ドキドキのキス☆
「ナナ、可愛いね」
久しぶりのデート。
一緒に買い物をして、最後に先生の部屋で語らい合う。
二人の定番のデートコースだった。変装してはいてもやはり街中でいちゃいちゃすることはできなかったから最後は部屋に行きつく。
ウィッグの髪を優しく撫でながら奈緒の耳に先生は囁く。
いつもなら先生の一言一言を噛み締め一喜一憂するはずの自分。
その言葉もまるで上滑りするように耳を通り抜けただけだった。
もしかしたらもう一人のナナ、つまり明菜にも囁かれた言葉ではないのかと思うと。
奈緒は見えないよう密かに拳をぐっと握った。
私と先生が付き合うようになって4ヶ月。
先生が親友の明菜と不貞を働く姿。あれを見てからそろそろ1ヶ月が経とうとしていた。
11月ももう終わりが見えてきたこの時期。
告白した時は夏真っ盛りで身も心も燃えるように熱かった。
でも今は肌が寒い。
ただ寒いだけなら着込めばいい。暑いと違って簡単だ。
しかしどれほど着込んでも恐らく対策はできないだろう。
この肌寒さは恐らく身体の芯から温もりが抜け落ちていくみたいだったから。
奈緒は思い返す。
あれは何かの間違いではなかったのか。
先生が浮気をしているわけない。ましてや、親友の明菜が間女だなんて。
そんな疑惑が確信に変わるには充分すぎるほどの時間がたっていた。
『ね、知ってる?あやちゃん先生って料理全然できなくて時々恋人に作って食べさせてもらってるんだって!』
これは二日前の教室での一言。
きゃーって言って赤くなった自分の頬をバンバンと叩く明菜。
口ではきゃーと同じ感情を共有している。対照的に奈緒の視線はどこか冷めたものだった。
あの夜から奈緒は明菜の一挙手一投足を自然と目が追うようになっていた。
ウィッグを持ち運びする為の鞄も知ってるし。
スマホで恋人と連絡する時のしぐさもわかるようになった。
月の日だってわかるかもしれない。ほぼほぼストーカーだ。
教室から出るのに先生と会う為か、トイレに行く為か当てられるようになったとさえ自負するほど、私は彼女を見ていた。
その中でいくつかわかったこと。
例えば彼女は先生の唯一の恋人であると思っている。少し前までの奈緒のような、カワイイ子羊だった。
明菜の話す噂話は自分と先生の噂話ではなく、明菜と先生の実体験を話していたこと。
そして先生は何故か似たようなウィッグと同じ名前「ナナ」と呼んで奈緒と明菜で二股をしていた。
確信すればするほど胸の奥を熱を持った虫が這いまわるような異物感があった。気持ち悪い。
胸に穴が開いたとしたら、その中から欠落を埋めたいという本能の苦しみだった。
「ナナ、今日は不機嫌だね?何かあった?」
先生はそう言って小さな私を引き寄せて、頭ごと抱きかかえた。
少し前までの私がこの形好き、大好き、もっとしてと何度もねだったハグだった。
いい香りがして、先生の全身で抱きしめられる。
胸の奥のむかむかも一瞬忘れて、私は思わず先生の服にぎゅっとしがみついた。
「不機嫌じゃなくて甘えたがりだったのかな。よしよし。ナナはかわいいかわいい」
撫でられるのは気持ちいい。かわいいと言ってもらえることはもっと気持ちいい。
幸福感に満たされながら私は胸の裏をぐさぐさと刺す悩みに苦しんでいた。
この痛みは私のせいではない。
むしろ私は被害者だとわかっていても辛かった。
誰が好き好んで友達を疑い監視するだろうか。
どうして私が恋人の好意を一つ一つ本物かどうか気にしなくてはならないのだろうか。
「ナナ、これ欲しがっていたよね。最近寂しくさせちゃっててごめんね」
愛しさの裏に辛さを抱えながら、私はさっき実は欲しいと思っていたアクセサリーを受け取る。
「覚えていてくれたの、ありがとう先生」
私はそう言ったはずだった。言えたに違いない。
「先生……こっちも欲しい」
浮気をされたらそんな相手は捨てろ。
とネットでは書かれていた。そんな相手は忘れろと。
でも奈緒は、むしろ強く力を入れて先生にしがみついた。
どうして好きな人を自分から捨てられるのか。
もはやこの人がいなくては欠落を感じるくらいなのに。
この人に愛されていると思わなくては本来の自分でいられないのに。
「ちゅ……んんっ」
私は悪くない、悪くないんだから。
だからこのぷりぷりとした唇も、口内でのたうつ舌も、潤んだ瞳も。
その全てを味わう権利があるはずだ。
私が先生の恋人なんだから。
不実を働いたのは先生なのだから。
奈緒が唾液を交換しながら連想するのは悪魔の契約だった。
「んん……ぷはっ……先生、来月の24日は一緒にいたい」
「え?ナナそれはもしかしたら難しくなるかも……」
難しくなるのは仕事だから?それとも明菜と会いたいから?
「恋人同士ならその日一緒に過ごすのは当たり前だよね?仕事があるならその後でいいよ?」
「う、うんその日は一応教員の見回りがあってね」
もう、その日は約束しているだもんね。
昨日、明菜のはにかんだ笑顔と大事そうにスマホを握りしめた姿を思い出すと胸が苦しい。
「その後会いたいな」
「でも遅くなったら親御さんがどう言うか」
明菜がどう言うかを気にしてるんじゃないの?
「今時、友達やクリスマスの家に泊まって当たり前だよ先生?」
「わ、わかった。時間は言うからおいしいご飯食べようか」
「うん、先生の家で食べるご飯楽しみにしてるね?あっ良かったら私作っとくよ?」
「い、いやいいよ。大丈夫だから」
大丈夫だよね。料理好きの明菜が作ってくれるもんね。
「先生と初めて過ごすクリスマス楽しみ!ね、先生もそうだよね?」
どこか困ったような先生に抱き着いて強引に口づけをする。
もう言葉は聞きたくもなかった。聞いても、もやもやするだけだから。
口づけさえしてしまえば先生はまるで水に飢えた砂漠の旅人のように奈緒を求めた。
今だけは。少なくても今だけは私が先生に愛されている。
証明書付きの愛があればよかったのに。奈緒はそう思わずにはいられない。
私こそが間女であるという可能性は考えたくもなかった。
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