『少年から青年へ』

 陽とトリはすっかり定番となりつつある喫茶店にいました。

 陽は断頭台を前にした罪人のような面持ちで、トリは平素通りの澄ました面持ちで、コーヒーが二つ並んだテーブルに向かい合って座っております。

 ついでに言えばカウンターの女は──長い前髪のせいでその面持ちを窺うことはできませんが"健在"でした。相も変わらず赤べこみたいな、いまいちノリ切れないヘッドバンキングを絶えず繰り返しています。

 陽は、ゆっくりとコーヒーカップに手を伸ばして、すっと手を引っ込めました。さきほど口にしたそれ──マンデリンの痛烈な苦味を思い出したからです。いや、何で懲りもせず苦いとわかってるもの頼んでんだコイツとツッコミたくなる気持ちは山々マウンテンですが、そこはまあ彼なりに大事を乗り越えたので、人として何やら殻を破ったような気が致しましたので、ついでにコーヒーの味がわかるようにもなってないもんかなぁと雑な期待をした次第です。結果は──言わずもがなでしたが。


 陽は、トリに上手く言語化できる限りのことを伝えました。


 千影が視えるようになったこと、その原因はもしかしたら自分のせいかもしれないこと、千暁は感染を否定したものの、可能性がゼロであると陽には到底思えないこと、そして──親友としてそこそこ長い時間自分と接しているトリもまた、そう遠くない未来視える側に立たされる可能性が大いにあるということ。

 それゆえの断頭台。それゆえの罪人。鬱屈の極みのような表情。


 自分は、目の前にいる男の人生を台無しにしてしまったのかもしれない。


 殴られることは覚悟の上、絶交を突き付けられることもまた──承知の上でした。

 トリはこれ見よがしに肩を落とすと、

「そっかぁ。ちーちゃん、視えるようになったんだ。なーんか一歩リードされたみたいで悔しいなぁ」

 と言って頭の後ろで手を組みました。

 いやいやいやいやいやいやいやと早口に言いながら、陽は顔の前で手を振ります。

「──七回?」

「違う。さぁて『いや』って何回言ったでしょうとか、そういうゲームじゃねぇから。何だその──緊張感のないリアクションは」

「えーだって、陽ちんのそれって憶測でしょ? 実際アッキーは否定してるわけだし」

 陽たち視える者の体質が、常人に感染するか否か。それは、確かにそうなのですが。

「けど、アイツが僕に嘘をついてる可能性だって──それこそ何のためにって感じだけどさ。ええっと、何も僕は千暁を嘘つきっていうか、悪者扱いしたいわけじゃなくてだな」

 ただ、陽は──。

 俯いて、膝の上の拳をきつく握り締めます。


「事実がどうであろうと、トリにどう思われようと、僕のせいでお前の人生が一変する可能性がある時点で、謝っておかなくちゃって思ったんだ」


 それが今日、彼をここに呼び出した理由。

 謝ったからどうなるというのか、それで潜伏しているかもしれないそれが治るとでもいうのか、発症が遅延するとでもいうのか、所詮──自己満足ではないのか。そう頭で解っていながらも、伝えずにはいられなかった本音。

 トリが露骨に顔をしかめました。


「ええ~っ、別に謝んなくてよくない?」


 陽に気を遣って虚勢を張っているふうでもない、まさしく心からの声音でした。

「仮に陽ちんのそれがウイルス的なものだとしてさ。移してきた相手を責めるって、まあ共感できなくはないけど、無意味でしょ。悪意があったわけじゃないんだし。感染を未然に防止する予防策がすでに見つかってて、調べればすぐできるのに陽ちんがそれを講じてなかった──とかならまだしもさ」

「ま、まあ」

 ──そうなのだけれど。 

「それにね。あー、陽ちんがこれまで負ってきた苦労を軽視するわけじゃないよ? ただ、これまで陽ちんの傍にいて、生きるの大変そうだなーって思ったことは山ほどあったけど、それでも生きてるじゃん。しかも五体満足で可愛いカノジョ持ちだよ?」

「それは──」

 姉の術式が作用していたからだろうと。あの家もこの身も知らず彼女の庇護下にあったからだろうと。そう、ほぼ反射的に言いかけたところで、陽は言葉に詰まりました。

 流石に──それだけではないだろうと。

 それだけで今の自分があり得るわけではないだろうと、そう思ったからです。

 様々な因果が絡み合って、陽は今ここにいるのです。トリと向かい合って、強情にも苦くて酸っぱい液体をおっかなびっくり啜っているのです。

 トリが、穏やかな笑みを浮かべました。


「近いうち俺も視えるようになるならさ、俺超ラッキーじゃない? 何せ目の前の友だちがその界隈の大先輩なんだからさ」


 陽の口から、あ──と声が漏れました。そのとき、彼の脳裏を過ぎったのは。


 ──そりゃ、陽ちんに助けを求めるよ。こっち側じゃあ大先輩なんだから。


 トリの姿を借りていたあの男。あくまで、借りていただけです。それ以上の繋がりが両者の間にあるなど──否、あり得ていいはずがありません。

 陽は、小さく息を呑んでから、

「流石に、ポジティブ過ぎるだろ」

 とありのままの感想を述べました。少しだけ語尾が掠れていました。

「ポジティブなんじゃなくて、物の見方を一つでも多くしようと努めてるだけだよ。まあ、視える人間が感染源となり得るかって話は別にしてさ。もしかしたら、いつかそういう時代がやってくるのかも」

「そういう時代?」

「陽ちんやちーちゃんみたく、誰もが視えるってことが当たり前になってる時代。もしかしたら、陽ちんやアッキーはただ単に他の人よりそうなるのが早かっただけなのかも。どーする? SNSでトイレにジジイ湧いたんだけどどーしろと──みたいなのが流れて来たら。そんときは教授してあげなね。先輩」

 冗談なのか本気なのか、判別し難いトリの発言をそりゃあないだろと笑い飛ばそうとして──。

 しかし、できませんでした。

 思い出されるのは千暁の発言。猫っぽい瞳に湛えられた冷然な光。


 ──単純で、壮大で、ずっと救いようがないんだよ。


 いや、まさか、そんなはずは。

「うん、でも待てよ。あれ? 陽ちんもしかしてこれチャンスじゃない? 完全なブルーオーシャンかどうかはアッキーやあやさんがいる以上何ともだけど、現状間違いなく競合相手は少ないし、イケるよ。ちーちゃんとお化けバスターズ的なビジネス」

「バスターって」

 バスターしちゃダメだろと言った傍から、思わず口元に拳を当てる陽。


 ──僕にできることはないのかなって。


 あの日、トリのそっくりさんを前にして。陽は、確かにそう言いました。視える体質を得てしまった人々のために、これから得るかもしれない人々のために。何か力になれることはないのか。

 姉や千暁のようには到底なれません。仮に彼らと比肩し得るほどの力を得たところで、結果は同じでしょう。そう、異能があるかないかではなくそもそものです。であれば──世のため他人のため、今後この体質をどう役立てていけばいいのか。

 きっと、バスターするだけではダメなのです。こんな体質を持っていながら戦う術のない己を、かつては恥じたけれど。戦えないからもう腐るしかないのではなくて。戦えないならないなりに、異なる道を模索すべきだったのです。

 となると、自身の歩むべき道は。

 これまで関わりを持った全ての人たち、すでに視える孤独に苛まれている人たちのためにできることは──。

「陽ちん?」

 不思議そうに眉根を寄せるトリに、陽はこう答えます。


「別に。悪くないアイディアだなって思っただけだよ」


 その顔にはどこか大人びた笑み。良い意味で彼らしくない"青年"の面付き。

 陽は、マンデリンを口にします。苦いばかりの液体で、やっぱりコクもナニもあったもんじゃあありませんでしたが。それでも──さっきまではとんと感じられなかった深みを舌の上で転がすうち見つけられそうな。

 何故だか、そんな気がするのでした。

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