第12話・三日も過ぎた頃には荒野の植生は変わり、ぼちぼち草木が生えてきていた
マーニャと別れて三日も過ぎた頃には荒野の植生は変わり、ぼちぼち草木が生えてきていた。
そこから二日も進むと、今度は森だ。
歩む街道以外は先の見通せない深い森であり、この辺りには人の手は一切入っている様子はまったくなく、慣れていない者が入ればあっという間に迷ってしまうだろう。
もちろんクランはエルフだ。
無理せず、森の中には立ち入らなかった。
森の中からは色々な生き物の気配がして、どんな危険があるかわかったものではない。
手入れのされていない森は足元が危うく、この森には魔獣も生息しているだろう。不安定な足場で、好き好んで戦う必要性はちっともない。
エルフは森歩きは得意だと他種族に思われることが多いが、年を重ねたエルフの技能が優れているだけであり、森の中を自由自在に歩ける若いエルフがいるとするのなら、そのエルフ個人の技能であって、種族の特性では決してない。
そんな特性があるなら、クランは道に迷っていなかった。
特に最近では都市部に住む若いエルフの森離れが問題とされる昨今である。
何故、わざわざ森に入らないといけないのか。それがわからない。
「……ふーむ?」
そんなこんなで街に辿り着いたクランだが、不思議な気分に陥っていた。
少し小高い丘の上から見渡すと、街の周辺は無理せずに歩いて半日分ほどの距離の森が伐採されており、周囲の見晴らしが確保されている。
城壁の周囲には畑が広がり、所々に薪取り用の小さな林が点々としていた。
クランのやってきた東側には櫓やちょっとした木組みの柵があり、その辺りで兵士たちが数人だらだらとしている。
適当な魔法一発ぶちこめば、あっさり終わりそうな設備だ。それとも咄嗟に対応出来るほどの練度があるのだろうか。
街に流れ込む川はなく、地龍によって歪んだ水脈で浮かび上がった水で人々の渇きを癒しているのだろう。
普通の光景に思えた、が何故かやたらと違和感がある。
「ああ、そうか」
気付いてみれば簡単だ。
街を取り囲む壁が、のっぺりとしているのだ。
静の国が成立した頃である。
ある国がなにかの素材を混ぜ込むことにより、真っ白な壁を作る技術を手に入れた。
そうなると、見せびらかしたくなるのが人情である。
白壁で作られた壮麗な城は呼び集められた各国の大使の度肝を抜いた。
その中に、エルフもいたのだ。
確かに純白の壁は綺麗だが、物足りない。
そう思った彼は、己の魔法技術を駆使し、一夜にして純白の壁に緻密な装飾を施してしまった。
大問題になったが、本人が長いエルフの人生で最高の出来と言う程度には凄まじい物が出来上がったので、最終的にはお咎めなしとなったのだが。
空いている壁があれば、公共のキャンバスとみなす習性のあるエルフからすると、なんの装飾もない城壁というのは非常に違和感がある。
なんかの騙し絵ではないか、と疑いながら柵が作られている場所までクランが近付いていくと、櫓の上に慌てて兵士が駆けのぼり始めていた。
「おい、そこのエルフ。ちょっと止まれ」
「あ?」
その場に近付いていくと非常に高圧的で、非常に粗野な声のかけられ方をされて、クランは少しばかり苛立った。
にこやかさなんてちっともなく、ひどく緊張した表情を浮かべる人間の兵士が三人、クランの正面に立っている。
話しかけてきた兵士こそ胴当てとズボンを履いているが、後ろに立つ二人は見るからに粗末な剣と尻が半分覗いているような見窄らしい服装だ。
整えられていない髭は見苦しく、体臭もきつい。洗っていない犬よりひどい。
まだ抜いてはいないものの、腰の剣に手をかけている奴もいて、これが街から離れた街道だったら先制攻撃をしかけられていてもちっともおかしくない態度だ。
エルフの考える兵士は、もっとしっかりした装備をしているが、比べなくても非常に質が悪い。
クランから見ても、武器の扱いはおぼつかず、彼らの立ち位置もなんだかあやふやだ。
咄嗟にクランを抑えるには遠く、微妙に腰が引けてるようにしか思えない。
「どこから来た」
「……静の国からだけど」
「目的は?」
「観光」
「観光……?」
知らない言葉を聞いた、と言わんばかりの兵士だが、人間からすれば小人数で旅をするエルフという存在は理解の外にある。
恐ろしい魔獣、飢えた山賊、壁の外は恐怖しかないのに、一体なにをするというのか。
無防備な村でも襲うのか?
「なあ、ところであんたら。ひょっとしてだけど、あたしと喧嘩してーの?そこの奴なんて、剣に手かけたまんまだし」
「い、いや、そんなことはない!?エルフに逆らうつもりなんてあるはずないじゃないですか!?も、もう行ってもらって結構なんで、はい!」
苛立ちも吹き飛ぶくらいに、変化は一瞬だった。
高圧的で威圧的だった態度が、一転してへこへこと頭を下げ始めたのだ。
「あー……そのなんだ、仕事頑張ってな」
「はい、ありがとうございます!アロクの街へようこそおいでくださいました、閣下!」
殺さないでいてありがとうございます、と言われている気分になりながら、クランはその場を後にした。
なんだったんだ、一体。
城門に辿り着いたクランへの扱いも、そんな感じだった。
最初は高圧的に出るくせに、少しばかり疑問を表明しただけで、やたらめったら怯えられる。
それだけで入市税銀貨八枚が、三枚になった。
「なんだ、こりゃ」
マーニャとの出会いがよかっただけに、クランはすっかり人間が嫌いになっていた。
「お、エルフの旅人さんかい?こいつはおまけだよ、食ってやってくんな!」
「ありがとよ、おっさん!いやぁ、人間ってのはいい生き物だな!」
クランは気分良く、その場を後にした。
兵士こそ態度が悪いが、中に入ってみればまったく違う。
串焼き二本買えば、愛想のいい接客でおまけにもう一本だ。
機嫌が悪くなる理由がない。
もしゃもしゃと食べているのは、鶏肉だ。
甘いたれが、結構美味い。
「ふむ」
串焼きを食べながら、クランは色々と考える。
ここから先はまったくのノープランだったのであった。一応、人間の街見とくか、くらいである。
マーニャからは、街に入ったらまず宿を探せ、出来たら街の真ん中にある宿を探せ、と言われていた。
門の側にある安い、大部屋しかない雑魚寝専門の宿なんかには泊まってはいけない、と鞭と共に厳しく言いつけられていたのをクランは忘れてはいない。
「そういう安いとこにも泊まってみたいんだけどなあ。宿なあ、どうすっかなあ」
せっかく旅をしているのだから、そういうのも経験ではないか。
屈強な戦士たちと親交を深める。そういうのもありではないか。
酒と武勲譚を大いに交わすのだ。
「よくない?」
この場にマーニャがいたら、再び鞭が飛んだことだろう、それも力一杯。
まぁよさそうなところがあったら入ろう、と考え始めたクランは適当に歩き始めた。
人間の街は、ひどく狭苦しい。
門から続く大通りのはずが、諸々の屋台が立ち並び、馬車すらすれ違うのに苦労するだろう有様だ。
その後ろの建物も二階、三階建てでまた狭い。
石造りの建物ばかりが立ち並び、なんだかやたらぎっしり詰まっている。
頭上を通る渡り廊下には、串焼きの屋台から立ち昇る煙を恐れず洗濯物が干してあり、道端には汚物がそのまま落ちていた。
道行く人々は忙しなく、人間以外の顔ぶれというやつがちっとも見えなくて妙な気分になる。
「ねえ、お姉ちゃん。その串捨てるの?」
「ん、ああ」
食べ終わった串焼きの串をどうするか、と考える間もなく、小さな子どもに話しかけられた。
建物と建物の隙間から現れた子どもは、性別すら定かではない幼さで、元がどんな服だったかのようなボロを着ている。
めくれ上がって荒れた石畳の上だというのに、裸足であり、クランは内心ぎょっとしていた。
「じゃあ、僕が捨てておいてあげるよ」
「ん、ああ、頼む」
「はい」
「ん?」
と、串を渡したところ、子どもは手を出した。
手のひらを上に。煽りではない。
「チップだよ、チップ。他人になにかしてもらったら、チップを払うもんだよ」
「そ、そういう掟があるのか」
素直に銅貨一枚。
「ごほんごほんごほん!ごほんごほんごほん!」
すっごい渋い顔と共に、わざとらしい咳払いをされてしまう。
銅貨二枚。
「ありがとう、お姉ちゃん!あなたに幸運を!」
あっという間に再び建物の陰に走りこんでいく子どもを、黙って見送る。
文化が違うなあ。
「ねえ、そこのエルフさん」
「あ、はい。なんすか」
なんだったんだろうなー、と見送っていたクランに、今度は中年の女が話しかけてきた。
にこやかな、いかにも話好きそうな女だ。
「ちょっと見てたんだけどね、あなた騙されてたわよ。元々、あの子ども達は捨ててある串を拾って売って暮らしてるの。チップなんてあげることなかったのよ」
「え、ええ……そうだったんですか」
木材という物は都市部において、重要な物資である。
森というのはひどく厄介なもので、人間が住むためには多大な労力を支払って処理しなければならないものだ。
しかし、都市を建設した瞬間、そこに住む人間たちが燃料や家具、建材やその他もろもろ。木材の利用は留まることを知らない。
そうなると、少しばかり薪取り用の林を残しておいたところで足りるものではないのだ。
建材の端切れから木串が作られ、その木串が再利用される。
そこまでやっても木材は常に不足して、それを拾う子どもたちに労働の需要が生まれる。
「そうなのよ。あの子どもたちは嘘つきばかりで、私達も困ってるの。もちろん何かしてもらったらチップは必要だけどね?」
「あー……それはなんていうか、大変ですね」
「ええ、私ももう少し早く気付ければ声かけられてたんだけど……そうだ、お詫びと言ってはなんだけどエルフさん、あなた宿を探してるのでしょう?」
「そうですね。個室に鍵ついたところないかなって」
「まぁ偶然ね!私の友達の宿がそうなの!もしよければ紹介しましょうか?」
「あー……」
クランは少し悩んだが、特に断る理由も浮かばなかった。
「じゃあ、お願いします」
「ええ、それじゃあ行きましょう。すぐそばよ」
クランは気付いていなかった。
自分が宿について呟いたのが、子どもに話しかけられる前だったということに。
そして、何故この女がそのことを知っているのかを。
「さ、お一人様ご案内よ!」
「ありがとうございます」
「いいのよ、困った時はお互いさまじゃない」
宿の受付で、女が銅貨三枚を受け取っており、受付に座る女ににやりと笑ったことを。
さらりとカモにされていることに、クランはちっとも気付いていなかった。
「いらっしゃいませ、何泊のご予定ですか?」
「うーん……そうだなあ。三泊分お願いします」
「では銀貨三枚となります。当店は先払いとなっております」
「はい、よろしくおねがいします」
串焼き一本で銅貨二枚、銅貨百枚で銀貨一枚となる。
貧民も買えるように、と固く決められているパンも銅貨二枚である。
「では、こちらのお部屋となります。水を使う場合は中庭の井戸、お湯を使いたい場合はたらいいっぱいで銅貨八枚で、こちらまでお運びします。夕食は銅貨十枚です」
「じゃあ、お湯と夕飯をおねがいします」
案内された部屋は、狭いものだった。
人二人が両手を広げれば、もうそれだけで身動きが取れなくなる程度か。
ベッドは藁の上に洗いざらいのシーツが敷いてあり、部屋の隅には少しばかりの収納用の棚がある。
鍵は付いているが、まぁ手慣れた者なら三秒はかからないような、玩具のような鍵である。
決して一泊銀貨一枚の部屋ではない。
麦穂拾い亭、普段は一泊銅貨二十枚。
「お湯をお待ちしました。こちらサービスで布をお付けしますので、お身体を拭くのにお使いください。終わりましたら、宿の者にお声がけくださいね」
「あ、ありがとうございます」
クランは気前よく、チップに銅貨二枚を渡した。
「ありがとうございます。用事がおありの時は、遠慮せずお申し付けください」
女は、満面の笑みで答えた。
いい人だなー、とクランは思った。
エルフの旅人は、人間にとっていいお客様だ。
誰もが彼らの一挙手一投足に注目し、彼らの財布に手を突っ込もうと考えている。
特に世間知らずのエルフとくれば、あっという間に話が広まっていく。カモの情報は、ちょっとした手数料や、ちょっとした貸しとして売れるのだ。
次の日の目覚めは、とてもけたたましい鶏の鳴き声で起こされた。
石に囲まれた街は、妙な反響をして気持ち悪さすら覚える。
頼んでいたお湯で顔と身体を洗うと、クランは色気のないショーツ一枚で日課にしている柔軟を始めた。
真っ直ぐ立ったクランは、ゆっくりとその長い足を持ち上げていく。
肩と水平になるように、真横に。
息は吸わず、ゆっくりと細く吐き続ける間にも足は上がっていく。
伸びた膝とぴんと張ったつま先が腰を超え、肩の高さまで上がっても止まりはしない。
膝が頭の後ろにかかるまで、その動きは止まらなかった。
「すぅ……」
ゆっくりと息を吸い始めるクランの足が、またゆっくりと戻っていく。
自分の身体というものは、自分が思っているよりも重い物だ。
鍛えていない者であれば、ちょっとお茶を一杯飲む時間程度でも、腕を上げ続けているだけで力尽きるだろう。
「やっぱ鈍ってんな」
そうやって全身の筋肉を動かしていくと、クランはそのことに気付いた。
歩いているだけでは、歩くために必要な筋肉しか付かない。
半月近く歩き続けたクランのほっそりした足に、少しばかり肉が付いていた。
しかし、バランスがどうもおかしい。
当然の話だ。歩いている時に使われて鍛えられるのは歩いている筋肉であり、歩いている時に使われていない筋肉は使われず鍛えられることはないどころか、どんどん衰えていく。
かと言って、何が起きるかわからない旅の最中で、負荷のかかるトレーニングをして余計な体力を消耗するわけにはいかないだろう。
「……どうやったら強くなれるんだろう」
左足を頭の上に掲げ、Iの字になったまま直立するクランは呟いた。
旅をしていては、トレーニングは難しい。こうして疲労抜きを兼ねて、しばらく一ヶ所に滞在するのは、そういう自己確認という意味もあるらしい。
だが、ここからどうすればいいのか。
トレーニングなどで強くなれるなら、怠惰に寝転がっているだけのルディはとっくに負けているはずだ。
素振りだってしているのを見たことがない。
才能。その一言で片付けるには、少しばかり物が大きすぎる。
片付けられたら、心が折れてしまう。
というわけで、あると仮定すべきだ。
「なにかは、あったはずなんだ」
そのなにかがわからないから、どうしようもないのだが。
目標を一番上まで引き上げなくても武者修行って実際、なにをするんだろうか。
「うーん、わからん」
こういう時、と聞こえた。
それが自分の声だと気付いてしまった。
「……これはよくない」
頭を一つ振って、街に出かけることにした。
狭い部屋にこもっていても、気が滅入るだけだ。
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