再会
初雪は、随分と気が早いようだった。
無骨なコンクリートの塊。吹き
ハイヒールを鳴らし、ホームに降り立ったパンツスーツ姿の女は、ちょうど滑り込んだばかりの電車へ乗り込んだ。
「……ドア横のボタン、押すんすよ」
閉まらない扉を凝視している女を見かね、ドア横の座席の紫乃がぼそぼそと呟く。
ボタンを認識し、紫乃を見た女がひとつ頷き、ドアを閉めることに成功した。
「助言、感謝する」
動き出す電車の中、ブロンドの長髪を靡かせた女が、颯爽と隣の号車へ移る。大荷物の目立つ車内にふむと頷いて、手近にあった手摺に身体を預けた。
睨みつけた先の景色は閑散としていた。暮れゆく窓に、瞳の灰色が映り込む。
電車を降りた先。夕方にも関わらず薄暗い街には、早くも街灯が点っていた。
駅前に並ぶチェーン店の居酒屋、コンビニ、カラオケ店。そんな景色をぐるりと見回し、踵を返した。路地の奥へと、喧騒を嫌うかのごとく離れていく。
風除室のメニュー表を書きかえていた雪平が、来客の音に振り返った。カフェエプロンについたチョークの粉を軽くはたき、店へ繋がる内扉を開ける。
囁きは低く、女以外には聞き取れない。
「礼式は結構だが、迂闊だぞ」
女のスーツの、襟の位置。
自身の黒いベストを軽く叩いた店主の意図を、女は察した。金色の記章を外し、内ポケットに落とし込む。
「店長。お気持は解りますが、おそれながら。店での
「注文は」
トレンチによる強かな打撲音、頭を押さえて唸る雨屋は歯牙にも掛けず、女は雪平を見上げ、短く言った。
「珈琲。それと夕食に丁度いいものを、何か」
■
北の冬は、誇張を抜きに雪で埋まる。鬼が減り、通報が減り、巡回業務はとめどない降雪との戦いが大半を占める重労働へと様変わりする。
受験に励む学生隊員は心置き無く勉学に励み、彼らを激励した残りのみで、十分に余裕のあるシフトが回る――その、暖房に
「和泉見てねえか!?」
隊室の扉を開け放った冬部に、他隊の面々は少なからず気圧された。うちの一人が首を横に振り、冬部は「次」を探しに走る。
先日、棗から預かった情報から、目を疑う記述を発見した。
直接会って話をするため、和泉を呼び止めたところ――それが鬼ごっこ開始の合図になるとは、冬部も予想だにしなかったのだが。
隠れ鬼は和泉に分がある。他の隊が面白半分、単なる遊戯と受け取って和泉を匿うためだ。本当に洒落にならない。
端末に、和泉からのメッセージが届いていた。
『ごめんなさい、今日だけはだめなんです。明日じゃ間に合いませんか』
――頼む。一刻も早く、教えなきゃならねえことなんだ。
ふと天啓がひらめき、冬部は文明の利器――普段の巡回でもよくやる――端末のGPSによる探知を試みた。
和泉の位置情報は北支部を出て、細道の錯綜する市街へと向かっている。
和泉は北の街に張り巡らされた裏道を覚えるのも、ずいぶんと早かった。実際に散歩しているのだと話していた記憶がある。
あちらも追跡の気配をみとめたらしい。端末の電源を落としたか、ナビゲーションはぷつりと途絶える――充分だ。
もう捉えた。追いつける。
すこし向こうから、短い悲鳴のようなものが聞こえた。和泉だと予感した。
この先は行きどまりだ。獲物の追い込みなら、経験値の多い冬部が有利――
「お
――無人の袋小路に虚を突かれ、立ち尽くす冬部が、和泉の眼下に見えている。
行き止まりの建物の屋上で、
地上から引っ張り上げられ、内臓が冷える感覚は、何度味わっても慣れそうにない。
「……人喰さ、」
「あん熊から逃げとったんと違うん?」
左腕のあるべき空間が、ぽっかりとあいている。
「……逃げては、いました。ありがとうござ、っくしゅ」
「ぼーっと立っとったら見つかってまうでー。こっち来ぉへん? ほらお姫さん、
ワシのおひざのうえー」
右腕一本で手首を引かれ、身体ごと持っていかれた。
体勢を崩し、人喰の用意した特等席にすっぽりと収まる。
薄い布越しの体温が、子どもの体温を彷彿とさせる温かさだ。追跡を躱すのに必死なあまり、防寒着の用意もなかった和泉は、その体温ですこしの暖を取った。
「お姫さんもすっかり肉、硬なってしもて……あん頃な、ワシけっこう気張ったんやで? 術わからんかって、得意なヤツんとこ通って教えてもろてなあ。でも
「、……あれから、誰か、食べたんですか」
「そりゃそうやろ!? あんなぁ姫さん、ワシこれでもいっぺん三途の川ァ渡りかけとったさかいな!?」
漫才の勢いもかくやと突っ込んだ人喰は、そのままけたけた笑い転げる。ぐっと押し黙った和泉の神妙な面持ちは、見えていないらしかった。
少なくとも、自分がそうなる予定だった「食事」を、笑い
「にしても、ヒトの成長ってのはあっちゅう間やなあ。あーんなちまっこかったお姫さんが、よぉ大きゅうなって」
「――――!」
和泉は目を見張った。
人喰の膝の上で身じろぎ、向かいあわせの態勢で顔を近づける。
「人喰さん、……もしかして。俺が施設にいた頃のこと、知ってるんですか」
「え? お姫さん覚えとらんって? なんで? 自分のこととちゃうん?」
「あの、俺と一緒に、そっくりな女の子、いませんでしたか!? 天使みたいに可愛い、世界で一番じゃないかってくらい可愛い女の子なんですけど! 居ましたよね!?」
「いや知らんがな!? それガッツリお姫さんの感想やないかい!!」
「そうですっけ!? じゃあ、えっと……俺と同じ顔の子です!!」
「……言うてワシがあっこ入ったん、全員仲良ぉモツんなった後やし……」
端末での慣れないタイピングは、冬部にとって困難を極めた。悪戦苦闘しやっとの事で誤字だらけの文章を打ち終え、送信してから再び路地を蹴る。
十年前。和泉が身を寄せていた施設は、鬼の手によって壊滅している。
施設の子どもが鬼となり、自我を失くし暴走した。職員と子どもはみな殺された――ただ一人の生き残りである、和泉を除いて。
養子縁組は、施設がなくなり寄る辺を失った和泉を、行政が保護したもの。
和泉が施設の頃の記憶を持たないのは、事件の凄惨な記憶を忘却ないし封印する、一種の防御反応と推測されていた。
「……なん、ですか。それ」
「生きとったんがお姫さんしかおらんかったっちゅうのも含めて、食べよぉ思たわけやろ? ほらワシ、死肉ようけ好かんし」
「……うそ、」
「嘘やない嘘やない。他のいけ好かん奴らは知らんけど、ワシはな? ヒトサマだまくらかすようなモンとちゃうんや」
人喰は言葉を切った。いささか、歯切れが悪い。
「あんなぁ? ……そん時ワシ腹ペコで、そのへんに散らばっとる死肉、なんぼかつまんでもーたから、……まんがいちーって感じでな? その……女の子のお姫さん? そん中に混じってたかもわからん、」
「……え、」
「いや、わからんで? もしかしたらやて。な? ワシのおつむ、ようけ強ぉないさかい、そないな昔の話なんて覚えとらんて」
間の抜けた表情で笑ってみせた「逃げ」は、和泉が胸倉を掴んだことで剥がれる。人喰は一瞬のけぞった。
「相良を食べたのかって聞いてるんです!!」
「知らんわ!! 肉は肉やて、食った肉いちいち覚えとるかいな!! 薄々思とったけどさては姫さんまあまあのアホやな!?」
冷え切った冬の空気を、虚ろな残響が軋ませる。
人喰は大きく肩を上下させ、呆れが多分に含まれる溜息を、長く吐き出した。
「……ただの、肉、」
和泉の声に、穏やかでないものが混じる――その正体は、回った視界に驚いたせいで、喉の奥に引っ込んだ。
和泉の視界に曇り空が広がる。
冷えたコンクリートで、背中が凍る。背骨が擦れる。そんな不快感が小さく思えるほどの、焼けるような痛み。
「やっぱ、おいしゅうのうなっとるなあ……食えんことあらへんけど」
和泉の鎖骨から顔をあげた人喰は、血液で濡れた唇を舐めた。すこし思案した結果、妥協の色濃い結論を下す。
獲物が逃れようともがいても、捕食者側の左腕の欠損は、ハンデとすらならない。
「お姫さん、ワシは漫才ごっこしに来たわけやあらしまへんのや。その気になればいつでも殺してまえるさかい、なんも警戒せんとおっただけや」
そう言って、ふと、眉を下げた。
「あー……でも、せやなぁ。女の子のお姫さんがおったら、よかったなぁ。お姫さんにわざわざ術かけるとか難儀なことせんでもええっちゅうハナシやろ?」
「……っ!!」
人喰を睨み付ける。喉の奥に飲み込んでいた、声を――
「捕食中は無防備か。
知らない声がした。
人喰の身体はがくりとくずおれて、全体重が和泉にのしかかる。
息苦しさを覚えるよりも早く、その身柄は、スーツを纏う数人の女性によって回収された。
命が助かったという安堵よりも、突如現れた彼女らに頭がついていかない。彼女らはてきぱきと撤収し、瞬く間に、幻のように姿を消していく。
「餌役、ご苦労。あれはこちらが回収する。……泳がせておけば来ると踏んでいたのでな。監視は謝罪しよう」
ひとり残った、パンツスーツを纏う女性は、和泉の負傷を手際よく処置した。空気に晒され脈打っていた痛みが、いくらか薄らぐ。
手当を終えた彼女は、和泉には大きめのウインドブレーカーを、肩にそっと着せ掛けた。礼を述べ、正面のチャックを上げてしまえば、包帯は隠れる。
「……あなた達、は?」
「然るべき疑問だ。しかし、私は答える義務を持たない」
かつり、と。ヒールが音高く鳴り、それ以上の問い掛けを牽制した気がした。
曇り空と一面のコンクリートのなか、彼女が振り返る。色素の薄いブロンドの髪が風に広がった。耳に端末をあてている。
「――羽住だ。現時刻、安岐和泉を発見した」
「!?」
「ああ。私の現座標ビル、屋上だ」
疑問は先に封じられる。
「中央本部の人間は、じき到着する。……小言に煩わされる前に、端末の起動を推奨しよう」
はたと端末を見た。
冬部の追跡を逃れるために切った電源は、当然ながら――中央本部からの探知と、連絡までもを、受け付けなくなっていた。
羽住は、電子機器で追跡できなくなった和泉を探しに来たのかと、咄嗟に予想する。
「……さっきの、人達も、本部の?」
「黙秘する。……歌姫。私に構っている場合か?」
中央本部の隊服、純白の軍服を基調とした人影が二人。帯刀しているのは彼らだけだ。防護のための武装を固めた人影が、後から数人ついてきた。
端末を起動した。新着の通知はおびただしい数、中央本部からの着信で埋め尽くされている。――一抹の申し訳なさが過ぎり、
「我々の予想以上の成果だ。黒の歌姫、安岐和泉」
和泉が「今日」、冬部と会いたくなかった理由。
中央本部との接触は、秘密裏に行われるものであったから。
「貴殿の能力は
黒っぽい武装の男は、事務的な口調と裏腹に、態度が軟らかい。
一回りも小さな子どもを前にして、親愛の握手でも求めるように右手を差し出す。
和泉は俯いたままだった。
服の上から、首にさげた古鏡を探る。かき抱くように強く握った。
「あなたたち、知ってたんですか。……相良がもう、どこにもいないのを解ってて、見つけるの、協力してやるなんて言ったんですか」
十年前、孤児院惨殺事件。その犠牲者一覧。
身体特徴のみを羅列した、身元不明死体の記述、末尾――
友好的な顔の男を、冴えた金の瞳が映す。和泉に対して何事かを連ねた、平静な声を聴き――一通のメッセージが報せた不信の種は、あっけなく芽吹いた。
中央本部は、一連の事実をみな、知っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます