第13話・外に出ると、曖昧な時間になっていた

「出かけてくるよ。夕飯はいらない」


 宿に一声かけて外に出ると、曖昧な時間になっていた。

 朝でもなく、昼でもなく、働く人達は忙しそうで妙に取り残されたような気分になる。

 見聞を広げている、と言うにはなんとなく物足りず、自分一人がサボっているような心持ちにクランはなったいた。

 酒場。粗野な荒くれどもとの交流を持ちたいところだが、さすがにこんな時間には空いていないだろう。

 いっそ国に帰ろうか。

 自分をバカにする連中はたくさんいるだろう。そいつらに喧嘩を売りながら、経験を積むのはどうだ。

 場数を踏むなら、いっそそっちのほうがよさそうな気がしてくる。

 ひりつくような、『恥知らず』との戦いのように、死ぬかもしれない戦いも出来るだろう。

 とはいえ、だ。


「あれで自分が強くなった気もしないんだけどなあ……」


 物語では死闘を超えたら強くなるものだろうに、実際はそういうわけでもなかった。

『恥知らず』を倒したまぐれ当たりはともかく、出来なかった技が出来るようになったとか、そういうことはちっともない。

 出来なかったことは出来ないままで、出来ることは出来るだけ。

 やはり地道な修練が、もっと必要だということなのだろうか。

 クランは地道な修練が嫌いな方ではない。ちまちま柔軟を続けて、それまで広がらなかったところまで関節が広がるようになった時など楽しくなってくる。

 出来なかったことが出来るようになるのは、楽しいのだ。

 昔は全然上がらなかった足が、今ではI字バランスから空中で前転をしている最中、足を入れ替えて再度I字バランスが出来る。

 まぁ普段使いの革のズボンだとそこまで足が上がらないから、強くなるという部分には大したの意味もなさそうなのだが。ただの曲芸だ。

 こうなれば筋肉か。

 ひたすらに筋肉を付けて、一気呵成に剛剣をやるのだ。

 強い攻撃をひたすらに打ち込む、というのは一種の憧れがある。

 ただまぁエルフ種自体、そんなにムキムキにはならないのだが。

 素の筋力は人間よりはマシな程度で、力は強化魔法なり魔術を練習した方がよほど使い物になる。

 なら技か。それこそちょっとやって強さに繋がる気がしない。

 どこかで設備を借りて装備に魔術を刻む。教本があるわけでもないのに複雑な魔術が使えるほど、クランは熟達していない。それ以前にまともな装備を持っていない。

 装備を整えるにしても、人間の街で期待出来そうにもない。彼らが得意とするのは廉価な粗悪品だ。なんでもいいなら、このままでも大して変わらない。

 ぐるぐると考えて、結局は同じところへ戻ってくる。

 どうやったら、強くなれるんだろう。


「ちっ」


 こんな時、と無意識に浮かび上がる言葉に苛立つ。


「なあ、そこのエルフの小娘」


「あん?」


 反射的に自分でも感じが悪いな、と思う声が出ていた。


「なんだよ、オークか」


「オークだったら悪いのかい?」


 太い女だった。

 感じの悪い女だった。

 見上げるような上背で、子供の腕ほどもある太い指が組まれた腕を苛立たしげに叩いている。


 オーク、それは愚かな生き物だ。

 国家を建設した列強五種族——エルフ、人間、獣人、魔人、ゴブリン——から溢れ落ち、三人のオークを同じ部屋に閉じ込めれば、一人になって出てくるような協調性の無さと強い凶暴性に満ちた生き物である。

 緑色の肌は落とした岩をそのまま貼り付けたかのようであり、上唇から覗く発達した下牙はひたすらに鋭く太い。

 平らな豚鼻は、いかにも打撃に強そうながっしりとした作りで、急所だけを包んだ皮鎧は面積が少なく、ひたすらに筋線維を束ねた腕がバカみたいに太い。

 スリットの入ったスカートから覗く足なんて、丸太のようですらあった。

 武器こそ持っていないが、いかにも強そうで、それが妙にクランのいやなところに触った。

 自信に満ちた顔つきに、妙に腹が立つ。


「ちっ、まぁいい。あんたを呼んでる人がいる。来な」


「おいおい、知らない人には着いて行っちゃいけないって習ったことないのか?」


 来な、じゃねえよ。

 ほんの少しくらい説明しようって気はないのか。


 オークにはないのである。

 困ったことがあれば腕力、困っていなくても腕力。

 そういう愚かしさが、オーク自らの国家建設を阻んだ。

 英雄と呼ぶに相応しく、協調性を知るオークがオーク種の国家建設を目指したことがある。

 しかし、彼が存命中の間に、あっという間に国は滅んだ。

 それ以来、オークは自らの国家は求めない。

 何故なら、


「そんなガキのたわごとは習ったことはないねえ。なにかあったら、ぶん殴ればいいだろう?それともなにかい。ビビって動けないのかい?私が抱えていってあげようか、ミスお嬢ちゃん


 国の法の庇護が、この腕力より強いとは思えないからだ。

 協調?団結?それは食えるのかい?


「はっ、あんたと違って育ちがいいもんでね」


 辺りから人影がなくなっていた。

 誰かが人払いをした、というわけではない。

 不機嫌なエルフと、不機嫌なオーク。

 その不機嫌な二種族が向かい合うところに、わざわざ近付きたいと思う人間種がいるはずもあるまい。

 あっという間にどこかへ逃げ去った人々の心配はクランの中から失せ、立ち位置である交差点は距離を取るには十分な広さなのをは横目で確認した。

 地面は少し荒れた石畳。障害物は屋台や植木。


「つまり、あんたはそのお綺麗な顔をちょっと平らにしてから、話がしたいってわけだな」


「つまり、あんたはその平らな顔をへこませたいってわけだな」


 やる気になったクランに、オークはにやりと笑った。

 オークは愚かだ。

 しかし、列強五種族からと言われるだけの理由がある。

 国家樹立を成し遂げられる六種族目になれると思われていただけの理由がある。

 理由は馬鹿馬鹿しいほどに単純だ。


「うおっ!?」


 放たれた拳に、見るべき技巧はクランからしても一切ない。

 初動が見え見えで、身体の力がちっとも上手く乗っていない大ぶりのパンチだ。

 だというのに、


(当たったら死ぬ……!)


 単純な身体能力だけで、エルフの華奢な肉体など何の問題にもならない威力。魔法なんぞなくても、間違いなくクランは破裂するであろう拳。

 慌てて横っ飛びに避けたクランの背中に、石が砕ける音がぶつかった。

 種としてのオークは愚かだ。

 エルフと同じように、オークは寿命の上限は判明していない。

 百や二百は優に生きる。しかし、七百から上は歴史上、判明していない。

 どのオークも、戦って死ぬからだ。

 単一個体としてドラゴンに並ぶ生き物。ただ強く、それだけの生き物。

 それが、オークだ。


「あんまよそ様に迷惑かけんなよ。どこ狙ってんだ、この下手くそ」


「エルフはちびっこ過ぎてね。次はよく狙うさ」


 分厚い石の壁が砕け、土埃の中から現れるオークは、化け物にしか見えなかった。

 おそらくは——生き延びたオークは、戦場で身に付けた武技を振るう。そうなったオークを止められるのは、エンシェントクラスのエルフだけだ。それに対抗出来る者だけだ。そうではないのだから——まだ年若いオークだ。

 よほどの差があるならともかく、つまり逃げる、というのはちょっと面白くない。


「その腰のもん抜きなよ、エルフのお嬢ちゃん。あんたの細っこい腕で殴られるよりは、ちっとはマシになるだろ」


「ぐっ……!ぬぅ!?」


 オークが虚言を弄することは滅多にないし、自分の感情に正直な生き物だ。

 心の底から言っている、というのがストレートに伝わってくるだけに、実は剣を抜くつもりだったクランは、抜くに抜けなくなった。

 ち、ちくしょう。負けた気分になっちまう!ということである。


「あ、あんた相手に抜く必要はなさそうだからな。いいぜ、素手でやろう」


「へえ、面白い。殴り合いに付き合ってくれるエルフはあんたが初めてだよ」


 そらそうだろう。エルフとオークの馬鹿決定戦か、これ。

 少し笑みを浮かべたオークにそんなことを思いながら、クランは拳を握った。

 スタイルはオーソドックス、両足は踵をつかない軽い爪先立ち。左手を少し前に、右手を引いての構えだ。

 対するオークは両手をだらりと下げ、構えらしい構えはない。

 構えのない構え、という名人の極地のような上等なものではなく、単純に構えていないだけである。


(それでこれか、おい)


 山が、そこにある。

 ずしりと重い存在。これに殴りかかるのはよほどのあほであり、そのあほが自分だという事実にうんざりする。

 距離は元々離れていない。オークは足を使う気はないのか、生来そういう発想はないのか、完全にべた足で俊敏な動きは出来そうにない。


(つまりは距離の出し入れのアウトボクシングが正解か)


 さっと入り込み、さっと拳を繰り出し、さっと逃げ出す。

 クランもエルフの嗜みとして、素手での戦闘は多少の訓練はしている。

 相手は見るからにタフだ。十発二十発撫でてやったところであっさり倒れるとは思えない。

 間違いなく長くなる戦闘時間の中、そのタフな仕事をやり遂げる強い気持ちが大切だ。


「なんだい、ビビってんのかい?それじゃあ、こっちから」


 と、言葉を続けさせようとはしなかった。

 初手、地面を掠めるような大アッパーは見え見えで、反射的に顔面にカウンターのストレートを叩き込む。

 がつん、と自分でもびっくりするような会心の手応え。


「行くよ」


 それでも言葉一つも止められはしなかった。

 地面から跳ね上がってきたのは、とびっきりの圧力だ。

 風圧だけでクランの華奢な身体が浮かび上がりそうな、魔法でもぶちかましてきたんじゃないかと思うくらいのでかい拳。

 ぶん、と鈍い風切り音が、クランの前面を叩く。視界の端で、掠めたマントの切れ端が散った。

 反射的にジャブ。固定されてない布切れを千切る威力ってなんだ、という思考と共に左に回り込んで、身体を回す体重を乗せてフック。

 狙いはきっちり顎の先、頭蓋骨がぐるりと回って脳みそがシェイクされる一撃。

 クランの体勢は万全、心の準備も出来ていて、技だってなかなかに冴えていた。


「へえ、なかなかいいパンチ打てるんだね」


 のはずが、いっそ感心したかのような涼しげな声が返ってくる。

 おかえしとばかりに放たれた大ぶりのフックをしゃがみこんで避け、前進してボディブローがちっとも突き刺さらない。

 厚い厚い腹筋は、鎧の上から殴ったことを差し引いても何を殴ったかわからないような手応えだ。

 この腹筋を切り取って鎧にした方が硬いんじゃないのか?


「くそっ、そう言うなら痛そうな声出せよ!」


「そいつは無理だ。ちっとも効いてない」


 頭上からなにかが迫ってきていた。

 左にステップを踏んだクランが見たのは、ぶおんと音を立てて落ちてくるオークの手だ。

 そのバカでかい手は空を切り裂き、石畳に虚しく落ち、バカでかい大穴が空いた。

 五指を広げた形に石畳に穴を開けたそれは、一体どれだけの威力があるのか。

 あれを食らったら、自分は原型を留めていられるのか。クランの背筋に冷たいものが這い上がってくる。

 しかし、手を振り下ろしたオークが膝をつくようにして動きを止めているこの瞬間は、確かにチャンスだ。


「オラァ!」


 力一杯、顎を蹴り上げてやれば、さすがに……ちっとも効いている様子がない。マジかよ。

 こきこきと首を鳴らし、なにごともなかったかのように平然と立ち上がってくるではないか。


「ええ……このブーツ、爪先に鉄板入れてるんだけど」


「安物だったんじゃないかい?次はもっと高いのにするんだね」


「なにで出来てんだ、テメー……」


「さて、そろそろ終わらせようじゃないか。いい女は男をあまり待たせるもんじゃない」


 ぶん、と代わり映えのしない鈍い右ストレート。カウンターにストレートを放り込むが、まったく動きは止まらず。


「そいつはどうかな?女を待つのが男の甲斐性だって言うぜ」


「へえ、エルフはそうなのかい?」


 今度は左のストレートがやってくるところに、左右のフックの二連打を返す。

 欲張りクランはもう一発、眉間に叩き込んで即座に距離を取る。


「ああ、そうさ。なかなか来ない女にやきもきする男。それが恋の駆け引き!」


「恋の駆け引き。そりゃいい!」


 しかし、距離を置いての駆け引きなんてどこにもなく、すぐに突進からの愚直なまでにストレートが飛んでくる。

 ひたすらにまっすぐで、重くて、クランをバラバラにしそうなパンチだ。

 まともに拳を打ち込み続けても、先にダメになるのは間違いなくクランだ。もう指と手首が痛くなってきた。

 あまりに重苦しい重圧は、この短い交差の中でクランの体力を奪い、息を荒くさせている。

 タフな仕事になると思っていたが、こいつはそれ以上にタフ過ぎた。

 こうなったら、狙うは一撃必殺。


「そういうの、狙っていこうぜ!」


 受けて捌くのは、間違いなく無理だ。

 腕どころか、鉄剣で受けても折れる。

 だから、クランは飛んできたオークの腕を身体全体を使って受けた。

 敵の力を利用する合気を極めている、とはどれだけ調子に乗っても言えないが、これだけ遅ければなんとかなる。


(なれよこのやろう!)


 オークの手首を下から肩に引っ掛けただけで、あほみたいな重さがクランの腰にかかった。

 腰が折れそうな重さに逆らわず、そのままクランは空中で一回転してオークの腕を全身の力を使って力いっぱい引く。

 ほんの少しだけ力のベクトルが歪み、オークの身体が前に流れた。


「喰らえ、オラァ!」


「っ、お!?」


 前に流れるオークの顔面が回転した勢いとオークの体重、ついでにちょびっとばかりのクランの体重も乗せて石畳に突き刺さる。

 伝わる感触は、とびきりの一撃。

 重い快感にも似た衝撃が、クランの腰を流れていった。


「っしゃあ!」


 クランは喝采を上げた。まさに快心の一撃だ。

 二度目はないであろう、上出来中の上出来だ。

 落とした角度は直滑降。背中からなんかじゃなく、顔面からだ。相当な威力が、


「ははっ、やるじゃないか」


「マジかよ」


 出来たらこれで終わって欲しかった、とクランは心から思った。

 あっさり立ち上がってくるオークは、その豚鼻から血が流れてきている。

 あれだけ拳を打ち込んで、変形の背負い投げを決めて、ようやく通ったダメージが鼻血一つだとさすがにうんざりしてしまう。

 受け身を取れるような角度で落としていないし、取った様子もない。

 単純に自前の頑丈さで耐えられた。

 エルフにやったら首の骨折れるってのに。

 うんざりしたクランは、少し間を空けることにした。

 呼吸を整え、回復魔法を施すのだ。このままだとあの硬いツラに打ち込み続けた手首と指がへし折れかねない。

 マントの下に隠した手指が回復するまで、少しでも時間を稼ぐ必要がある。


「なあ、おい。そういやあんた、あたしに何の用があるんだ。おねんねする前に聞かせておきなよ」


「ああん?ようやく身体が温まってきたのに、そんな眠いこと言うのかい?……まぁいい、ダーリンがお呼びなんだよ、あんたを」


「ダーリン」


「そうさ、とびっきりのいい男さ。連れていくけど、好きになるんじゃないよ?」


「ならねーよ」


 そのがどれだけハンサムだろうと、女を使って女を連れて来いと命令する男は性格的に問題がありそうな気がする。

 そういう男はちょっとなー、とクランは思った。

 自分の相手はクランを引っ張ってくれて、頼り甲斐のある男のがいいな、とクランは想像している。


「ああ!?ダーリンを好きにならない女がいるはずないだろ、ふざけたこと言ってんじゃないよ!」


 どれだけぶん殴ろうと涼しい顔をしていたのに、少しダーリンについて話しただけで緑の頬を赤く染めているオークに、必死に戦っていたのが馬鹿らしく思えるのと同時に、少しばかりの興味が湧いてきた。


「ダーリンねえ。女を使って、女を連れてこいなんて言うろくでなしだろ?騙されてんじゃねーの?」


「失礼な事を言う小娘だね!ダーリンは優しい男なのさ。私に出来ることは私がやって、ダーリンが出来ることはダーリンがする。そういう役割分担なのさ。ちょっと優しすぎて、悪い奴に騙されちまったダーリンの借金を、あんたを奴隷商人に売って返すってアイディアをダーリンは出した。私はあんたをとっ捕まえて、叩き売る。そういう役割分担なのさ!」


 役割分担か、それ?

 ただいいように使われてるだけなんじゃないか、それ。

 いやでも、ここまで真剣に言ってるんだし、本人たちとしてはそういうものなのかもしれん。

 みんな色々あるもんなんだなあ。

 しかし、あたしを奴隷として叩き売るって言ってんのに、そのダーリン好きになると思ってんのか、こいつ。あほか。


 ちたみにオークに重大な秘密を絶対に教えてはいけない。こうして全部さらりとぶちまけるからだ。

 それはエルフに不名誉な二つ名で呼んで喧嘩を売られる確率よりも、はるかに大きい。


「あー、その……失礼、おばさんミセス。あたしはそのたわごとをいつまで聞いてりゃいいんだ?」


 ふん、と流れる鼻血を鼻息で吹き飛ばし、女は言った。


ミセスお嫁さん?そんなおべっか使って、いまさら私に優しくされようってかい?来なよ、『担い手』。あたいの婚期のため、この『ゴリラ・ゴリラ・ゴリラゴリラと呼ばれた女』が、あんたのツラを真っ平らにしてやるんだからね」


「へえ、婚期」


 婚期ときたもんだ。そいつは聞き捨てならねえな。


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