『僕と千暁とトリと時々──ところできょう晩なに食う?』・弐
待ち合わせ場所の喫茶店は、陽の通う大学の近所にありました。自転車を大学の駐輪場に停めて、喫茶店まで徒歩で向かいます。初めて行くお店でしたが、立地が立地なので道に迷うことはありません。
陽は喫茶店の前で二秒ほど立ち止まって、あっコレ自動ドアじゃねえじゃんと心の中でツッコミを入れてから、ガラスのはめられた素朴なドアを開けました。
きい、と軋んだ音がしました。陽は上を向いて、ドアベルはないんだなとちょっと残念に思います。入ってすぐ、目が合ったウェイターに人差し指で一名であることを示しつつ、
「ツレがいるんで」
と伝えました。
ツレは、一番奥のテーブル席にいました。ハーフのように精悍な顔立ちとお洒落に整えられた顎髭。彼のセンスにしては幾分大人しい、ウィンドウペンチェックのシャツを着て、ブックカバーの付いた文庫本を読んでいました。
陽は間違いなく自分にしか届かない声量で、こう呟きます。
「大学生かよ──」
いや、実際ツレは大学生でかく言う陽もそうなのですが。
ツレが顔を上げました。陽の姿を認めて破顔するや大げさに手を振って見せます。
何か──飼い主を見つけた大型犬っぽいリアクションだなと思って、否こんなデカい犬要らんわと即座に考え直してから、軽く手を上げて応えます。
ふと、カウンター席に目を向けて、
「いっ」
つい足の小指をぶつけたような声が漏れました。
一番奥のカウンター席に、真っ赤な傘を差した女が座っていました。携帯しているのではありません。
カウンター越しに立つマスターは、気にも留めていないようでした。
陽は、ツレの待つテーブル席まで恐る恐る歩みを進めます。視界に女を捉えたまま、彼の向かいに腰を落ち着けました。
「──万引きでもした?」
「挙動不審で悪かったな。いや、ドエラいの座ってるなと思って」
陽がカウンターの女を顎で指します。ツレは
「また陽ちんのお友だち?」
と眉をひそめました。暗に誰もいないと言っているのでしょう。
お友だちじゃねぇとすかさず否定して、お冷を持って来たウェイターに、ツレの手元にあるホットコーヒーを指差しつつ同じヤツくださいと注文します。
去り行くウェイターも、やはり女を気にする素振りはありませんでした。
「どんなのがいるの?」
「え?」
「いるって言われたら気になるでしょ」
「──和製ホラーのテンプレみたいな女だよ。で、傘を差してる。こう、傘のちょんちょんと出っ張ったところにだな」
「露先?」
「何で部位の名前がそんなすっと出てくんだよ怖ぇな。まあいいけど。その──露先に色々ストラップ下げてる」
ふぅんと言いながら、ツレは携帯をイジっています。一見すると聞き流しているように思われますが、実際のところこれはそうではありません。彼は、陽から聞いたこの手の情報を逐一メモしているのです(以前は録音だったのですが、それは流石に尋問されてるみたいだからヤメレと抗議しました)。本人曰く深い意図はなく、ただユニークだからまとめているだけとのこと。
陽としては、決して良い気のするものではありませんが、かと言って特別悪い気がするものでもなし。彼の性格上、陽が本気で拒否を示せば直ちに止めると思われるため、だったら今はいいやとそのままにしております。
トリが携帯を操作する手を止めました。
「あれ? 幽霊って視えないんだよね」
「ああ」
「幽霊っぽくない? 言ってるヤツ」
「いや、違うだろ。生前あんな姿だった女がいてたまるか」
「でも、幽霊が生前と同じ姿で現れるなんて確証もないでしょ? だったら、幽霊かも。仏教だって死んだら仏様で、生きてた頃とは全くの別モノだしさ」
まあ戒名とかつけられるくらいだしなと陽も一応の同意を示します。
それでも──。
陽は、女の背中に目を向けました。今のところ、大きな動きはありません。もしかしたら、腰を上げることはおろか振り子運動を除く挙動の一切を許されていないのやもしれません。
「それでも──幽霊は視えない」
陽のどこか遠い眼差しに何やら察するものがあったのでしょう。わざと臭い咳払いを一つ、トリは居住まいを正しました。
「──本題入ります?」
「だな」
陽は、メッセンジャーバッグから取り出した物品をテーブルに置きました。
「これ、トリがくれたヤツだろ」
「ああ、烏天狗だね」
──なんですと?
「カラス──テング?」
今、テーブルには二つの箸置きがあります。
陽は、先入観を持った上で改めてそれらを見つめますが、どのあたりがカラスでどのあたりがテングなのでしょう。眉間に刻む皺が増えるばかりです。
「割れた卵から顔を出してるのが烏天狗の赤ちゃん──なんじゃない」
「ほう」
思わず、磯野家の大黒柱みたいな相槌を打ってしまいます。否、実は結構言ってそうでそんなに言ってないかもしれませんが。
ツレことトリの言う卵とやらの形は随分歪です。そのくせ玉眼をはめ込むという凝りようが、作品としてのちぐはくさに拍車をかけています。実は陶芸体験で俺が作ったんだとトリが打ち明けたところで、だと思ったよと頷けるクオリティでした。
それにしても、そうか。妖怪の類だったのかと陽は納得して──。
固い面持ちのまま口元を手で押さえているトリに気付きました。
瞬時に、彼の意図を察して、店内に視線を走らせます。カウンターの女以外妙ちきりんな存在は見当たりません。──今のところは。
「だ、大丈夫? 何にも湧いてない?」
ああと返事をしながら、陽は通りに面した窓から外を見渡します。通行人の中にカラスでテングっぽい姿は確認できません。
「どうも僕の中の烏天狗情報が少な過ぎて喚起に至らなかったらしい」
「へえ、そういう仕組みなんだ」
「ただの感覚だよ。正確なメカニズムはよくわからん。というか、お前これ烏天狗ってわかっててくれたのか?」
「いやいやあげてから気付いたんだって。配慮に欠けてたことは謝るよ。でも、クオリティ的に烏天狗だとは思わないでしょ?」
確かに言われてみるまで、というか言われた今でさえピンと来てはいません。それに、配慮に欠けたとは言うものの、周りが充分に配慮したところで
陽は息を吐いて、まあ大事にならなかったんだからいいよと話を結びました。
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