第14話・南方に生息するゴリラは、猿を大きくしたような生き物だ

「なあ、ミセス。あんたとそのダーリンさん?二人の出会いはどうだったんだい?」


「あの人は私をゴリラって呼んでくれたのさ。知ってるかい、ゴリラを。あのちょいと撫でれば大人しくなる可愛らしい生き物さ」


 南方に生息するゴリラは、猿を大きくしたような生き物だ。

 彼らは家族を守るためなら、恐ろしい魔獣にすら果敢に立ち向かう。

 その強い握力は繊維が複雑に絡み合う、獣の牙すら通じぬ硬いヤシの実すら破壊する森の王者である。

 そんなゴリラを、クランは知らなかった。

 可愛らしい生き物なんだな、ということだけはインプットされた。


「へえ、随分と面白そうな出会いじゃないか。ダーリンさんは人間なんだろ?」


「そうさ、私がちょっとばかし路地裏でやんちゃしてる連中をしばき上げてる時に出会ってね。一目惚れってやつで、緊張して震える唇で好きだって言ってくれたのさ」


「へえ、そいつは運命の出会いだな」


「いいこと言うじゃないよ、あんた。そう、私とダーリンは運命の出会いとしか言いようがないのさね」


 まさかしばき上げられていた仲間の一人が、苦し紛れに斬新な命乞いとして愛の告白をしたというわけでもあるまい。

 おそらくは不幸な偶然と、運命的な出会いが同時に起こったのだろう。

 クランは恋の話が大好きであった。細かいことは考えなくなる程度には。


「なあ、あんた。あたしらにはもっと相応しい場があるんじゃないか?」


「へえ、奇遇だね。私もそう思っていたところさ。着いてきな、いい場所がある」


 背を向けたオークに、拳を打ち込もうとは思わなかった。

 鎧に覆われた剥き出しの背中は、ひたすらに分厚く、力強い律動を感じた。

 力一杯、拳を打ち込んだところで平然と振り返るのが目に見えている。

 そして、なにより、


「食いな、私のおごりだぜ、お嬢ちゃん」


「いいぜ、奢られてやる」


 彼女たちがやってきたのは、オシャレなオープンテラスと、ふわふわのパンケーキが人気の喫茶店である。

 そんなところでバトル?常識で考えろよ。するわけないだろ。頭おかしいのか?


 戦って戦って、戦って死ぬ。

 それがオークという生き物だ。

 しかし、オークである前に恋する乙女。そんな彼女が恋の話をしたくないはずがない!

 クラン!人の恋バナとかめっちゃ好き!

 つまり、二人がオープンテラスでパンケーキを食うのは、当然なのであった。

 そして、オシャレな喫茶店から客は即座に逃げ出し、バイトのウェイトレスも逃げ、逃げられなかった店長だけがすごい顔でカウンターの裏に立ち竦む。

 何故、自分は責任感なんてものを発揮してしまったのか。そういう後悔とともに。

 不機嫌なエルフとオークも怖いが、上機嫌なエルフとオークも同じくらいに怖いものである。

 押し込み強盗の計画とかするに違いない、と人間から思われている種族の上位三種族中二種族が集まっているのだから。

 純粋なる野蛮人オーク、法律を知る野蛮人エルフ。それが人間から見た彼女たちの印象だ。


「でも勘違いするんじゃないよ。これが終わったら、あんたと私は敵同士なんだからね」


「当たり前だろ。おねんねしたあんたを送り届けるまでが、あたしの今日のスケジュールさ」


「ふん、言ってなよ」


 オークが紅茶を飲む仕草は、妙な品があった。

 パンケーキを半分に切り分け、一口で食らっても、無様にならない。それどころか、小口で優雅に食べるお嬢様じゃないか。

 乱暴でガサツなオークが、こんな風になれるなんて。

 クランの胸はときめいた。


「店長、もう二枚だ。はちみつはたっぷりで頼む」


「……ちっ、悔しいが尊敬するぜ、そういうとこ。あたしも同じのだ」


「ふふっ、愛している人がいれば、変われるのさね」


 礼儀。それは独りで生きるのなら、無意味なものだ。

 礼儀なんてくだらねえ、と言い捨てるのは簡単だ。

 しかし、どれだけ着飾ろうと礼儀が無ければ美しくはあれない。格好よさには繋がらないとクランは考える。

 それは立ち姿であり、食事の美しさでもある。人間なら階級すら言葉遣いで分けられる。

 労働者なら労働者の言葉遣い、貴族なら貴族の言葉遣いだ。

 礼儀とは最も安上がりな美しさであり、それは最もお手軽な美しさであり、それは最も高価な美しさであり、それは最も難しい美しさである。

 美しく飾るドレスや宝石の輝きは、知恵ある生き物の目を曇らせる。

 だが、本当に輝くべきは己であり、その輝きへの長い道のりの一里塚。

 それを知恵ある生き物は、礼儀と呼ぶのだ。


 このオークは、そのことを学んだのだと、生き方すべてを変えてしまうような恋をしているのだと、クランは尊敬を抱いた。

 あの野蛮人が、川で鮭とか素手で取ってるのがお似合いなオークが、本気で恋をしているのだ。

 そして、それはオークもだ。

 これまで誰にも気付いてもらえなかった努力——ダーリンその人にさえも——を、なんのてらいもない視線で認められるのは、想像していたよりも嬉しいことだった。

 オークとお茶をしたい、と思う人間の女は、これまでいなかったのだ。

 それはオーク自身が驚くほどに、誰かに認められることに喜びを抱いていた。


「やれやれ、随分お盛んなようだね、あんたたちは。ちょっとこの店暑くない?暑くなーい?」


「ダーリンと同じことを言うんだね、あんたは。私の顔を見ていると、顔が暑くなってくるってね。あの人は未だに私と目も合わせられないくらいのシャイなのさ」


「奥ゆかしい人なんだな。あー……でもさ、それだと夜とかどうするんだ?」


「ああ、お嬢ちゃん……あーっと、名前はなんだっけ?」


「クランだ」


「ああ、そうだ。クランだったね。私はステイシーさ」


 改めて名乗りあった二人は一つ握手すると、パンケーキを頬張った。


「店長、パンケーキ二枚追加だ。はちみつはたっぷりで」


「あたしも同じのだ!」


「それでクラン。あんたは夜の話が聞きたいってわけだね?そう、男女の秘め事ってやつの」


「焦らすなよ、カレシ持ち。あんたがとびきりのネタを隠し持ってるのはわかってるんだぜ?」


 うりうり、と楽しげに指でつついてくるクランに、トレイシーは深く息を吐き、肩を竦めた。


「これだからあんたはお嬢ちゃんなのさ、クラン。いいかい、よく聞きな。こいつは男と女の関係において、とてつもなく大事な話さ。そして店長、パンケーキを追加だ!とびきり早く頼む!紅茶もだ!」


「こっちにも同じの!それで?焦らすなよ、おい」


「知らないのか、クラン?いい女には紅茶の一杯も楽しむ余裕が必要なのさ」


 啜るとか流し込むとか、そういうオークらしいガサツさはちっとも感じられない優雅な仕草で紅茶を嗜むステイシーに、クランはじりじりと焦らせられていた。

 おいおい、随分ともったいぶるじゃねーか。これがつまんねー話だったらタダじゃおかないぜ?


「あのな、クラン。あんたが考える本当に最低限、カレシに必要な条件はなんだい?」


 ステイシーは遠回りな言葉で、そんな焦れるクランを楽しむ。


「最低限……?んー、最低限か」


「いや、あんたが殴られて喜ぶような特殊な性癖があるなら別だけどね?」


「ないよ、そんな危ない趣味。まぁ確かにそんなひどいことしないっていう信頼が出来る優しさは絶対に欲しいよね」


「それさ」


 宇宙の真理を見つけ出した科学者のように、ステイシーは一つ手を叩いた。

 音に反応して、注文もないのにパンケーキを焼き始める店長。


「みんな最初に考えるじゃないか。優しい人がいいなって」


「そうだな」


「でもさ、優しいってどういうことだい?店長、頼む!」


「難しいな……あたしにもだ!」


「答えは単純さ。自分のしたいことを抑えて、私を大事にしてくれる人さ。ダーリンは私を大事にしたいって夜の営みどころか、キスだってまだなのさ!この私のワガママボディを前にしてね!……本当に我慢させてるなって思うんだけど、それが嬉しくてさ」


「おいおいおいおい、惚気んじゃねーの、こいつぅー!」


 ピューと口笛を吹くクランは、もう楽しくて楽しくて仕方ない。

 パンケーキだって一口でむしゃりだ。


「あんたも誰かと付き合うなら、婚前交渉を我慢出来るオトコを探すんだね。ま、なかなかいないだろうがね、私のダーリンみたいないいオトコはさ」


「チクショウ、言ってくれんねえ!」


「そんなダーリンが結婚しようって言ってくれてて……庭付きの一戸建てを買おうと思ってるって言ってくれたんだよ」


「それでゴリラでも飼うのかい?」


「そいつはいいね。あの可愛らしい生き物なら、ダーリンだって気にいってくれるはずさね」


「へっ、お幸せにな!店長、パンケーキ持ってきてくんな!この幸せ者のオークにさ!」


 果たして家に帰るとゴリラが待っている生活は幸せなのだろうか。店長は疑問に思いながらパンケーキを焼いていた。

 店長も家に帰るとゴリラが待っているから、その気持ちはわかる。名前は妻という。


「ありがとよ。まぁでも、なかなか世知辛いんだけどね。街の土地は馬鹿高いし、傭兵か冒険者やるにしても、長いことダーリンを置いていくわけにはいかないしね」


「それであたしを捕まえて奴隷に売り飛ばそうって話なのか」


「そうさ、一発逆転のいいアイディアだろ」


「確かにな。そこまでラブラブだと早く結婚したいもんな」


 確かにな、と流していい話なのだろうか、自分を売り飛ばすとか。店長考えながらも無言でパンケーキを置いて下がった。

 彼には次に焼くパンケーキが待っているのだ。


「あー……その、言いにくいだろうし、無理に言わなくていいんだけど、ダーリンさんのお仕事はなにを?」


「売れない俳優さ、今はね。でもカレなら絶対にビッグになるから……私がカレを支えるから」


「へっ、泣かせる話じゃねえか」


「ふふっ、クランにもそういう相手が見つかるさね、絶対」


「ふん、その時はあんたが悔しがるようないいオトコを見つけてやるからな」


「ダーリンよりいいオトコ?六十年生きてきて、見たことがないさ!店長、パンケーキだ。どんどん持ってきてくれ!」


「紅茶も忘れんなよ」


「でも……やっぱり心配な所はあるのさね。マリッジブルーってやつなんだろうけど……」


「あー、優し過ぎて悪い友達に騙されて借金作ったんだっけ?」


「そうなのさ……誰かを信じるダーリンの優しさも好きなんだけどね」


「……なあ、おい。あたしにとびっきりのアイディアがあるんだ。いっちょ聞いてみないか?」


 閃いた、と目から魔力を漏らしたクランの瞳は、異様に爛々と光り出していた。

 あれ、なんか身体に悪いもんじゃないよな、と心配する店長だが、ちょっとしたチャームポイントなので問題はない。


「なんだい?私の心配を吹き飛ばすような考えなんだろうね?」


「もちろんさ。こいつを聞いたら、あんたはあたしに感謝のキスをするかもしれないね」


「残念だけど、私の唇はダーリンのものさ。女子どもにだってやれないよ」


「まぁいらんけどさ。それより、だ」


 ぐっと顔を近付けたクランは、むしゃりとパンケーキを貪った。


「悪い友達がいるなら、悪い友達がいなくなればいいんじゃねーの?」


「…………それだ」


「そう、あんたのダーリンを惑わせる悪い虫を追い払えば、あんたとダーリンの未来は……」


 本来なら自分で気付けていただろう、むしろ野蛮こそが得意分野のオーク。

 しかし、彼女は恋のため、礼儀を学んだオークだった。だからこそ気付けなかった盲点。

 法律を知る野蛮人、エルフだからこそ気付けた視点である。

 それは押し込み強盗!


「あんた天才じゃないのさ!ダーリンが借りたのはスラムのろくでなしどもさね。借金の証文だって焼いちまえばいい!……あとはちょいと金庫から結婚資金を拝借しちまえば、完璧じゃないか」


 街の中に暮らしているからと言って、誰もが必ず法に守られているわけではない。

 税が払えない連中が行き着く先がスラムであり、彼らを守る義務は極論すれば為政者に存在していない。

 なんかうちに住んでる油虫ゴキブリのようなものだ。

 スラムをなんとかしたいのは山々だが、なんとかするためには先立つ物が必要で、かといって完全に放置していては、きちんと税を納める良民が困るという厄介な存在だ。

 かといってスラムに住む住人をまとめて処分するような真似をすれば、あっという間に政情不安が訪れるというマイナスしかない連中である。

 その油虫のような迷惑者の数を、ほんの少しばかり、多少、ちょっとだけ間引いただけで怒る者はいないはずだ。怒られたら切り抜ければいいし。


 基本的には土地の掟に従うが、それはそうと従わない理由があるなら従わない。

 それがエルフが時に厄介者として扱われる理由である。

 法を守らせる保証とは、力だ。

 財力や権力ではなく、純粋な武力だ。

 大した兵士もいないこの街で、この二人を止められる法は存在しておらず、自らを律する理由も彼女たちには存在していなくて、止められる力も存在していない。

 それどころか悪さする連中が減るからよかったね、感謝していいよ、くらいにクランは思っていた。

 ステイシーは法うんぬんを、特になにも考えていない。

 最悪、賞金首になるようなことがあっても、他の国に逃げればいい、と割り切っている二人に怖いものは存在していなかった。


「やっちゃおうぜ」


「やっちまうか」


 そういうことになった。

 出来たらうちの店で、そんな犯行計画を堂々と立てるのはやめて欲しいな、と店長は心から思った。

 記録的な売り上げと共に、なにも聞かなかったことにした店長は昼で店を閉めた。

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