11 鬼退治をするのは…… *

 ● ● ●


 森の一角。岩場と混ざり合い、崖のような外壁を持つその変異迷宮ダンジョンは既に機能を停止していた。心臓部である魔核コアは何十年も前に奪われ、残っているのは変異迷宮ダンジョンとしての形のみ。

 吹き抜けになっている円形の広い空間は、細かな模様の掘られた太い石柱が一定の間隔で立ち並んでいる。闇を裂く月光が降り注ぐ粛々とした広間の中心にこそ、まさに巨大な魔核コアが煌々と鎮座していたのだが、あいにくといまここに居座るのは無数のゴブリン。

 背丈は四、五歳ほどの幼子と同じくらいだが、皺が深く頬のけた顔面は死の川を渡る寸前の、朦朧とする老人に似ていた。指は四本。暖炉の中の煤けた木炭を連想させる黒い肌。骨格が浮かび上がる体躯は苔が生い茂るように一部が薄い結晶に覆われていた。結晶に包まれる部位は個体によって異なっているが、広間をびっちりと埋めるゴブリン達には共通点があった。


 ゴブリンは皆――眼球を失っていた。


 正確には眼球から大輪の赤薔薇が咲き誇っていた。

 目から薔薇を咲かせるゴブリン達は無骨な外見に見合わぬ豪奢な細工の施された銀の如雨露じょうろや鋏を手に、足元に広がる薔薇の世話をしていた。

 床一面を覆う赤薔薇の絨毯は一見すれば豪華さと耽美さを孕んだ幻想的な雰囲気を醸し出していたが、凝視すれば花弁の下には茨が絡まった様々な生き物の遺体が累々と転がっている。

 豪華さも耽美さも幻想的なものはなにひとつなく、どす黒く生々しい死が沈殿していた。

 甘ったるい異臭が包む変異迷宮ダンジョンの広間。

 ここは庭園であり、貯蔵庫であり、厨房であり、食事場だった。

 吹き抜けになっていながらも濃密な甘い死臭が場を包む。

 びっちりと芽吹く死を育てるゴブリン達には一切の生気がなく、ただ同じことを繰り返していた。

 如雨露で死体から咲く赤薔薇に水をあげ、鋏で薔薇や茨を剪定し、遺体に這う虫を指で摘むと金平糖でも味わうふうに口に含んで嚥下する。

 複数のゴブリン達が各役職に分かれた上で、役職ごとに皆がまったく同じ動作で作業を繰り返す。繰り返す。繰り返す。

 同じ時間が常に繰り返されていると錯覚する変化のないそこに――――ふ、と。

 影が掛かった。

 穏やかな月光に混ざり強烈で、凶暴で、残酷な殺意が射し込んだ。


「鬼かああああああああ――――!」


 憎々しい絶叫。

 熟した嫌悪の塊が弾ける。

 血涙を数多の呪詛や無数の釘が打ち込まれた藁人形とともに煮詰めて飲み干せば、ここまでの黒ずんだ感情が溜まるだろうか。

 煉獄の業火が吹き出すように血飛沫が上がった。

 小振りな体躯のゴブリン集団の中で異彩を放っていた二メートル以上ある大型存在の頭部がふたつに裂けた。

 骨と皮だけではなくぶ厚い筋肉を有するそいつは一目で他とは異なる主導者的地位だと分かる。丸太のように太い剛腕は肘下から結晶に覆われ、指先は明らかな殺傷力を誇る鋭利な爪と化していた。

 ゴブリン同様に二足で直立しているも、もしかしたら別の種なのかもしれない。が、あいにくとそいつの顔面は赤薔薇に包まれているため判別は不可能。なにより赤薔薇のブーケとなっている頭蓋は現状べろりと本を開くよりも簡単に左右に広がっていて、余計になにがなんだか分からなくなっていた。粘り気のある鮮血の花弁が噴水のように溢れる。

 どっ! と、巨体が膝を突く。

 一拍遅れて、そいつは真正面から赤薔薇の絨毯へと突っ伏した。


「鬼、赦すまじ……」


 反響する殺気。

 吹き出す憎悪。

 燃え滾る激昂。

 倒れたそいつの背を腹立たしげに強く踏み付け、突然降ってきた殺意の持ち主はゴブリン達へと刃を構えた。

 赤薔薇に浸食された歪な頭を両断した刃で。

 次はお前達だと明瞭に威嚇する。


「すべからく、滅ぶべし!」


 黒髪を高い位置でひとつに結ったまだ十にも満たないだろう子供が、血潮に酔う狂戦士バーサーカー以上に激しい咆哮を上げた。

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