第5話 最期の小部屋

 幾度も格子こうし造りの壁を曲がり、ぶつかり、よろけながら進んでゆく。


 不意に足元が崩れた。ゆっくりと滑るように落ちてゆく。着いた先は薄暗い小部屋だった。


 部屋は古びていて埃だらけでカビの様な匂いがした。隅に小さなチェストがある。元は立派な調度品だったのだろうが、今や塗りも剥げ落ち見る影もない。


 それでも私は何かないかと引き出しを引いてみた。


 中には手鏡が一つ。


 精緻な彫刻が施された金属製で、くすんでいるがおそらく銀の塊だ。鏡面自体は曇っていた。何も映らない。


 その時また、首すじがチリっと痛んだ。


 私は真珠の首飾りを外す。


 痛んだところに指をやると、傷があった。小さな盛り上がった丸い傷が二つ。


 そして鏡。


 昨日の夜の記憶が不意によみがえって来る。




 私はえも言われぬ衝動に身を任せて、身体を彼に押し付けた。こすり上げる様な動きに彼も反応して首すじに——牙を立てた。



 目覚めた部屋にあった鏡に彼は


 の目。


『そばに置くならもっと上級の血筋の者を』


 下賤の血よりも


『口にするのもおぞましい』


 何処どこのものかわからぬ血を





「ここに居たのかい?」


 彼の声が上から降って来た。

 床に開いた穴を覗き込んで私を見つけたらしい。


 私は手鏡を後ろ手に隠したまま振り返る。


 ああ、やっぱり王子様だわ。

 異形のものだからなんだと言うの。

 私の血が目当てでも良い。

 このドレスに包まれて、従者にかしずかれて、あのお城で暮らしたいのよ、貴方と共に。


「さあ、後少しだ」


 差し出された手を取るために、後ろ手に持っていた鏡をドレスのベルトに挿して隠した。


 行きがけの駄賃だ。



 そう思った時、触れようとした彼の手が引っ込められた。


 私の手が空を切る。


 驚いて見上げると、彼の目が紅く光っていた。彼の目だけが薄闇の中に紅い光を放つ。


「残念だよ。この塔は母の物だと言ったろう?この塔にある物を勝手に持ち去ろうとは…」


 私はそれだけで何が起きたか悟った。


 見捨てられたのだ。


 恐怖に喉が詰まる。

 声にならない声を出そうとするが、息すらも洩れない。


 いやよ!

 いやよ!


 辺りが暗くなって行く。彼が出入り口を塞いでいるのだ。


 いやよ!

 やめて!


 ゆっくりと私の視界から光が消えてゆく。


 やめて!

 やめて!

 謝るから!


 鏡なんて要らないから!

 貴方の手が欲しいの!






 返事は無く——ただ一人闇の中。



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螺旋の塔 青樹春夜(あおきはるや:旧halhal- @halhal-02

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