第18話・なにしろあの太い首がずるいのだ
ステイシーはタフだ。どれだけ拳を打ち込んでも怯みもしないし、力一杯投げ飛ばしても平然と立ち上がってくる。
なにしろあの太い首がずるいのだ。
強靭な筋肉繊維が、クランのパンチの衝撃を全部吸収してしまう。
エルフを相手にしている人間も、似たようなことを考えているんだろうか。まぁ確かにずるいよな、似たような身体特性なのに、積める量が段違いだ。
いやでも、オークと殴り合いしてみなよ。エルフなんて可愛いもんだぜ。
「くたばりなァ!」
「まだ考えてるんだから、ちょっと待ってくれよな」
ステイシーのパンチは、死にかけのクランでもかわすだけならまだなんとかなる。
早くなってはいるが、狙いはまだ甘さがあった。
まともにぶち当たったのは、結構なまぐれ当たりだったのだろう。
(と、考えるにはちょっと怪しい)
オークは愚かな生き物ではあるが、こと戦闘に関しては妙な知恵が働くのだ。
狙いの甘いパンチを見せ札にして、とびっきりのエースを切ってくる可能性は否定出来まい。
というより、威力を犠牲にして速さを追求した手打ちのジャブを連射されただけでクランは倒れてしまいそうだ。
打ってこない?なにかを狙っている?そいつを考える必要がある。
(落ち着いて、こっちの手札を確認していこう)
「どうした、『担い手』!ビビっちまったのか!?」
「ビビってるように見えるかい?心外だね」
無策に前に出ようと焦る足を、クランは必死に抑えていた。
それこそビビってるってやつだ。
なにせかかっているのは、ステイシーの命だ。慎重になる必要がある。
ひょっとしたら、ステイシーはこの街を皆殺しに出来るかもしれない。
兵士の規律と
この街だけなら、ステイシーはなんとでもなるかもしれない。
だが、別の場所にまとまった戦力がないわけではない。
人間に戦力がないはずがない。そうでなければ列強五種族に入ってはいなかった。
彼らは切り札を切るまでもなく、ステイシーを討てる。
ステイシーも、クランも国を落とせるほどの、そこまで大した生き物にはなれていない。
クランに残されている手札は、まぁほとんどない。
さきほどの八つ当たりは戦闘時間自体は短かったおかげで、魔力自体は三割かそこらは残っている。
薄めの全体強化で、まだまだ小一時間は戦える。
ただ腕がボロボロだ。痛みは気合で感じないことにしているとはいえ、これであの硬いツラを殴った日には、クランの腕の方がくしゃりと潰れてしまう。
気合で自分は騙せても、物理法則まではごまかせないだろう。しっかりした棒で突くのと、半分折れたボロボロの棒で突くのはどっちが強いかなんて考えるまでもない。
ただでさえ腹の中を治療中だ。せめて、悪化させるのは避けなければならない。
その上、腕の回復に魔力を回してしまえば、ほとんど残らないだろう。
強化なしの素で戦ってなんとかなる相手では、絶対にない。
視線を下に向ければチンピラたちが落とした武器が落ちているが、効果はあるんだろうか?
(まぁやってから考えよう)
クランは妙に冷静な頭でステイシーのパンチを避けながら、落ちている剣の柄を蹴り上げた。
すとんと手のうちに収まった剣は、まぁエルフが持つような代物ではない。
とはいえ、クランの腕で殴るよりは大分マシといったところか。
「卑怯と言うかい?」
「まさか」
隙を狙った技の冴えはぼちぼち。死にかけのボロボロの割にはむしろ上出来の部類だろう。
狙い過たず、ステイシーの上腕を斬りつけた刃は、へたくそが岩を切ろうとしたみたいにあっという間に欠けてしまった。
「だから、鎧より硬えだろ、お前はさあ!?」
緑の肌には、斬りつけた痕がちょっとばかり線になっている。
線になっているだけで、血すら出ていない。
なんなんだよ、もうと思いながらクランは剣を投げ捨てた。
ステイシーの方に投げ捨てたら、打ち落とされて木っ端微塵だ。
「逃げなよ、『担い手』」
「あん?」
「もうあんた、打つ手がないんだろう?」
ぶんぶん振り回されているパンチを、クランは避け続ける。
瀕死で嵐の中を泳いでいるようなものだが、不思議とまだ死にそうな気配はない。
まぁ死んだことないから、クランはそんな気配は知らないのだが。
つまり、総合的に見て、全然余裕ってわけだな。
「おいおい、ヒーローはピンチから逆転するもんさ。観客がいれば頑張れって声援が来るところだぜ?」
「いいよ、逃げなよ。追いかけてまであんたを殺しはしない」
ステイシーの顔に、再び卑屈な物が浮かぶ。
「あ?」
「わかるだろ?あんたを殺してやるとは言ったけどさ……私は死にたいんだよ」
「はあ……ええと、つまりなにかい?」
愛を失ったオークは死を選びたがる。
それはもうどうしようもないことだ。
もう、しがみつく崖すらない。高いところから、落ちている最中だ。
「あたしじゃ、あんたを殺せないって、そう思ってるわけだ。なるほどね」
いっそ哀れみすら感じさせる様子で、ステイシーは首を振った。
ははあ、なるほど?あんたの言いたいことは、よーくわかった。
「そうだろう?満身創痍で魔力も尽きかけているはずだ。あんたじゃ私をどうにかするのは誰が考えても無理さ。わかってるんだろう?」
「上等だオラァ!」
一発でクランの頭は沸騰した。
さきほどまで支配していた奇妙な冷静さは速攻で吹き飛び、目の前が真っ赤に染まる激情がクランの中を染め上げる。
前に出るのはビビり?うるせえ、それこそビビりだ!
ステップを踏んで前に出る。クランはほとんど初めて自分から攻めに回った。
ステイシーはガードする気配はちっともなく、カウンター——こちらの攻撃に合わせる気はなく、単純に自分の攻撃をしているだけという状況をカウンターと呼ぶのなら——に拳を放ってくる。
どうする、とは考えなかった。
(全部避けて、全部当てる)
戦術とか作戦とか、そういう細かいのはクランの頭の中から吹き飛んだ。
完全に見下されている。
殺意を向けられようと、怒りを向けられようと構わない。彼女はそれだけの大きなものを失った。八つ当たりくらいさせてやる。全部受け止めてやる。
ただ、見下されるのだけは我慢がならない。
この女に、ステイシー・ジョイに見下されるのは、どうにも我慢が出来そうにない。
一発パンチが来たら三発返せ。へろへろパンチだって気にするな。とにかくやってやれ、だ。
どうやってあの肌と筋肉を貫くのか。まぁ気にするな。死んでから考えろ。
「しつこいんだよ、あんたは!私がお慈悲かけてるのがわかんないのかい!?」
「あたしを見下してんじゃねえ、あんたが!」
「フラれ女に見下されたくないってか!?」
「何言ってんだテメエ!」
ぶち、と音がした。クランの頭の中から。
これはもう怒りに怒りを重ねた大激怒だ。ゼッテー泣かす。
連打。大振りのステイシーの拳を避け、懐に入り込む。
鎧の上からボディブロー、筋肉の薄い脇の下に貫手をぶちこみ、ついでに膝も入れておく。
ダメージが通った感触なんて、ちっともない。
「お綺麗なエルフ様にはわからないのさ!私の気持ちなんてねえ!」
振ってくる拳。クランは軽く右にステップ。
少し距離が空いたところで、全力の左回し蹴りを叩き込む余地を得た。
どうせ次のパンチが来ることが分かりきっているのだから、と回し蹴りが当たる瞬間に軸足を浮かせ、空中で右のかかと落としを叩き込み、反動で距離を取る。
嫌味ったらしい口調に、怒りがどんどん積み重なっていく。
「《なあ、おい》」
すでにその場にいないクランに向けて放たれた拳に突っ込むように、少し前にステップを刻む。とんでもない風圧が目の前を通過。
クランはまぶた一つ閉じずに、深く深く踏み込んだ。
「あたしがわからないはず、ないだろう」
ずどん、と真っ直ぐに放った前蹴りが、ステイシーの腹のど真ん中に突き刺さった。
「……あ?」
「なあ、おい」
何故、自分はクランを見上げているのか。
それがちっともわからない、という表情をステイシーはしていた。
何故、自分が尻餅をついている?この貧弱なエルフ相手に?
そういう顔をしている。ナメてた相手に尻餅つかされた顔だ。
ステイシーのヘイゼルの瞳に映ったクランの顔は、とびきりブチギレた顔をしていた。
「あんたが言わなきゃ抑えられてたんだぜ、ステイシー」
尻餅をついたままのステイシーに、クランは追撃の蹴り。
鞭のようによくしなるそれは、爆発するような音を立てて平たい豚鼻にぶちこまれた。
たらり、と鼻血が溢れる。
「愛だよ、ステイシー・ジョイ。あたしに愛を思い出させてくれたのは、あんただ」
スタンとは、たった五日の付き合いだ。
だが、そいつは一等大事なモンだった。
蓋をしていた。そいつを無神経に叩き割られた。
出てきたものは、まだ胸がムカムカするくらいに苦いものだった。
いつか、時が経てば薄まっただろう物を、原液のまま叩き込まれたんだ。感謝はしても、それをわからないなんて言われたら、殺しても殺しても飽き足らないくらいには腹が立つ。
「……そうかい」
よっこらしょ、と言わんばかりに、ステイシーは膝に手を当てて立ち上がった。
今度こそ——何故か——それなりのダメージが通ったのか、少しばかり足がぐらついたのを、クランは見た。
理由を、今は考えない。
ダメージが通って、にやつきそうな嬉しさよりも、腹立ちの方が大きかったからだ。
「こっちは三年だぞ、小娘!」
「知るかボケェ!こっちは五日の付き合いだ!恋人でもねえ!」
「それでよく私の気持ちがわかるとか言えたもんさね!?」
飛びかかってきたステイシーに、クランは全身の体重を乗せた肘を打ち込む。
ダメージになる手応え。今は何故かダメージが通っているが、その理由を考える気にはちっともならない。同時に背後に引っ張られる感覚。
マントにステイシーの小指が引っかかっていた。
「しかも、こっちは結婚目前にあれだ!最悪じゃないか!?」
「忘れちまえよ、あんなの!」
「忘れられるもんか!」
ぶおん、と今度はクランの身体が音を立てた。
マントを小指一本で振り回され、遠心力で首が締められる寸前になんとか外せたものの、勢いまでは殺せたわけではない。
凄まじい勢いで吹き飛ばされたクランの身体は、再びフランコ邸の中に逆戻り。
一階の窓を突き破り、椅子にぶち当たり、机を叩き割った辺りでようやく止まる。
「痛くねえ!」
「あんたにわかるはずがあるか!」
慌てて跳ね起きたクランの目前には、すでに拳を振りかぶったステイシーの姿があった。
「こっちは大切な物を教えられた!」
「それはこっちもだ!何にもならなかったけどね!」
「何にもならなかったなんてはずがあるかよ!」
ステイシーの右拳に、クランの左回し蹴りが正面から激突する。
握られた小指一本を狙ったクランの蹴りは、狙いを外すことなく直撃し、クランは踵を、ステイシーは小指の骨を粉砕。
「なら、私は何を得たって言うのさ!?悲しいだけじゃないか、愛なんて!」
小指一本折れた程度で、オークが止まるはずがない。踵が粉砕した程度でクランが止まるはずがない。
即座に地面すれすれから跳ね上がるアッパーがやってくる。
「あんた自身だろう!」
クランは、それを見ていた。
それはひたすらに秩序なき力の流れだ。
酒場の酔っ払いの喧嘩のような無様で情けない光景だった。
だから、見えていたものがある。
ガツガツとした殴り合いが続く。ダメージは多少通っているが、掠っただけで死にかねないクランは、このままでは間違いなく負ける。
振り回される拳の嵐に連打を返すが、どう考えても全然足りない。
そして、ついに来る軽い拳。最も受けたくなかったジャブが、クランの額を叩いた。
だから、そいつをひっくり返す切り札を。
「エスプリだ、ステイシー!」
「エスプリ!?」
「あんたは、そいつを持っている!」
完全に頂きの見えない技巧の末ではなく、咄嗟に繰り出された、無様極まりないほどに劣化した物だからこそ、クランにも理解出来た技。
スタンの使っていた技。
小さな風追いが、クランの足首をロック。緩やかに回す膝はしなやかに。
打たれた額から飛び込んでくる衝撃すら、身体中を跳ね回る力の一筋として、無理矢理に掴み取る。
あたしの中に入ってきたもんは、あたしのもんだ。
身体制御と魔力制御はひたすらに細やかに、そして強引極まりなく。
ミスった魔力の流れが、バチバチとクランの目から火花として飛び出す。
「そいつは格好いいってことだ、ステイシー。あんたの在り方を、あたしは認めた」
腰を回す。額にステイシーの拳を受けたまま、クランは動き続ける。
肩甲骨を回す追い風は乱暴極まりなく、突き出す腕には力をこめず。しなやかな指先を、しなやかなままに。
あちこちで不協和音を立てながら、それでもなんとかギリギリ形になっているそれは、
「ロッキンユー。寸打ってやつだぜ、ステイシー」
ずどん、と入った右拳からは、とんでもない手応えが伝わってくる。
「あんたの在り方を、あんたにだって否定はさせない。あたしがそう決めた」
あの刃すら通らない分厚い腹筋に拳がめり込み、ついでに肘から先がすごい折れた感触もする。間違いなく、くしゃっといった。
ふう、とステイシーは息を吐いて、クランの額から拳を引いた。
「はっ……なんてわがまま娘だい、クラン」
「お姫様だからな、あたしは。お姫様はわがままなもんだろう?あたしの勝ちさ」
「冗談じゃあない。世の中には、お姫様より強いもんがあるのさ」
ぶおんと鈍い風切りすらなく、瀕死の蟻のようなパンチがクランの頬を撫でる。
同じく瀕死の蟻のようなクランは、そいつを食らってぱたんと仰向けに倒れた。
「ふん」
鼻で笑うその有様は、オークそのものだ。
「お姫様より、頼りになるステイシーお姉さんの方が上のようだね、お嬢ちゃん」
「ちょっとばかし負けといてやるよ。年上への礼儀としてな」
卑屈な笑みは浮かんでいなかった。
なら、いいや。クランは思った。
代わりに浮かんでいるのは不敵な、傲慢で憎たらしいオークらしい骨太な笑みだ。
そいつは悔しくなるくらいステイシーに似合っていて、勝ちを誇る自信満々の笑みだった。
その笑みが、ぐらりと倒れ込んでいく。
クランのぱたんなんて音とは比べ物にならない、地震が起きたみたいな音を立ててステイシーも仰向けに倒れ込んだ。
「なんだい、あの最期のパンチは。あんなもん食らったことないよ」
「教えてもらったもんの一つさ。まぁ初めて成功したんだけど」
「おや、おめでとう。わからん所がわかったみたいだね」
「いや、さっぱりわからん。今になって思うと、どうやって打ったんだ、あれ」
緊と緩を繰り返し、適度に追い風で力を連動させ、増幅した力を相手に叩き込むことで、ほぼ触れているような距離からでも、とびきりの一撃を叩き込めるのが寸打だ。
筋繊維の一筋単位で強化を行っても、単位が大きすぎるあほみたいな精密技法。
そんなしち面倒くさいことを、スタンたちは普通の攻撃の中でも繰り返していたし、表面的に読み取れたのがそれだけであって、本当はもっと深い深い技巧があったのだろう。
頭の中でなぞることすら出来やしない、とんでもない差。
「強さってのは先が遠いぜ、まったく」
「男女の縁と同じさ、きっと」
「そんなもんかね……。その、すっきりしたかい、ステイシー?」
「いいや、全然だ。ちっとも痛いのが治らない。痛くて痛くて仕方ない。死にたくなるくらい痛いんだ」
「そいつはあたしの寸打のせいだな。腕の骨ぼきぼきになるくらいにはすげーパンチだから」
クランは自分の右腕に視線を向けようとは、絶対に、思わなかった。
絶対、すごいことになっている確信があるのだ。
指を動かそうと考えただけで「ほんとマジやめとけ!?」と悲鳴のような身体からの訴えがひっきりなしにやってくるし、腕だけではなく全身から引きつったような痛みが感じられる。
そのすべてが、身の丈に合わない技巧を使用した代償だった。
「そうだな、あの一発はとびきりの一発だった。私も食らったことのない、ヤバいやつだったね」
「だろう?……だから、泣けよ、ステイシー」
「ああ、あんなパンチ食らったんだから仕方ないよね」
「そりゃそうさ、あたしのすげーパンチだからな」
静かだった。
暴れ狂うオークの怒りとは真逆の、デカい図体にはちっとも似合わないような静かな泣き方だ。
声を押し殺し、それでも耐え切れない嗚咽が時たまこぼれ落ちる。
とても、とても悲しい泣き声だった。
ぽろぽろと溢れる涙を、拭ってやれもしない。
「なあ、ステイシー。あたしら友達になろうよ。あたし友達いねーんだよ、お姫様だからさ」
答えはない。
クランは、答えを求めてはいなかった。
ただ、くだらない話をした。
「あちこち一緒に旅してさ、色々な物を見ようぜ。美味しいパンケーキとかもっと食べてさ。一緒に強くなろうよ」
ただ、強くなりたいと思った。
こんなくだらない、どうでもいい話をしている情けない生き物でいるのは、耐えられない。
友達の悲しさを受け止められる、強い強い生き物になりたいとクランは思った。
クランは話をし続けた。日が暮れ、月が登るまで。
ステイシーの涙が止まるまで。
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