アンハッピーバレンタイン☆
1月。明菜に相談された。
もじもじと要領を得ない明菜は私に一言一言たどたどしく伝える。
それを一言で言うと。
「ああ、つまり明菜は恋人に飽きられているんじゃないかって不安なのね」
こくりと顔を縦に振る明菜。
ふざけて喋ることの多い明菜も恋となるとしおらしいものだ。
「それにしても酷い恋人よね。急な仕事だなんて嘘ついてクリスマスも正月も一緒にいてくれないだなんて」
「な、奈緒!酷いなんて言わないでよ。もしかしたらっ……もしかしたらなんだから」
嘘だよ。
私は本当のことを知っているよ可哀想な明菜。
クリスマスも正月も一緒にいたいとねだったのは私。
明菜に先生を取られたくなくて無理矢理予定を入れさせたの。
「そんな酷い男別れた方がいいよ?間違いなく見る目ない、明菜はこんなに可愛いのに」
吐いた言葉はあまりにも白々しく、ほんの少しだけ自己嫌悪。
「男……!?あ、ああうん、いや違うの。本当は……その、女の人と付き合っているの」
「え、そうなんだすごいな明菜。だから私に相談したんだ?」
奈緒は以前、登校拒否になっていたことがある。
当時、友達だった人に男性より女性が好みだと告白したからだ。
翌日から奈緒を待ち受けていたのはレズだなんだのと面白半分の中傷。今ではもう、遠い話だ。
半年近い引きこもり生活。自分には価値がないと思えた日々。
そんな苦しみから救い出した手を奈緒は忘れない。絶対に離したくないと思う。
「そういう訳じゃないけど……バレンタイン、どうしたらいいかわからなくて」
「料理好きの明菜のチョコならおいしいに決まってるよ」
「そうじゃないの。どうしたらもっと嬉しがってくれるかなって」
奈緒はスマホをちらちらと見ながら、明菜に囁きかける。
「私に任せてよ。明菜の恋なら絶対応援するから」
2月。バレンタイン当日。
綾ちゃん先生はモテる。
「学校に食べ物持ち込みなんてダメでしょ」なんて口ぶりの割には満更でもない様子で生徒達のチョコを受け取っていく先生。
その大抵が義理だとわかってはいても。
奈緒と明菜がどこかから見ているかもとわかってて受け取る先生がほんの少し憎らしく感じて私は密かに歯噛みした。
学校近くの植物園。
温室の中で育つ色鮮やかな花の数々は今が冬であることを忘れさせる。
時が切り離された空間のようだった。
明菜はそこで仕事が終わった先生と待ち合わせしている。
今日、学校だと二人きりになるのは難しい。
だから放課後にしよう。二人きりでしっかり話した方がいいよと提案したのは奈緒だ。
紙袋に入れた綺麗にかわいらしくラッピングされたチョコ。決して恋人に届かないチョコだと思うと憐れみすら覚えた。
別れてすぐ。トイレの個室で奈緒はナナに変身する。
地味で、弱い、小さな貧民の奈緒がほんの少し派手なオシャレ貴族になった心持ち。
ナナになれると見た目だけじゃなく気持ちも強くなれる気がする。
「え、ナナ...?」
植物園と学校の間で待っていれば必然的に先生と合うことができた。
絶対に今日、明菜には会わせたくない。
「先生、待ってた...」
私は先生の腕にしなだれ、抱きついた。
こんな大胆なことを街中でできてしまうこともナナだからだ。
ナナは無敵だ。
この温もりも距離も時間も奈緒のものだ。
チョコ一つ渡すこと許したくない。
間違っても本命のチョコなんて渡すことは許せない、絶対に。
植物園で一人置いてけぼりをくらうであろう、明菜のことを思うと胸の奥がちりちりと熱い。
これは恋の高揚に違いない、胸の高鳴りに間違いないはず。
ふと、先生が足を止めた。
急に制動をかけられて思わずつんのめる奈緒。
「もう、先生。どうしたの……あ」
目の前には
明菜でも、ましてや奈緒でもない。
三人目のナナが立っていた。
私達のナナとは何かが違う、ナナだった。
ナナは怒気を孕んだ、まるで殺意がこもったような強い目で奈緒を睨みつけていた。
「先生から離れなさいよ、アンタ!」
「ひっ」
奈緒は怖くなり思わず先生にしがみつくようにしたが、先生は優しく私を振りほどいた。
「え……?あぅ!」
先生から離れた途端に私は強い力で押され、冷たいコンクリートに倒れ込んだ。
衝撃でウィッグが取れた。
「何これ。カツラ?何なの先生?」
先生と聞いて思わず縋るように視線を向けたが、先生は奈緒から逃げるようにぷいっと顔を背けた。
「ち、違うの。奈菜。これはね……違うのっ」
「違わないよ、何なのこの子。ナナって呼んでるって聞いたよ」
「奈菜が卒業して遠くに行っちゃって……寂しかったのっ。ごめんなさい、許してっ」
好きな人が別の人に謝り、媚びを売る姿なんてみたくなかった。
ましてや倒れた自分を放っておいてなんて尚更。
「ねぇ、アンタ」
先生の謝罪の言葉を無視して、奈菜と呼ばれた女性がこっちを向く。
カツカツと近づいてくるヒールの音が地獄域のカウントダウンにも思えた。
「ひっ…ぐぁ…」
「近くで見たらますますムカつく。昔の私まんまに化粧してる。私の偽物でしかない癖によくケンカ売ってきたよね?」
胸倉を掴まれて顔を近づけてくる奈菜。
美人の怒った顔は恐ろしい。整った綺麗さ全てが怒りに歪む、その顔は。
長く、明るい髪もメイクも私のナナと同じ。
でもすごい似合う。
髪は恐らく本物だったし、メイクは薄すぎず重すぎない。
ああ、これが本物かと奈緒は心のどこかで納得した。
この人が本物のナナなのだと。
「ケンカって……知らない、知らないっ」
「とぼけないでよ!アンタ、先生のスマホからアタシの連絡先を見つけてキスしたとかデートしたとか逐一言ってきたくせに!」
「知らないっ……」
そのまま、手を離されて私はごほごほと咳き込んだ。
苦しむ姿を冷静にじっと見る奈菜に私は怯え、思わず逃げたくなった。
だが、足はぷるぷると震えまるで肉食獣に肉薄されたように竦んだ。
「明菜っ、明菜がやったのっ。ねぇ先生、明菜とも付き合ってたんでしょ!?」
私は全てを投げ出してでも助かりたかった、この怒気をはらんだ目にはもう見られたくなかった。
その為なら最愛の恋人も唯一の親友だって盾にしてしまえる。
「明菜なんて子知らないっお願い奈菜信じてよっ私は奈菜がいないと……」
「信じられないよ!こんな私の偽物なんて愛でてる先生なんて!辛抱してた私が馬鹿みたいじゃない!」
そのまま踵を返して去っていく奈菜。手を伸ばし、立ち尽くす先生。
まるでドラマのワンシーンのような絵だった。
へたり込む自分は背景か悪役かエキストラか何か。とても主役だとは思えなかった。
惨めだ。
信じてたものに裏切られて、大切にしてたものを投げ捨てて。
思いあがった優越感は地に落ちた。
シンデレラにかけられた魔法は解かれた。だが私の靴を拾い、見つけてくれる人はいないだろう。
先生はいつの間にかいなくなっていた。
傷ついた私を捨て置いて。
それが事実だ。
もう奈緒は、ナナではなかった。
地味で自信のない弱気な等身大の自分自身がここにいるだけだ。
ふと、気づいてしまうことがある。
恋人の不実を奈緒はなじらなかった、責めなかった。
それは恋人に見放されたくなくて、縋るしか選択肢が最初からなかったからだ。
自分には先生に比べてこんなに価値がないのだから。
本物の恋人で隣に立ち会える人なら、あんな風に言える。
自分から関係を終わらせることだって選べる。
私は所詮偽物でナナという惨めで哀れな着せ替え人形でしかなかった。
ポケットに手を入れた。
大切にラッピングされたチョコは倒れた衝撃でひしゃげ、砕けていた。
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