24 宝石茶会はじまるよ

「素敵な宝石達のお茶会にお招き頂け光栄ですわ」


 沢山の物が乗っていなければアリスが寝転がれてしまうくらい広々とした木製のカウンターは豪快ながらも緻密な彫り込みが施され、古めかしさと相まってずっしりとした良い味を出していた。カウンターの前でアリスがスカートを摘み上げて一礼すれば、老店主は柔和な表情を一層あたたかく緩めた。


「リンゴーン。こちらこそお越し頂いてありがとう。砂糖のようなお嬢さん」


 店主は気さくに礼を述べながらカウンターに鎮座しているポットが纏っていた厚いティーコージーを取る。花弁を模した六角形のソーサーに乗る花柄のカップに茶葉が入らないよう銀のストレーナーを引っ掛けてから紅茶を注いだ。室内の宝石達に負けないほど鮮やかな柄のティーカップに琥珀色が流れて行く。カップの内側で咲き誇る花畑が夕陽に染まるように紅茶に沈み、私をお飲みと言わんばかりに濃醇な香りがアリスの鼻腔を煽った。


「とても良い香りですわ」

「私のお気に入りのお店の、オリジナルブレンドです」


 こればかり飲んでいるのですよ。と、顔の皺を幸せそうに深め、老店主はストレーナーを片付ける。手際良く茶の準備を終わらせるとカウンターの内側から出てきた。壁際に置いていた丸椅子を手にして戻ってくる。丸椅子をカウンター前にそえると「どうぞ」と彼はアリスを席に促した。

 四本の猫脚は木製だが合成皮革の青いクッションがついており、長時間座っていてもお尻が悲鳴をあげることはなさそうだ。

 きちんと自分の席が用意してもらえるお茶会に、アリスは笑みを深める。この老店主、いや老紳士には是非とも先生としていかれた茶会に参加して色々と教授して欲しいと思ってしまった。


「ありがとうございます」

「ジリリー。お嬢さんには少し高かったですかね」

「ご心配なく。女の子は背伸びをする生き物なのです」


 アリスの答えに老店主は眼鏡硝子レンズの奥の双眼を一瞬丸くし、それから小さく笑った。


「リンゴーン」


 正解と言わんばかりに鐘の音の真似をする。鐘の声真似は店主の口癖なのだろう。


「なら、背伸びをしてくれる素敵な女性の手を引くのは紳士の役目でしょう」


 老店主はアリスに「失礼」と一声掛けてからアリスの身体を持ち上げた。子供相手だからとぞんざいな抱き方ではなく、子供だからこそと関節や筋肉への負担を考えて丁寧に抱き上げ、お姫様の相手でもするようにスカートの裾に気をつけながらアリスを椅子へ腰掛けさせてくれた。


「あらあらまあまあ」


 これが経験豊かな大人の余裕、年の功というものか。桃太郎とはまた違う成熟された紳士的な態度にアリスの胸は熱くなった。どんな世界でも人の思い遣りに触れられるのはあたたかくて嬉しいことだ。

 アリスは熱くなった頬を両手で隠す。


「砂糖とミルクは?」

「え? あ、いえ。……このままで」


 火照っていたアリスの一拍遅れた返事を聞くとクリーマーに腕を伸ばしていた老店主は動きを止め、代わりにカウンターの隅に置いてあった円形の缶を引っ張ってくる。

 薄水色の缶の表面には大きな羽のついた婦人帽を被る女性の横顔がシルエットで描かれており、蓋をあけると袋が入っていた。袋は既に開いているが湿気ないよう折って閉じられており、老店主は閉まる口を片手で器用に広げる。中にはクッキー生地を丸く焼き、粉砂糖をふんだんに振りかけた一口サイズの焼き菓子が詰まっていた。


「こちらも良ければ」


 缶から袋を取り出して、老店主は雪玉のように白い菓子をみっつほどアリスのソーサーへ転がした。茶菓子まで貰い、アリスの笑顔は輝きを増す。


「頂いたブルードネージュですが、どうぞ」

「ありがとうございます」


 老店主は袋を缶に戻すとカウンターの内側にいる自分の椅子に腰掛け直した。木製の椅子はカウンター同様年季が入っていて、左の肘掛けが取れてしまっていた。老店主は右の肘掛けのみを使い、左手でティーカップを捕まえる。

 アリスもティーカップに手を添えた。

 礼儀正しく持ち手に指は掛けず摘んで持ちながら一口。ふわりと口腔に広がった茶葉の深み。濃いめの味わいだが渋さはなく、後味はほんのりと甘い。立て続けに二口。三口と嚥下。ふう、と肩の力を抜いた。

 まったく同じ瞬間に、老店主もほうっと息を吐く。


「これでも目は良いほうでしてね。楽しそうな方を見つけるのは得意なのです」

「まあ」


 二人は顔を見合わせてクスクスと肩を揺らした。

 笑い声に呼応するように、どこかからくぐもったなにかの稼働音が聞こえる。


「なにを、していたのですか?」


 老店主の好奇心の眼差しにアリスはティーカップをソーサーに戻すとエプロンドレスのポケットから一枚の紙を取り出した。四つ折りになっていた紙を老店主へと広げる。


「読めますか?」


 店外で誰彼構わず問い掛けていた質問をここでも繰り返す。

 老店主は眼鏡を薬指の腹で押し上げ、前屈みになり紙に顔を近付ける。青空色の瞳が紙面を慎重に凝視。


「某は、桃太郎でござる。わたし達はアリスです……?」


 不思議そうに文面を読む老店主にアリスは頷いた。


「違和感はございませんか?」

「リンゴーン。ありませんね」


 即座に返された言葉にアリスは溜め息を飲み込んで、代わりに笑顔の仮面を作った。


「どちらの字が上手か勝負をしていましたの」


 アリスの嘘に老店主は納得した。


「どちらも、素敵な字ですよ」

「ありがとうございます。……素敵なお店ですわね。宝石店でしょうか?」


 紙を手早くポケットに戻しながらアリスは話題を変える。


「リンゴーン。魔鉱物ジェムのお店です」

魔鉱物ジェム! 硝子金魚を……魔蒸機器スチームギアを動かすものですか?」

「リンゴーン。良くご存知ですね。お嬢さん」


 微笑んでくれた老店主にアリスは弱々しく目を伏せた。


「いいえ。おじさま。逆ですの。わたし達は魔鉱物ジェム魔蒸機器スチームギアを動かすということしか知りません」


 きっとこれはこの世界では常識のはずだ。

 アリスはこの世界の常識を知らない。常識知らずのアリスはこの世界の常識を知るために、少しでもたくさんの情報を得なくてはいけなかった。

 別の物語の常識などどうでも良いという登場人物達もいる。狂った世界で常識など不要という登場人物達もいる。

 だがしかし、アリスは必要最低限の常識と普通を求めていた。

 なぜならアリスの物語は元々不思議。

 二足歩行の白兎を追いかけたり、鏡に入ったりして狂った世界に飛び込むお話。

 常識から逸脱し、面白おかしく不思議に狂った夢の世界でのお話。

 アリスのみが常識を知る唯一の登場人物。

 子供なりにある程度の常識を持ち、常識を持った上で子供らしく感情に揺さぶられて言ってることとやってることがその場その場で変わってしまう。

 好奇心旺盛な子供。それがアリス。

 だからアリスはその世界の常識を欲する。

 その世界の常識を知った上で、アリスは不思議の国のアリスでありたいと願うのだ。


「ジリリー。そこまで知っていれば十分です」


 老店主はふんわりと頬を緩めた。


「実際の機能としては逆ですがね」

「まあ! 逆でしたの?」

魔鉱物ジェム人工魔力マギアエネルギーを放出する際に無属性である人工魔力マギアエネルギーに属性変換……つまりは属性を付与する力を持つ物質です。しかし、魔鉱物ジェム単体では魔力を吸収、蓄積はできても放出はできない。そのため魔蒸機器スチームギア を使って人工魔力マギアエネルギーを放出させるのですよ」

「なら……本当は魔蒸機器スチームギア魔鉱物ジェムを動かしているのですね?」

「ジリリー。あくまでも魔蒸機器スチームギア魔鉱物ジェムの力を放出する機能しかありません。ですから、魔鉱物ジェムがなければただのガラクタです。人工魔力マギアエネルギーが切れた魔鉱物ジェムを動かすこともできません。なので、一般的には魔鉱物ジェム魔蒸機器スチームギアを動かすと思われています。退魔師エクソシストや、魔蒸技師アルケミストを目指しているのなら別ですが……お嬢さんは」

「いいえ」

「なら、専門知識は知らなくて当たり前でしょう」

「あ……」と、アリスは一音を落とす。


 この世界のことを知らなさすぎて、それこそどこまでが常識なのかも知らなかった。


「あ、の……」


 おずおずとアリスは老店主を上目遣いに覗く。


「目指していない者が詳しく知りたいと思うのは……おかしいでしょうか?」


 老店主は虚をつかれたように青空の目を丸くさせる。が、硝子の向こう側に広がる青空はすぐに三日月を作った。二度、緩やかに首を横に振る。


「ジリリー。目指していない者に興味を持ってもらえることは、その分野に関わる者からしたら、とても……ええ。とても、光栄ですよ。少なくとも、私はそうですから」


 嬉しそうに笑う老店主にアリスも相好を崩した。

 老店主は紅茶を口に含む。喉を動かした後、ティーカップを置いたソーサーをカウンターの端に移動させ、眼鏡を薬指の腹で持ち上げながら腰を浮かせた。

 老店主は年齢を感じさせないしっかとした足取りで店内を巡り出す。

 堂々と飾られている魔鉱物ジェムをいくつか手の中に収め、彼はにこにこと戻ってきた。宝物を見つけた子供の表情になっている老店主はアリスに両手に包む魔鉱物ジェム達を嬉々と見せる。形は様々だが、サイズはどれもアリスの眼球と同じくらいで小振りだ。

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