第20話・それは冒険をこよなく愛するエルフの中でも、最も偉大な探索行である

 ルブレヒトの大紀行。

 それは冒険をこよなく愛するエルフの中でも、最も偉大な探索行である。

 もし彼がこの世に生を受けていなければ、エルフの既知世界は半分にも満たなかったであろう大冒険であり、また大武勲譚であった。

 当時はまだ建国されていなかった静の国だが、彼はその地域で生まれた。

 エルフ以外の王が各地を支配し、国が割拠する時代だ。

 人間、ドワーフ、魔人などを王とする諸王乱立時代に生まれた彼は、女にフラれた。それも歴史に残るほどこっぴどくだ。

 日常的にマメに日記を付けてたルブレヒトの日記は、その全てが庶民でも読む気になれば読めるほどに広く広がっている。

 街の図書館で利用料にいくばくかの硬貨を払うか、物持ちのいいエルフに頼むかすれば、蔵書の中に必ず混ざっている鉄板タイトルだ。

 莫大な量の全生記は揃っていなくとも、物語として必要な部分を集め、再編集されている中大紀行はどこの街にも必ずあるし、三冊ほどの本にまとめられた小大紀行なら、家庭にあってもなんらおかしくない。

 そんな彼の日記で唯一削られているのが、そのフった女の姓である。

 何故ここまで執拗に彼の弱点を突くのだ、何故ここまでしなければならなかったのだ、何があったとしてもここまで言わなくても、と若きルブレヒトの心をめたくそにへし折った彼女の罵声は、時を超えて現代のエルフにまでダメージを与えた。

 あまりにひどすぎて彼女の子孫までひどい目で見られてしまう、婚期すら遅れるだろうと隠されたほど、ひどい罵声の数々が克明に記されている。

 そんな傷心の若きルブレヒトは、自らの命を絶つため、静の国の北を流れる大青河だいせいがへと向かった。

 遥か東方より流れる大青河ではあるが、その川幅は向こう岸すら見えず、もはや海そのもの。

 当時は河だと思われず、大青海と呼ばれていたほどである。

 底まで見通せる透き通った水は淡水ではあるが、世界の全域を未だ知らぬエルフからすれば、淡水の海というものがあるのだから、そういうものなのか、と理解するしかない存在だったのである。

 それというのも大青河を渡るには、龍をなんとかしなければならなかった。

 大龍、大青河である。大河そのものが彼女だ。

 足の裏にたかる蟻に気付けない生き物がいないように、広く長い大青河その全てが彼女の知覚範囲である。

 海と見間違わんばかりの巨大な河に棲むその生き物は、運がよければ積もった土砂から覗く彼女の鱗が見れることだろう。

 そして、さらに運が良ければ、あるいは激しく悪ければ彼女の顔と対面出来る。

 大抵は不運にも大青河から死を賜わることになるが。


 さて、この若きルブレヒトは運がよかったのか、悪かったのか。

 女にこっぴどくフラれた彼は、大青河と会話をすることに成功した。

 自分の身を汚されることをひどく嫌う大青河は、自らに踏み込む者を絶対に許しはしない。

 船でも乗り出そうものなら、即座にその身を荒ぶらせ沈める荒い気性の持ち主であり、排水を流す愚かな農民がいれば、その村ごと沈める大荒神である。

 そんな彼女だが、どうも意思の疎通は出来るらしい。

 ルブレヒトの時代から五千年経った今なお彼女との対話は彼以外に残されていないが、なんらかの手段で大青河を渡らなければ、絶対に辿れないルートとなっているのだから信用するしかない、というのがエルフ学会の検証の結果だ。

 何故わざわざ河に飛び込んで死のうとするのか、自分の家でやるべきではないか、人の家で死ぬのは迷惑だからやめろ、という至極もっともな意見を言えるほど、彼女はひどく常識的な生き物であった。

 しかし、それに対するルブレヒトの返答は非常に非常識なものだ。

 初対面の相手に、ルブレヒトは三日三晩愚痴を言った。

 ひたすらに女々しく、どうしようもない悲しみを延々と聞かせたのだ。

 それに大青河が同情したのか、はたまた面倒になったのか。

 新天地にて新しい恋を探せばいいと、ルブレヒトはサバンナへと運ばれたのだ。

 彼のせいで陸地の生き物との対話はすべきではない、と大青河に思われているのではないか、とエルフの学者は考えているほどの愚痴であった。


 そこからのルブレヒトは失恋を吹っ切るように、『偉大なる』という二つ名の通りに偉大な冒険者であった。

 言葉の通じない獣人と交流し、時には争い、大体は争った。

 エルフのやることなど、どこへ行っても大して変わらない。

 そして、『偉大なる』ルブレヒトは五百年ほどかけてサバンナの南部の探索、既知世界と東方を隔てる『東方大結界』の発見。

 再度接触した大青河との交渉の末、一定の領域のみではあるが船の通行の許可を得ることにも成功する。

 彼がいなければ世界で最も数の多い生き物である獣人を、エルフは未だ知らなかったに違いない。

 残された未知の領域は、一体いかほどの広さなのか。

 北方サバンナの『大氾濫』、西方に広がる『大海』、『東方大結界』、『南方華龍獄』。それらは既知世界を隔てる壁の数々だ。

 南方に挑んだルブレヒトは、帰ってこなかった。

 しかし、エルフたちの冒険は、まだまだ終わってはいない。


「ってことなんで、あたしたちはこれから北に向かうべきだと思うんだ」


「いや、待つさね。まずは落ち着こう」


 そんなわけでクランたちはサバンナへと来ていた。

 静の国を通る、『偉大なる』アルブレヒトが拓いたアルブレヒト航路を通ってやってきたわけではない。

 人間の国から新規に開拓された航路の終点である、シュケルプの街である。

 サバンナ最南端の街であるシュケルプは、人間の国から見れば地図の上ではそれなりに遠い。

 静の国の西方にあり、そこだけはみ出した三角形の半島がユーリテピア半島である。

 その静の国と半島の最北部が、大青河の終点となっており、海からサバンナに渡る分には大青河は荒れ狂うことはないのであった。

 海で何をしようと、彼女は興味を持つことがないのだ。

 とはいえ、海も海で問題しかない。

 弓矢も魔法も強く減衰する海中。そこからやってくる魔獣への対策は、どの列強種族もまともには持っていない。

 特に内陸部が主な活動範囲のエルフは、海で役に立つものではなかった。

 それでも「まぁこの辺りは若干、言われてみれば魔獣が少ない」程度の航路を、人間たちは発見してみせた、莫大な犠牲とともに。


 アロクの街から三ヶ月ほどの時間をかけて北上し、新規航路に乗り込んだ二人はそこから更に半月の時間をかけて、サバンナへと渡った。

 割と退屈な船旅は——少しでも航路を外せば即座に退屈な船旅どころか、血みどろの魔獣との戦いに変わるのだが——陸地に降りたクランの冒険心に油を注ぎ込んでいただけらしい。

 船旅の疲れを癒そうと立ち寄った宿屋で、彼女は目をキラキラとさせながら語る。


「既知世界で残された現実的な新発見はサバンナにしかないんだよ、ステイシー!西の海はあたしたちが船でどうこうするのは無理だし、そもそも東方に抜けるにはサバンナを横断するしかない。行っても大結界をあたしの魔法じゃ無理だ。南方の華龍を倒す?あの賢いゴブリンたちが手を出さないあいつをなんとかするには二人じゃ不可能だろう。つまりサバンナの北方を抜けて、あたしたちはあの偉大なる大紀行の後に続く!」


「いや、サバンナ超えも、ちっとも現実的じゃないさね」


「お姉さんたちは冒険者の方々なんですか?」


「そうさ!」


「違うさね」


 宿の娘に尋ねられた言葉に、二人は即座に言葉を返した。


「えー、なんでだよ。クランの大紀行に名前載せてやるぞ。我が友ステイシーって書いてやるからさ」


「絶対、我が友ステイシーの後に、ここに眠るとか付いてくるさ、それ……」


「いけるいける。なんかこう……根拠はないけど」


「知ってた。それよりお姉さん、注文頼むよ。おすすめのいいとこ持ってきておくれ。あとエールも」


「はい、かしこまりました」


「なんだよもー。あ、あたしにも同じの頼むな。若いうちは冒険しなくちゃだろ」


「冒険の前に、金さ。私たちの残金いくらだと思ってるんだい」


「まだ結構あんだろ。もう一回、船には乗れないけど、しばらく遊んで暮らせるくらいは」


「その考えが甘いのさ、クラン。ひょっとしたらサバンナから逃げなきゃいけない時があるだろう?お尋ね者になったりした時とかさ。そういう時のため、逃走資金は確保しておきたいのさね」


 オークとは戦闘に関しては、妙な知恵を働かせる生き物だ。

 身体の頑強さのみで戦う若いオークであっても、種の本能としてなのか何故か退路の維持に関しては知恵が働く。

 オークが率いる山賊団で最も厄介なのは、オーク本人の戦闘力ではない。

 危地と見れば逃げにかかる生存本能である。


「確かに……それはあるな」


 そして、エルフも似たような生き物だ。

 滅多にいないが、まったくいないわけでもないエルフの山賊は異様なまでに生き汚い。


「あといい加減、装備を整えなよ、クラン」


「ずっと素手は正直、割とつらかった」


 人間の国は、あくまで人間基準の武器ばかりだ。

 魔法に素養のある者がいれば、魔法にだけ集中する人間たちである。

 筋力を強化して武器を扱うエルフ基準の武器は、ほとんど売っていない。

 そして、一定以上の品質の武器ともなれば、売っていても異様に高い価格帯ばかりになる。

 エルフ用の武器など人間には売れはしないし、金を持ってるエルフなら間に合わせの、エルフ基準ではしょぼくれた武器でも即金でぽんと買うということもあり、やけくそのような高値がついているのである。

 そういうこともあり、クランは装備を整えることを諦めていたのだ。


「ステイシーは武器は必要ないのか?」


「武器はその……面倒でねえ」


 ちまちま間合いをあれこれして、刃筋……?みたいなそれをなんかあれして、というのがオークにはたまらなく面倒だ。

 殴るのに、そういうのはあまり必要がない。

 力こそパワーだ。


「うーん……さすがに私は素手専門ってわけでもないしな。あとでちょっと武器屋でも見にいくか」


「獣人が使う武器はいいのが多いさ。まぁサバンナの外で扱うもんでもないけどね」


「そういう諸々を考えると、たっぷり稼がないとな」


「それなら私たちはちょうどいい時機に来たもんさ。これからサバンナは大氾濫だ」


「なにそれ」


「本当にアルブレヒト大紀行読んだのかね……。私だって読んでるよ」


「実は罵倒のところで先が読みたくなくなった。あとは又聞きして覚えた」


「……まぁあそこはね。同じ女だってのに、うんざりするくらいの罵倒っぷりだからね」


「なんであんなことが言えるんだろう……心がないのか、あの女」


「さあねえ……」


「おまたせしましたー先にエールでーす」


「お、きたきたさね。『偉大なる』アルブレヒトに」


「そして、私らの旅路に幸多からんことを」


「おあとおまたせしました、海鮮の鉄板焼きです」


「お、来た来た。いいねえ、こういうのを食うのは旅って感じがするさね」


 船中で食べていたのは、硬く焼き締めたパンか、たまに出てくる塩漬けの魚だったのを二人は思い出そうとはしなかった。

 目の前のこの鉄板と比べれば、同じ魚介だなんて信じられない!


 宮殿で出される技巧をこらした料理とは違い、素材しか活かしていません、と言わんばかりの雑な料理だ。

 白身と赤身の魚が譲ることなく場所を取り合い、ちっとも味の調和なんてものは取れていない。

 だというのに、この美味さときたら!

 新鮮な魚をたっぷりのバターで焼いて、塩を振ったら美味い、という当然の理屈通りに、当然のように美味い。

 これを不味く作れるのは、一種の才能ですらあるに違いない料理だ。

 幸いなことにこれを作った料理人は、その才能を持ち合わせていなかったらしい。


「なあ、クラン。その赤い棒はエルフが食うと死ぬんさね」


 と、ステイシーは卑しい顔で明らかに嘘くさいことを言い出した。

 中身がぱんぱんに詰まった宝箱を目の前にしたコソ泥だって、こんな顔をしない卑しい表情である。

 しかし、その卑しいステイシーは、なにかをはっと気付いたのか、一つ頭を振ってため息を吐いた。


「……ああ、すまなかった、クラン。あんたとまた殺し合いをしたくないさ。その棒……蟹ってやつを食ってみな」


「なんだよ、そんなに美味いのか?」


 見よう見真似で殻を割るまでもなく、あらかじめ入っていた切り込みにナイフを滑らせれば簡単に中身が姿を現わす。


「いや、確かに色々食べるのは好きだぜ?でも、なんやかんや言ってもあたしはお姫様だから、結構あれこれ食べてるんだよな。ま、ちょっと食ったら、あんたに分けてやってもいいぜ?…………なあ、おい。ステイシー」


「なにさね」


「もし、あんたがあのくだらないたわごとであたしを騙していたら、嘘に気付いたあたしはあんたを殺していたかもしれない」


「そうだろう?だから、途中でやめたのさ」


 蟹の美味さをいちいち説明する必要があるだろうか?

 脳天までがつんと来る旨み。クランはすっかりそいつにやられていた。


「なあ、お姉さん。蟹だけ丸々一匹とかないの?あるならよろしく」


「あたしも頼むよ。エールとパンも追加さ」


 蟹と海老、果たしてどちらが美味いのだろうか。クランは真剣に考え始めた。

 蟹と海老、そしてその間にイカを挟むと味から食感まで変わって、いくらでも食えそうな気がしてくる。


「あ、あとサーモンも。刺身にしておくれよ」


「あたしは揚げ芋ー。しかし、結構ここいらは詳しいのか?妙にあれこれ知ってるみたいだけど。サーモンって美味いのか?」


「昔さね。半年くらいいて、かなり無理があったから、さっさと逃げ出したのさ。あとでサーモン何切れかあげるから試してみな」


「あんたがねえ?」


「三十年は前の話さ。まぁそれでも北方へサバンナから抜ける道は間違いなく無理筋だってすぐにわかるさね、大氾濫を味わえばね」


「ふーん……ところでステイシー。鉄板焼きの上に残った汁に揚げ芋くぐらせてみなよ。これをあんたに教えなかったら、明日のあたしの顔は真っ平らになってるだろうからね」


「はあ……お姫様育ちだって言うけど、あんたの品のなさには呆れ返るね。味が混ざる上に、食べた跡もちょっと汚らしいじゃないのさ。そういうところが女として…………でかしたクラン!」


「だろ?」


「蟹おまたせしましたー」


「お姉さんでかした!」


「いよっ、あんたはえらい!」


「あ、はい。ありがとうございますー」


「サーモンもいけるな、これ。レモンと酢のタレがうめー!蟹見た目グロいなー!」


「バカ言ってんじゃないよ、この刺々しい足と丸みを帯びた甲羅が可愛いじゃないのさ。あをたにもすぐわかるようになるよ」


 騒いでいた二人は、すぐに静かになった。

 蟹をいじり出して喋り倒す生き物は、まだ彼女たちの既知世界には存在していない。


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