36 異世界の事情は仄暗く燻る

 旧書庫でシャルルマーニュに押し付けられた仕事をたった一人で髪を掻き毟りながらこなしていた過去の幼い自分が脳裏に描かれる。ローランは横髪を握り潰した。


「人に散々まとめさせておきながら……まさか見てねェンかよ! 私の髪を返せ! 旧文明資料整理で私は禿げたンよ! 精神負荷ストレス性円型脱毛症よ! ああああーッ! ンだから会議の時、私に読ませやがったンね!」

「勉強になったでしょう? その頃の苦労が支部長になったいま、生かされましたね」

「私が支部長になって真っ先にやったンは閲覧制限の見直しだわ! 見習いになンつーモン見せてたンよ! あれ、バレたら大問題よ!」

「リンゴーン。ハゲを作りながらも隠蔽してくれる優秀な弟子を持ってオレは幸せです」

「そういう話じゃねェわ!」


 荒ぶった感情のままに横髪を引き抜きそうになり、ローランは毛根に走った痛みで我に返る。

 若かりし頃に経験した精神負荷ストレス性円型脱毛症の苦痛は忘れられず、歳をとってからは余計に意識をし始めた。実の親の顔など覚えてはいないので遺伝的に毛根が強いのか弱いのかローランには判断できない。が、この細い毛質上常に油断はできなかった。気にし過ぎて髪を触る癖がついてしまったのは最大の失態だが。


「リンゴーン。そういう話ではないのです。戻して戻して」


 閑話休題とばかりに手を叩く音。

 ローランは力んだ肩を落とした。溜まった疲労感を少しでも自分の中から逃すために肺を絞る勢いで深く息を吐く。背後の扉に体重を預けた。


「どうするのですか、あの転移者トラベラー精神鑑定メンタルチェック健康診断ボディケアのための宿泊管理なんてバレバレの言い訳でしょうに」

「……考え中」


 扉に背をつけたまま膝を折り、ローランはずるずるとしゃがみ込んだ。呑気に紅茶を啜る音を耳にしながら乾く唇を舐める。隠しきれない焦燥感が胸焼けを起こした。


「同じ悪魔憑きならどうにかしてやれっと思ってたけど、転移者トラベラーじゃぁよお……」


 四地刻方面沿い街道検問所の側でウッドペッカーから話を聞いた時、ローランは車内にいた子供二人を見て悪魔憑きではないと即座に気が付いた。それはローランこそが悪魔憑きそのものであるため、自分と同じで悪魔を内側に潜めた者を瞬時に察知できる力を有するからだった。

 ローランが悪魔憑きになったのは何十年も前。気が付いた時には既にそうだった。

 人柱を敵視し、神の座から引きずり降ろそうと暗躍するユダと呼称される悪魔崇拝者達の組織カヴン転移者トラベラーの代わりの人柱に対抗する兵器として人為的に生み出されていたのが悪魔憑きだ。

 悪魔とは人と対話ができる精霊と言われているが、実際には少し違っていた。

混乱を避けるために教団が情報操作をしているが、悪魔とは正確に言えば人工的に生み出された精霊をさす。

 古い文明の技術を非人道的に研究し、数多の命を犠牲し、血腥く作り出された人柱に対抗するための人工精霊。それが悪魔の真の正体。


「私ァ悪魔生誕技術最初期アンバースデー・シーズンインフィデレスの悪魔憑きだから欠陥バグも多いわ。こうして歳も取るし、人としての自我も強い」

「ジリリー。良く言いますよ。そこまで人間らしく戻してやったのは誰だと思っているのですか」

「感謝してるわよ。こンな変な言葉遣い覚えさせやがったンは、はっ倒してェけどね」

「悪魔憑きは力を使い過ぎたら命とともに自我を失いますものねえ」


 気まずい話はすぐに逸らすシャルルマーニュをいつもならば咎めるが、今回は大人しく切り替えに乗った。ローランは話を戻す。


「あの子達も同じだと思ったの。でも違った。ならなンだって探ろうとしたら」

「人柱の敵たる転移者トラベラーだったと」

「ウッドペッカーからの話とか、あの子達の感じからして敵になる感じはしねェわ。なにより、真実はどうであれ人柱自身が喚ンだって言うし」


 ローランは髪を握る。


「そンなら、問題はあの子らはいつまでこっちにいるかよ。ユダには絶対に転移者トラベラーは渡しちゃいけねェわ。なら、人柱に強制帰還されるまで保護すンのが一番良いでしょう? でもあの子らは人柱から喚ばれたってよ? なンで? 世界の安寧を願っていままで転移者トラベラーを帰還させていた人柱がなンで自ら喚ぶの? あの子は作者っつーのが我儘を言ったからって納得してっけど、こっちは納得できねェわ!」


 荒々しく捲し立て、ローランは頭を掻いた。


「他の神が退屈しのぎに世界を混ぜた? どう考えたって、ンな馬鹿げた話で納得できるわけねェでしょ。私も、他の奴らも……」


 嘘だ。人柱の冒涜だ。世界を揺るがす。邪悪な存在。危険だ。人々の糾弾がローランの脳裏で飛び交う。

 ローランは自分の所属する組織の恐ろしさを知っている。シャルルマーニュに助けられ、死に物狂いで悪魔憑きという監視対象から退魔師エクソシストまで登り詰め、それでも悪魔憑きと罵られ敵意を向けられた。教団ムリエル支部の長にして最高位マスター聖騎士パラディンになった後も、ローランを人柱の敵だと陰口を叩く者は数えていたらきりがない。

 教団は正義ではないとローランは誰よりも知っていた。

 教団が行うのは世界の存続。

 そのためなら子供だろうが躊躇なく手にかける。

 世界の存続のためならば大規模な情報統制でも何でもするのが教団だ。

 本当にあの二人が人柱に強制送還されずにこの世界に居続けた場合、教団は確実に割れる。転移者トラベラーを始末しようとする者。利用しようとする者。なにもしない者。守ろうとする者。


「あの二人は教団が脅威として追っていた精霊と上位魔獣を倒しちまったンよ。本人達に敵意はなくても、それを理由に突っついてくる奴がいないとは言い切れない。教団は世界には優しいが、個人にゃ優しくねェわ」


 偽りを真実に、真実を偽りに偽装する術を教団は持っている。


「悪魔が転移者トラベラーの代わりに人柱に対抗すべき人工的に造られた精霊だって真実を捻じ曲げて、ただの意思疎通ができる精霊だと世に浸透させたように……真実が分かンねェなら社会的な真実なンてモンはいくらでも作れンのよ」


 人柱は安寧を望む。

 人間が強い力を得ることは許さない。

 転移者トラベラーは人柱の敵。

 敵にも味方にもならなくとも、転移者トラベラーは人柱に強制帰還される。

 転移者トラベラーは世界に影響を与える。

 人柱はそれを好まない。

 それがこの世界に浸透した常識。今更人柱が転移者トラベラーを喚ぶなど誰が信じるか?

 証拠もないのに誰が信じるか?


「色々言いますが……つまりは」


 黙っていたシャルルマーニュが色眼鏡の奥の瞳を細めた。眼鏡を薬指で押し上げる。魔鉱物ジェムでできた眼鏡紐グラスコードがチャリッと笑い声を上げた。


「自殺願望があったとは意外です」

「ちっげーわー!」


 ローランは勢い良く立ち上がって床を靴底で叩いた。

 確かに思考がまとまらず、言いたいことをうまく口にはできていなかったかもしれない。情報整理と自分の感情の確認を兼ねて思考を手当たり次第に言語化していただけだ。ぼやきと言っても良い。それでも自分を助け出し、義理の親として自分を保護し、弟子としてここまで育ててくれたシャルルマーニュならば察してくれると思っていたローランは不機嫌を露わにする。呑気に茶を嗜む師を睨み付けた。


「では、どういう意味で?」


 ふふ、と肩を揺らした後、シャルルマーニュは子供のように大袈裟に首を傾げて問い掛けてくる。

 ローランは頭に浮かんでいる答えをすぐに口に出来ず、ぐっと喉を引き攣らせた。


「あの転移者トラベラーを、ユダからも教団からも守りたいってことですね」


 シャルルマーニュが言いあぐねた言葉をローランが代わりに口にした。


「…………分かってンじゃねェの」

「ジリリー。それが自殺願望です。教団にとって転移者トラベラーとは人柱の敵。世界の安寧を乱す者。本人の意思など関係ありません。強制送還されなければ、世界のためにも討伐対象です」

「そこも、人柱が喚ンだってのが」

「ジリリー。証拠がない。お前がいまさっき自分で言ったのでしょう。馬鹿げた話で納得できないと」


 タクトで教卓を叩く教師のように、シャルルマーニュはティーカップの底でソーサーを叩いた。


「過去の文献でも人柱に敵対した転移者トラベラーが様々な策を投じていた記録はあります」


 シャルルマーニュは言葉を濁さず、飾らず、誤魔化さず、言い切る。


「下手に動けば糾弾されますよ。ただでさえお前は悪魔憑き……未だに一部の奴らに目をつけられているのは事実。ここでやらかせば、いままでの苦労は泡となる。悪魔憑きの処遇も昔のようになるでしょう」

「分ぁってるわよ」

「どうする気ですか? 知らなかったとは言え、精霊を倒したことは存外大きな影響を与えますよ。いまはまだ気付かれていないようですが……」

「あの子らが精霊を倒さなくちゃならなかった正当な理由を探すわ。ウッドペッカーに話を聞き直す。人柱に喚ばれたとかの話は一旦置いといて……いまは教団にあの子らが味方っつーことを主張しねェと。問題は、そっから転移者トラベラーの力を悪用させねェよう牽制だわ。少なくとも本部の……円卓の奴らにゃやらねェ。なにがなンでもこっちで転移者トラベラーの保護、観察をさせてもらうようにしねェと」

「ジリリー。難しいですよお。熱心な人柱崇拝者どもは転移者トラベラーと知ったら絶対に自分達の監視下に置きたがるでしょう。あわよくば処刑を目論んで」

「それさせねェためにうちでどうにかするっつってンのよ」


 か、と燃えるように。ローランは鋭い夕暮れの瞳を不敵な色に輝かせた。


「こういう時に自分の特性を活用しなくてどーすンのよ。転移者トラベラーは元々対人柱用兵器。悪魔憑きはそンな転移者トラベラーの代用品よ。万が一に転移者トラベラーが暴走した際、一番の対抗策として使えンのはこの私と異端審問官ジャッジメントだわ!」


 握っていた横髪を肩の後ろに投げ、ローランは断言する。

 確信を持って断言する。

 二人の幼い転移者トラベラーが敵に回る想像はつかないが、それでも予期せぬ自体から敵対すれば普通の退魔師エクソシストではまず敵わない。ならそこで動かされるのは悪魔憑きであるローランと彼の直属である悪魔憑きのみで編成された部隊異端審問官ジャッジメント

 異端審問官ジャッジメントは精霊や悪魔と少数で渡り合える精鋭部隊であると同時に、教団が疎む異端児の集まりだ。雑な扱いを受けていたところをローランがいまの地位を手に入れた際にまとめて引き受け、直属部隊として編成し直した。

 教団からすればローランと異端審問官ジャッジメントをまとめて監視でき、なにかあればまとめて失脚できるので編成時に嫌味は言われてもとめられはしなかった。なので、転移者トラベラーと一戦交えなくてはならなくなった時、教団としても他の退魔師エクソシストを犠牲にするのならばローランと異端審問官ジャッジメントを使いたがるはず。


「使われる前にこっちから動いてやるわ」


 はんっ、と強気に鼻を鳴らしローランは腕を組む。

 自分の利用価値を理解している、力強い言い分だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る