06 夢見る国が嫌がる眠り

 アリスと桃太郎は石の転がる地面を蹴った。あまり良いとは言えない足場を力強くとらえ、一蹴りで川を渡り切る。


「お姉さま! お手を!」


 片足を地面に叩き付けたアリスは揺らいだ闇に右腕を伸ばす。

 迎え入れるために両手を大きく大きく広げた。二瞬目、闇から零れ落ちるように血腥さを纏った女がアリスの腕の中へと落下してきた。


「っ!」


 鼻を突く異臭。

 吐き気を催すほどの鉄臭くべたついた肢体を躊躇せずにしっかと握り締め、アリスはブレーキとして先に地についた足の膝を折ると、反対の足で思い切り地面を蹴った。スキップでもするように、ダンスのステップでも踏むように、軽快な足取りでアリスは大きく後退する。


「良い子は寝る時間にござる!」


 空中でアリスと入れ違いに前に出た桃太郎の拳が、女の後を追ってきていた〝なにか〟の顔面をひしゃげさせた。

 いかれ帽子屋の歌声よりも醜い悲鳴。木にぶつかった衝撃音がした後、相手が地面を引っ掻くようにしながら逃げ出す騒がしい音が夜気をざわめかせた。


「アリス殿!」

「お任せください!」


 それだけのやり取りで十分だった。

 瞬時に互いの役割を把握したアリスと桃太郎は自分ができることをするために動く。

 追跡するためにあえて相手を逃がした桃太郎は、故意に一歩遅れてからそれを追う。木の上に飛び上がり、密集する木々の枝を足場にしながらも気配と音を完全に消し、闇に同化していった。


「お姉さま! お気を確かに!」


 アリスは自分よりもずっと背の高い女を器用に抱きながらエプロンドレスのポケットに手を突っ込もうとした。が、身動ぎに反応したのか女が痛々しく呻き、アリスは動きを止める。

 か細く歪な呼吸音。出血のせいで体温は薄く、末端は既に氷のよう。血だけではなく剥き出しになった肉と脂の臭いにアリスは歯を食いしばり、それからすぐにキッと顔を上げて高らかに叫んだ。


「お前達!」


 ヒステリックな声音が夜空を裂いた瞬間、アリスのポケットから大量のトランプが吹き出した。


「愚鈍なトランプは首を刎ねるわよ! 分かっているわね!」


 勢い良く虚空に舞い上がった薄っぺらい兵達は無慈悲に怒鳴るアリスの頭上でブルリと震えるとアリスよりも巨大化し、明確な意思を持って落ちてきた。

 大きくなった身を駆使し、トランプの長椅子を川辺に形成。アリスが素早く長椅子に女を寝かせれば、一拍遅れて数枚のトランプが四方を囲む形で地面に突き刺さる。


「許されません! 許されませんわお姉さま! こんな素敵な月夜に、こんなっ……こんな眠り方をするなんて!」


 トランプの防壁に囲まれたアリスはエプロンドレスのポケットに手を突っ込む。白薔薇を赤く塗った時以上に少女の両手は汚れていた。

 乱暴なアリスの手付きにあわせてポケットの入り口が粘土のように伸び縮みする。騒がしく動くポケットとは裏腹に女の呼吸音は薄れていった。じわりじわりと女から滲む液体でトランプが赤く染まる。薔薇が赤く染まる様は美しいのに、トランプが染まる姿はなんと忌々しいことか。アリスは愛らしい顔をきつく顰めた。


「だめなのです! その眠りでは夢を見られません! わたし達の前で、この眠り方をすることは絶対に許しませんわ!」


 ポケットの中から金の懐中時計を引きずり出し、アリスは処刑を命じる残酷な女王以上に強気に胸を張り、傲慢に言い放った。


「起きなさい!」


 存在しなかった秒針が懐中時計の中に浮き上がり、狂ったように逆転する。


 ● ● ●


 女の寝息は整っていた。

 青かった唇は元来の色と柔らかさを取り戻し、蝋のようだった頬は赤みを増して温かい。破けていた衣服は新品と紛う様子で女の身体を包んでいる。トランプの長椅子に横たわる女の額に自分の額を当てていたアリスはそっと額を離した。


「健やかにお眠りになってください」


 女の癖の強い前髪を指先で整え、アリスは表情を綻ばせた。

 血痕は勿論、土汚れひとつない真っ白なエプロンドレスのずり落ちた肩紐を定位置へと持ち上げつつ、「それにしても……」と興味深そうにアリスは女の顔を覗き込む。

 女は煤けた色合いの生地で仕立てられた地味な格好とは裏腹に、派手な顔付きをしていた。濃いそばかすよりも目立つのは黄色から緑に染められた長いグラデーションの睫毛。煉瓦レンガ色の長髪は左右で太い三つ編みにされ、眉はほぼ剃られてないに等しい。長袖の下に隠れる両腕にはレースのように流麗な刺青タトゥーが彫られ、長いスカートに隠された両脚は鋼でできている。表面に緻密な細工が彫られ、所々に磨かれた緑玉髄クリソプレーズに似た宝石が嵌め込まれるそれはただの義足には到底思えず、一種の美術品と紛う精巧さを携えていた。

 鈍色の脚は夜に冷え、酷く冷え切っている。

 アリスはエプロンドレスのポケットからシーツを引っ張り出すと女にかけた。


「シンデレラ、赤い靴……小人の靴屋かしら? ううーん……けれども、こんな雰囲気の登場人物はいたかしら?」


 アリスは真剣に物事を見極めようと頭の中を整理していく。呻きながら上を向き、下を向き、頭を左右に倒してから改めて女を見る。


「…………」


 細くはなく、適度な弾力を持った筋肉を有した厚みと締まりの共存する女性的な身体のライン。


「…………」


 形良く盛り上がっているシーツをじいっと見る。


「…………」


 見る。見る。見る。


「…………」


 見続けて、緊張した面持ちで生唾を飲むとアリスは身体の正面をしっかりと女に向けた。


「…………」


 そろりと自分で彼女にかけたシーツを摘み上げ「流石はアリス殿」「ひゃあ!」

 後ろから投げつけられた感心したふうの声にアリスは飛び跳ねた。肩紐が落ちる。シーツを放し、スカートが広がるほど勢い良くアリスは振り返った。


「も、桃太郎お兄さま……っ」

「驚かせてしまったでござるか」

「い、いいえ。違いますの。別にうらやましいとか……どうすればこんなふうに成長するのかとか気にしていたわけではございませんの。わたし達はアリス。ええ、慎ましくたおやかに振る舞うレディですわ。別に大きいだけがレディではないのですよ!」


 己の胸に手を当てながら必死の形相で吠えるアリス。どうやら意味は微塵も伝わっていないようで桃太郎はアリスの剣幕に「はて?」と疑問符だけを浮かべた。

 アリスは逃げるように顔を逸らして肩紐を握る。意味もなく肩紐についたフリルを指の腹で擦った。


「しかし、白兎殿のお力は素晴らしいでござるな」

「遅刻魔な兎をお褒め頂き光栄ですわ。そちらは?」


 アリスが問えば、桃太郎は口元を厳しく引き締めた。静かに首を横に振る。


「移動用の……なんであったか。あの、丸い四つ脚の鉄の塊」

「車ですか?」

「うむ。横転していたそれと……護衛だろう男が、二人」


 皆まで言われなかったが、淡々としながらも落とされた声音の低さからアリスは察した。その二人を桃太郎がここに連れてきていないことからも結果は読める。


「煉獄に住まう餓鬼に酷似した輩がおった。しかし、奇異でござる。身体から不可解な結晶と赤い花が生えていたでござる」

「まあ、なんていかれた姿かしら」


 アリスは驚いて大きく開いてしまった口を自分の手で隠した。


「森の奥に洞窟があったでござるが……車の周りから洞窟まで続く足跡から察するに数は十五前後。なれば、洞窟内に居る数は」

「もっとたくさんですわね」

「車の中を拝見させて頂いたが、荷物の量や種類からして彼女と護衛二人以外にもいる様子。できれば早急に彼女から話を伺いたいでござるが……」


 落ち着いた寝息を立てる女を隠れた眼で見つめながら桃太郎は申し訳なさそうに表情を曇らせる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る