先生。私を一生、不幸せにして。
レミューリア
ヒミツの恋人☆
「ねぇねぇ知ってる?現代文の綾ちゃん先生って恋人がいるらしいよ?」
休み時間。
明菜が奈緒の机に前から突っ伏して一方的に話始めた。
知ってる誰かと誰かが付き合っている。
女子高生というのは身近なスキャンダルに夢中になる年頃というもので、おまけに女子校ともなれば恋バナも少なくて飢えてしまうのも仕方のないことだった。
「行儀悪いよ」
「まあまあ、これが行儀良く座っていられますかって。話を聞いておくれよ奈緒っちさんよー何せあの綾ちゃん先生だし」
綾ちゃん先生は教師になってまだ数年の若い、私達から見たらちょっと大人のお姉さんだ。
スーツが似合うというより映えるほどスタイルが良くて生徒からは格好いいと話題の人だ。
生徒からの人気が高くて美女の恋バナなら確かにスキャンダルと言えるだろう。
話したがるのも納得。
「朝、電車でさー。すぐ近くで綾ちゃん先生に結城たちのグループがうざ絡みしてたじゃない?あの時にさ、なんか恋人がいるかカマかけたらしくてさー……どうした?いきなり噴き出して?まだ面白いとこじゃないぞー?」
「んー?何でもないよ明菜」
今朝の通学中のことを思い出して奈緒は思わず吹き出してしまった。
明菜は私が登校拒否をやめて久々の学校に来た時、唯一仲良くしてくれた友人。今では親友だ。
だがそんな明菜にも絶対に言えない秘密が自分にはある。
「明菜。その恋人は私なんだ。電車の中で背中合わせになって皆に見えないように私達は隠れて手を繋いでいたんだよ。
恋人つなぎした手から、先生の体温を感じてとてもドキドキしたよ」
思わずそう言ってしまいたくなる気持ちを奈緒は必死でこらえた。しかし思い返せば思い返すほど、口の端から幸福が溢れだすようににやけてしまう頬は止められなかった。
つられて何故か明菜も笑いだす。
そう、あやちゃん先生もとい近藤綾は奈緒の彼女だった。
女同士で、生徒と教師。周囲には秘密の恋人関係だった。
「先生、告白されたの6月なんだって!夏休み前に告白したんだね~!」
惜しい。本当はそうしたかったけど結局7月になったんだよ。奈緒は心の中で訂正した。
私の必死で拙い不安いっぱいの告白を先生は受け入れてくれた。あの時のことを私は生涯忘れられないだろう。
「この前の日曜日なんだけどさ、駅前の時計前で待ち合わせしてたらしいよ!」
違うよ、土曜日に駅近くの公園だよ。先生は優しく私の手を引いてエスコートしてくれた。
「遊園地で見たって人がいたんだって!きゃー!」
隣町のお洒落なカフェでランチをして、買い物をしたはずだった。
今度は全然的外れだった。
噂というのは尾ひれがつくものだから、正確な情報ではないのだろうか。
そう結論付けた奈緒は興奮して前のめりに話す明菜に白々しく相槌を打つのだった。
「まるで当事者のように詳しいね?本当は明菜が先生の恋人だったりして」
わかりきったことをさも知らないように聞いた。
先生の恋人は奈緒なのだから意地悪でしかない質問だった。
そんなわけないじゃん、と帰ってきた明菜の返事を聞きながら奈緒は優越感に浸る。
そんな自分を性悪だと恥じる気持ちもあるが、胸の内の幸福の方が勝った。
時計はそろそろ2時。次の授業が終われば放課後だった。
放課後。塾に行くから先に帰ると言って明菜と別れた私は駅のトイレの個室に駆け込んだ。
すると大きめの鞄の中から私は明るい髪色のウィッグを取り出した。
先生は私達が結ばれた日いくつかのルールを決めた。
そのうちの一つは二人で会う時、必ずこのウィッグを着用した大学生「ナナ」になること。
「生徒と教師が付き合っていることが明らかになれば貴方を苦しめてしまうから」
私を気遣った言葉が嬉しい。
奈緒は手鏡を見つめて薄く化粧をしながら先生の言葉を反芻し胸を高揚させた。
奈緒はこの「ナナ」になることが嫌いではなかった。
校則に沿った黒いボブカットの地味な私が、お姫様のようにゆるふわロングへの変身。
魔女に綺麗になる魔法をかけられたシンデレラのようだ。
早く、早く先生という王子様に会いたい。
奈緒は外側も変われば内面も変わった気がした。
自信なく道の端を歩く奈緒はもういない。
恋人にサプライズで会うことにナナは悪戯めいたドキドキを感じていた。
ナナは夜の公園のベンチに座っていた。
先生の住むアパートの前にあるこの公園。
ここで待っていれば約束はしていなくても帰ってくる先生と会えるはずだった。
今朝、電車内で繋いだ手。伝わる体温の熱さ。
思い返すだけであの温もりが胸の内を火照らせ切なくした。
この火照りを鎮めたいのか、もっと昂らせたいのか。
どちらかはわからない。
もう恋人に会わずして今日穏やかに眠れる訳がないことだけはわかっている。
ふと、暗がりに見知ったスーツの女性が歩いてくる姿が現れる。
よく手入れの行き届いた黒いロングの髪を振りながら近づいてくる女性。
ナナはまるで主人を見つけた犬のように歓喜とともに駆け寄ろうとした。
しかし、そうはできなかった。
先生は誰かと話していた。
暗がりで見えないが、小柄な女性みたいだった。
私達は秘密の恋人同士だ。誰にも見られちゃいけない。
そんな考えからナナは思わず大きな木の陰に隠れてしまった。
「ナナ」
私は思わず声をあげそうになった。
「日曜のデート、楽しかった。本当に楽しかったのにもう待ち伏せしてまで愛して欲しいだなんてナナは欲しがりさんね」
「アヤが悪いんだよ。朝の電車内で我慢して我慢して目を逸らしていたのに。一瞬目が合った時にウィンクなんてするから……我慢できなくなったのっ」
「ごめんごめん。我慢してるナナがかわいくってつい誘惑しちゃったのよ?」
そこには奈緒の知らないナナがいた。
足元から力が抜ける。なのに不思議と私の体は凍り付いたように微動だにしない。
二人は私が身を隠す木にもたれこむように倒れた。
いや、先生がもう一人のナナを優しく木に押し付けたのだ。
「ナナ、目を瞑って?」
待って。
それは私にかけられるべき言葉だ。
胸の奥が欠けて、そこに身体の神経全てが吸いこまれるような気がした。
足から、手から感覚が抜け落ちる。
汗が止まらない。声が出ない。
「んんっ…」
唇と唇の逢瀬。
それは木にのしかかる衝撃が。
熱い息遣いが。
あるいは、合間合間にかけられる愛の囁きが。
どれほどの激しさだったかを奈緒に雄弁に伝えた。
奈緒は口を手で押さえ、唇を噛みそれでも漏れてしまいそうな嗚咽を必死で堪えた。
ふと、何かが落ちた音がする。
恐る恐る目を向けるとそこにはウィッグが落ちていた。
自分今被っているそれと同じ色で同じ長さ。
頭がおかしくなりそうだった。
今先生と愛しあっているのは自分のドッペルゲンガーなのではないか。
いや、むしろそうであって欲しいと奈緒は願った。
暫くして二人は離れ、先生は最後に「愛してるよ、またね。ナナ」とだけ言ってアパートに去っていった。
もう、追いかける気は起きなかった。
力なくあんなに会いたかったはずだった先生を見送る。
もう一人のナナが落ちたウィッグに手を伸ばす。
すると視線に気が付いたのか、あっちのナナが奈緒を見た。
顔を赤くしてウィッグを素早く手に取り駆け出すもう一人のナナ。
一瞬しか顔は見えなかった。
だけど確信する。間違いない。
ナナは私の知っている人だった。
何故わかったか。それはよく知った顔だからだ。
彼女は、私のたった一人の親友。
明菜がもう一人のナナだった。
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