第23話・獣人のエルフへの恐怖は、とびきりのものだ

 獣人のエルフへの恐怖は、とびきりのものだ。

 少し仲良くなると、彼らは自分たちを北へ連れて行こうとする。

 大氾濫を超え、ひたすら北へ。何故、わざわざそんな意味のないことをしなければならないのか。それがまったく理解出来ない。

 食うに困るわけでもないのに、無意味に未知の領域に飛び込んでいく姿勢はいっそ恐怖でしかないのだ。

 しかも、どういうわけなのか。

 エルフは「お前の名前を本に書いてやるぞ」という恩着せがましい態度を取る。

 将来、本に名前が載るより命の方が大事に決まってるだろう、常識的に考えて。

 そういうエルフの中で、とびきりに愚かで、とびきりに物を知らないくせに、とびきり活力には恵まれているクランを押し留める作業は想像するだけでセイエンをうんざりさせた。


「ま、飲めよ、おっさん。ほら、イケる口なんだろ、あんた」


「おっとっと、こりゃご丁寧に……って普通におじさんの酒だからな、これ。自分の酒を注いでもらって感謝してるって、感謝の自給自足じゃね?」


「おっと、あたしが美人ってことを忘れてもらっちゃ困るぜ?クランのお酌は金が取れるってみんな言ってたからな、ヴィヴァのバアさんとか」


「あのババアなんてこと言ってんのかね……」


「さ、優れた行いには報酬が与えられるべきさ。大魔獣だよ、大魔獣。教えておくれよ」


「仕方ねえなあ……」


 セイエンは根負けした。根負けというほど抵抗もしていないが、自分の敗北がすぐそばにあるのをわかっていたと言うべきか。


「あー、それこそヴィヴァのバアさんから聞いてないのかね?」


「美味かった魔獣の肉についてならよく聞いてる」


「あのババアもよく食うからな……」


 クランも人に話をねだりながら、ひたすら肉を焼いている。

 胃がすっかり酒という気分になっているセイエイは、クランが育てている肉をちょろりと摘む。

 そして、口の中が脂でギトギトになった頃合いを見計らい、ワインをくいと流し込んだ。

 安酒だが、こういう粗雑な場ではそれがいい。


「まぁ大魔獣っていうのは、ここみたいなサバンナの外れに出てくるもんじゃないんだけどな。北のほうに近付くにつれて、よく出てくるんだ。多分、ヴィヴァのバアさんも今頃、その辺りにいるだろ」


「ほうほう」


 サバンナの首都、というより最も大きな都市は、シュケルプから歩いて半月ほどか。北部への最前線にある。

 鍛え抜かれた手練れ、暇を持て余したエンシェント一歩手前のニアエンシェントエルフ、とにかく暴れ回りたいオーク。

 単独で人間の国を落とせそうな連中が、ひたすらに集まっているのである。

 首都の名前はなかった。

 元々、獣人の部族が北部への備えのために作った要塞が元だ。

 しかし、南下してくる大魔獣の《群れ》を押し留めるうちに、各地の部族長たちがその身を常に首都に置くことになり、各地から物資が集まり、どんどん拡張されていくことになった。

 そんな戦時の都市の名前がどうこう、法的に首都がどうこうと言いだせば必ず揉める。

 まぁ触れずにおこう、というのが獣人たちの総意であった。

 通称『首都』。そういうことである。


「おじさんが見た中で一番ヤバかった大魔獣は、ひたすらにデカいやつだな」


「どのくらい?」


「……亀なんだけどさ。山あるじゃねーか、山。あれくらい」


「……どのくらいの山なんだ?」


「山脈とかあるだろ。あんな感じだ」


「んん?余計に想像がつかなくなったぞ?どのくらいなのか、もうちょいちゃんと説明してくれよ」


「だから、山脈なんだって。山脈みたいな亀の群れが、一斉に押し寄せてくるんだよ」


「それはどういうスケール感なんだ……」


「静の国にはねえかなあ、ドワーフの大弓バリスタ。見たことあるか?」


「まぁ一応な」


「あの大人でも飛ばせちまうようなバカデカい備え付けの機構弓が小石投げてるような感じになるんだよ」


「マジかよ」


 ドワーフの大弓と呼ばれる防御機構は、ほとんど城壁を作らない獣人、城壁は公共のキャンパスだと思っていて防御機構は芸術の邪魔だと考えているエルフの国以外ではよく見る代物だ。

 力の強い獣人なら十人がかりで、人間なら百人ほどか。一度の装填で大の大人がへとへとになるほどにハンドルを回し、矢を放つ大弓である。

 その威力は人間が着込める程度の板金鎧であれば、百人を並べても頭から尻まで紙くずのように貫通出来るほどだ。

 城壁自体にさほど興味のないが、よく頻繁に建て替えるエルフはともかく、大氾濫でよく破壊される獣人は城壁を持つことを諦めた。

 簡易的な野戦築城はよくするが、大規模な城壁を作ると遠距離攻撃が出来る魔獣の標的にされるのだ。

 千や万なら防げるかもしれないが、それ以上に撃たれまくるとひどいことになる。

 半年ごとに建て替えなければ保たない城壁など、不経済非効率極まりなかった。

 半年に一度、城壁を建て替えられるだけの人員と物資。そして何より城壁を作らなければならない必然性が揃っている街など、北方最前線の首都以外には存在していない。


「そんな亀がよ……めちゃくちゃビーム撃ちながら近付いてくるんだよ。射程距離は地平線からとかそんな感じでさ」


「どうやって倒すんだ、それ……」


「英雄だのニアエンシェントだの、そういう連中で突っ込むのさ。みんな大好き白兵突撃ってやつだな。おじさんも昔はよくやってたわ」


 獣人、『甕割り』セイエン・ホシ。

 亀の大魔獣タクルプを、甕でも割るように倒したセイエンへの二つ名である。

 年を食うと、若い者のようにむき出しに武功を誇るのは、少しばかり気恥ずかしくなるものだ。

 そこで、さらりと自分もその場にいた、というアピールをするさりげなさ。これが大人のやり方だ、とセイエンは胸の内で笑った。

 ま、聞かれたら教えてやろうかね、とセイエンは思うのである。


「お待たせしました!お肉たくさんもらってきました!」


「トモナオメェなあほんと!?」


「うお!?な、なんだよ、いきなり大声出して……落ち着きのないおっさんだな」


「ええっ、私またなんかやっちゃいましたか!?」


 大皿に肉を山のように乗せて運んできたトモナは、涙目であたふたと慌てている。

 このままでは間違いなく肉を落とすだろう、とセイエンは落ち着かせてやることにした。

 ただ完全に話の腰をへし折られただけで怒るなんて、落ち着きのある大人らしさがないではないか。


「オメェはなんかこう……いつも決定的に間が悪くて空気が読めないだけだからな。大声出して悪かったな……」


「え、はい。よくわかんないですけど、悪くないならよかったです」


 あと人の話をろくに聞いていない、とまでは付け加えなかった。言うのが面倒になったのである。


「悪いな、トモナ。ま、肉でも食ってけよ」


「はい、ありがとうございます、知らないエルフさん!」


「あたしはクランさ。『疾風迅雷』のクランと呼んでくれ」


 若い知恵ある生き物は、時たまこうして自分の名を広めようとする。

 しかし、基本的には広まることはない。

 自分で考えた格好いい二つ名を付けたい、と思うのは知恵ある生き物なら当然のことであり、自分で考えた格好いい二つ名を上手く広められた奴がいたらムカつくからである。


「はい、クランさんですね!よろしくおねがいします、クランさん!」


「『疾風迅雷』のクランだ」


「はい、お肉美味しいですね!」


「……そうだな」


 肉を持ってこさせたくせに我が物顔で網場を仕切るクランと、にこにこと肉を食いながら人の話をまったく聞いていないトモナ。

 果たしてどっちがマシなのだろう、とセイエンは真剣に考えた。


「《おしさま》もお肉食べてますか?お肉美味しいですよ!」


「ああ、うん」


「おい、おっさん。あんた、まさか自分を《オジサマ》呼ばわりさせてんのか……?こんな子どもに……?子どもに自分をオジサマ呼ばわりさせる奴がいたら、そいつは不名誉で不道徳な性犯罪者だって、あたしはジェリ姉から習っている」


 帽子のつばに指をかけ、なにやら決闘モードに入りつつあったクランに、セイエンは慌てて弁解を始めた。


「ちげーよ!?おししょうさまと呼べって言ったんだよ、おじさんは!お師匠様!それがなんかおしさまになってるんだよ、俺のせいじゃねーよ!」


「……ちっ、命拾いしたな。よし、トモナ。あたしが焼いた肉をやろう。性犯罪者に襲われても大丈夫なように力をつけておけよ」


「はい、ありがとうございます!たくさん食べます!」


「性犯罪者じゃねーよ!?むしろ、ほっぽり出していいなら、そいつほっぽり出してーよ!?」


 どうやらクランは、自分より小柄なトモナを庇護すべき存在だと認識したらしく、妙にちまちまと世話を焼き始めた。

 確かに丈の短いワンピースを着ているトモナの肩口は、ひどく華奢で身体の出来上がっていない子どもの物にしか見えない。

 実際、頭も幼い少女のものだ。

 八歳のちいさな少女だが同年代より、更に幼い。

 身体能力も、技巧も、女としても何一つ花開いていない少女でしかなかった。


「ほっぽり出すほっぽり出すって、おっさんはひでー奴だな。弟子にした責任を持てよ、そういうのが大人の責任ってやつだろ?」


「ち、ちくしょう……正論言いやがって!」


「おしさまはひどくありませんよ!」


「お、おお、我が弟子よ。おじさんは信じていたぞ……」


「確かにおしさまは酒癖が悪くて、時々なに言ってんのかわかんないですし、自慢話したくないけどね俺?みたいな態度のくせに語りたがりの誘い受けですけど!」


「え、待って。そんな風に思ってたの?」


「あと足も臭いんですよ!」


「わかったわかった。おじさんが悪かったから、そろそろいい所をアピールしてくれ」


「寝相も悪いですし、いびきもうるさいです!」


「お前も苦労してるんだな……ほら、もっと肉食えよ、肉。にんにくいるか?」


「はーい!たっぷりでお願いします!」


「あれぇ?結局、いい所一つも出てこなかったんだけど。俺、実は『甕割り』セイエンって呼ばれててさ。昔は英雄だったんだぜ?」


 誰も聞いていない。

 これでも若い獣人に名乗れば、半日は離してもらえないくらいには名前が売れた英雄なんだけど。

 武勲譚とか好きだろ、お前?今なら聞かせてやってもいいんだぜ?

 などと言わないだけの理性があるからこそ、知恵ある生き物は苦しむのだ。


「それでトモナはこのおっさんと何やってるんだ?……へんなことされてるなら、あたしに言えよ。絶対になんとかしてやるからな」


「してねーよ。普通の師匠と弟子だよ。それになんとかって、どうするつもりだよ。オメーの腕でおじさんをなんとか出来ると思ってんのか?」


 若い者の思い上がりを叩き潰しておくのも、年長者の役目だろう。

 少しムッとしていたから、いっそやってやろうか、と大人気なく考えたわけではない。


「コネだ。あたしの持ってるコネを全力で使う」


「こえーよ、オメーのコネ……」


「ふっ、あたしはお姫様だからな。国家権力の中枢の近いところにいるぜ?ヴィヴァのバアさんだってけしかけてやる」


 実際、クランのコネでなにが出来るのか、と言われると本人も困るだろう。

 国家権力に近いところにいる、というのは間違ってはいないが、法として特に規定されていない。人間のように王の血族という理由で騎士団に命令を下す権限も、権威もない。

 もし実際にクランがどこかに命令を下した場合、困惑した兵士から上層部に報告が行き、普通に却下される。

 クランに動かせる範囲に国家権力に結びつく組織はなく、クラン本人が知り合いにおねだりするくらいのものだ。

 エンシェント間近の老人がたくさんいて、『若き庶民の星』にして『元老院最大の敵』アンジェリカが混ざっている程度のコネである。


「わあー!クランさんってお姫様なんですか!すごーい!」


「そうだぜ、住所は静宮殿の静宮殿だ」


 首都としての『静宮殿』と、宮殿としての『静宮殿』という意味である。

 ややこしい言い方だが、トモナは理解出来ないことに拘泥しようとはまったく思わなかったらしく、素直に感激したようだ。


「ええー、すごーい!静宮殿ってすごい綺麗なんですよね!」


「ああ、世界中の綺麗なものがわんさかあるんだ。特にドーム型の天井ときたら凄いぜ。完全な曲面のドーム構造なんて、エルフ以外には作れてないと思うね」


「???……それはすごいものなんですか?」


「ああ、曲面にかかる荷重を完全に計算しなくちゃ作れないものなんだ。あれを見たらキャンパスにしようっていうエルフだっていやしないよ」


 セイエンも、その天井を見たことはある。

 しかし、言ってはなんだが、灰色の天井がお椀型になっているだけで、無茶苦茶地味だった。

 あれなら他の所を見ていた方が、よほど楽しめる。

 宮殿中に所狭しと刻まれている壁画や、数百メートルを超える回廊を全て輝石で飾った輝石回廊、古今東西の名画を集めた大美術館など、見所は大量にあるだろうに、何故わざわざ地味なドームを選んだのか。

 クランからすれば、そういった既存の名物の概念を明確に進歩させた技術の結晶であるドーム天井への評価は非常に高い。

 どれだけ凄い名物だろうと、生まれた時から見ていれば飽きるのだ。

 これこそ貴種と庶民との価値観の相違ではあるが、それを指摘出来る者はこの場にはいなかった。


「へえ…………そうだ!お姫様なら舞踏会で王子様と踊ったりするんですよね!綺麗なドレスとか着て!」


「そういう舞踏会ってのは、悪い奴らが出るもんなんだ。あたしの姉であるジェリ姉は喜んで出るけど、腹の中が真っ黒な連中がきゃっきゃうふふと笑って踊りながら悪口を言い合ってるもんだ。すげーこえーぞ」


「……クランさんは普段どんなものを食べてるんですか?」


「肉とかだな。魚もよく食うぞ」


 クランが口を開くたび、トモナがどんどんしょんぼりしていく。

 ちいさな少女なら、お姫様への綺麗な夢もあるのだろう。

 しかも、しっかりドレスを着ればこの世の物とは思えない美しさになりそうなクランが相手だ。

 だがまぁ、所詮はクランである。世間的なお姫様のイメージとは真逆の存在であり、トモナの綺麗な夢がどんどん砕けていく。


「えっと……シュケルプの街に来てから、どんなことをしてたんですか?」


「魔獣とかめっちゃ狩った。あと蟹が美味かった」


「私とおんなじじゃないですかー!?すっごい普通ですよ!?」


「ええー……何に怒られてんの、あたし。いやでも、結構楽しかったぞ」


「もっとこう……えらい人との会談とか!王子様とのロマンスみたいな!」


「会談ってそんな権限あたしにはないし、王子様とのロマンスって言われても……年が合う王子なんて滅多にいないし」


 五十のクランと、短命種である人間と獣人の五十代。

 言うまでもなく人間と獣人の五十歳は、平均寿命を迎えようとしているお年頃である。

 エルフと交雑可能な人間と獣人だが、その辺りのひっかかりで、いまいち王族の婚姻が成り立たなかった。

 百にも満たないエルフは保護すべき子どもであると考えられ、婚姻の適齢期としてはまったく見なされていない。

 そして、百歳の短命種は大体死んでいる。

 ゴブリンも交配こそは可能であり、種差の美醜に関してもなんら問題はないのだが、ゴブリン種としての命題——彼らはそれを明白なる天命と呼ぶ——により、エルフや他種族と婚姻を結ぶ王族は存在していない。

 他に列強種族であり長命種である魔人とは、万年に及ぶ国交断絶の戦争状態だ。

 エルフ正規軍六割がこの対魔人戦線に参加しており、『暗剣殺』『双璧』『風威雷動』など綺羅星のように名だたるエルフたちが日夜、戦争を嗜んでおり、魔人も楽しく戦争をし続けている。

 もし、この二種族が出会っていなければ、既知世界はどちらかの種族に支配されていただろうことは間違いない。

 あとはオークやらなんやら他の知恵ある長命種の中で、そもそも既知世界に国を持っている生き物はいなかった。

 エルフのお姫様と王子様のロマンスには、このように非常に高い困難が待ち受けているのだ。

 そもそも静の国自体が、婚姻外交の必要性がないというのも大きいのだが。

 婚姻が不可能なゴブリンはともかく、片手間で叩き潰せる人間、大氾濫で精鋭と大軍を南下させたら国が滅ぶ獣人。

 どちらと同盟を組んだところで、特にメリットもないし、戦場で敵を他人に分け与えてやる優しさをエルフが持っているはずもない。

 そもそも我らが『輝ける』ルディと、並ぶ存在があるはずもなし。


「クランにはがっかりです」


「呼び捨て!?いきなり格下げされてんだけど、どういうこと!?」


「あ、おしさま。明日はクランたちと狩りに行ってきていいですか?こうなったら、私が上だってわからせてやりますよ!」


「格付けされんの、あたし」


 むん、と胸の前でげんこつを作り、頑張りますアピールするポーズを取り始めたトモナは、なんだか奇妙なやる気に満ちていた。

 お姫様の夢、それを取り戻さねばならないのだ。

 勝っても負けても取り戻せるとは思えないが。


「ん、ああ。ダメに決まってんだろ。ふざけんな」


「ええー!?なんでダメなんですかー!?」


 そして、すっかり放置されていたセイエンは、静かに拗ねていた。











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