13 なぜサソリと亀は似ている?
アリスは感傷的に白い睫毛を伏せ、すぐに持ち上げると同時にエプロンドレスのポケットに忍ばせていた手を振るった。
アリスの指に挟まれていた一枚の薄いトランプが闇を裂き、茨の生い茂る外壁へと一直線に飛来する。
トランプは蠢いた黒い茨によって瞬時に叩き落とされた。
空気に甲高い振動を作り上げた音色は金属同士がぶつかり合ったかのような轟音。トランプと茨が触れ合ったには物騒すぎる音の余韻を耳朶に感じながら、アリスは自分が狙いを定めていた部位を睨む。
ゆらり。
と、世界の一部が歪んだ。
かと思えば唐突に月光と混ざって白い花弁が頭上から降り始める。雪のようにはらりはらりと舞い降りて事切れたゴブリン達の上に落ちた途端、純白の身を腥い赤に染めた。
赤いペンキで塗られるよりも早く、ゴブリン達の血を吸って花弁は真っ赤に染まる。
「――……アァ、マズイィ」
複数人の声を混ぜ合わせ、壊れたラジオから無理矢理流したらこんな音に聞こえるだろうか。
声とは言い難い雑音をどうにかこうにかこねくり回して調整したような歪な声音の悲惨さに、アリスは眉を顰めた。
虚空が水面よろしく波紋を描き、豪奢な赤薔薇が姿を現した。
桃太郎が最初に両断した薔薇頭の化け物よりもずっと高さのある長躯が纏うのは、純白のウエディングドレス。贅沢な薔薇の刺繍と緻密なレースで飾られたそれはこんな状態でなければ感嘆の吐息を洩らして見入ってしまっていただろう。ヴェールの裾にもドレスと同じデザインの刺繍が施され、上品な統一感を醸し出している。そんなヴェールを被るのは赤い薔薇。
赤薔薇で包まれた、それこそウエディングブーケと酷似した赤薔薇の頭部を持つ存在。
こんなものが精霊――ドライアドであるのなら、この世界もひっちゃかめっちゃかにされた滑稽な御伽噺だとアリスは内心で嘲笑を零した。
「アァアッ、マズィイ……」
嘆く赤薔薇。
広い袖から伸びた黒い指先は、獣以上に鋭利なもので指か爪か分からない。
アリスの知る樹の精霊ドライアドは若葉色の髪の美しい女性の姿をしている。ドライアドはニンフとも呼ばれ精霊であると同時に下級女神の部類であり、時には人に恩恵として狩りの獲物を教え、予言の力を与えたり、病を治したりもする。
しかしこれらも世界によっては役目が異なり、若い人間と恋に落ちたり、旅人を魅了して狂わせたりもするらしい。が、総じてドライアドが狙うのは若い男性だ。
彼女達は恋愛譚の、主に悲恋専門の役者。
こんな猟奇的な怪奇譚の役者ではない。
ならば、やはりここも狂わされた世界。
もはやあれは見目からして狂っている。
これを精霊と呼ぶには無理がある。どちらかと言えば、悪魔とでも呼ぶべきだとアリスは強く感じた。
「ア、アア……マズィイ……アアァアア――――ッ!」
マズイマズイとドライアドが悲観するなか、どこからともなく白薔薇は降り注ぎ、地に触れると一瞬で赤薔薇へと変異する。
赤くなり、瑞々しさを増した薔薇。裏腹に白い花弁に触れたゴブリンの死体はじゅくじゅくと萎んだ。筋肉が枯れ、皺が深まる皮と悪目立ちする骨の凹凸。ゴブリンの体液を吸い尽くし、白い花弁は鮮血に潤む。
これがドライアドの食事方法なのは明らか。
干からび、砕け、黒い結晶を撒き散らすゴブリンの残骸が鮮やかに笑む赤い花びらの下で人々の屍と混ざり合う。
「ねえ」
アリスは眉根をすぼめたまま、この世界でドライアドと言われる長躯のそれを見上げた。
「ねえ、お前よ」
アリスの呼び掛けにドライアドの頭が下がる。
耳もなく、目もなく、鼻もなく、口もない。それでもこうして反応をするということは聞こえているのだろうし、頭を下げるということはアリスが見えているはず。口もないが声も発していた。
意思疎通はできないと聞いたが、人間と似通った部分はあるらしい。
「これは、お前がやったのかしら?」
アリスは指を差した。
自分が降りてきた理由となったそれを真っ直ぐに指差した。
黒茨と赤薔薇に覆われている塊。
赤い身体は薔薇にぼやけて見え辛かったが、けれどもアリスは見付けてしまった。
「このレッドスコーピオンは、お前が手に掛けたのかしら?」
赤薔薇に喰われる巨大なサソリ。
背中から生えた結晶は一部が欠けている。欠け方にアリスは覚えがあった。
「あの子は怯えていただけよ」
アリスはそっとエプロンドレスのポケットを撫でる。
「意地悪な方々にこわいことをされたのでしょうね。ただ怯え、自分を守ろうと必死だっただけ……悪い子ではないわ。そして分かってくれる子だったのよ。なのに」
感情に引っ張られ、白銀の目線を落とした。
そのほんの一瞬。
隙とも言えぬ動作の間に黒茨がねじ込まれる。
重量感のある太い茨が尋常でない速さでアリスへと襲い掛かった。が、可憐な純白の身を茨が貫く前にアリスの腕よりも細い刃が野蛮な茨を容易く防ぐ。
「アリス殿!」
刀の表面を滑らせるようにして茨の力を受け流し、素早く手の中で柄を持ち直すと自分よりもずっとずっとぶ厚い茨を両断した。さらに四方から茨が飛び出してきたが、桃太郎は眉ひとつ動かさずに茨の軌道を読み、見切り、刃を振るった。
無駄のない連撃。アリスは五連までは刀の動きを追えたが、格段に速さを上げた六撃目からはとらえられなかった。
気が付いた時には桃太郎の攻撃動作は終わっており、襲ってきていた茨達はハンバーグの具材にできそうなほど細切れになっていた。
「お知り合いでござるか?」
刀を構えたまま桃太郎が骸を意識で一瞥し、アリスに訊ねてくる。落ちた肩紐を握りながらアリスは彼の問いに「向こうの子と、少しだけ」と寂しげに答えた。
生臭い風が肌を撫でる。
広間にいるゴブリン達は既に余さず薔薇の海に沈んでいた。
「レッドスコーピオンと呼ばれていた子ですわ。桃太郎お兄さま」
「嗚呼。あの……」
一度話題に出したため覚えていてくれたらしい。
「この子は……亀なのです。浦島太郎お兄さまのお話に出てくるような、迷い込んだ亀でした」
レッドスコーピオンと出会った時。アリスはすぐに気が付いた。女の首を刎ねたレッドスコーピオンが抱く感情は憎しみでも憤怒でもない。
恐怖だった。
恐怖によるパニック。
あの時、生き残った男と女は元来レッドスコーピオンは森にはいないと口走っていた。きっと事実だろう。
なにがあったかは不明だが知らぬ地に迷い込み、見知らぬ輩にいじめられ、恐怖に陥ったレッドスコーピオン。それはまるで海から陸に迷い込んだ亀のよう。ただ亀とは異なりレッドスコーピオンには武器があった。
縮こまって身を守るための
恐怖に駆られ、生存本能に従い、レッドスコーピオンは己の武器を正しく駆使しただけ。
先に手を出したのは明らかに相手側。しかも相手はレッドスコーピオンの命を狙っていたと予想される。ならば、レッドスコーピオンが相手の命を狙うのも道理。
命のやり取りとはそういうものだ。
一方的に弄びたいのなら、相応の力と地位を手に入れなければ難しい。元来ならば手に入れてもやるべきではないけれど――――なによりやった場合、それ相応の『めでたしめでたし』が待っていると覚悟をすべきだ。
大体の物語では義賊や理由なき悪以外の、真っ当な悪役の『めでたしめでたし』はそういう末路だと相場が決まっている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます