調査
結局のところ対策部というのも、鬼と同様、腫物に過ぎない。
「どうしてできないことがある! お前の裁量でどうにでもなるだろうが!!」
冬部が通報に駆け付けた先は、北では大手の銀行だった。鬼と化したのは銀行員の一人。初期の鬼化個体は、さしたる苦もなく確保が完了した。
難航しているのは、報告書の記載に必須の聞き取りに他ならない。
内々に処理してくれ。経歴に傷が付く。金なら積む。責任者からの恫喝に、かなりの時間を食わされた。冬部に怯まず因縁をつけてくる人間も珍しい。
「……所詮は学歴も無い、高給に釣られた無能だな。ゴミ掃除しかできない脳筋が」
濃灰に緑を重ねた北支部の色は、人間社会の不適合者を処分する、清掃業者の目印。また、彼らへの認識も「そういうもの」だ。
駅前通りから数本の横道に逸れ、飲み屋街に連なる路地の脇。
枷で拘束した鬼を一時保留し、監視と測定を和泉に頼んでいた。端末の通知では、機材による測定結果――呪力値が処分水域に達している旨の報告を、十分ほど前に受信している。
駆け付けた先の景色に、足を止めかけた。
鬼から和泉を引きはがし、大太刀を抜き払う。
角付きの
「……お前、何してた」
――学生隊員である和泉に、断頭まで任せた覚えはない。
和泉の手は、抜いていた刀を仕舞おうとする。震える手をうまく操れず、刀身はかちかちと鞘に擦れたのち、暫くして鞘に収まった。
「……いつか、やらなきゃならないこと、です」
「いつかは今じゃねえ。だいたい、正隊員になるかどうかも分からねえだろうが」
「なります。それに、……大丈夫です。絶対、出来るように、なりますから」
刀を握りしめる手の震えは、徐々に収まっていく。
「どうして」と。その踏み込みを躊躇うのは、一年前の名残なのか。
「相良を、妹を探すためなら、俺は何だって出来るんです」
――対策部に所属することと、妹を探すことに、何の関係がある。
冬部が非番に訪れた喫茶店は、相変わらずの閑古鳥だった。黒服を
カウンター席の端に腰掛け、手短に注文を済ませた。
「店長。いま暇か?」
「それは新手の嫌味、と受け取ればいいんだろうか」
無機質な返しは、字面の棘のわりに不穏なところがない。
訪れる客が一般人でも、北支部の人間であっても、この店主の接客態度は変わらない――もしかすれば、鬼だとしても。
平静が常、滅多に顔色を変えない彼が主であればこそ、この喫茶店は中立地帯となりうる。
「俺以外の客が来るまで、考え事に付き合ってくんねえか」
雪平は
「内容は他言無用、という認識でいいか」
「、……その通りだ。すまねえ店長、助かる」
「気にするな。口が堅くないとやっていられない」
さらりとした回答に安堵しながら、この店主が、北の支部長とも懇意であるという噂が頭をかすめる。
恐らく、噂は真実だ。
「それで。そのファイルが考え事とやら、か?」
カウンターに置いた分厚いファイルを指され、冬部は無言で頷いた。
――喫茶店に来る前に、棗が教鞭をとる大学に寄ってきた。「相談」を持ち掛けたのは、雪平が二人目になる。
不本意ながら頼りになる幼馴染は、研究室の奥にある物置に籠っていた。食事を差し入れついでに事情を話したところ、和泉の身辺調査を行ったファイルとデータを押し付けられた。
雪平はしばし、事務用品のファイルを観察していた。その紫紺に既視の色が混ざる。
「それ、あの男のお得意じゃないのか」
冬部はいささか意外そうに、目線を上げた。
棗からとも雪平からとも、喫茶店で世間話に興じるイメージは無い。念のため棗の名を挙げ、確認をとった冬部に対し、
「所詮金持ちのババアのヒモが本業だろう。愛人野郎、と挑発されたな」
返答に、胃が痛い。
「……悪かった店長。よく言って聞かせる」
「あの手のには無駄だろう。気にしていない、別に構わない」
当の棗から、大方のあらましは聞いた。
多少、悪魔に魂を量り売るくらいのことは、覚悟の上だ。
やはり和泉は、適正検査の段階で入隊を拒否されていた。
共感能力が高く、確固たる倫理観も、正義感もある。鬼に対して非情を貫けない。社会の安寧を名目に正当化した理屈を、呑み込めない性質。
その不適合者が何故、対策部にいるのかという理由は――
「……これは、単に俺の経験だ。個人を特定する意図は無いし、それ以上の質問には答えかねるが」
前の人生の記憶を持つ人間――「先祖返り」。一蹴されるかと危惧した話題に、雪平は二重、三重に言葉をぼかした。
「何度か、そういった話をする人間を見たことはある。だからというのもあるし、……『そういう不可思議』が起こりうることを、受け入れてはいる」
棗からの説明に加え、慎重を期した雪平の対応は、――先祖返りが、中央本部の隠す「機密」だということを確信させるには充分だった。
中立の位置から可能な限り歩み寄ってくれたことを悟り、頭が下がる思いだ。
「答えて、店長の立場が危うくなるなら黙秘してくれ。相談役頼んでんのは俺の勝手で、……そもそも和泉に隠れてこんなもん見てる時点で言い訳のしようもねえ、」
店のドアベルが鳴り、慌ててファイルを背に隠した。
肩で息をする、線の細い青年の姿に、ほっと緊張を解く――、
視界の外から小さな嘆息が聞こえ、雪平がカウンターから出た。雨屋の白い髪に絡まる葉と枝を取り、言葉少なに遅刻を宣告する。耐えかねたような声が、「……今日は何処だ」「お花屋さんから参りました」「…………そうか」
本人ばかりが気の抜けた笑みを零しながら、着替えの為、店の奥に消えた。
バイトを複数掛け持ちしていることは聞いていたが、花屋は果たして、頭に草を生やしてくる職業だったか、冬部には自信が持てなかった。
いつかの文化祭を思い返すと、雪平は珍しく、歯切れの悪い返答をする。
「……結局あれは夕方まで帰ってこなかった。それから配達は、俺が行くことにしている」
「、……悪い奴じゃあねぇんだけどな」
雨屋が店表に出てくるようなら。もしくは他の客が来たら知らせてくれとだけ頼み、ファイルを読み込む作業を選んだ。
昼休みを知らせる鐘が鳴る。
教員の気紛れで四限を早めに解放された和泉の姿は、南校舎三階、三年生のフロアにあった。弁当包みを提げる小柄な影が、授業中の教室をドアの窓越しに覗いていく。
ひとつだけ。教員の姿の無い教室は、自習というには賑やかだ。
「風見さん! お昼、一緒に――、」
頭髪の色鮮やかな一団が、教室後方にたむろしている。グループの中心、机に腰掛ける風見の赤茶けた髪すら、彼らの中では落ち着いた色の類だ。
和泉を見つけ、風見は表情を喜色に一変させた。
慌てた言い訳とともに、大仰な身振りで友人らを拝んで席を立つ。途中、端末と財布を取りに戻る。何度か椅子に引っかかりながら、至極騒がしくドアまで辿りついた。
笑いの起こる教室を背に、風見は先を促した。
「お待たせイズミちゃん。んで、さっそくだけど空き教室、」
「氷崎先輩ともお話したくて、探してたんですけど……きょう、お休みですか?」
「……なる、すばるな? おっけー……多分いるぜ?」
風見が肩を落としつつ、まだ授業の続く教室を指す。
「今さ、オレら三年て受験じゃん? ふつーに授業じゃなくて、進路ごと必要な教科選んで、大学受験用のべんきょしてるらしーぜ」
風見がいたのは、就職希望か公務員希望者の集まる、主に自習のための教室であるらしい。
「で、どこにもいなかったんだろ? たぶん居場所なら分かっからさ。だいじょーぶ……で、オレらに話ってのは?」
「えっとですね、実は――、」
購買に寄り、焼きそばパンとうぐいすパンを買った風見が、そのまま北校舎、化学室へ向かう。
窓際の実験台にコンビニの袋を置いた氷崎は、既におにぎりを開けていた。
和泉がぱっと笑顔を咲かせる。
「氷崎先輩、一緒にお昼食べましょう!」
「おはようお兄さん。一人で食べたいから遠慮するね」
「やー、あのさあすばる。多分すばるのが、オレよか細かいハナシ覚えてんじゃね? って思うんだけどさあ」
入り口で落ち込んで動かない和泉に先んじ、喋りながらずけずけと化学室に踏み入る。氷崎は微妙に嫌そうな顔をした。
氷崎と同じ実験台、向かい合う席に丸椅子をふたつ下ろす。ひとつに座り、もう一方の席に和泉を呼びながら、風見が焼きそばパンの包装を剥く。
「死神の手がかり? って。なんか分かってる話、あったっけか」
「……なんでお兄さんが、死神なんか気にするの?」
「え? オレそんなん言ったっけ」
「博己は興味ないでしょ、そんな話」
「まーな。そんとーりだけど」
言いつつパンにかぶりつく。反対側から焼きそばが落ちかけ、風見が慌てて上を向いた。紅しょうがの一片も落とさず小器用に食べすすめていく隣席に、和泉がそそくさと弁当を広げる。
ちらと窺った氷崎からは、咀嚼の音がほとんどしない。喉ぼとけが上下して、静かに口を開いた。
「僕らは、遠目で見たことがあるだけ。それはお兄さんも同じだよね。あれ以上の情報が欲しくても、僕らは力になれないよ」
長身。背格好からして男性。仮面と布で、顔をはじめとした素肌を覆っているため、容姿の一切は不明。
相対した、黒一色の始末屋の特徴はそれだけだ。氷崎が指す情報というのも、それらに違いない。
「氷崎先輩たちが初めて死神を見たのって、いつごろなんですか」
「僕らが入隊してすぐだったから、……四、五年くらい前かな」
「……死神の話って、その頃から?」
「もっと昔からだと思うよ。多分だけど、冬部さん達が学生の頃ぐらいにはもう、『死神』って殺し屋の怪談、あったんじゃないかな」
「そーそー! あの人ら、同級生で幼馴染っぽいんだけど、なん」
脱線の気配は、風見の口に押し込まれたうぐいすパンによって早々に立ち消える。
押し込んだ張本人は涼しい顔のまま、ビニール袋におにぎりの包装を捨て、ペットボトルのお茶を開けた。和泉が唖然と見守るものの、氷崎はもちろん風見も割合けろりとしていて、騒ぐのもおかしいのかと首を捻りつ食事に戻る。
ぎこちなくも箸を動かしはじめる和泉を、ひやりとした視線が撫でた。
「――どうして知りたいの、って質問には、答えたくない?」
箸の隙間から卵焼きが落ちた。
和泉がゆっくり顔を上げる。お茶を飲んでいる氷崎が、どんな顔でそう問いかけたのかは、わからなかった。
「心配事、どーにかなったカンジ?」
風見が覗き込んで来た頃には、弁当をほとんど食べてしまっていた。
残るおかず、ハンバーグの一切れを差し出すと、風見がぱっと表情を輝かせ一口に収める。頬を綻ばせる喜びように、和泉も嬉しくなりながら、答えた。
「えっと、……やっぱり心当たりがなくて、だから良かったというか……? はい。どうにかなったみたいです! つぎ移動なので、早めに失礼します」
「そだイズミちゃん! きょう一緒に帰」
「すみません、やることがあるので! 次、俺から誘いますね!」
足音が遠ざかり、化学室がしんと静まる。
背を丸めて動かない風見を放置して、氷崎がコンビニの袋に包装を詰め、まとめてごみ箱に捨てた。
「博己。ここ来る途中、お兄さんに何か話した?」
「……え? なんも特別なこと喋った覚えとかねーけど、」
腕を組んですぐ、さして、考えを纏めたような間も空けずに。
「棗サン、死神から百点満点花丸みてーなビンタで横っ面キレーに張られてブチ切れて、単にそれ根に持って今まで逆恨みしてるっつーだけの話じゃん?」
「……ああ、うん。そうだね」
■
適宜、雪平との会話を通じて、情報の整理と疑問点の把握をすすめた。
棗から大雑把な説明で投げっぱなしにされていた情報は、理解に躓いた点について、雪平が要約を試みることで、冬部の理解を大いに助けた。
中央対策本部に召集されたのは、和泉に前生の記憶があったからだ。
訓練も同様。先祖返りを厚遇する、本部の意図のため――では。
手元に置いておきたいであろう先祖返りを、北支部に配属した意図は何か。
和泉は北支部に来ることを望んでいたが、配属は、中央本部が気を利かせた「ただの親切」と受け取っていいのか。
そして――和泉は。妹を探すために、何をしている?
先祖返りは、生まれた瞬間から前世を自覚するわけではない。生まれ変わった姿と前世の姿は、一致するとは限らない――「妹を探している」「相手にまだ自覚が無いのかもしれないから」。何度か聞いた台詞に合点がいく。
最悪の場合、年齢も容姿も、和泉を覚えているかも分からない。それを探してみせると宣言するまでの覚悟を、理解する。
さしあたり一つだけ、腑に落ちないことは、
「人を探すために田舎に来るのも、妙な話だと思うがな」
冬部が話した違和感は、雪平が端的に言語化した。
その理屈に納得すると同時に、蘇った声がある。
『人を殺すよりもっとえぐいことを平気でやるやつだよ。あのお兄様とやら』
終始やる気のない口調で冬部に応対していた棗が、そこだけ何でもないように付け加えた言葉は。確実に、警告の意図だった。
雪平に尋ねようとしたところで、首を横に振られる。
奥からエプロンを着た雨屋が現れ、冬部はそこでファイルを閉じた。
「トリックオアトリート。冬部さん」
両手を背中に回し、無邪気な笑顔を浮かべる格好が、何故、成人男性そのものの長駆でも自然なのか分からない。
十月も終わりに位置する行事を現在いきなり話題にした理由は、喫茶店では早めに、ハロウィン限定スイーツの提供を始めるから――とは、雪平の談だ。
冬部に菓子の持ち合わせは無かった。軽く両手をあげた大男へと、雨屋は、隠していた左手を差し出した。
「では、悪戯にこちら。私特製の、とびきり甘いチョコレートです」
片手に収まる、青い箱だ。
続けて右手をその隣に。青い箱と赤い包みが並んで、カウンターに置かれた。
赤い包みのほうは、甘いものが苦手な冬部に用意したブラウニーらしかった。味は過去に覚えがあり、冬部は素直に礼を述べてから菓子を受け取った、ものの。
――ハロウィンってのは、こういう祭りだったか?
訝る反応を見越し、雨屋が付け加える。
「甘いほうは、そういったものを好むかたにでもお譲りください」
譲り先のあては、ついさっき無くなったところだった。
「僕、暫く休職するから。そこんとこ宜しく」
北支部には申請を済ませた。大学後期に担当した棗の講義はオムニバス形式で、担当が今日で終わる。向こう暫くは予定も白紙だ――大学関連の単語は、冬部にとって、理解が及ばないものの。
棗が暫く姿を消そうとしていることは、理解した。
「最近、鬼も少なくてヒマ持て余してるんだし、ゴリラ一体いれば充分でしょ」
言いつつ時刻を確認し、投げ棄てていたジャケットを着込む。物置の扉を開け、最近見た中ではとびきりの猫を被り、冬部に退室を促して微笑んだ。
気色悪い、に先んじて覚えた感情は、素直に零れていた。
「死ぬなよ」
「はっ、笑わせんなクソゴリラが。僕を誰だと思ってんの?」
「撤回だ死ね」
冬部を見送った棗は、講堂の黒板の前で椅子に座していた。
小テストを早めに終えた学生が、また一枚、教卓に置いた箱に解答用紙を提出し、退室する。
試験中の不正行為に目を光らせながら、棗の頭の中は別の思考に占められている。
死神の活動の最盛期は、十数年前のこと。四年前ぱたりとその姿は消え、人の噂も同時に風化していった。死神はもう、旧い都市伝説だった。
それが活動を再開したのは、一年前。恐らくは――人喰の事件から。
ただの偶然であるのか、という問いも白々しい。偶然と片付けていたなら、和泉への尋問など行ってはいない。
「……人喰、か」
もう一つ。死神の正体を手繰る糸になりうるそれに、目を留める。
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