ベンチ

「お待たせー。ごめんね待たせちゃって」


「いやいや、部活おつかれさん」


 僕はすでに私服に着替えており、ここに来る途中に買ったスポーツドリンクを夕海ゆうみに渡した。


「ありがと。ちょうどのど渇いてたんだ」


と、彼女はスポドリをごくごくと飲む。ペットボトルを渡して手持ち無沙汰になった僕は、ただその姿を見ていた。


「いつもこの時間に会うけどさ、毎回待たせたら申し訳ないよ。何か部活入らないの?」


「僕はあんまり運動が得意じゃないから、夕海みたいな活発な活動は向いてないし、そもそも家事が忙しくてそれどころじゃ」


「ああ、そっか。きりくん一人暮らしだもんね。実は私ももうすこしで一人暮らし始めるんだ」


「えっ、そうなの?」


 僕は自分の境遇と重ね合わせて、何か良くないことが起こったのではないかと勝手に想像してしまった。


「うん、私のお父さんが北海道の方まで出張に行くんだ。三年ぐらいね。それでお母さんがついて行くって話になったんだけど、私は行かないことにしたんだ」


「寂しくないの?」


「うん。あんまりね。今だったら簡単にビデオ通話できるし、それに毎朝と夕方に君に会えるし」


「そっか……って、ええっ?」


「ふふっ。空ちゃんに聞いた通りだ。男子ってこういうこと言ったらすぐにりんごみたいに真っ赤になる」


 空ちゃん、というのは、夕海の友達の一人らしい。


「ま、僕も夕海にこれからも会えてうれしいけどね」


「なっ」


「まだまだ甘いね」


 僕は自分でも少し気持ち悪いくらいのドヤ顔を見せつけた。


「もう、からかったなー!」


「そっちが先に言ってきたんでしょ!」


 彼女は不満そうに制服の裾をつかんだ。


「でもね、やっぱりそれが一番なんだよ。この環境が好き。学校はにぎやかだけど、この公園が一番好きだな。普段の生活じゃ感じられないような特別な雰囲気。うまく言葉で表せないけど、だからこそここにいることは意味があるんだって思う」


 僕も同感だ。そこまで大きくないこの公園では、子供ですら最近見かけない。狭い中に、滑り台とベンチと伸びきった雑草が散らかっている。きっとここに来るのはわびしさを求める詩人や俳人、あとは夜空を眺める僕くらいだろう。でもそれくらい静かな方がいいのかもしれない。社会に生きている疲れた人の心を癒す、そんな小さな世界がここには広がっている。夜空を独り占めするのはどうしようもなく子供みたいなことだけど、きっとそんなことが許されるのもここだからなのだろう。


「だから、私はここが好き。きっとそんな人は私たちのほかにもいるよ」


 気が付くともう陽は落ちていて、遠くの空で一番星がきらりと光っていた。僕らは立ち上がって帰途に就いた。


「あ、だから今度料理教えてね。あんまりレパートリーないんだ」


「僕もそんなにないから、これから交換しようか」


 狭い世界の満天の夜空が、僕たちは好きだ。

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満天を君に 時津彼方 @g2-kurupan

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