ネバ―☆ウエディング☆ストーリー

 6月。

 ジューンブライドの季節。

 子供の頃、花嫁に憧れていた。

 恋愛なんて簡単だと信じて疑いもしなかった時があった。

 男の恋人ができ、やがて子供ができ家庭を持つ。

 それが幸せで、一生幸せになることを当たり前だと考えていた。




 じめっとした湿気が立ち込める雨の日。

 数か月ぶりの先生の部屋。

 奈緒は居間に座りこんでいた。

 テーブルを挟んで先生と向かい合うように座っていた。


 「私はこれを返しに来ただけですから」


 ぶすっとした表情でビニール袋に入れたウィッグを先生の胸に押し付ける。

 あの日から捨てることもできず、どうしたらいいかわからないままずっと持っていた。


「お茶くらい飲んでいってよ、私は奈緒と話したいことが沢山あるの」


「成績の話でしょうか。進路の話でしょうか。どちらも前に話した通り順調なので先生と話すことは私にはありません」


 冷たくあしらって、立ち上がろうとする。

 だが先生は肩を掴んで奈緒を押さえつけた。


「あの時はごめんなさい」


「知りません」


「私、前にも生徒と付き合っていたの。奈菜って子。卒業して関係は終わったのに無償に寂しくなってつい貴方にナナを重ねてしまっていのね」


 嘘つき。奈緒は居間にも飛び出しそうな言葉を飲み込んだ。

 もう4か月前のことだが鮮明に覚えている。

 奈菜って名前の三人目のナナ。

 あの怒気も言動も関係の終わった女にはまるで見えなかった。

 この人は嘘ばかりしか言えないのかとただただ呆れるばかり。

 


「だからあの時は動転してて、本当に後悔したの」


「知りません。気にしてません」


 先生のことだけを求めていたあの日々の熱情はもう自分の中にはないだろう。

 大丈夫。大丈夫。奈緒は確かな手ごたえを感じていた。


 「ね、どうして今になって返しに来てくれたのか当ててあげましょうか」


 教え子からの冷たい目線にも気づかず、先生はまるで一人演劇のように大げさな身振り手振りで話し始めた。

 

「最近、明菜と付き合うようになったからでしょ?」


 だからどうした。

 二人をフったのは先生だ。

 あのバレンタインの日、先生に待ちぼうけにされた二人は慰めあった。

 私は明菜を裏切り続けた私を恥じた。

 明菜は優しい。

 優しく受けて入れて、頃合いを見て告白してくれた。

 小鳥が啄むようなキスはちょっと物足りなかったが、とても幸せを感じた。

 そんな時にふと、部屋の端に置いてあったウィッグに気づく。

 明菜は知っている物だけど、もう明菜を裏切りたくない。

 だから今日返しに来た。


「何でそんなことわかるんですか」

「あ、本当に付き合ってるんだ」


 ぱたりと手を合わせてけらけらと笑う先生に私は無性に怒りが沸いた。


「もう帰ります!」



「明菜ね、浮気してるよ?」


 胸の奥、心臓じゃない何か大切な機関がぐらりと揺れた気がした。

 

「今度はでたらめですか、教師の風上に置けないですね」


「初プレゼントはお互いに選びあったぬいぐるみなんだってね。奈緒のセンスかわいいね」


 背中が汗で濡れている。鼓動が早くなる。


「どうしてって顔してるね。答えは簡単。あのバレンタインの日からもずっとまだ明菜は隠れて私と付き合っているから」


「明菜を馬鹿にしないで!」


 溜まらず声が出た。

 先生の胸倉を掴んで壁に押し付ける。


「バレンタイン。奈菜が奈緒と出くわすように仕込んだのが明菜だからだよ。寝てる私のスマホのパスワード解除してSNSを監視してたから。全部明菜は知っていたんだよ?私に切り切れてない前カノがいることも、途中から奈緒が付き合ってたことにも。私もそこまで知られてたって気づいたのはバレンタインだったけどね。反省しなくっちゃ」


 にやにやと壁に押し付けられながら笑う先生。何がおかしいのか。


「な、なんでっそんなことする必要があるんですか。友達の私と本物のナナをぶつけるなんて芝居を打ったりして」


「奈緒がそれ言う?一番必死に独占しようとしてくれた癖に?」


 気づけば、近い位置に先生の顔がある。

 ぷりんと突き出された唇がみずみずしい。

 かつては貪るように求めたそれはまさしく禁断の果実のように思えた。

 ごくりと息を呑む。

 奈緒はその禁忌の味を知っている。


「……っ。明菜と別れてよっ今すぐにっ」


「いいよ」


 あっさりと受け入れた要求に奈緒は拍子抜けした。

 思わず力が抜けた途端に先生は押さえつけていた私の両手を外して押し返した。

 奈緒はベッドに押し倒された形になる。


「ちょっと……離してください!今日はこれからデートなの!」


「明菜はね、恋に恋してるだけの女。目の前で良さそうな恋に次々と飛び込んで、独り占めすることに燃え上がってるだけ。一過性だよ」


 耳元で恋人の悪口を囁かれる。


「明菜は恋人ごっこがしたいだけ。卒業すれば自然と関係なんて消滅するよ」


「何でわかるんですか」


「明菜は既に私との関係に飽きかけてるから、奈緒に告白したんだと思う。最近素っ気なかったし。あとは経験?そんな子ばっかなんだよね、奈菜も。その癖所有権ばかり主張する」



「最っ低っ。私だってそうです。もう離してください」


「奈緒は違うよ、トクベツ。あんなに私のことだけを求めてくれたじゃない」


 そう言って私の手を取り頬ずりする。

 やめて。

 もうやめて。


「学校にいる間は皆が憧れの女教師として見てくれる。大人と付き合うスリルとか、大人びたカンケイを私に求めたがる。でも奈緒は違うの。私を、私を見てくれる」


 嘘だ。

 あの時私を見捨てた癖に。

 ずっとナナの代わりにしてたくせに。




「ねぇ、どうしてわざわざ今更デートの前にここへ寄ったの?」


 やめてよ。やめて。


「ナマ物じゃあるまいしビニール袋をドアに引っ掛けておけばいつでも渡せたよね。学校で渡す手もあった」


 先生の舌が首を這うように舐める。

 くすぐったくてひぅ、なんて声が漏れた。


「奈緒だって期待してたんでしょ?」


 こんな人、もう好きになっちゃダメ。絶対ダメ。

 どうせ奈菜にフラれたから代わりが欲しいだけ。

 明菜とも関係が悪化したからこんなことを言っている。

 頭は警鐘を鳴らしている。

 心臓の鼓動が早くなる。

 

「私も、期待してたの。わかるでしょ?」


 先生は頬に寄せていた奈緒の手を自身の胸、心臓の位置に引き寄せた。

 服越しに触れた胸は熱く脈打っていて、自分の鼓動と連動してるようにさえ思える。

 

「や、やめてください」


「ねぇ、奈緒。卒業したら一緒に住みましょう?進路の大学はここから近いし、新しい部屋がいいなら私もそっちに住んでもいい」



 好きだった声が耳朶を打つ。

 好きだった香りが鼻腔に侵入する。

 

「そ、そう言って、本当は明菜やあの奈菜もたぶらかしたんじゃないですか」

「違うよ。奈緒にしか言ってない。奈緒はトクベツだから」


 熱く潤んだ瞳が真っすぐに見、訴えかける。奈緒は目を逸らせない。


「嘘ですっ」

「何でそう思うの?」

「だって私、空気読むの下手だしオシャレよくわかんないし地味だし先生みたいにおっぱい大きくないし背低いし面倒くさいし……」


 自分は何を言ってるんだろう。

 まるでこれでは、慰められたがっているようだった。



「奈緒はかわいいよ。痩せててスタイルいいし。ナナの時みたいに綺麗になる方法いくらでも教える。何度でも何度でも、奈緒が奈緒の良さを自覚できるようにしてあげる」


 かわいい、だなんて安直な誉め言葉が熱い。

 奈緒の中枢を溶かしてぐずぐずにする。


「……明菜と、他の女と別れてくれるの?」


 さっき聞いたはずの質問だった。

 何で二度聞いたかは奈緒にもわからない。

 先生はこくりと顔を縦に振ると、ゆっくりと顔を近づける。

 奈緒は自然と目を瞑る。


「んん……ちゅ」


 二人の唇はまるでそれが自然であるかのように重なり合った。

 先生の舌が口内を犯し、のたうち、暴れる。

 困惑することは何もない。待ち望んでいたように奈緒の背筋は歓喜に打ち震えた。

 どちらからともなく手は恋人繋ぎになり、強く結ばれる。

 二人の舌が絡み合い、溶け合うくらい熱い。

 境界線が消えてどこからどこまでが奈緒だったか、先生なのかわからなくなる。

 

 好き。

 好き。

 大好き。

 愛してる。

 口が塞がっていて良かったと奈緒は思った。

 もし口が空いていたら、蛇口の壊れた水道のように気持ちが言葉になって溢れ出していたに違いない。



「ここから先は他の生徒とは、奈菜とも、明菜ともしたことないんだよ……?」


 先生の指が太ももの上を撫で、滑る。

 奈緒はその先の予感に身震いする。

 余りにも嘘くさいのに。

 もう嘘か真かなんて奈緒には判断がつかなかった。


 その時、奈緒のスマホがポケットの中で暴れるように揺れていた。

 慌てて手に取ったスマホには、明菜と名前が表示されていた。

 

 「取っていいよ」


 先生に促されて私は恐る恐る通話をする。

 『あ、奈緒ー!?ごめーん、まだ時間あるんだけどさーえへへもう早く着いちゃって!奈緒が待ちきれなくなってかけちゃったの!今どこ?』


「…ううん!」


 明菜はいい子だ。恋人として間違いなくいい子だ。

 でも奈緒の頭には文句ばかりが沸いた。

 時間があるならかけなくていいじゃない。

 ごめんって前置きするくらいならやめてよ。

 もしかして早く来いって急かしてるの。

 理不尽だと思いながらもイライラする。


『ん?なんか奈緒、息切れてない?大丈夫?走って来なくてもいいんだよ?」


 電話をはじめてから先生が悪戯をはじめたからだ。

 いや、息はずっとその前から乱れていたかもしれない。

 

「心配、しないで。ご、めん。今日はもう無理、ダメ。無理っ無理無理」


『え、そうなの。体調悪いの。心配するよ。だって恋人だもん。今からお見舞い行くよ?』


「いい、から。気にしないでよっ」


『そ、そう?ごめん。ごめんなさい』


「ううん、今日はごめん」


『奈緒、愛してる』


「……私も、愛してる」


 そう言って私は通話を切った。

 早く切ってやりたくてしょうがなかった。

 奈緒は涙でぐちゃぐちゃになった目で先生を睨みつける。


「愛してるって私にも言ってよ、奈緒」

「……絶対イヤ」

「彼女は淡泊なうえに飽きっぽいよ?別れてよ」

「……無理。彼女を裏切りたくない」


 

 恋愛なんて簡単だと信じて疑いもしなかった時期があった。

 気づけば女性を好きになっていた。

 受け入れてくれた先生の恋人ができても、一年経たないうちに浮気されてる。

 そのせいで突き飛ばされるし、親友をじろじろ監視することになったり心苦しい。ロクなことがない。

 好きな人に縋りつく毎日は負の感情に悩まされてばかりだ。

 明菜とこそばゆい恋人の日々は春の日差しのような優しい日々。

 きっとここでまた先生とよりを戻してしまえばまたそんな不幸な毎日が始まる。

 答えは簡単だ。間違えようのない答え。

 なのに。




「先生……」

「これから二人きりの時はアヤって呼んで、奈緒」

「アヤっ……アヤ……っ」

「大丈夫。優しく、幸せにしてあげるから」


 奈緒は首の後ろに手を回して、先生に抱き着いた。

 何故、明菜に助けを求めなかったのか。

 何故、先生を選んだというなら明菜に別れを切り出さなかったのか。

 

「明菜より気持ちよくしてあげる」


 明菜に妬いた先生が奈緒を求めている。

 奈緒を恋人から奪い取ろうと見てくれている。

 もしかしたら明菜と付き合っていれば、先生は奈緒を求めてくれるのではないだろうか。

 去年。不貞を働いた先生をむしろ強く求めた奈緒のように。

 都合のいい考えかもしれない。浅知恵かもしれない。

 でももう奈緒の心は決まっている。



 再び口づけがはじまる。

 それは誓いのキスとは程遠い他の誰にも祝福されないキスだった。

 子供の頃の自分には信じられないだろう。馬鹿な女だと思うかもしれない。

 でも奈緒は気づいてしまった。

 自分を不幸にする人こそが最も快楽を与えてくれることに。

 

 

 先生、明菜と競って。

 負けないよう必死に愛して。

 卒業しても誰にも目移りさせないように愛して。

 恋人を作らせないように。縛って。

 子供を求めさせないように。夢中にして。

 家庭なんて持てないように。寂しくさせないで。


 この一瞬を永遠にして。1日や1ヶ月、1年で終わらせないで。

 一生私を不幸せにして。

 私も先生を絶対に不幸せにするから。


 奈緒は心の中で誓いながら目を瞑った。



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先生。私を一生、不幸せにして。 レミューリア @Sunlight317

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