第15話・朽ちたバラックが立ち並ぶスラムには相応しくない建物だった
「ここがそうなのか?」
「ああ、フランコファミリー。ここら一帯を仕切ってるろくでなしの親玉さ」
二人が立っている屋敷は、朽ちたバラックが立ち並ぶスラムを見下ろすような建物だった。
高い塀と前庭があり、色取り取りの花々が咲いていて、街の中心部にある富豪たちの屋敷と大した遜色もない。
塀と扉の向こうからは、僅かに粗野なざわめきが聞こえていた。
迎え討つ準備は万端といったところなのだろう。
エルフとオークが連れ立ってスラムにやってきた時点で、すでに誰かしらが注進に走って警戒態勢を敷いていたらしい。
聞き耳の魔法を構成したクランは、様子を探る。
壁の向こうはおそらく三十程度の人間だ。オークの重い足音も、エルフの軽さも聞こえてこない。
エルフ以外の他種族をほとんど入れていない人間たちだ。他の種族は考えなくてもいいだろう。
なお、エルフは国境を閉ざそうとすると異様にしつこい習性がある。
百年単位の、人間たちの代を跨いだ交渉を開始して無理矢理、それでいて合法的に入ってくる。
オークは閉ざしても勝手にぶち破って入ってくる。
この二種族に関しては、排斥することを完全に諦められていた。
「それよりいいのかい、クラン。あんたには関係のない話だろ」
「おい。今更あたしを外すだって?こんな面白い話から?馬鹿にしてるぜ」
「悪かった」
ステイシーは素直に謝った。
悪ぶったクランの物言いに、感じるものがあったからだ。
それは暖かくて、悪いものではなかった。
純粋にステイシーを祝福しようとする意思が感じられた。
これからするのは、押し込み強盗だが。もちろん悪いものである。
「あー、でもよ。あんたに一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんでも聞いてくれよ。ダーリンの寝言は教えられないけどね。毎晩、一緒のベッドに寝てるのさ」
「それは聞きたくねえな……いや、そうじゃなくてだな」
感情を素直にぽんぽん露わにするクランが、珍しく言い澱む。
本当に聞いていいのか、そういう迷いが感じられた。
「あー……強くなるってどうやったらいいんだ?ちょっと最近迷っててさ」
「ふふっ、子どもみたいな悩みがあるんさね」
「笑うなよ」
ステイシーにも、そういう時期があった。
なにをしても自分が強くなれた気がしない、そういう苛立ちと、どうしたらいいのかという迷いに満ちた日々。
それは今から考えれば、くだらない悩みだった。
「よし、私は今から頼りになるステイシーお姉さんさ。あんたの悩みをちょちょいと解消してやろうじゃあないか」
「本当か!?割と軽い気持ちで聞いたんだけど」
「ああ、本当さ。オーク嘘つかない。まぁ上の連中に言わせれば、もっとマシなことを歌えるんだろうけどねえ」
ステイシーはオークである。
オークは戦う以外になにも持たない生き物だ。
だから、オークは戦いの哲学を必ず持つ。
「まず強いってのには、二つの種類があると私は考えている。その二つが合わさって、実力というやつになるんだ。その二つってのはわかる所と、わからない所だ」
「なんだそりゃ」
「筋肉を鍛える。筋肉が付く。力が強くなる。それはわかるね?」
「ああ」
「そして、あとはなんかよくわからん部分さ」
「だから、それはなんなんだよ」
「私にもわからんし、下手したら誰にもわからないもんさ。ただ飯を食ってる時かもしれないし、誰かと話してる時かもしれないし、何故かふと突然来るんだよ。それに気付く瞬間がね」
昨日の自分より強くなる瞬間が突然、来る。
それは技のキレかもしれない。戦闘中の閃きかもしれない。力強いパンチの打ち方かもしれない。
まるでコップに注いだ水が溢れるように、唐突にやってくる。
最初からそうだったかのように、突然そうなるのだ。
それは段階的に、階段を登るようにわかる強さが増すわけではない。
昨日より力が増す。技が冴える。魔法が上手くなる。強くなる、ということではない。
《知っていたこと》を、知った。そういうことだとステイシーは思っている。
それがなんなのか、と言われても困るが。
「ただし、こいつは戦わなきゃ絶対に手に入らないものさ。もちろんわかる強さを疎かにしていいわけじゃないがね」
その強さは千回、剣を振ったところでは手に入れることが出来ない、なにかよくわからないところからやってくる。
筋肉を苛め抜く訓練では、やってこない何かだ。
そういうの、教えて欲しかったのに。
クランの蓋が、気付けばぐらついていた。
「そこでだ、クラン」
「う、うーん?なんだよ」
「優しいステイシーお姉さんは、あんたに経験を積ませてやろうと思う」
「ああ……なんであんたはあたしを猫みたいに掴んでるんだ?」
ひょい、と細首を掴んでやれば、無抵抗にぶらんぶらんとクランは揺れる。
一度懐くと、あっという間に警戒心を無くす娘だ。
ステイシーがその気になれば、この細首はぽきりとへし折れるだろうに、なんだか楽しげですらあった。
「まぁ分担って理由もあるね。逃げ出す奴がいたら、私がやるさね」
「ん?うん」
ステイシーは振りかぶった、クランを。
「だから、ちょっと一人で戦ってきな。二十人ばかし斬れば、なんかあるだろ」
「え、それなら普通に行けばいいだろ!?まさか投げるつもりじゃないだろうな!?」
「こういうのは派手にやるもんだろ?ビビりは淑女に似合わないぜ、クラン」
「……そういうことなら仕方ねえ。おっしゃ、来い!」
ぱん、と両頬を叩くとクランは威勢を上げた。
「オーケー、ちょっと飛んできな!」
ミシミシとステイシーの腕から音が鳴る。
それは筋肉が盛り上がる音だ。
オークのとびきり上等な筋肉が膨れ上がり、袖口を派手に突き破る。
「おら、行け!」
「うおおおおお!?」
布地が弾け飛ぶ音を置いて、加速は一瞬だった。
ステイシーの腕から真上に放たれたクランは、屋敷の屋根を優に超え、街の城壁を超え、空に打ち上げられる。
「ちょっと高くね?」
ちょっとどころではない。
すでに重力に捉われたクランは、頭から地面に向かってフリーダイブを開始。絶対にこんな高さまで投げられる必要はなかった。
体術では間違いなくどうしようもない高さと速度。
見晴らしが良すぎて、笑えてくる。
「しゃーねえ、派手に行くとしますかね!」
クランは猫のように身をひるがえすと、魔法を構成し始めた。
構成は瞬間的に、強くなれない苛立ちをかき消そうとするかのように足裏で爆発。
一発では加速が止まらず、更に連続して二発、三発。着地の寸前に四発。
酒を飲んでべろんべろんに酔っ払っていても気付くような、そんな派手な登場と共にクランは地面に激突する。
「くそっ……マジ痛え。どっか折れてねえだろうな」
「な、なんだテメエは!?」
そんなクランを囲むように走り寄るチンピラたちは、ちょっとした皮鎧や槍などを持ち、街の外で見た兵士よりも上等な装備をしている。
金のない兵士より、金を持っているチンピラの方がよほど恵まれている世の中に、クランは無常を感じた。
まぁ恵まれてようが恵まれいまいが、叩き斬るんだけどね。ここにいた自分の運のなさを恨みなよ。
「ああ!?見てわかんねえのか、強盗だよ!」
「強盗!?」
美の女神もかくや、といわんばかりの少女が空から降ってきたのを、強盗と見抜くのはなかなかに難しい。
だが、本人が言っているのだから、と一応、槍を突き付けるチンピラたちだが、判断は決定的に遅い。
エルフを前に躊躇する人間種など、愚かとしか言いようがなかった。
「おい、クラン!」
「違う。今のあたしはアンジェリカだ。凶悪な快楽殺人者のアンジェリカ様だぞ!」
「そうか、クラン。もう一つ教えてやる」
クランは剣を抜いた。
チンピラどもと、どっこいどっこいの大したことのない鉄剣だ。
門の上に腰かけたステイシーは、いっそ優雅に腕組みをしてクランの言葉を無視した。
「おい、抜きやがったぞ!」
「やっちまえ!」
「オークもいやがる!?なんで化け物どもが攻めてきやがったんだ!?」
「うおおおおお!このアンジェリカ様がお前らを皆殺しにしてやるぜ!」
「クラン、大事なことだ。聞きな!あんたが強くなれない、もう一つの理由だ」
真っ先に突っかけてきたチンピラを、クランはあっさりと切って落とした。
二百歳のエルフには真っ向勝負で勝てずとも、二十歳かそこらの人間に負ける理由はちっともない。
五十とちょいのクランでも、剣を握ってから三十年は過ぎているのだから。
横から突き出された槍を頭を屈めて避け、囲まれない立ち位置へと三歩で抜ける。
「あんたは今、気付けていないこと以外にも、腹一杯に糞詰まりしているようなもんさ。ちっとも見れたもんじゃないね」
「このアンジェリカにそんなお下品なことを言うんじゃなくてよ!」
囲いを抜けたクランは再度反転。足に込めた強化の魔法で、速度任せの突撃を開始。
「なあ、クラン。あんた、なんかあっただろう」
ぎくりとした。
まだクランを見失っている間抜けの背中を斬りつけ、ようやくこちらに向けられた剣を一叩きし、刃を乱す。
「悲しいことがあったんだろ?」
「ねえよ!」
反射的な言い返すと共に乱した刃の下を風乗りと共に走り抜け、皮鎧の隙間に当てた刃を滑らせる。
それは剣を振ったのと同じ効果を発揮。つまり、すぱりと斬れる。
そいつの割れた腹の中身が地面に落ちるより先に、クランは動きだした。
「まずは、そいつを認めな」
「ねえよ!」
クランが大仰に剣を振り上げる。チンピラは剣を防ごうと頭上に掲げる。
「違うんだよ、クラン。それは強さじゃないんだ。余計なモンなんだよ」
「余計なモンじゃねえよ!恥と名誉だ!」
まだ速度を殺していなかったクランは、その勢いのまま飛び込むと、空いたチンピラの腹に長い足をぶち込んだ。
鉄板入りのブーツは今度こそ効果を発揮し、深々とそのつま先をめり込ませる。
うるせえな、なんだってんだ一体。わかったような口を聞きやがって。
そういう気持ちと共にぶちこまれた衝撃は、ブーツをめり込まされたチンピラを二回転、三回転させて、ようやく止まった。
「違うんのさ、クラン。悲しいなら悲しいと認めて受け止めな。泣きたいなら泣け。嘘吐きは余計なモンを抱え込まなきゃならないのさ。それをあんたは持て余している。だから苛立ってる。私は嘘つきには詳しいからね。ようく知ってる」
「嘘なんて……!」
無心になろうとした。
一人斬る。二人斬る。オークのあまりに愚直な言葉は、勘違いの余地を残してくれない。
三人斬ろうとしたところで囲まれる。
「エルフは悲しまないんだ!」
これも、あいつが余計なことを言うからだ。
「戦士は泣くもんじゃない!」
まるで悲鳴のような声だと、自分で思った。
思ってしまった。
必死になって押さえている蓋が、オークの力強い言葉に叩き割られようとしている。
足取りが鈍くなり、身体を掠める刃の数がどんどん増えていく。
「そりゃあ男の理屈さ、クラン。あんたは女で、私も女だ。涙ってのは女の武器さ」
「……あ?」
「泣けよ、クラン。あんたは悲しいんだ」
「な、何言ってやがる!?お前ら一体」
困惑するチンピラをよそに、二人の間だけで通じる言葉が続く。
突然、動きを止めたクランに斬りかかるのも忘れるくらいの不気味さだ。
こいつらは一体、なにをしてるんだ。俺たちを巻き込んで。
俯くクランの目に、もはやチンピラたちは映ってもいなかった。
「泣いて、いいのか」
そうだったのか。こいつは武器なのか。それは知らなかった。
そいつで強くなれるんだ、仕方ないよな。
あたしが泣いても。
「ああ、泣きな。泣きもしない女が強くなれるはずもない」
アンジェリカの奸計にひっかかった、たくさんのエルフに馬鹿にされた。
その事は確かに腹が立った。
でも、泣くことじゃなかった。
「なあ、ステイシー。あんた、いい奴だな」
「頼りになるステイシーお姉さんだからね」
「泣いて、いいんだな?」
「ああ、泣けよ、思い切り」
深く、深く息を吸った。
来るなら来い。そういう乱暴な気持ちと共に。
ぐちゃぐちゃな感情のまま、ぐちゃぐちゃな魔法を編む。
目標は自分の身体。耐え切れるかわかったもんじゃない強化上限、持続時間は気が済むまで。
「……しゃーねえ、ステイシーお姉さんの言うことを聞くとしますか」
「こういうのはそれくらいでいいのさ。オーケー、ロッキンユーだ、クラン。派手にぶちかましてやんな」
「なんで死んだんだよ、スタン!」
火花が散った。
何故か漏れやすい目から魔力が迸ったのか、技と鋭さなんてどこにも無くなったクランの剣が、チンピラの剣と激突したせいなのか。
ただの力任せで振り回した刃は、チンピラの剣を叩き割り、涙と共に砕けた破片が飛び散った。
「なんであたしは弱いんだよ、あんたを助けられられなかったんだぞ!あの時、あたしがもっと強ければさぁ!」
ぶおん、と風斬る音はひたすら鈍く、まるでステイシーのパンチのようだ。
それは鈍さと、そして威力もだ。
全身の連動なんてちっとも考えられない。
弱っちい人間でも受けられる速度、そして受けられない威力で振り回すたび、剣が砕けていく。
砕けた鉄の破片が頬に突き刺さろうと、クランはちっとも痛くなかった。
もっと、痛いものがあった。
「強くなりてえんだよ、あたしは!あんたを助けられるくらいになりたい!」
「い、意味がわかんねえ!?気でも狂ってんのか!?」
「狂いもするだろ!?」
弱いことが、耐えられない。
何故、あの矢を見過ごした?
あの場の全員がそうだった?
だから仕方ないって自分に言い聞かせるのか?
「ふざけんじゃねえぞ、ちくしょう!」
ほかの誰でもない、クランがやるべきことだった。
相棒だって言いながら、相棒らしいことは何一つ出来なかったじゃないか。
きっとスタンもあの世で笑ってる。
弱っちくて格好悪い、情けない奴だって。勇気ある言葉を教えるんじゃなかったって。こいつは、あの綺麗な言葉に相応しくない奴なんだって。
あんなに綺麗な物をもらったのに、何一つ返せない奴なんだって。
そんな情けない奴で、ありたくないのに。
押さえ込んでいたはずの感情は、あっという間に臨界点を超えていた。
みっともない泣き顔さらして、みっともない八つ当たり。
エスプリの格好よさなんて、どこにもなくて、ひどくひどく苦いものだけがクランの中に広がっていく。
こんなにも苦しいものをやらせるなんて、ステイシーはなんてひどい奴なんだ。
「馬鹿野郎馬鹿野郎馬鹿野郎!あたしはあんたにもっと色々教えて欲しかったんだよ、スタン!なんで死んじまったんだよ!?」
自分がどれだけ無力で、くそったれた生き物なのか。そいつがよくわかった。
仇は討った?そいつから名誉を奪ってやった?
何一つすっきりしちゃいなかった。
それでスタンが帰ってくるはずがないのだから。
教えて欲しかった。強さを、どうでもいいくだらない話を、大切なことを。
もっともっと、たくさん話したかった。
ふとした時、スタンに頼ろうとする自分の弱さが憎くて憎くて仕方なかった。
なんて情けない!
失くしたものが、こんなにも大きいなんて、クランはちっとも知らなかった。
背中からぐさりと刺されても、ぜんぜん痛くない。
左腕を斬られても痛くない。がん、と槍の柄で顔を殴られても痛くない。
もっと痛みを得れば、この胸の痛みが塗り潰されると思ったのに。
「そいつが愛なんだよ、クラン」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
叫びの先には、もう誰もいなかった。
八つ当たりをしていたチンピラも、もういなくなったスタンも。
とっくに限界を迎えていた粗末な剣が、ぽきりと折れた。
このみじめったらしい有様が、まるで自分のように見えて、
「笑えるぜ」
「笑うなよ」
ステイシーの声も、ひどく苦かった。
飲み込んでいた愛が、溢れてしまったかのように。
本当にこのオークは気付かなかったのだろうか、この解決法を。悪いやつらをこらしめる、とびきりシンプルな解法を。
ふと、クランはそんなことを思った。
それは、気付きだった。なんの脈絡もなく、下りてくるそれ。
「抱えた愛を、笑っちゃいけない。それだけは、自分にだって否定させるな」
あたしに言ってるのかい?それともあんた自身に?
そんなことを聞く勇気は、クランのどこを探してもなかった。
吐き出すだけ吐き出した先に、救いなんてどこにもなかった。
強くなったところで、もうなにもかも手遅れなのだから。
クランは、血と涙で濡れた頬を乱暴に拭った。
なにもかもが遅くても、どうしても強くならなきゃいけない理由が、すぐそこにあるのだから。
戦うべき時に泣くほど、クランはまだ折れちゃいない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます