『妖に寄らば尾っぽが増え神に寄らば尾っぽが減る類のロリ』・陸

「お話を整理させていただきますね」

 陽と千影は、今テーブル挟んで座っております。

「まず、一昨日陽さまがグラスに触れたことで狐さまが喚起かんきされました。このとき親指は霊魂の出入口であるという見聞に従い、狐さまは親指を経て陽さまに憑依します」

「親指が霊魂の──ねぇ」

 そう呟くように言って、陽は冷たい緑茶を口にします。緑茶がそそがれているのは、件(無論「例の」という意味であり、半人半牛の彼奴きゃつを指しているわけではありません)のグラスでございます。千影の手元にも同じデザインのものがありました。元々ペアグラスとしてプレゼントされたものだったのです。

「陽さまは、霊柩車を見かけたら親指を隠すようにという習わしを聞いたことがありませんか?」

「ああ、そういえば。隠さないと親が不幸になるとか、そういうヤツだろ」

 はいと言って、千影は小さく頷きます。

「『親が早くに亡くなる』『親の死に目に会えなくなる』など、それら多くは、かつて親指から魂魄が出入りすると信じられていたことに由来します。霊柩車──すなわち死を象徴するものに出遭ったとき、霊魂の出入口である親指を隠さなければ死霊に憑かれる、親指から死が入り込むと信じられていたのです」

「なるほどな。ということは、コイツはさしずめ──」

 陽は、糸の結ばれた右手の親指を見つめます。


「悪いものがそこから侵入しないようにというまじないです。明治初期に虎列剌コレラの感染を防ぐ目的で実際に行われていました」


「──感染症の?」

「はい、当時虎列剌の感染は妖狐の仕業であると一部で信じられていたので。そうやって狐が入り込めないようにしていたのです」

 虎列剌──ジジイが王子に耳打ちした言葉でした。流石に偶々とは思えません。中々侮れない神様です。否、そもそも侮っていい神様って何だよという話ですが。

 ちなみに、ジジイは王子がトイレまで担いで行ったところ、水を得た魚のように一瞬で元気を取り戻しました。王子もまた"ミジンコ"の絵を破棄した途端、すんなり動けるようになりました。

 一部の鬼神限定とはいえ、霊符もどきを意図せず作れてしまう己の画力に、陽が軽く戦慄したことは言うまでもありません。

「すみません。少しばかり脱線しました。──そして、今日。私が自宅を出てから狸の結界に仕掛けられていた機能が作動、狐さまは陽さまの躰から吸い出されそうになります。そこで、王子さまが陽さまの親指に"穴"を発見。かつて狐の侵入を防ぐと言われた呪いによってそれを塞げば、狐さまを助けられるという解に到達します。ですが、陽さまも狐さまを体外に出さぬことに必死で、とても親指を結ぶ余裕などない。そこへ──」

「ああ、千影が帰って来てくれた」

 そうですか──と僅かに俯く千影は、どこか浮かない表情をしています。

「千影?」


「いえ、ただ、辿り着いた解は同じだったのだなぁ──と」


 陽は、千影の気持ちを察して、否、正確には察したつもりになって、

「何も僕だけで辿り着いたわけじゃないぞ? 今回は主に王子が頑張ってくれたけど、その王子だってジジイのヒントなしじゃこれは解決できなかったって言ってたし。狐は狐で色々踏ん張ってくれて。僕なんか、ずっと騒いで転がり回って。それだけだ。神様と妖怪と神様の使いが力を合わせてようやく出した答えに、一人で行きついた千影の方がスゴイだろ」

 とやや早口に言ったあと、微笑んでみせます。

 そうでしょうかと小首を傾げた千影が、力なく──それでも幽かな笑みを覗かせたことで、陽は自分が的を射た発言をしたのだと思いました。


 そう、


「ただ、気がかりなことが一つありまして、結局親指はどうして大きくなったのでしょうか?」

 千影にそう尋ねられた、陽の脳裏に蘇えるのは。


 ──思えば、でっかくなってる時点で察するべきだったかなぁ。


 いまひとつ、しっくりこなかった狐の発言。

 しかし、陽は。

「そういえば、何でなんだろう。それも狸の結界のせいなのかも」

 あえて、狐が気になることを言っていた──とは打ち明けませんでした。

 もし、それを教えてしまったら、芋づる式に躰の術式のことまで話してしまうのではないか、そんな不安があったからです。残りの緑茶を一息に飲み干します。あっと呟いて、席を立とうとした千影を手で制しました。

「いいよ。怪我人じゃないんだし、自分で洗う。それより暑い中走らせてゴメンな」

 陽はグラスを左手で取ると、右手で千影の頭にぽんぽんと触れてから、居間を後にしました。


「言わなくて良かったのー」

 狐の明らかにトゲのある声が、から聞こえてきました。陽は、水出しボトルに入った緑茶をグラスに注ぎながら、こう返します。

「良かったんだよ。今のところは」

「そのうち話すつもりなのだろう。なあ父上」

 間違いなく、助け舟ではなく釘を刺す意図で言っているのでしょう。偶にガチっぽい息子ムーヴしてくんの止めれ──と目で訴えてから、陽は盛大な溜息をつきます。

「で、結局僕の指は何ででっかくなったんだ? あと、どうして次はこっちがでっかくなった」

「えー、そんな気になるぅ?」

 狐はいかにも言いたくなさそうな声音で、陽の意思を確認します。そう、勿体ぶっているふうではなく、かと言って面倒臭そうでもなく、ただただ厭そうなのです。

 陽は妙な胸騒ぎを覚えながらも、

「まあ、一応な」

 と正しく言葉通り、"一応"の意思表明を致します。

「しゃあなし。じゃあ、話すよ。陽ちゃんさ、すでにたくさん石が詰まってる瓶に新しく石を入れてって言われたらチョー困らない?」

「そりゃあ──困るだろう。全く隙間なく詰まってるんじゃ、入れようがないし」

「理屈としてはそれと同じ。あたしが陽ちゃんの中に入って占有を許されたのは、あの親指スペースだけだったんだよ。今はこっちに移動しちゃったけどね。縛られて、窮屈になっちゃったから」

 つまり、自分の躰には、すでに"何か"がたくさん詰まっていて、狐の入る余地は親指しかなかった。なるほど、だから親指が大きく見えたのかへぇそうかそうかと納得して、陽は恐れおののきます。

「待て。何かってなんだ。何詰めてんだよ」


「使い魔だよ。死にかけだったとき、あたし言ったじゃん。いきなり活発になった陽ちゃんの使い魔にうんたらかんたら~って。そもそも、陽ちゃんの躰の術式っていうのは、寄生してる使い魔を制御するためのものなんだよ」

 陽は、ぺたぺたと探るような手つきで、躰のあちこちに触れてみます。


 ──寄生。


 憑依という単語より、遥かに生々しさがあるからでしょうか。何やら生理的嫌悪感が凄まじいです。

「なあ、その使い魔ってどんな見た目してるんだ」

「ええっと、シダ植物に悪霊が乗り移ったというか、サボテンが妖怪化したというか──ねぇ、陽ちゃんってカンブリア紀の生物とか言われてピンとくる人?」

「たった今、姉ちゃんにお礼言おうとしてた数十分前の己を全力で恥じてるわ。あの女、弟の躰に何してくれてんの? 何で弟の体内に古生代到来させてんの? いや、というかマジで寄生って大丈夫なのか? 赤ちゃんの種的な意味とかでもさ、害とかないよな? なあ、王子!」

 ちなみに、エクスクラメーション・マークをつけておりますが、実際はひそひそ話の範疇はんちゅうです。陽としては、千影に聞かれることは不本意なので。

「それは姉上に直接尋ねてみることだな。さて、何やら事態が丸く収まったみたいな雰囲気を醸し出しているが、まだ何も片付いていないぞ。術式とて永続的に停止したわけではないのだからな」

「ええ~、まだ第三波があるかもってこと?」

「あっ、そういえば術式の発動条件って結局何だったんだ?」


「あれは、たとえるなら冷蔵庫のドアアラームのようなものだ。一定時間開けたままにしておけば、警告音が鳴るだろう? 狐が憑いたことで。それを報せる目的であれは起動したのだ」


 冷蔵庫のドアアラーム。つかの間、陽は心の中で首を傾げて、あああのピーピー鳴るヤツね──という答えに行き着きます。王子といい狐といい、現代文明への順応力が凄まじ過ぎやしないでしょうか。

「そのわりに、あたし結構な勢いで襲われたんですけど」

「君の抹消が第一目的でなかったからこそ"結構"で済んだのだろう。使い魔にとっての最優先事項は、空いた"穴"の修復だった。しかし、図らずもその"穴"の手前に立ち塞がっている存在がいた」

「あー、あたしかぁ」

「そういうことだ。恐らく狐のもとに駆り出されたのは、いわゆる修復専門の"作業員"だった。だからこそ、君は辛くも撃退できたわけだ」

「でも、もう"穴"って塞がってるのか? そういえば、コレいつほどけばいいんだ?」

 陽は親指に結ばれた糸を指差して、王子に尋ねます。半日もそれを保てば綺麗に治るさ──とこともなげに言って、王子は話を続けます。

「簡易的に塞がってはいる。が、術式の発動条件がそれ一つとは限らないだろう。というより、一つであるはずがない。もし、別要因で第三波がやって来たら──"戦闘員"を駆り出されるようなことがあっては、それこそ成す術がない」

「そだねー。つまり、早いとこあたしたちは」


「ああ、狐耳の生えた女の子の形をした"何か"を調達しないといけないわけだ」


 陽が、気持ち凛々しい声でそう言い切ったところで、微妙な沈黙が訪れます。

「──ねぇ、途中までカッコイイ雰囲気だったのに、何かさぁ」

「とはいえ、目的として誤りではないからな」

 ちなみに、他作者の狐耳の美少女画に憑依してはどうかという王子の案は、あえなく失敗に終わりました。これに関しては狐に一切の落ち度はなく、ただただ陽が彼女の器に無意識の部分で"立体感"を求めていることが原因のようです(言わずもがな、この事実が判明したときも陽は謝罪の言葉を述べました)。

「ああ、で、そのこと何だけどさ」

 陽は、ポケットから出した携帯電話を見せつけます。

「僕に考えがあるんだ」

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