第16話・ちっとでもマシな男には見えなかった
時は少しさかのぼる。
「フランコさんおはようございます、へへへ」
長い金髪に仕立てのいい服装、整った顔立ち。
だというのに、フランコにはどうしてもその男が、ちっとでもマシな男には見えなかった。
隠しきれない卑しさの光が、長い前髪の間からちらほら見えている。調子にのった輝きだ。
絶対に信用すべきではない男だと、フランコには一目見てわかった。
いつから眠っていないのか、薄く化粧をしても隠しきれない隈がひどく濃い。
「おう、下っ端のお前に時間を使ってやるんだ。くだらねえ用事ならタダじゃすませねえぞ、トッド」
フランコファミリー。アロクの街に根を張るマフィアである。
金になることならなんでもやる。昔気質の義理と人情なんてくそくらえ。
そういうやり方で、フランコはスラムで成り上がってきた。
トッドにさせているのは女を引っかけ、娼館なりなんなりで働かせる役だ。
もちろん女だって騙されていたと気付くが、すっかり苦界に落ちてしまえば、帰るところもなくなっている。
そういうクズの仕事だ。
「もちろんです、フランコさん。今日は儲け話を持ってきたんですよ」
しかし、こいつはもうそのクズの仕事すら務まりそうにもない、とフランコは思った。
卑しくて調子に乗った目。それは自分だけを見ている証拠だ。
他人にどう思われるか、どう思われたいかという視点が失われている。
女一人を地獄に引きずり込む釣り針が、自分を大したモンだと思い始めている目をしていた。
クズにすら蔑まれる目だ。
「聞いてやる。続けろ」
「はい、俺が今引っかけているのはあのオークなんですよ!」
「で?」
もちろんフランコはその報告をとっくの昔に受けていて、知っている。
オークのヒモになった男など、このトッド以外にはいないのだから。
そして、ほんの少しの想像力があれば報告を受けたフランコが知っているとわかったはずだし、いまさらな自慢を軽く流されたことに苛立つはずがない。
片眉をぴくぴく痙攣させたトッドは精神の均衡を欠いているのか、声が異様に時々甲高くなり、妙にそわそわと落ち着きがない。
毛足の長い絨毯をつま先で蹴り続ける動きが、とてつもなく目障りだ。
オークを飼っていることで、スラムの片隅で大きな顔をしているらしいが、人望なんて物はかけらもないのをフランコは知っていた。
誰かの力を借りて組織をまとめるのは構わない。フランコもそうだ。一人でマフィアをまとめられるわけがない。
しかし、ただ威張り腐っている奴に命を張れるはずがないのだ。
フランコに着いてきている連中は、金か恐怖か。間違っても人望ではないだろう。
だが、そのなにかはフランコの力だ。それに人々は着いてくる。
しかし、間違ってもフランコ自身が大したものだと勘違いしているつもりは、ない。
ろくでなしのクズ、そいつが少しばかりなにかを持っている。それがフランコだ。
そういう物を持たず、トッドは自分が大したモンだと威張り散らす。自分だけが綺麗なものだと、思い込もうとしている。
背中から刺される奴の典型だ。
「今、エルフが来てるんですよ、この街にね。しかも、とびきり美形のエルフが。そいつを《俺の》オークが捕まえて、売り飛ばしたいんですよね。フランコさんなら、エルフを売り捌くアテがありますよね。そいつをちょっと貸していただければ、大金を稼がせてあげますよ」
「ほう」
一つとして分を弁えていない言葉だ。
自分がフランコファミリーの一員だとわかっているのなら、絶対に言えないはずの提案だった。稼がせてあげますよ、ときたもんだ。
エルフが来ている?門をくぐった瞬間にはフランコの耳に入っていた。
エルフを売り捌くルートは、実際ある。
いつまでも若く、美しいエルフを手に入れたいと思うのは人間の習性のようなものだ。
しかし、自分たちの仲間を奴隷にされて面白い生き物がいるはずもない。
バレれば、どんな災厄が襲いかかってくるかわからないのだ。
彼らはどこにでもやってくる。
辺境のチンケな街のスラムでも、国の中心の首都にだろうと。
エルフが法を守るのは、自分の法に反しない限りだ。
ほんの僅かでも、それに触れてしまえば絶対にエルフは己の意を通そうとする生き物だと、裏社会に精通する者なら知っていた。国のお偉いさんだって知っているだろう。
それは武力であり、または法でもある。絶対に厄介なものを握って、彼らはやってくるのだ。
そんなエルフを奴隷として売り捌くには、どれだけの慎重さが求められているか、このチンケなトッドはまったく知らない。
まず獲物としてのエルフの絶対的な条件としては、若いことだ。
人間でも御し切れる弱いエルフが最低限の絶対的な条件だ。
誰だって、いつ火を吹くかわからないドラゴンを家に入れたくはないのだから。
そして、同じ人間にすら目撃されず、最初からいなかったかのように姿を消させることである。
荒野は厳しい。魔獣に襲われるかもしれないし、なにより距離が開けているとエルフの魔法と矢が飛んでくる。
やるなら街中だ。すれ違いざまに一撃で気絶させ、即座にどこかへ引きずりこむのが理想だ。
そこまでやった上で、数年に一人だけ捕まえる。
静の国に最も近い人間の街で、エルフが消える事件が頻発するようなことがあれば、この街は地図上からすっかり消え失せてしまうに違いない。
絶対に、なにがあっても、エルフに気付かれてはいけない。気付かれれば我が身の破滅だ。
そういう事情を多少でも掴めているなら、その販路を貸せなどという言葉は出てこないはずだ。
売り先の金持ちだって、とびきり警戒しているのだ。飛び込みで売り込んだって買い取ってくれはしない。
売る奴と買う奴の区別を、エルフが付けてくれるとは思えないのだ。
しかも、件のエルフは、エルフの姫様である『担い手』殿はよく出歩き、すでに街の噂になっている上、よく目立つオークを使って捕まえる?
馬鹿じゃないのか?
「なあ、トッド。おまえさん、まさかとは思うが、まだやらせてないだろうね?俺に断りもなしに?」
「ああ、安心してください」
おお、よかった。こいつだって、いくらなんでもそんな馬鹿な真似を、
「フランコさんの手を煩わせるまでもないですからね。もうやらせておきました。すぐにここに連れてくるでしょう。それより分け前の話なんですが」
「馬鹿野郎!?」
絶対に殺す。こいつはバラバラにして、荒野にばら撒いてやる。いくらオークが強くたって、お前の命が無事に済む保証はないんだぞ。
毒を盛るなり、便所にこもってる時に殺すなり、なにがあっても殺してやるからな。
それとも今すぐ捻り潰してやろうか!?
そうやって睨みつけてやるだけで、トッドはしょんべんをもらいそうなツラでビビり倒す。構っている時間がもったいないくらいの小物だ。
「くそっ、こんなクソボケに構ってる暇はねえ……どうする、まずは……ああもう、だれかいねえか!」
今すぐにでも逃げる準備をしなければ!
どっちが勝つかなんて問題じゃない。わざわざ二匹の毒蛇の入った壺に手を突っ込む趣味なんてありはしない!
「ば、馬鹿とはなんですか、馬鹿とは!?俺はね、あんたに儲け話を持ってきてやったのに!フランコさん!?フランコさん、俺に金貨千枚くださいよ!!」
その時、窓の外で、なにかが爆発するとんでもない音がした。
いやな予感ですらなく、確信としか言いようのない展開がフランコには見えていた。
空から降ってくる少女は、その長い髪をたなびかせ、いっそ鮮やかなまでに着地を決める。笹穂の耳、エルフだ。
その数瞬後、組の若い者が慌てて飛び込んできた。
「大変です、フランコさん!?」
「わかってる。騒ぐな、エルフだろう?」
オークが負けて、怒ったエルフが乗り込んできた。
どんな馬鹿でも理解出来る展開だ。
なんとかトッド一人の首で許してもらえないだろうか、と思うが、まぁ無理だろう。
しかし、落ち着いて対処すればまだ、
「違うんです、あとオークも来てます!エルフと一緒に!」
「なんでだトッドてめえ!?」
「わ、わかりませんし、その人の見間違いですよ、絶対!ほら、わかるでしょ? 頭悪そうですし!」
「なんだてめえヒモの分際でやんのかオラァ!?」
「ひっ、い、いいのか!?俺の女はオークなんだからな、死ぬぞ!!」
「お前の拳でかかってこんかい!」
若い者に絡まれているトッドを構っている場合ではない。
やるべきことは、まず生き残ることだ。
万が一のため、財産はあちこちに分散して隠してある。
生き残りさえすれば、
「ね、ねえ、フランコさん!俺に金貨千枚くださいよ!?」
「あ?」
「ね、いいでしょ?俺にはオークが着いてるんですよ!?」
「……そいつはお前さん、俺を脅してるってことか?」
「フランコさんは金貨千枚くらい簡単に出せますよね?ね、いいじゃないですか俺はもう限界なんですよ。あのクソ豚と同じ部屋に閉じ込められるだけでこわくてこわくて仕方ないんです。わかります?わかんないですよね可哀想なんです俺は!だから金貨千枚をください!」
まったく意味がわからなかった。
クスリでもやっているのかと思ったが、ヤク中特有の臭いもしない。
フランコが黙っていると、トッドはさらに言葉を荒げ始めた。
「おい、わかってんのか!?俺にはオークが着いてるんだからな!あんたの萎びた首なら、簡単にねじ切れちまうクソ豚がな!」
この狂態。オークに怯えて逃げようとしているくせに、そのオークに頼る。その考えがあまりにわけがわからなくて、数々の鉄火場を潜り抜けてきたはずのフランコも混乱する一幕。
なにを言っているのか、フランコは狂人の言葉に耳を傾けてしまっていた。
「いや、お前……そのオークはエルフと一緒にここに乗り込んできてるんだろ?」
「わけのわからないこと言ってんじゃないよ!お前、俺がやれって言えばお前なんかなあ簡単に死んじまうんだよ!?俺はあいつから逃げたいんだよ!?金貨千枚もありゃ、あとは遊んで暮らせるだろうが!わかんねえのかよ!?死にたくねえんだよ、俺はさぁ!?俺のオークがお前を殺すんだからな!」
完全にイカれていた。
化け物と同じところで暮らす恐怖なんて、フランコにはわからない。
だが、そこまでやったからこそ、この男はスラムでそれなりにいい暮らしが出来ていたはずだ。
そのオークを手放して、この男になにが残るというのか。
「なあ、フランコさん。お願いだよ、金貨千枚だよ。な、おくれ?いいだろ?」
「ガキみてえな事言ってんじゃねえよ、馬鹿野郎!フランコさん、このクズどうしますか?」
「あ、ああ、そうだな……」
狂乱するトッドを若い者が取り押さえ、そうしてフランコがわずかに判断に迷った瞬間だった。
「俺はなぁ!あの豚が嫌いで嫌いで仕方ないんだよ!?ステイシー・ジョイが、こわくてこわくて仕方ないんだよ!だからさぁ!?」
「《知ってたよ、ダーリン》」
「ひっ!?」
その悲鳴はフランコの物であり、若い者の悲鳴であり、最も大きいトッドの悲鳴であった。
扉が開かれ、オークが入ってくる。
人間サイズの扉の上端は、オークの高い身長には低すぎる作りだ。
木で出来た上壁が、オークの頭に激突する。
「ねえ、ダーリン。あんたは三流の嘘つきさね」
「ち、違うんだよ、ハニー。今、俺はフランコさんと、そう!駆け引きをしていたんだ!君にはわからないかもしれないが、非常に高度な駆け引きを!ね、フランコさん!?」
「俺を巻き込むな!?」
「違うんだよハニー!フランコさん、フランコの奴が言えって!俺はいやだって言ったのに!」
「てめえこの野郎!?」
ばきり、と大した力をこめたようにも見えないのに、前に進むオークの圧力に負けて、上壁な砕けて木屑が舞った。
射し込む陽光が、オークの表情に影を落とし、フランコに子どもの頃に誤って落ちた井戸の底を思い出させた。
光一つ射さない井戸の底は、ただただ真っ暗で、静かな世界だ。
彼女は声を荒げることもなく、ゆっくりとトッドに近付いていく。
「ねえ、ダーリン。あんた、いつも寝言でなんて言ってるか、わかるかい?」
オークが手を離すと、くしゃくしゃになった真鍮のドアノブが床の絨毯に音もなく落ちた。
その後ろからやってきたエルフはあちこち傷付き、開きっぱなしの扉からは、それだけではないひどい血の臭いが漂ってきている。
「あのクソ豚、いつか殺してやる、死にたくない。そんな寝言ばかりさ」
「違うんだよ、ハニー……そ、それは」
「ねえ、ダーリン。あんたは三流の嘘つきさ」
「違うんだよ、ハニー!俺は君を愛している!」
「なら、キスしてよ。私を愛しているのなら」
トッドの顔に明るい物が浮かんだ。
起死回生、一発逆転。自分がそれを掴める男なのだと確信した笑顔だ。
儲けたぜ、俺はツイている男なんだ!困難を乗り越えられる男なんだ!
「ああ、もちろんさ!それでこのくだらない誤解が解けるなら、俺はなんだって」
そして、フランコはその光が偽物だと、よく知っていた。
賭場で、取引でヘマをした間抜けに言い訳を許してやった時、喧嘩で光り物を抜いた時。
負け犬が拾う最後の藁が、そいつだ。
「ねえ、ダーリン。だから、あんたは三流の嘘つきなのさ」
オークが、拳を握った。
頑丈な皮膚と皮膚が擦れ、岩と岩がぶつかり合うような凄まじい音を立てながら、その二の腕は倍になったかのように力をこめて。
「君のことを大切に思ってるから指一本触れない。いつも通り、そう言ってくれていたのなら私は信じてたよ、ダーリン。信じようとしてたよ」
「このクソ豚……!俺はお前の」
オークに向き合うトッドの表情は見えなかったが、どうせ見る価値があるものではないだろう。
ただ、そのオークの表情は、
「伏せろ!」
その瞬間を見ることなど、フランコにはとてもではないが出来なかった。
とにかく死にたくない一心で絨毯の上に飛び込めば、そのフランコの上をなにかが通っていった。
ただひたすらに力強いなにかだ。
音もなく、空気の動きもなく、恐ろしい力だけが通り過ぎていった。
そういうとびきりの災厄が、肌で理解出来た。
「……マジかよ、こいつは」
壁に丸い穴が空いていた。
人一人くらいなら、頭を下げずに入れるような円が、ぽっかりと。
その円は、オークの側から壁の間にある物すべてを消し飛ばして、生まれていた。
トッドの、人間一人すらもその円に飲み込まれていた。
赤い染み一つ残さず、この世界にトッドという存在は最初からなかったかのように、すっかり消え失せていた。
冗談のような光景だった。
「なあ、オッサン。立てるならさっさとその穴から逃げな、今すぐにだ」
ここに来て、エルフが初めて口を開く。
ひどく緊張した声で、帽子のつばを指で弄んでいる。
ほっそりとした手指と、真っ白な肌に飛び散る赤い血がフランコの目にひどく焼き付いた。
「お、おう。でも、あんたは俺を殺しに来たんじゃないのか?」
「始めはそのつもりだったけどね。今はそれどころじゃなくなった」
「なあ、クラン」
その平坦な、ひどくおっかないオークの声が耳に届くよりも先に、フランコは穴から飛び出した。
ここが三階だといっても、あそこにいるよりは絶対に生き残れる。その確信があったからだ。
「笑うしかないさね」
フランコは隠し財産のことなんて、ちっとも思い出すことなく、その身一つで街から逃げ出した。
毒蛇の入った壺に手を突っ込むのなら、まだ生き残る可能性がある。
だが、これから大爆発を起こす魔法の前ににいようとは、誰も思わない。当然の話だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます