『僕と千影と時々オバケ』
目を開けて、陽は言葉を失いました。
床一面に、花が咲いていました。
花弁が、絨毯のように敷き詰められた有様の比喩ではありません。本当に床全体が、色とりどりの花畑でした。壁と天井は蔦に覆われ、そこにも床ほどではありませんが、ぽつぽつと小さき花があしらわれております。鼻腔を満たすは、花の香り。一輪一輪は良い匂いなのでしょうが、こうもいっぱいに溢れると──兎角くらくらしそうでした。
いつの間にか、開け放たれていた窓から外を見ます。
青くひろごった空の下、見慣れた街並みは花と緑に包まれていました。建物も道路も。さながら環境番組でCG作成されがちな人類滅亡後の世界。でなければ、宗教画の世界にでも放り込まれた気分でした。
空からは、花の雨が降っています。色彩豊かなそれは、見やれば一つひとつが宝珠のようで。落ち椿みたく、花の瑞々しさはそのままに、咲いた形を誇ったままゆらゆらと舞うております。
君と一緒に歩む未来が、こんなにも昏く淀んでいていいはずがない。
そう思ったことは確かですが──。
「何事にも、程度ってあるだろ」
自分で起こした事象ながら──加えていやに冷静な語り口の自分ツッコミに、陽は苦笑いを浮かべずにはいられません。
腕の中では、千影がさめざめと泣いております。躰の長いヒト型でも、幼い少女でもなく、陽のよく知る千影でした。顔を隠して涙する様子が、いかにも彼女らしいなと思いつつ、陽は声をかけます。
「おかえり、千影」
千影からの応答はありません。何かしらリアクションはあったのかもしれませんが、
陽は、わざと臭く辺りを見渡して、
「いや、逆か? ここ僕ン家だし。こっちがただいまって言う方か」
本気七割、場を和ませることを意図した冗談三割の疑問を口に致します。
「なぁ、どう思う?」
千影──。
彼女は、
「わかりませんよ。そんなことっ」
と言いました。それからまた、陽の胸に顔を
だよなぁと陽は笑って、彼女の頭を優しく撫でました。
そんな二人の目の届かぬところで、妖しげに蠢く何か──黒いパズルのピースの群れ。寄せ集まって出来上がったそれは、もはや“ヒト型”とは呼べぬもの。腰から下はなく、かろうじてヒトに似せた胴と頭を蜘蛛のように長い両腕で這って運びながら、少しずつ陽との距離を縮めてゆきます。その異形が、腕を死神の象徴さながらに振り上げたところで、
「もういいだろ」
異形が、ぴたりと動きを止めました。
陽は肩越しに振り向いて、言葉を紡ぎます。
「僕と千影のために張り切ってくれたことについては感謝するよ。ありがとな。けど、もうそんなに──人間なんかのために必死になるなよ」
陽にとって
彼らにとって、人を化かすことや幸不幸を左右することは戯れ合いの一つであって。決して必死になるべきものではないのです。彼らはそんな些末事には縛られない、どこまでも自由な存在なのです。人間を取り込み一つになって、四六時中共にいることを大願とするような存在ではありません。
そう、きっと "時々"でいいのです。オバケというものは。
「神様だったらもっと──のらりくらりとやってくれ。その方がずっとアンタららしい」
思い出されるのは、流罪にかけられても妖術で空を飛んであちこちの霊山を訪ねていそうなジジイと、優雅に紅茶を嗜むメルヒェンの世界から飛び出してきたかのような王子さま、明らか発育途上の躰に似つかわしくないボンデ―ジ風の衣装をまとった狐娘。
否、連中はちょっとばかしのらりくらりとやり過ぎな感じも致しますが──それでも。
鬼神としてあるべき姿であるかどうかはともかくとして、オバケに似合いの姿は、"答え"
の一つは彼らではないかと。
異形の姿が霞んでゆきます。特撮の怪人よろしく大爆発することもなければ、灰になって崩れ去ることもなく、ただ静々と。陽の視界から、消えてしまいました。
見届けて──自然と口から息が漏れます。自分でも震えているのがわかりました。心底死ぬかと思いました。
陽は千影の方を向くと、精一杯のドヤ顔をつくって見せます。
「ちょっとは、頼りになるだろ?」
千影が、目に涙を湛えたまま、口元を緩めて──。
不意に、陽は顔を両手で挟まれました。どうしたと尋ねるよりも早く、千影から注がれる視線の熱につい息を呑みます。瞬時に、何を求められているかを察したからです。
さて、状況を改めて整理しましょう。花と緑の楽園と化した地方都市、残されたるは二人の男女、夜の世界は終焉を迎え、本日ハ晴天ナリ。
流石に──恥ずかしくないか。
このまま、それで締め括ろうものなら、それこそ古き良きハリウッド映画の大団円さながらではありませんか。
「なあ、千影さん? いくらなんでも、これは──」
千影が、人差し指を唇にそっと当てます。花のように薄赤い自身のそれにではありません。何事かを口走ろうとした愛しき人のやや乾いたそれにです。
「──お嫌ですか?」
脳をくすぐる甘い囁きに理性が吹っ飛んだ──などという言い分は、流石に小狡いというもの。ええ、観念しましょう。本気で抵抗する気は──元よりそんなにありませんでした。
「まさか」
いけますとも。
二人の唇が重なります。その勢いから、あれもしかしてこれキスだけじゃ終わらないんじゃねという疑念が頭をもたげたところで──。
押し倒されました。花びらが宙を彩りました。
そんな勝利のメイクラブを仲睦まじく寄り添い見守るのは。
折り紙みたいな太陽と月。
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