ふぃふてぃ

第1話 夜


 私は夜が嫌いだ。


 草木も眠る丑三つ時に、私の安眠は阻害される。ガシャンと力任せに開けられたドア。私の身体はビクンと危険を察知する。


「マリン、マリンはどこだ!」


 怒号で呼ばれる私の名前。

 瀬戸内 海音。パチンカスの父がつけたクソな名前。そんな名前を父は恥ずかしげも無く連呼する。


 アパートは一階。私はあらかじめ着ていた制服にダウンジャケットを羽織り、窓を開けると、寒気極まる夜の世界へと飛び出した。


 一瞬の躊躇ちゅうちょも許されない。


 私は知っているから。髪の毛を掴まれた屈辱を。キスのくっさい残り香と、セックスの激痛。私は全て知ってしまっているから。



 ダウンジャケットは夏に子供食堂のおばちゃんからもらったものだか、色褪せてはいるもののしっかり機能した。

「夏にダウンはちょっとねぇ。」と言う、おばちゃんから、引ったくるように頂いたダウンジャケット。おばちゃんは苦笑いをしながらあげつらうような目をしていたのを、脳が覚えていた。


 私は夜が嫌いだ。


 吐き慣れたローファーはスニーカーより強し。部活に通えない私でも、酔っ払いから逃げ切る脚力は備わっている。若さは時に武器になる。


 近くの公園では、その若さを武器にバカな男から三万を背絞せしめる中高生。


 キーコ、キーコと私はブランコを漕ぐ。


 公園で愛だの恋だの叫ぶ時代はとうに過ぎて、シンガーソングライターもお手上げのようだ。


 多目的な公園、の中にある多目的トイレ。マジでウケる。と、とりあえずウケておく。

 冬の厳しい寒気さえ、夜という特殊な支配から人を目覚めさせる事はできない。


 私は夜が嫌いだ。


 制服のスカートを翻し、ブランコに別れを告げる。キーコ、キーコと別れを惜しむ鳴き声も、今の私には響かず、公園を後にする事に迷いはない。



 陳腐な歓楽街を通り抜ける。

 夏の虫のようにコンビニの灯りにたむろする少年少女は滑稽で、俳句の季語に春夏秋冬と描くほど面白い。


 顔立ちの良いにーちゃんやねーちゃんでさえ夜には抗えない。酔い潰れ、夢の中へ落ちていく路地裏。指先でねーちゃんの口紅を拭き取り、自分の唇に擦り付けた。


 町外れに灯はない。何処からともなく聞こえる猫の鳴き声が、夜に打ち勝つヒントになる。


「おぃ、また家出かよ。」

「それはお前だろ。今が一番、映えるんだよ。」


 道端に天体望遠鏡を構える学ラン男の懐に手を忍ばせ、いつものようにマルボロメンソールを一本拝借する。


「金城。火?」

 彼の名は金城 夜。ナイト、Night、knight?

 「ほらよ」と投げ渡される100円ライター。

 煙は肺を犯し、身体を巡るとゴミの様に吐き出される。ゴミ煙を冷たい夜風が掻き消した。


 星々の光は、都会の幻想に押し潰され、冬の大三角だけが飾り物の様に添えられてる。

 金城は私の震える手を握り、唇を重ね、強引に抱き寄せると甘い声で囁く。もう大丈夫だと。


 私を助けてくれないのに。

 私を1人にする癖に。



 町外れのシャッター通りを歩く。曇ったガラス屋根の下、ダンボールに包まる老人は男なのか女なのか?どうでもいい疑問が、蛆虫のように湧き上がる。


 黒猫は堂々と道の真ん中を闊歩する。

 私も胸を張り、猫を真似て闊歩する。


 「夜に呑み込まれてはいけません」

 そう、猫は伝えているようだ。


 金城は大柄な体格とは裏腹に、犬のように後ろを付いて来ている。折り畳まれた天体望遠鏡を持ちながら、片手はポケットに突っ込んで、キャンキャンと吠えないまでも、肩を擦り寄せてくる。


 猫のように夜を謳歌する事は出来ない。私も彼と同じ。真似事は真似事のまま、ままごとのような日常を繰り返す毎日。さりげなく彼のポケットに手を忍び込ませ、傷を舐めあってしまう。


 だから、私は夜が嫌いなんだ。


 煌びやかとは、お世辞でも言えないBAR ともしび。安物の色付き豆電球がチカチカと見栄を張る。

 薄暗い店内には客の代わりにどーんと座る大きなクマのぬいぐるみ。壁は所々剥げ落ち、芳香剤がカビ臭さを上塗りする。


「また、お前らか。ここはラブホじゃ無いんだよ」


 賞味期限切れの女性バーテンダーは右手でシッシッと私達を邪険に扱った。私はそんなバーテンダーをスルリと交わし、客の飲み残しをグィーっと一気に飲み干した。氷の溶けきった液体は薄い子供の飲み薬のような味がする。


「ファジーネーブル!」


 私はニコッと笑い無邪気に陽気な声を放つ。彼女が私達を無下に出来ない事を知ってる。そして、大人と言われる生き物は、厄介事を嫌う。


「はぁ〜、分かったよ。ただ店をイカ臭くするんじゃないよ。そしたら、あんた達、出禁だかね。デ・キ・ン」


 穴の空いたソファに座り、出してきた埃臭いせんべい布団に包まる。捨てられるのを待っていたフライングビーンズを口に放り込み、埃の浮いた水で流し込む。


 金城はバーテンダーが帰った後も、せっせと食器を洗い、片付けていた。そんな姿を横目に、私は目を閉じる。水音が止み、食器の音が消える。店内の電気が消され、暗闇と静寂が私を襲う。


 彼の穏やかな息づかいが耳元を掠めた。金城は私の頬にくちづけをすると、そっとドアを開け、夜の街へと溶けていった。


 朝方。暖房の切れた店内は、隙間風が入り込み冷え込んでいた。


 やっぱり、私は夜が嫌いだった。



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