50 不完全な悪夢の羽化 *

 ● ● ●


 二人と二匹が立てた作戦はアリスを軸に立ち回る方法。

 時間に干渉できるアリスの力を駆使して発生する竜巻を一斉に消し去る。

 アリス曰く多少の時差が起こるというので連続攻撃に自信のある桃太郎と領主が援護兼アリスの護衛。

 竜巻が消滅して悪魔憑きとジンを発見後、オオカミがジンを奪還。


 悪魔憑きに対してはあとは逃亡しようと決めた。

 悪魔憑きは『めでたしめでたし』に関係ない。

 悪魔憑きに対処する正規の組織は別にいる。

 ならばアリス達がすべきはジンの奪還のみだと判断した。


「アリス殿。如何でござろう?」


 左斜め前から熱気に混ざって静かに流れてきた問いにアリスは閉じていた瞼を開く。

 銀糸の睫毛が照り付ける陽光に煌めいた。


「はい」


 轟々と暴風の唸り声。

 鼓膜を揺さぶられながらアリスは胸に抱く懐中時計を握り締める。

 文字盤上にいくつもの長針と短針が集合する金の懐中時計。針達はなにかを探すように進んでは戻ってを不規則に繰り返す。


「いま出ているのはまとめて捕らえられると思いますわ」

「時間を扱っている間の護衛はお任せあれ」

「同時に扱えず申し訳ありません」

時間干渉白兎物質透過チェシャ猫は違うよ。一緒に使えなくて当たり前だよ。できたら一人で百歩だって進めるよ」


 右隣に座っている領主がピンク色の鼻で一笑する。錆びた臭いに刺激を受けたのかくしゃみをひとつ。長靴を履いた後脚で砂を引っ掻いてから鼻と口周りをザラつくの舌で舐めた。

 それから前脚で顔を整え始める。


 せっせと熱気によって乾いた顔を洗う領主からアリスは顔を逸らした。

 真上から移動しない巨大な太陽に照らされる広大な時計の墓場。

 錆とオイルの異臭を濃くしながら巻き上がる黒い竜巻が獰猛に場を野蛮に荒らし続けている。あの竜巻のどれかにジンとともに悪魔憑きが潜むらしいが、アリスには気配が読み取れず居場所は特定できなかった。

 だが、アリスとは異なりオオカミには分かっているのだろう。


 少し離れた位置に埋まっているベルが外れた丸い置き時計の天辺に片膝をつくオオカミは黒龍の如く野蛮な竜巻共の先を睨んでいた。

 結われた葉巻色の髪が風に靡く。揺れる髪は獣が音を確認するために動かす耳を連想させる。

 ぎゅるりと締まった硫黄色の瞳孔は明確に竜巻の奥に隠された獲物をとらえていた。


「あっちも、準備できたみたいだよ」


 毛繕いをやめた領主が言った。

 巨猫は身体を起こし、前脚を伸ばすとそのまま上体を深く落として長い背伸びをする。持ち上がった尻から尻尾がぴーんと空をさし、二瞬目には脱力した。ゆるく尻尾を一振り。羽根付き帽子を爪先で整え、三角の耳を動かす。

 桃太郎が腰の愛刀にそれとなく手を添えたのを横目で見たアリスは少しだけ下がっていた肩紐をきちんと戻した。


 息を吸う。


 焼けた空気は呼吸がし辛く一瞬息が詰まる。それでもアリスが肺いっぱいに錆と油を絡めた熱気を含んだ時、赤い獣が動いた。

 硫黄の双眼が猟銃を吊るす革のベルトを一見。赤外套が熱風に撫でられる。

 赤い布地の内側で繋ぎ寝間着ネグリジェに包まれた細い獣の体躯が低い構えを取った。

 四つん這いというにはあまりにも凶暴な構え。

 四肢が地を蹴る準備に入る。


「アリス殿」


 獲物を狩る獣の気迫に飲み込まれていたアリスは穏やかな声に意識を引っ張られた。

 風に弄ばれる陣羽織。大きな背中はアリスを見てはいない。

 前を、竜巻達を注視したままの桃太郎に再度「アリス殿」と呼ばれる。

 右隣にいた領主もいつの間にかアリスより一歩前に出ていた。

 アリスも背筋を伸ばす。


「お茶会を――始めましょう!」


 掲げたアリスの右手の中。

 太陽の光を浴びて輪郭を一層艶やかに輝かせた懐中時計がすべての針を逆回転させた。

 荒れ狂う大蛇の竜巻が一瞬で霧散。

 砂一粒残さずに辺りは静寂に包まれて――――「いたよ!」

 領主が嬉々と叫んだ。


 残骸を撒き散らし、天高く穿つ遮蔽物がなくなったまっさらな墓場の一角。

 ぽつり、といたのは想像以上に奇異なもの。


「あ、の方が……悪魔憑きですの?」


 アリスの頬は引き攣った。


「ここは、現実ですわよ……?」


 それをアリスは夢の住人と見間違えた。

 時間がいない残骸の砂地に相応しい無音の中。脱力した様子で無気力に座っていたのはアリスと同い年くらいの人間。骨と皮に近い薄っぺらな体躯は衣服を身に付けてはいないが、性別が判断できない。

 なぜなら相手は頭部を大きく反らしており、晒された喉元からへそ辺りまでぱっくりと上体が裂け、亀裂から大量の羽根が這い出していた。


 本人以上に巨大な、領主すらも包めるだろう羽根やアリスの腕より細く小さな羽根。

 白くも粘液が付着して薄汚れた羽根は、様々な大きさを有する上にどれも非対称であり翼という機能を持ち得ていない酷く壊れた形状をしていた。


 膏血の絡まった翼が産まれたての芋虫のように激しく蠢き、連動してだらりと下がった両腕が痙攣する。みっちりと突き出した密集する羽根達は飛べもしないのに重力に足掻いて翼を動かす。

 羽ばたけば羽ばたくほど死臭を纏った体液と羽根が撒き散らされた。


 じゅぶじゅぶじゅぶじゅぶ……! と。

 異常なまでに内容量を上回っている莫大な翼が人間の中から溢れ出し、乾燥した空気に血と内臓の新鮮な異臭を放出する。

 曲がってはいけない角度に折れた細足の下に広がるのはもはや大地ではなく赤々とぬかるんだ臓腑の海。

 ぶづぶづぶづ、と羽音に混ざって筋繊維が千切られる音が遠く遠く離れたアリスの耳にまで滑り込んできた。


「あれは……なんて…………」中途半端な悪夢かしら。


 複雑な表情で零されたアリスのぼやきは最後までは音になりきらなかった。

 けれども、それで良かった。


 可愛くないわ。とアリスの口腔内でのみ囁かれた本音が外に漏れていたら流石の桃太郎ですら少女に訝しげな視線をさしただろう。

 ばたつく翼。

 形の悪い羽毛の雪が灼熱の地に舞う。

 

「――――ジン!」


 咆哮。

 悪夢と紛うピンと張り詰められていた血腥い現実に獣が突っ込んだ。

 足場として蹴られた置き時計が衝撃に負けて吹っ飛ぶ。

 飛び出した赤い獣の狙いは細い膝の間に置かれる古びたランプ。上体から飛び出た羽根の陰になっていてアリスにはランプを視認することは叶わなかったが、オオカミの双眸は最初からそこしか見ていなかった。

 彼女はアリスとは違う。

 狼には最初から分かっていた。

 分かっていたが届かなかった。

 邪魔な竜巻達はいない。

 彼女の邪魔はさせない。


「ジン!」


 勇猛な赤が、強烈な赤の領域に踏み込んだ。


「タスケテ――――――――――――――ッ!」


 突如、凄まじい絶叫がアリスの聴覚を劈いた。

 音が衝撃となって平行感覚を殴ってくる。足がふらついた。

 心臓が跳ね上がり、針を刺されたかのような生々しい不快感が全身を覆い、産毛が一斉に逆立った。

 爆発した感情。


 びくん! と大きく痙攣した後、悪魔憑きの仰け反っていた首が前に戻る。

 金具が外れたバネのように激しく起き上がったのは、粘土細工で作り上げた生気の無い顔。

 半開きの白濁した眼球に感情はなく、それなのに青白い唇から迸るのは救済に縋る祈り。

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