第25話・花が咲いていた。 名も知らないちいさな花だ

 花が咲いていた。

 名も知らないちいさな花だ。

 柔らかに揺れる桃色の花びらは、魔獣の血と臓物に塗れる大地なんて知らないとばかりにふてぶてしくあって、クランは少しばかり関心してしまった。

 いかなる偶然なのか。それとも魔獣にも花を愛でる心があるのか。狼の群れの隙間から、ぬっと顔を出した大蛇も花を避けるように、クランに巻きつこうとしている。

 まさか蛇にも花を愛でる趣味があるわけでもなしに、と思いつつ、ここでクランが花を散らしてしまえば、なんだか蛇に風雅を解する心で負けたような気分になってしまう。

 クランは風乗りと強化で真っ直ぐにかっ飛ぶように歩を進めていた。

 しかし、ここでまともに足を止めれば、大気を大いにかき回す最中の急制動の衝撃で、大風が巻き起こり、このふてぶてしくも弱々しい花は散ってしまうだろう。

 しかし、のたのた速度を落として、ゆっくりと止まれば蛇に巻き付かれ、狼にかじられるという未来に間違いはない。


「あは」


 だったら、素早く、花を散らさずに止まればいい。

 その矛盾を叶えるだけのものが、自分の中にある。

 自分が伸びていることが実感出来ていた。小さな気付きが毎日のようにあり、出来ないことは何もないような、そんな気持ちでクランは笑った。

 風から降りたクランの左足は地面を噛み、かかった慣性がぐっとクランの身体を前に押し出そうとしてくる。

 ここでまともに慣性のまま前に進んで悪いこともない。そのまま力任せに斬りかかれば、それだけでこの弱々しい魔獣たちは倒せる。

 それじゃあ今までの通りでしかない。

 地面を噛んだ左足で、クランはとんと地を蹴った。

 前に進む慣性を、ちょっとだけ上と左に流すように。

 するとクランの身体はほんの少しだけ浮き上がり、左へと勢いよくと回転していく。

 魔獣たちに背を向け、死角となったところでクランは骨剣を回転に乗せて振るった。

 元々軽い骨剣では、大した遠心力の糧にはならない。

 しかし、その大したことのない遠心力も、確かにある。柄の端を片手で持つことにより、より長く剣を持ったクランの腕はさらにほんの僅かに遠心力の助けを受ける。

 魔獣たちの予想以上に、長く持った骨剣の分でより速く回転したクランの刃は、狙い通りに二頭の狼の頭蓋を跳ね割った。

 蛇。爬虫類特有の無機質な表情に驚きは読み取れない。だが、ほんの少しの迷いはある。

 自分の前を通る骨剣をやり過ごしてから行くか、それとも負傷を覚悟で前に出るか。

 目が合った。

 遠心力をかけて伸びきったクランの腕と体勢は、一見すれば隙だらけだ。

 次の攻撃に移るには、無理がある体勢だと蛇は判断したのだろう。判断に遅滞はない。

 地面に伏せていた鎌首を勢いよく持ち上げ、頭上からクランへと襲いかかってくる。


「やるじゃん、蛇公のくせに」


 丸太のように太い胴のうねりは、花を避けるように動いていた。

 偶然かもしれないが、なんかやるなと思わされてしまった。

 クランの身体にかかっていた前に進む力はすっかりと失われ、ここで強い踏み込みをしても花は散らない。

 がっしと地を噛んだクランの両足は、その身体の制御を容易にした。

 遠心力がかかり、速度の乗った骨剣をしっかりと両手でつかみ直し、無理矢理に力任せで引き止める。

 切っ先は飛び込んできた蛇の顎下。ここまで来たら力はほとんどいらなかった。

 自ら骨剣に突き刺さるように飛び込んできた蛇は、自分の身体を前に進める力のまま、クランが差し出した刃の上を勢いよく滑っていく。

 クランの頭上を通過した蛇に、どれだけの力がかかっていたのか。三秒という長い時間をかけて頭から尻尾の先までを、自らの前に進む力で開きにしながら地面へと飛び込んだ。

 びしゃびしゃと落ちてきた血と臓物でその美貌を汚しながら、クランは笑った。

 思っていた通りの展開に持ち込めた、喜びの笑みだ。

 狙った通りに隙を見せ、そこに飛び込ませてカウンター一閃だ。上手く決まった。花も散っていない。

 骨剣の軽さを動きと力で制動するやり方は、結構上手く行っていた。

 倒した蛇も綺麗に倒せたのだ。無駄な傷を増やすと買取官に文句を付ける余地を与える。

 奴らは毛皮にほんの少しの傷でもあれば、なにやら重大な問題であるかのように騒ぎ立てるのだ。なるべくなら綺麗に仕留めた方がいい。


「クランさん、回収いきます!」


「おう、よろしく」


 ほんの一週間。そのたった一週間で、ステイシー戦士団は大きくなっていた。

 クランとステイシーを抜いて数にして二十二名。そして二台の荷車。初日にステイシーが捕まえた三名と、その知り合いたちが徐々に集まって人数を増やしてきたのだ。

 そのやり方は、なかなかに独特だ。

 普通の戦士団なら全員で魔獣を狩り、全員で獲物を集め、全員で荷車と共に下がる。

 ステイシーは、まず戦士団を三つに分けた。

 まず普通の戦士だ。クランとステイシーを抜いた六名。二人一組で魔獣と戦う者たちである。

 単独で絶対に魔獣にやられない、というほどの強者は、こんな場末の新興戦士団には入ってこない。

 しかしまぁ二人一組ならなんとかなるだろう、という程度の彼らが魔獣を狩る。

 次に十二名。彼らは魔獣の獲物を集める役目だ。

 波のように魔獣が押し寄せ続ける大氾濫は、換金を確定させるまでに相当な苦労がある。

 百の群れを全滅させたとして、次の群れがやってくるまでに何頭の獲物を荷車に乗せられるのか。

 大型犬並みの、米がぎっしりと詰まった俵ほどの重さを、次の群れがやってくるほんの数分の間になるべくたくさん荷車に積み込むというのは、なかなかに忙しい作業だ。

 しかも、米俵なら運送しやすい形状になっているが、どんなに力のある者でも四つ足の狼を重ねて運ぶのはかなり難しい。

 そういう諸々の理由もあり、百の群れを容易に殲滅出来る戦士団でも換金出来るのは二十か三十がいいところだ。

 だが、ここに獲物を集める役のみに専念出来る者たちがいれば、まったく話が違ってくる。

 最初の一撃こそ全員でかかるが、ある程度の数を減らした後は、十二名で一斉に獲物をかき集め、荷車に積み込む。

 ステイシー戦士団では百の群れを蹴散らした後、八十の成果を出すことに成功した。妙に集める者が多いのは、ステイシーが暴れ、クランが叩き斬る分もあるからである。

 そして、残りの六名は引き手だ。

 獲物を満載した荷車は、当然ながらひどく重い。

 しかも、増えていく獲物の量に対応するため、がっつりと補強の手を入れており、あちこちに金属部品を大量に組み込んでいる。

 そこで一台の荷車に一人ずつ、専業で引き手をこなしている経験豊富な者を雇い入れ、補助としてもう一人、更に後ろから押す者一名を付ける体制とした。


「ふむ」


 ここまではまぁいいんだ、とクランは思う。

 アイディアをあれこれ出し、相当な数を採用させた。

 実際にやってみて出てきた問題点も、クランはそれなりに上手く潰せたと思う。

 しかし、ステイシーの中には、クランにはなかった視点があった。

 はっきりと言われたのは、二日前の夜だ。

 焼肉を食いながら、だらだらと飲んでいた時だ。

 戦士団の連中も辺りで飲んでおり、ひたすらにやかましい中での一幕。


「なあ、クラン。あんたは誇りをわかっちゃいない」


「は?」


 目の前が怒りで真っ赤に染まると同時に、クランは泣きそうになりもしていた。なんでそんなひどいこと言うの?

 そういうひどいショックがなければ、クランは間違いなくステイシーに斬りかかっていただろう言葉だ。


「あー……そうさね。言葉選びを間違えた。それは謝罪するよ」


「な、なんだよ。あ、あ、あたしだって怒るんだからな。やめてよ本当に」


「あんたが怒るのはよく知ってるよ」


 何故だか突然しゃっくりが出そうになったらしく、喉がひどく痙攣した。それを慌ててビールで流し込んだせいで、すこし目に涙が浮いてしまった。


「あんたは見ず知らずの誰かのために戦えるのも知っている。あんたがビビってる連中の前でも、間違っていたらノーと言える娘だって知っているさね」


「おいおい、いきなり褒めてどうしたんだい?」


「今回に関しては完全に褒めてないのさ、残念ながらね」


「今回に関してはって……さっきの話の続きか?同じ役を同じ奴がやった方が効率はいいだろってやつ?」


「それさ」


 クランは戦士団の役を、完全に固定化すべきだと思っていた。

 腕のいい奴が前衛を張り、残りの者で獲物を集める。

 作業に慣れてくれば、さらに効率が上がる当然の提案ではないだろうか?

 むしろ、ステイシーの言うように半日ごとに、専業引き手以外は全ての役を交換する方が効率が悪い。

 まだ手順が確立しているほどの経験を積んでいるわけではないが、集める役は四つ足の担ぎ方一つで効率が変わるし、それは前衛に必要なものではない。

 稼ぎを考えれば、いちいち交代する方がもったいないだろう。


「その効率っていうのがクセものなのさね。いいかい、あんたは他人にどう思われようと知ったこっちゃないって言い切れるだろう?そして、実際になんとも思っちゃいない」


「いや、あたしだって嫌われたら落ち込むからな」


「他人って言っただろ。知らない奴相手に嫌われてヘコむほど繊細なタマかい」


「まぁそうだけど」


「だから、見ず知らずの誰かのために戦えない奴の気持ちはわからない。空気を読んで黙り込む気持ちもわからない。《普通》は弾かれることは怖いのさ」


「ふーん?」


「ちっともわかってないって顔してるね」


 実際、ちっともわかってなかった。

 見ず知らずの誰かに嫌われたところで、クランはちっとも痛くないだろう。

 それよりも知っている誰かに、誇りを知らない腰抜けと思われでもすれば、命を賭けてそれを取り消させなければならない。泣いたりはしないが。しないが。


「そのね……愛されるっていうのは大変なのさね」


「お、おう」


 表情に暗いものを落とし始めたステイシーに、クランはなにを言うべきか迷った。

 ヒモに騙されていたひどい状況を目の前で見てしまえば、いくらなんでも気軽に触れていいものではないといやでもわかる。

 しかし、ステイシーは慰めを求めていたわけではないらしく、ため息一つで切り替えると言葉を続けた。


「私は料理が得意さ」


「そうだね。スタンほどじゃないけど」


「旅の途中の飯、誰が作ってやったと思ってんだい。あんたの飯はこれから作らんからね」


「すみませんでした」


「おう、許す。そして、あんたより食事のマナーだって上品な女さ。他だってあんたよりよっぽどお上品だ」


「否定したいけど、否定しにくい」


 宿のベッドで寝る時は全裸派のクランに対して、ステイシーときたらとびきり貞淑だ。

 鎧の露出度とは違い、宿では肌が見えているのは顔くらいのものだ。


「それなのに、私を愛する男はいないんだよ。あんたはそのツラだけで愛されるからね。へこませていい?」


「やめてくれ。愛されてるか、あたし?」


「めちゃくちゃ愛されてるじゃないのさ。人間の国を思い出してみな。チンケなチンピラがたくさん寄ってきたじゃないのさ。あれには私も感動したね。美人はあんなに稼ぐのが楽なのかってね!」


 人間の国での路銀稼ぎは、ひどく簡単なものだった。

 普通は誰も関わろうとしないエルフ相手でも、クランにならふらふらと寄ってくる。

 ろくでもないことを考えていたであろうチンピラやマフィアがのこのことやってきたら、クランの後ろからステイシーがにゅっと現れ、軽く撫でて差し上げる。

 そうすると、なんと彼らの懐の財布が落ちるのだ!

 人馴れしていない魚を釣り上げるより簡単なお仕事は、二人の懐を大いに温めてくれたものだ。

 わざわざこっちから狩りに行っていれば強盗だが、向こうから来れば完全なる正当防衛であり、完全なる合法である。

 山賊の持ち物を得るのと同じように、誰にでも許されている決闘権フェーデに基づいた正当なる権利であった。


「そう、あんたは愛される女なのさ。だから、愛されるための努力を理解出来てないんだ」


「う、うん。まぁ理解は出来てないな?」


「全然わかってねーってツラしやがって!……だから、効率って一言で全部済ませようとしちまうのさ。周りを見てみなよ」


 周囲にはステイシー戦士団の若者たちが思い思いに飲み食いをしている。

 今日も稼ぎは上々だ。上機嫌に大声で笑う連中もいれば、大いに酒をかっ喰らう者もいる。

 見てみなよ、と言われても。クランは思った。

 普通の光景じゃないのか?


「声のでかい奴は前衛のやつらばかりなのさ。獲物拾いの役は、そいつらに遠慮してる。あんた一度でも見たかい?前衛のやつらが肉を取りに行くのをさ」


「……ないかな?」


 食べ放題の肉だが、完全にセルフサービスだ。

 勝手に持って、勝手に食う。そういう仕組みである。


「このたった何日かの間に、もうあいつらの中で序列が決まってるのさ。前衛はえらくて、獲物拾いは下ってね」


「格付けってやつか……」


「そして、今度は戦士団の外から格付けされるのさね。『あいつはちょっとばかり稼いでるけど、地べたを這い回るしょーもない連中だ』って言われてね」


「なるほど……役を入れ替えるのは、それをなんとかしようって話なんだな。あいつらの誇りを守るためか、納得したぜ」


「いや、違うさね」


「違うの!?」


「外からなんか言われるのは、目に見えてるんだよ、私たちは。新しいことをやって、稼いで、儲けてるんだからね。めちゃくちゃ目立ってる。だから、ここを上手くやれば内の結束に繋がるのさ。つまり、さらに儲かる」


「はなしがぜんぜんわかんなくなってきた」


「いいかい、クラン。獲物を集める連中になって考えてみな。自分たちの仕事が上手く出来なかったら、前衛が戦う時間が伸びるだろう?あいつら物凄い焦って必死になって集めてるんだよ」


「まぁそうだろうな」


 少し想像力があれば自分の仕事をとちったせいで、前衛が死んだりすれば非常に辛いものがあるだろう。


「で、だ。今、前衛やってる奴らがそれを理解出来たらどうなると思う?」


「どうなるんだ?」


「ちっとは考えなよ。感謝して尊敬するのさ。こいつらは大した仕事をしてるんだなってね。そうなりゃしめたもんさ。外からは馬鹿にされてるけど、俺たちは全員大した仕事をしてるんだぞって胸を張れるようになる」


「なるほど」


「内側に愛着を持たせられれば、外の雑音はなにもわかってない馬鹿のさえずりにしか聞こえなくなるからね。敵さえいれば、内側はまとまる。内側がまとまれば、黙っててもみんなよく働く。そして、私たちを楽さして、たっぷり稼げる。そういうことさ」


「ほー」


「愛されるための努力と似てるね、こいつはさ」


 クランはわかったような、わからないような、そんな気持ちのまま、肉を食べた。


「しかし、金金金ってそんなに稼いでどうするんだ?」


「金があれば、他人の人生も買える。そう……離れたくても離れられないくらいの金があれば」


 クランはなにも言わず、肉を食べた。

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