れた装丁から逃げたくて目を瞑って耳を塞ぐと、その本の中の一文が、まるで逃げるなというように、わたしの頭に浮かんだ。
「カストルはあっけなく、落ちてきた瓦礫にぐちゃぐちゃと潰されて、死んでしまいました。…」第二章、第五節。安っぽい蛍光ピンク色の付箋が挟み込まれた245ページの一文。
誰も気にも留めないような一文だ。多くの人間が、きっと読み飛ばしたんだろう。
____でも、これが、わたしの父の残りカスなのだ。
*
…いい物語を作るために、必要なものって何だろう?人によって答えはばらばらだし、1つだったり2つだったりするのかもしれない。
わたしたちの世界では、本当の物語を創るために必要なものは、「生きたキャラクター」だと信じられている。一人の頭の中で作られた人間もどきなんかよりも、生きたキャラクターが登場する方が、もっとずっと、作品はリアリティのある「面白い」ものになるからだ。
いつしか創作に行き詰まってしまった
わたしたちは、高校を卒業したら、キャラクターとして生きなければならない。設定を与えられ、異界に飛ばされ、物語の軸に沿って生きていかなければならない。それは勇者だったりヒロインだったり、悪役だったり脇役だったり…。
例えどんな役を与えられたとしても、わたしたちは
そして、…そして、もしもどの
キャラクターとして不要な人間は、…誰からも必要とされなかった人間は、…この世界から捨てられるしかない。
*
幼い頃は、まだ自分というものに希望を抱いていたような気がする。いつか自分がキャラクターとして物語に登場して、その物語がたくさんの人に楽しんでもらえるなら、それは本当に素敵なことだと信じていた。
…そんな空想にも満たない妄想が、パキパキとひび割れて砕け散ったのは、中学生の時だ。
中学1年の夏、わたしは、あまりの自分の大したことのなさに、気がついてしまったのだ。
得意なことがない、趣味がない、長所がない、短所がない、個性がない。個性が、ない。
わたしはキャラクターとして、あまりにもしんでいた。
…役を与えられるといっても、自分と大きくかけ離れた役は与えられない。話の軸は定められているが、その他はほぼキャラクターに委ねられている。だから、個性のない人間は、かみさまに選ばれることはない。
…廃役になんて、なりたくなかった。それは本当に恥ずかしいことだと思っていたし、当時わたしは自分にまだ期待していたのだ。
わたしはそれから、いいキャラクターになるために、必死に習い事をして、勉強をして、人助けをした。自分に今出来ることを全て実行した。長所が欲しい、いいところが欲しい、いい人間になりたい、唯一無二の、個性のある人間になりたい。
…そんなせせこましい努力をしていたわたしに、一冊の本が届いた。それは、15年前にキャラクターとして異界に行った父の本だった。いつになっても帰ってこない父の代わりに、送られてきた一冊の本。
期待に満ちながら開いたその本は、わたしに大きな絶望と諦観をもたらしてくれた。……父は端役だった。いてもいなくても変わらない。気づけば物語に関わりのないところで勝手に死んでいた。特に主人公の行動や心待ちに影響をもたらさなかった。復讐劇とかもなかった。何もなかった。
父は、しょうもなく、死んでいた。
ハンバーグについたパセリよりもひどい死に方に、わたしはその時久しぶりに腹を抱えて笑った。どんなに頑張ってキャラクターになっても、こんな風に消費されて、紙の1ページに集約されて、それで人生は終わり。廃役なんかより、余程ひどいじゃないか。
つまりまあ、なんといおう。
生きるって、本当に面倒だ。
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