Tale4 白銀は炎とともに消ゆ

 レオンは魔法を使い、辺り一面を火の海に変えた。


「きゃあああああああああっ!」


 アメシストは、炎に震えあがる。ウィスタリアたちの仇だ。


「レオンハルト……! 何しに来た!」

「アメシストを野放しにした理由が分かるか?」

「てめえのそんなくだらねえ理由、知るか。こんな惨いことを繰り返しやがって」


 レオンハルトは、ヴァンの怒りの言葉に耳を傾ける気はさらさらなかった。興味が

無かった。


「私はその娘の魔力が欲しい。それだけでなく私の魔力実験の良い被検体としても、どうしてもアメシストが必要なんでな。だが彼女の魔力は、ただ育てただけでは、乏しかった。魔力を高まる環境を作り出し、もう一度捕らえようと考えた」


 ヴァンは、殺意を向けながらも、彼の言葉に耳を傾けた。


「一度その娘が反抗した際に、刻印を刻み付けて、居場所だけ分かるようにした。そして、魔法使い、魔物の郎党に彼女を捕らえるように指示した。そうすれば、彼らと戦う、もしくは逃げるための力を無意識に使う間に、魔力が高まっていく」

「アメシストを生かさず殺さず、酷な状況に追いやることで力を覚醒させようってことか。畜生が」


 レオンハルトの無慈悲さは、あまりに不快だった。


「これは失敗だった。アメシストの、自身の魔法に対する理解は浅かった。アメシストは力を高めるどころか、どんどん弱っていった」

「てめえの計画は失敗だったと。バチが当たったんだろう」

「私は彼女に死なれては困る。もう一度捕らえなおそうとしたのだがな」


 レオンハルトは笑みを浮かべる。


「ところが、ヴァン。お前がついていたとはな。礼を言うぞ。お前と行動を共にしたことで、アメシストの力は随分と高まっている。彼女が最低限の自衛はできるように、鍛えてやっていたそうではないか。お前は私に捨てられてなお、私のために働きを為した。従順な奴だ」

「……そんなつもりはない」

「だがな、お前たちは知ってしまったようだな。彼女の胸の刻印の秘密を。四季の島かどこかに行こうとしているのだろう? この魔法から逃れるために」

「……」


 この男には全て見透かされていた。


「逃げられても困る。それに、私の欲する水準に近く、彼女の力は達している。だから、彼女を連れ戻しに来ただけだ」

「連れ戻すだと? 何ふざけたこと言ってんだ。アメシストは好きでお前のところにいたんじゃない」

「そうだな。では、言い方を変える」


 レオンハルトは、強く言い放つ。


「道具として、奪いに来た」

「アメシストはお前の道具なんかにはならない! いや」


 ヴァンは負けまいと、固く誓う。


「オレが絶対に、させない!」

「滑稽なまでに必死だな。お前がそこまでアメシストに入れ込む理由は何だ?」

「そんな事、お前には関係ないだろ! アメシストを放せ! ……そんなことを言っても、お前が放すわけないよな」


 ヴァンは、銀色の刃の大剣を構えた。


「いいだろう」


 レオンハルトは、杖を持ち出し、剣に変化させた。


「わざわざここに来た事を後悔することになるぞ。クソジジイ」


 彼は、大剣にありったけの力を込める。刃は強く眩しく煌く。


「お前は……オレが殺す!」


 彼はレオンに向かって、勢いよく斬りかかった。




「死ねっ!」


 ヴァンはいきなり、レオンハルトの首めがけて銀色の剣を振り下ろした。レオンハルトは軽く躱す。


「安易だな」


 レオンハルトはヴァンの隙に付け込み、刃先を突き出す。ヴァンの髪が僅かに散ったが、何とか避けることができた。


 彼は一旦引き下がろうとした。レオンハルトはヴァンに近づくことはしなかった。レオンハルトは剣を杖に戻し、素早く振りかざした。


 レオンハルトの携えた杖が、光を纏う。彼は、杖を振りかざす。


「魔力の感知も、障壁の魔法もできないオレは」


 魔法で作られた武器が、勢いよくヴァンに襲い掛かってきた。ヴァンは足りない頭で、レオンハルトの攻撃へ対応する策をひねり出す。


「こうするしかないッ!」


 力を込めて、武器を全て叩き割るように跳ね飛ばして攻撃を防いだ。魔法の武器たちは粉々に砕け散っていった。数本の刃は当たってしまったが、軽傷に留まった。


「あんまりなめてんじゃねーよ、クソジジイ!」

「ほう? 少しは出来るようだな」


 レオンは魔法の杖を銃に変化させた。


「これならどうだ」


 ヴァンめがけて、引き金を引く。


 数発、彼の身体を掠ったが、その部分は焼けるように痛む。だが、止まる暇などない。銃弾を躱し続けるのは困難だとヴァンは判断した。木の陰に隠れつつやり過ごすことにした。


 この場所は、森にぽっかりと空いた土地である。


 まるで、森の中に広場が作ったかのような地形だった。ヴァンは周縁の木を転々としながら、レオンハルトの攻撃を凌ぐ。攻撃が当たらずとも、確実に彼の体力は削がれていった。


「何とか逃げられていると思うが……あいつに決定打が与えられていない。このままでは、疲れたところをやられてしまう」


 銃弾に織り交ぜるように、武器や魔法が飛んでくる。


「くそ、あいつの攻撃はどこから出てんだ!? 純粋な魔法使いではない、人間だというのに、一体何種類持ってるっていうんだよ……。考えてみれば、あいつの使う道具は……そうか」


 ヴァンは木の陰から飛び出し、レオンに不意打ちを仕掛けた。レオンの体ではなく、杖を攻撃した。


「……!?」


 レオンハルトの杖に若干のひびが入った。ヴァンは、レオンそのものを切ろうとした。血の一滴も出てこなかった。しかし、いかにも高価なその衣に、綻びが生まれた。


 レオンハルトは僅かに表情を歪め、ヴァンから距離を取り、再度銃弾を何発も撃った。その弾道は、徐々に単純なものに思えてきた。ヴァンは疲れているにも関わらず、無傷で躱すことができた。


 ヴァンは木の裏に再び隠れ始める。木の裏から、レオンの攻撃を跳ね返すような素振りを何回か見せた。


「そんな場所から攻撃の真似事か。ろくな魔法も使えないお前が、考えたではないか」


 レオンハルトは、ヴァンの行動を薄笑う。


「木々は、限界のようだな」


 ヴァンが盾として利用してきた木々は、何十、何百回にもわたる攻撃を受け、もはや蜂の巣状態であった。いつ倒れてもおかしくはない。いや、倒そうと思えば手で押しただけでも倒れてしまいそうな状態だ。すでに倒れてしまっているものも数本あった。


「お前の大好きなかくれんぼを、そろそろ終わりにしてやろうか」


 レオンハルトは広範囲に渡る魔法を発し、一気に木の根元をへし折る。広場の中心から攻撃を受けていた木々は、外側に向かって倒れ始めるはずだった。


 木々は、広場の中心へと向かって倒れ始めた。レオンハルトは常に広場の中心で戦っていた。彼の視界が木で覆われていく。レオンハルトは急いで木の上へ出ようとしたが、ヴァンが木の一部を切り、レオンハルトの視界を完全に閉ざすように、木の切片を叩きつけていた。


「ヴァン、何をした」


 レオンハルトへと覆いかぶさるべく、倒れ掛かる木々を伝ってヴァンがレオンの上を取った。彼は最上部へ上り詰めて言った。


「レオン、オレはかくれんぼなんざ、とっくの昔に卒業している!」

「小細工を。不似合いだな」


 動揺したレオンハルトの僅かな隙をつき、ヴァンはレオンハルトへ何度も斬りかかった。


 レオンハルトは反撃を試みる。今度は先ほど魔法で飛ばした刃物よりも強力で、刃渡りの長い剣を手に持って。


 ヴァンはレオンが新しい武器を手にするたび、跳ね落としていく。粉々に砕くとまではいかなかったが、レオンハルトが乗せた力を完全に殺がれた刃物達は、呆気なく地面に落ちてゆく。


 道具の尽きたレオンハルトは杖を剣に変化させ、ヴァンの猛攻を何とか凌いだ。それも限界のように見えていた。


 ぶつかり合う刃の音が鳴り響く。


 ついに、レオンハルトの杖の魔力さえも尽きたようで、それは剣から杖へと戻された。そして無残にも真っ二つに叩き折られた。


「レオン。他の魔法使い達から無理やり奪ったそれは、お前の魔法じゃない! だから、本当の力なんて出せないし、使ったらそれっきりだ」


 レオンハルトの攻撃の穴は、そこにあった。彼自身の魔法ではないから、最大限の力を出すことはできないのである。もちろん、使いようによっては強力なものとなりうるが、今ここでヴァンが弾くことのできる程度の威力しか、レオンハルトには引き出すことができなかったのだ。


 ヴァンは、レオンハルトの胴体を斜めに、深く斬りつける。やっとのことで決定打を与えられた。彼の衣服に織り込まれていた魔法の繊維は、完全に切り刻まれた。もう彼の体を守る物も、彼が攻撃をするための道具も、完全に奪われたようだった。


 丁度その時、木々はレオンハルトの上に勢いよくのしかかった。木が倒れるタイミングを計っていたヴァンは、木の上へ上り出た。


「がっ……」


 身体を圧迫されたレオンハルトは、苦しげに血を吐いた。何とか上半身は残っているが、下半身は、木に押しつぶされているようであった。


 ヴァンは息を切らしていたが、憎きレオンハルトの苦しむ姿を、少し距離を置いて、立って見下ろしていた。彼はレオンのほうへゆっくりと歩み寄る。剣を大きく振りかざす。


「これで終わりだ。レオンハルト!」


 彼が腕を振り上げた刹那の事だった。


「……お前は本当に間抜けな小僧だな、ヴァン」


 レオンはにやりと笑い、あらぬ方向に手を振りかざした。



 その光景を目に、アメシストは泣き叫んだ。


「い、嫌っ……嫌あああああああああああっ!」


 串刺しになったヴァンの姿があった。


 純白の衣は、瞬時に赤く染まった。


「嘘だろ……っ……人間の、お前が……魔法の道具も、もう、何も……持ってないの……に」


 彼が剣を振りかざした瞬間、彼の背後からは数十本の散らばった剣が彼に向かって飛んできたのだ。それは彼の体を無惨に貫いた。そして彼が倒れる瞬間、彼の体を通り抜け、落ちた。


 彼は力なく倒れた。地面は、瞬く間に一色に染まっていった。


「ヴァンっ! ねえ、お願い、起きて、目を覚ましてぇ! ヴァン!」


 遠くから、名前を呼び続け、泣き叫び続けるアメシスト。


 にやりと笑むレオンハルト。


 レオンは隠し持っていた紫の指輪をはめ、体の傷を治し、何事も無かったように立ち上がる。


「これは風の魔法らしい。正確には、物に触れずとも物体を動かす力に近い。私が自分自身の普通の魔法は使えないとでも思っていたか。人間だからといって嘗めていただろう?」

「そんな、恐ろしい人間が……いるってのか。ふざけんな……よッ」

「私が大きな移動もせず、ずっと広場の中心で戦っていたことを不審には思わなかったのか? 剣しか使えないお前に残された攻撃手段は、木を内側に倒して私に当てることくらいかと考えていた。木々が私に倒れ掛かるタイミングも計っていたようだが。もう少しお前の攻撃が早ければ、木が完全に倒れる前に私の心臓を貫くことも可能だったのではないか?」

「まさか、近くでやりあった時、剣にかかる魔法をわざと緩めて、疲弊したオレの力でも簡単に弾くことのできるようにして、最後の、これのために……バラまいた、というのか。どこまでも……狡猾なクソジジイが……」


 ヴァンは、痛みに堪えつつ、血を吐き続ける。


「ふふ、やはり詰めの甘い小僧だ。昔とまるで変わっていない」


 アメシストは壁から出ようと、すぐさまヴァンの方へ駆けつけようと、力の限り暴れ続けていた。触るとエネルギーが跳ね返ってくる壁のようだ。いつのまにか、彼女も血だらけになっていた。戦いこそ行っていないものの、相当な負荷を負っていた。


 でも、諦めない。彼の元へ行くために。


「出せ! 出せッ! くっ……こんなものッ!」  


 アメシストは、彼女を包囲していた壁の破壊に、ようやく成功した。


「ほう、あの障壁を破るとは」


 ヴァンの近くへ駆け寄るアメシスト。


 アメシストは、ヴァンを優しく抱きしめた。


「ヴァン……いやっ、死なないでっ……」


 紅い瞳は不規則に、大きく揺らめいた。


「私を、一人にしないで……」


 溢れんばかりの涙を流しながら、アメシストは言う。


「……すまん、アメシスト」


 ――ああ、アイツは、こんな気分だったんだろうか。

お前の名前を必死に呼ぶオレの姿は、こんな風に映っていたんだろうか。

まさか、自分がお前の立場になるなんて。


 レオンは二人を見つめていた。彼は、二人のほうへ足を踏み出した。


「来るなッ!」


 瀕死のヴァンを、必死にかばうアメシスト。虚勢を張るが、身体の震えは止まらなかった。


「アメシスト、ヴァンを助ける方法、教えてやろうか」

「貴様の事など、信じるものか」

「お前が私とやりあったところで勝ち目が無いのは分かっているだろう。ヴァンがそのような状態でこれを見ても、まだそんな事が言えるか?」


 レオンは透き通った緑色の液体が入った小瓶を取り出し、その雫を一滴垂らす。すると、荒れ果てた地面はみるみるうちに息を吹き返した。


「蘇生の魔法、なのか? 本物の……」

「ああ、お前の目で見たとおり本物だ」


 アメシストは下を向いた顔を上げ、懇願し、涙を流して言った。躊躇いが無いと言えば、間違いなく嘘になる。


「……お願い、レオン。ヴァンを助けて」


 身体だけにとどまらない。声の震えも、明らかにわかる程に激しくなっていた。


「私にできることは何でも、するからっ……」

「その言葉、待っていたぞ」


 レオンは予期していたかのようだった。


「アメシスト、何……バカなこと言ってんだ。そんな事、絶対にダメだ……お前のことを物としか見てない奴の、ところなんかに」


 息も絶え絶えに、ヴァンは言う。


「今のヴァンは、そんな事を言える状態じゃないだろう」

「オレがお前を助けてきたのは、何だったんだよ」

「そうだ。私はお前の積み上げてきたものを崩そうと……しているのだ」

「やめろ、行かないでくれ、アメシストっ……」


 彼は泣いた。


 もう、大切なものを失いたくなかったのだ。


 私達が二人とも生き残るのは不可能だと私は思った。だが、私が無事で生きていられるのは、お前が居なければ絶対に無理だ。いいや、無事かどうかは問わずとも、私は……お前が側にいてくれないと、嫌だ。だから、だから……。


 ヴァン。お願いだ。共にいられる道がないというのなら、お前に託したいのだ。


 私の分まで、生きて。


 そう思いながら、アメシストはレオンハルトに言う。


「薬を……早く彼に渡してあげてください……」


 丁寧な口調で言った。


「渡すのは、お前が完全に私の陣の内に入ってからだ」

「……はい」


 ヴァンを後にし、レオンハルトの方へ小さく歩み寄るアメシスト。そんな時、レオンはあらぬ事を思いつく。


「アメシスト、ヴァンにお別れの挨拶でもしておけ。もう二度と会うことは無いだろうからな」


 にやりと笑い、彼は言った。


「はい……」


 アメシストはヴァンの方へ、ゆっくりと戻った。彼の近くに、腰を下ろした。そして力なく目を閉じていった彼の目を見つめて言った。


「ヴァン、ありがとう」


 ――アメシストは彼の手を取り、彼の手袋を外す。


「さよなら……」


 そう言って、彼の手に口づけをした。


 その時、突然強い光が辺り一帯を覆った。周囲のものを全て粉々にし吹き飛ばした。


「何だっ……この凄まじい魔力は! ……うあッ!」


 レオンハルトはあっけなく吹き飛ばされた。焼け残った木々に強く叩きつけられた。


「ぐはっ」


 口から赤黒い塊が吐き出された。


「まさか……あの魔法は。私がでは引き出すことのできなかった……もう一つの」


 レオンは力尽き、木の下で意識をを失った。




 その魔法使いの得意とする固有の魔法とは、何も一つに限るものではない。複数種類備えていることだって珍しくはないし、偶然同じ力を持つものがいても不思議ではない。


 アメシストは初めに、雷の魔法を発現しただけだ。


 そして、もう一つの力、親愛の魔法を今ここで発現させたのだ。


 その力は、彼女の大切な存在、また彼女を大切に思う存在の間に生じるものであった。瞬く間に巻き起こった凄まじいその力は、彼らに迫る危機を退け、救いの手を差し伸べるものとして現れた。




 アメシストとヴァンは、光の中にいた。


「何なのだ、これは? とてつもない力だったのだ。……ヴァン! どこなのだ!?」


 彼女が慌てふためいて周りを見渡そうとすると、ヴァンは、彼女のすぐ側ですやすやと眠っていた。


「ケガが大方治っている、のだ……不思議だが、良かったのだ」


 しばらくして、彼らを包んでいた光はゆっくりと消えていった。


 火の海だった森は、嘘のように元通りになっていた。レオンハルトの姿はなかった。拙い感知能力でも、レオンハルトの気配がないことは分かった。彼との一件はひとまず収束したと見えた。


 彼らは、大陸の端へたどり着いていた。あとは海や川など水辺を見つけ、水の魔法使いが管理すると聞く舟に載せてもらい、四季の島へ向かうだけである。


「アメシスト、大丈夫か」

「ヴァン、それはこっちの台詞なのだ。お前は自分の心配をした方がいい」

「信じられないかもしれないが、オレは昨日の怪我が嘘みたいに消えてるんだ。むしろ、今驚くほど落ち着いた状態なんだ。でも、心配かけてすまなかったな、アメシスト」


 ヴァンは優しく微笑み、アメシストの頭をわさわさと撫でながら言う。恥ずかしくも嬉しそうなアメシストであった。


「さてと、行くか!」

「うん!」


 そう言って二人は勢いよく立ち上がった。


「……?」

「どうした? アメシスト」

「ウィスタリアっ!」

「ウィスタリア……? お前の髪飾りの蝶がどうしたんだって……待てよ! どこ行くんだ?」


 アメシストは走り出した。彼女の姿は森の中へ消えた。


 アメシストは、彼女の発した言葉の通り、ウィスタリアの姿を見たのだ。消えたはずの彼らが姿を現したのだ。アメシストにとって親同然の彼らを、彼女が追いかけないわけがなかった。


「おい、アメシスト! どこだ!」


 返事は帰ってこない。


「まさか……魔物か、小悪党の魔法使いか……こんな遠くに来てもいるってのかよ」


 その悪い予感は、半分ほど的中した。


「あ、あなたが、何で」


 しどろもどろになった彼女の声が、ヴァンの耳に飛び込んできた。


「アメシスト!」


 彼女の声が聞こえてきた方向へ、急いで向かう。


「ヴァン、来ちゃ……だめ」

「バカ! そんなことできるわけないだろ!」


 ヴァンはアメシストの制止を振り切って、彼女の元へ向おうとした。彼女の姿は見えた。


 もう一人が見える。ヴァンの知らない魔法使いだった。真っ黒なコートをまとった男で、その顔は白い仮面で隠されている。


 その男がアメシストの首を締め上げていたのだ。宙へ吊るし上げられている彼女の口からは、唾液が漏れていた。


「何やってんだお前! アメシストを放せ!」


 そう言って彼が、黒いコートの男に飛びかかろうと走り出したその時の事だった。


「……?」


 足元から全身に違和感が走る。地面には不可思議な文様が浮き出ていた。


 魔法陣というものだ。主に地面に魔法を施し、図柄のある部分に物が置かれる、または誰かが立ち入ると、その魔法の効果が表れる。


「何だ、これ、力が抜けるような……」


 ヴァンは激しい動揺と焦燥を浮かべながら、力なく膝をついた。


 アメシストは最大限の力で男の手を振りほどき、ヴァンの元へ走り出した。


「アメシスト!」


 ヴァンは、動かない腕を彼女の方へ精一杯に伸ばした。それに応えようと、アメシストも彼を助けたい一心で手を差し出した。彼の足元の魔法陣が突然妖しく光り出す。彼の足先が光の粒となって宙へ消えてゆく。


「身体が、消える、どういうことだ」


 痛みはなかった。けれど、彼には理解が及ばない。


「ヴァンっ!」


 消えてゆく身体を目にし、二人は腕が抜けるかと思うほどに腕を力一杯伸ばした。


 しかし、二人の手が触れ合うことはなかった。


「ヴァン――っ!」


 彼女の紅い瞳から涙が落ちる。


「――っ!」


 彼女の名を呼ぶ彼の声は遮られた。二人の手と手が触れ合う、あと一寸のところで彼の姿は光となって消えてしまった。


「ああ、ヴァン…………」


 アメシストは、突然の出来事にショックを受け、その場で突然がくんと膝から崩れ落ちた。彼女の顔の下の地面には水滴が滲んだ跡が無数に出来ていた。悲しみに暮れて俯く彼女を、ソルは冷たく見つめていた。


 暫くすると、空気が変化した。


「よくも、ヴァンをあんな目に」


 彼女は顔を上げた。その瞳には涙と共に鬼気迫る紅い輝きが映し出されていた。


「絶対に許さないッ! ソル! お前でも!」


 彼女は、魔法の杖を不意に出現させ、ソルに襲いかかろうとした。


 杖の先の紫水晶は、鋭い輝きを放っている。敵意を向ける者に対し、久しぶりに発動した雷の魔法だった。バチバチと刺すような音と共に、アメシストは走り込みながら男に向かって勢いよく杖を振り落とそうとした。


 しかし、軽い素振りで、男は軽く彼女の杖を掴んで受け止めた。彼女の魔法はその瞬時に、力を失ってしまった。


「攻撃、出来ないのか」

「……そんなはずは」

「甘い、のではないのだろう。やっぱり、優しいんだね。アメシスト。でも……」


 そう言ってソルはアメシストの腕を強引に掴み、自分の方へ引き寄せた。そして彼女の耳元に口を近づけ、囁いた。


「ごめんね」


 アメシストの腹部に強い痛みが走る。ソルの拳がめり込んでいた。


「かは……っ」


 自分の口の中に鉄の味を感じた。そして、視界は黒に染まってゆく。


 彼女は頬を伝う涙の冷たさを感じながら、アメシストは潤む紅い瞳をソルに向け、言う。


「ソル、どう……して……」

「………」


 アメシストの視界と、意識は完全に閉ざされた。




 闇商売を生業とする男の魔法使い二人組が、港町で話をしている。


「なあなあ! この魔法舟には『四季の島』に直行で行ける魔法がかかってるんだってな!」

「よくこんなスゲーもん手にいれたな!」

「『四季の島』に着いたらどんなことしてやろうかなぁ」

「狭い島の割には魔法使いの種類が多いみたいだからな……。弱い種族で、強力な魔法の道具を作ってる奴らを沢山カモにしてやろうぜ!」

「これでおれたちが最強だな!」

「おい」


 ソルは、男の片方に話しかけた。


「ああ? 何だあ?」


 楽しい話を邪魔するなと言わんばかりの返事だった。


「いいものをやろう」


 ソルは、腕に抱えて持ち運ぶことができるほどの荷物らしきものを、話しかけた魔法使いに半ば押し付ける形で渡した。


「何だこれは? 道具にしてはずいぶん大きいような」

「中身は何だ?」

「お前たちが船で向かった先で、荷を解いて確かめろ」

「つれねぇなぁー。そんなにヤバイもんが入ってるんだったらますます見たくなるじゃねぇか!」

「いいから早く船に乗れ。その先の、四季の島で見るのでなければ、ただじゃ済ませない」


 随分と、血の気の多く含ませた言い方だった。


「は……はぁ? 何そんなにキレてんだよ?」


 そう言って、ソルは、無理矢理二人組を魔法の小舟に乗せ、舟にかかった魔法、この場に船を繋ぎ止めておくための小さな魔法を解き、舟を出港させた。


「おい、テメェ勝手になにしてくれてんだよー!」

「覚えてろよ!」


 怒った二人の滑稽な顔は舟がずいぶん遠くに進んでからも良く解った。五月蝿い二人とは対照的に、ソルは静かに彼らを見つめていた。


 そして、彼は呟いた。舟が進む水平線を。


「ヴァン、アメシスト……」


 そのずっと向こうを見つめながら。


「どうか、君たちが無事でありますように」


 先ほどの男たちと話した時とはまるで別人のような、柔らかな声色だった。




「レオンハルト様」


 用事を済ませたソルは、近くの森で傷を癒していたレオンハルトの元へと戻ってきた。重傷ではあったものの、一命はとりとめていた。


「ソル……か、ヴァンとアメシストは、どうした」

「消しました」

「殺したのではなく?」

「はい。レオンハルト様のために」


 ソルは、手短に受け答えると共に、主人への忠誠を付け加える。


「そうか」


 レオンハルトは、考え込んだ。


「何処へやった」

「ヴァンは、レオンハルト様から最も遠い所へ、アメシストは、四季の島へ送りました。二人を引き離せばレオンハルト様を窮地に追いやったアメシストの魔法は意味を成しません。アメシストを四季の島へ送れば、刻印の効果がなくなったことに気づき、ひとまずその地に居座るでしょう」

「なるほど、悪くない」


 レオンハルトは部下の行動を評価した。しかし、あることに勘づいていた。


「お前にかけた魔法、アメシストと同じ刻印……その力、弱まっているな?」


 ソルは、レオンハルトによってアメシストと同じ魔法をかけられていた。


「私には分かりません」

「そうだろうな。まあ構わん」


 レオンハルトにとって、ソルは忠実な手駒だった。けれど、自身の負傷により一人で行動をさせてみたところ、思わぬ結果を招いた。


 どう見ても、彼らを逃がしたとしか思えない行動だ。


 しかし、ソルの今回の行動は、長い目で見通しを立ててみれば、不思議とレオンハルトにとって都合の良いものだった。


「お前が私の部下であることに変わりはない。使い方を変えてやるだけだ」

「はい、お心のままに」


 ソルは、意志もなく、従うのみだった。


 レオンハルトは、ヴァンとアメシストへの負けを認めていた。けれど、たった一度の敗北でその望みが潰えるような男ではなかった。


「彼らに再び会う時に向けて、また計画を立てなければな」



 レオンハルトは、人間の世界においては、浮世離れした思想を抱いていた。周囲は彼を畏怖し、彼自身、人の世界には飽き飽きしていた。その中で彼が偶然出会った「魔法」と、魔法を取り巻く世界。


 彼は心底、魔法というものに魅入られた。自分の思い通りに振舞い、その力に浸りきる。堪能する。それを成しえるためなら、自尊心など必要なかった。どんなに醜くとも、あがいてみせると決意していた。



 小舟は威勢よく、東へ進み続ける。水飛沫がきらきらと太陽に照らされる。


 ソルに荷物を押し付けられた、小太り魔法使いと、ひょろ長い魔法使いは、舟の上で気分の悪い目覚めをしていた。


「いてて、何だよあの男。これでショボイもんだったら承知しねーからな!」


 魔法使いの男の、小さく太った方が、荷の紐をするすると解く。


「髪、魔法使いか?」

「おいッ! 探知機の反応を見てみろ!」

「ああ、随分前に人間のジジイ、レオンハルトって奴だっけ? そいつがバラまいてた、魔法使い探知機か、って! それ、確か宝石の魔法使いかなんかに反応するやつじゃなかったか?」


 男たちは荷の包装を取り払った。


「マジかよ……」

「噂に聞いたことがあるが、これが、本物の」


 薄汚れた包装紙の上に横たわって眠る、輝かしい存在。紫色の波打つ髪は、青く透き通った海に負けじと太陽に光を受けて、きらきらと輝いている。


 まさに、宝石そのものだ。


「宝石の、それも、紫水晶の、雷持ちの魔法使い……! なんでこんなスゲーものを」

「なるほど、やるじゃねーか。あの黒い兄ちゃん」

「なんかいつの間にかあの男に対するランク上がってんじゃねーか! まあ俺もそう思うがな! よし! 早く四季の島に向かおうぜ! 早く、宝石の魔法使いの力を……見てみたいよな」

「ああ!」


 そんな会話が交わされていることを知る由もなく、紫水晶の少女は、深い眠りに落ちたままであった。


 その顔は、どこか不安気であった。

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リリーとアメシスト 戸間愁 @tshm147

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