12 薔薇を孕んだ傀儡の末路

 ● ● ●


「ごめんなさいっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


 純白の身を己の両腕できつく抱き締めて縮こまるアリスは、心の奥底から懺悔した。


「ああ、ああっ! わたし達は、なんて……なんて軽率だったのかしらっ!」


 変異迷宮ダンジョンの上部に蹲り、眼前に広がる大きな吹き抜けの下から湧き上がってくる燃えた殺気に奥歯を鳴らす。いますぐにでも逃げ出して、ふかふかのベッドに潜り込みたい。

 そんな甘えた切願を打ち消すためにアリスは頭を振り「すべからく、滅ぶべし!」「ひぃっ!」

 膨張した怒気と殺気に裏返った悲鳴を上げた。

 ビクン! と飛び上がった肩。青白い月光を浴びて青みがかった白銀の髪が跳ね、そんな髪よりも青く見える自分の顔をアリスは両手で押さえた。弱々しい姿はまがい海亀のよう。


「ごめんなさいっごめんなさい桃太郎お兄さま!」


 アリスはひたすらに悔やむ。

 桃太郎は優しい。

 誰にでも、なんにでも、優しく真っ直ぐで偽りなく接する善行の塊と言っても過言ではない。

 だが。

 だがしかし。

 そんな彼が一切の慈悲を与えぬもの。

 それは――――鬼。

 桃太郎は自らの宿敵たる鬼だけには絶対に、なにがあっても、それこそこうして神様作者によってなにもかもがひっちゃかめっちゃかにされていようとも、彼は鬼にだけは容赦をしない。

 小さな体躯から吹き出す烈火の激情。

 異常とも呼べる暴力的な感情は、神様作者によって無理矢理肥大化させられたもの――――だったらどれほど幸せか。


「去ねええええええ!」


 露骨な殺意が下で暴れる。

 このおぞましいものは、桃太郎本人の意志。

 狂わされた御伽噺の影響ではなく、桃太郎本人が元々有する性分だった。


「ごめんなさい桃太郎お兄さまあああ……」


 悪戯妖精ゴブリン。それを桃太郎の分かりやすい言葉に変換すると、鬼。

 桃太郎の優しさに気が緩んでいたアリスは言ってしまったのだ。


 ゴブリンとは小鬼ですわ。と――――


 桃太郎に言ってしまった。

 桃太郎の笑顔が硬直し、それを目にしてようやく自分の失態に気が付いたアリスが慌てて取り繕おうとするも、手遅れだった。

 彼は元々ゴブリンを餓鬼のようだと言っていた。気になってはいたのだろう。

 文字通り、ひとっ飛び。

 気配で崖の上が吹き抜けになっていると悟っていたらしい彼は一蹴りで変異迷宮ダンジョンの天辺まで飛躍した。

 血の気を引かせつつもアリスがすぐさま兎のようにピョンピョコと壁面を蹴飛ばして桃太郎を追えば、彼は大口を開ける吹き抜けの側で刀を手に佇んでいた。

 ひっちゃかめっちゃかに弄られた世界で手に入れた一寸法師のつちによって縮めた刀を髪から抜き取り、同じく槌の力で元来の形に戻した彼は背筋を伸ばし眼下を睨む。

 隠す気のない禍々しい殺意に尻込みしたアリスの前で彼は穴へと飛び降りた。五振りある刀が一振りしか抜かれていないのが唯一の救いだろうか。

 そんな甘い考えは、下に群れるモノ達中で一番の巨体を有する存在の頭を着地と同時に真っ二つにした桃太郎の姿を目にしたことによってすっ飛んだ。

 的確に確実な意思を持って動く桃太郎は、憤怒を纏いながらも怒りに支配されてはいない。

 燃えながらも至って冷静に天敵を仕留めていた。

 まさに無双。

 この時ばかりは鬼とは桃太郎のほうではないかと疑う。

 彼こそが鬼神。


「ああああぁあ……っ」


 アリスは頭を抱えた。いくら自然災害と恐れられる精霊ドライアドに寄生されているゴブリンとはいえ、こうも一方的となればもはやどちらが災害か分からない。


「あああ……あ、あ? あ、あら?」


 ふと、アリスは違和感を覚えた。


「あらあら?」


 直視せぬよう薄めていた眼を丸くして刮目する。


「まあまあまあ」


 振り子時計よろしく左右に捻っていた首を真正面に正し、明るい表情でアリスは手を叩いた。

 合わせた両手の先を弾力のある下唇に当て、クスクスと肩を揺らす。アリスは安堵を通り越し、愉悦にも近いとろけた表情で眼下を眺める。


「ウッドペッカーお姉さまは、ゴブリンはドライアドに寄生されていると仰っておりましたわね。……なるほど」


 アリスは羽毛よりも軽い動作で立ち上がる。泡立てたばかりのホイップクリームのように純白のエプロンドレスが揺れ、あしらわれたフリルがふんわりと湧き上がってくる腥い夜気を舐めた。


「これは確かに。寄生とは面白いですわ」


 桃太郎の振るう刃の輝きにも負けを劣らぬ銀の眼がゆるりと目下の惨劇を眺める。

 桃太郎がゴブリン達の黒い肌を赤に染める。首が、至る所で飛び跳ねる。

 仲間が頭を失い、時にはど真ん中から真っ二つになって薔薇に沈もうとも他のゴブリンは動かない。

 桃太郎の凄まじい剣気を受けて身を竦ませているわけではなく、ただただ――――作業に没頭していた。

 一方的な殺戮が見えていないとでも言わんばかりに。

 命を刈り取る刃など存在しないとでも言わんばかりに。

 ただただ、薔薇を愛でていた。

 騒ぎもしない。

 逃げもしない。

 防衛もしない。

 反撃もしない。

 しているのは薔薇の世話。

 足元に転がる数多の死体から這い出した黒い茨から咲き誇る、新鮮な臓腑色の薔薇の世話をするだけ。

 眼窩を薔薇に浸食されたゴブリン達は文字通り、なにも見えてはいなかった。

 無論、ゴブリン側の都合など桃太郎には関係ない。無力だろうが、無抵抗だろうが、鬼であれば桃太郎にとっては敵なのだ。

 それでも違和感はあるはずだ。

 確かに桃太郎は相手が無力だろうが、無抵抗だろうが鬼であれば殺す。が、桃太郎の滅する鬼とは悪鬼のみ。

 ただ欲にまみれて手を汚し、邪悪に染まって理性などない何もかもが手遅れの悪。

 桃太郎の世界にいた鬼はそういう類だった。ゆえに彼の中では鬼とはそういう存在だ。

 鬼という単語に過剰反応してしまうのは事実だが、それでも姿形や名称だけでは判断しない。

 桃太郎は狂ってはいるが壊れてはいなかった。


「ああ。本当に桃太郎お兄さまはお優しい方」


 アリスは口角を持ち上げる。


「寄生され、生きながらに死んでいる傀儡と化したゴブリン達の哀れさに怒り狂うなど……なんてお優しい」


 眼球を失い薔薇を咲かせるゴブリン達に自我はない。

 統率とは明らかに異なる傀儡の動き。

 自我なく、意志なく、生気なく――――それは生きているとは言い難い。

 生かされているとも言いたくない。

 中身の喰われた肉の塊を個人と呼ぶのはあまりにも酷だろう。

 桃太郎にとって鬼は敵だ。

 それでも敵を追悼しないわけではない。

 迷いのない殺戮は桃太郎なりの追悼だ。

 その証拠に、荒々しくも桃太郎は正確に急所を狙っていた。

 中身を失ったとは言え、苦しませずに終わらせる太刀捌きは桃太郎の慈悲と敬意の表れ。


「桃太郎お兄さまはお優しい方」


 酔いしれる声音でアリスは囁き「けれども」

 二瞬目、白銀の姿に見合う吹雪のような冷え切った声を落とした。


「わたし達は、そうではありませんわ」


 傍観に徹していたアリスは動き出す。

 苛烈な桃太郎を目で追っていたアリスは〝それ〟を見付けてしまった。滲む夜闇と群生する赤の中では見逃してしまいそうだったが、アリスの瞳はそれを捕まえた。

 思わずきつくすぼめてしまった双眼から力を抜き、アリスはひとつ息を吐く。

 上品にスカートを摘み上げ、ダンスパーティーへ向かう淑女の所作で穴へと一歩、踏み出した。


「あらまあ」


 スカートが風船のように膨らみ、重力を無視した穏やかな速度で落下したアリスはそれの前で白い足を揃えた。


「やっぱり、ね……」


 酷く落胆した溜め息。

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