05 桃と月の愛憎劇をご存知で?

「わたし達はこの川を見つけた瞬間、桃太郎お兄さまのお力を借りようと思ってしまいましたのに……そうやって改めて頼まれたら、最初からそう考えていたわたし達が、まるで意地悪な継母のようではありませんの」


 唇を尖らせてアリスは小石を蹴る。


「ずる賢い女性は魅力的と言いますが、わたし達は夢見る世界……。ええ、ええ、自らに忠実な夢の住人。ずるいことを考えるよりも、鴉が書物机に似ている理由を考えているほうが好きなのですわ」


 スカートを掴み、身を捩らせながらアリスは露骨な態度で拗ねた。

 アリスにとって桃太郎は既に十分に見知った相手であり、今更改めて頼まれずとも手を貸し合う関係だと思っていた。だからこそ川を発見した時にアリスは迷わずに桃太郎を頼ろうとし、実際に頼った。


 当たり前だと思っていたことを当たり前ではないように誠心誠意を込めて一から頼まれたことにアリスは拗ねる。

 思い切り、外見の年相応に拗ねて、ふてくされて、苛立ちを全身から醸し出す。

 すると慌てた様子で桃太郎が立ち上がった。


「そ、そうでは無いでござる! これは礼儀というか……」

「まあ! わたし達に礼儀がないとおっしゃいますの! あああっ……あんまりですわあ!」

「否! 断じて否! アリス殿はそれはそれは礼儀正しい大和撫……あっ! れ、れでぇでござるよ!」


 泣き真似をしていたアリスは指の隙間から彼を盗み見る。

 必死に取り繕う桃太郎に「本当ですの?」と問えば、彼は頭が取れそうな勢いで首を縦に振る。尻尾のような黒髪が荒ぶった。


 アリスは黙って桃太郎に頭部を傾けた。

「アリス殿は実に立派なれでぇでござる」と、桃太郎がすぐさま頭を撫でてくれる。

 銀髪を飾る白いリボンが乱れないよう気を配った手付きは彼の性格を現していてアリスは小さく笑った。


「レディとして桃太郎お兄さまをしっかりとお支えいたしますわ」

「頼もしいでござる」


 二人は笑い合い、空を見上げた。

 まだ日は高い。

 それでも必ず、夜はくる。


 ● ● ●


 アリスと桃太郎は川辺に居座っていた。

 転がる石を積んだり、平たい石で水を切ったり、草で船を作ったり、花輪を作ったりしながら二人は時間が流れていくのを待った。


「いらっしゃいませんわねえ」

「……うむ」


 結論から言えば、の嗜虐な月の姫は姿を現さなかった。

 こちらの様子を窺っているのかとも一瞬考えたが、自信家である彼女は常に自らを誇り、着飾り、高慢な態度で真正面から現れてくる。


 力こそ絶対であり、すべて。

 そう断言する彼女はなにもかもを力で蹂躙しようとする。相手の様子を窺うなど有り得ない。


「かぐやお姉さまは、この世界にはいらっしゃらないのでしょうか?」

「なれば良いのだが……腑に落ちぬ」


 桃太郎は腕を組み、頭蓋骨のように青白い満月を睨み続けていた。


神様作者はあの女が某に見せる執着の仕方を大層楽しんでおられた。故に某は、幾度となく彼奴と共に物語を繰り返させられたでござる……」

「かぐやお姉さまは桃太郎お兄さまのストーカーですものね」

「すとうかあ?」

「またはヤンデレと言うそうですわ」

「ほうほう。アリス殿は博識でござるなあ」


 言葉の意味は理解していないものの、それでも感心する桃太郎にアリスは誇らしげに胸を張った。

 桃太郎ほどではないが、それでもいくつもの狂った物語を走り回ったアリスの知識量はそれなりだ。

 ただ狂った物語の中で手に入れた情報ゆえに少しズレた情報が多いと言うのを本人は自覚していない。


「けれども……わたし達ですら首を傾げたくなる夜の訪れ方でしたわ」

「某は、ああ言うのは初めてであった」

「太陽が落ちていくのではなく、太陽の光が弱まって月になるなんて……不思議の国と同じくらいひっちゃかめっちゃかな変化でしたわ」


 肩紐を整えつつアリスは目にしたものを思い出す。

 太陽だと思っていた頭上の丸い存在は時間が経つ徐々に陽光を薄れさせ、空を白ませると地平線が赤く染まり始めた。


 下から黄昏時が這い出し白薔薇が赤薔薇に変わるかのように世界が黄金の輝きに飲み込まれると、同じようにして今度は宵闇が地平線からのぼってきた。


 穴に空が飲み込まれていくふうに世界は色を変えていき、最終的には下から出てきた夜に覆われた。

 その頃には頭上の太陽は燦々とした向日葵のような輝きを静かなものに変えており、青白い月光のヴェールが夜闇に揺れる。


 アリスの知る太陽と月はグルグルと回っていて地平線から空へと昇ってくる。その際に昼や夜を連れてきて、そして去っていく。太陽と月は別々の存在であり、互いに交互に空に昇っていた。


 物語がひっちゃかめっちゃかになってからは喧嘩してどちらも出てこなかったり、逆にずっと一緒に出てくることもあったが、太陽と月が同一であるという出来事は初めてだった。


「太陽も月も下から出てくるものと思っていたでござる。太陽が月になるなど、あの女が常に空を支配していると同義……おぞましい!」


 吐き捨てた桃太郎にアリスは太陽であり月でもあった空の光を見上げる。

 アリスにとっての月はニヤニヤと笑う猫の口か空にあいた穴であり、いつ猫としての姿に戻るのか、はたまたあそこから紅茶やお菓子が溢れ出すか、もしくは引き裂かれて昼がやってくるのではないかと心を踊らせる存在だが桃太郎にとっては違う。


「けれども、逆に言えば常に太陽が出ているとも言えますわよね。だから今回はいらっしゃらないのかしら?」


 アリスは顎に指先を当てながら言う。

 桃太郎は自分を落ち着かせるためか深呼吸を繰り返していた。「ならば、良いでござるが……」と胸元を握り締める。


「…………嗚呼。暫く『はじまりはじまり』から争っていた為、些か気にしすぎていたやもしれぬ。元来は異なる物語。此のような時もあるでござるな。アリス殿。手間を取らせて申し訳ないでござる」

「いいえ、桃太郎お兄さま。桃太郎お兄さまお一人のためだけに島国ひとつを狂わせた月下の蛮行……警戒して当たり前ですわ」


 彼にとっての月は敵。

 竹から産まれた姫が治める狂気のくに

 夜に座する彼の國は常に桃太郎を求め、欲し、虚妄に染まった甘言で桃太郎の世界を壊そうとする。


「この世界では、毎晩眠ることができそうですわね」


 アリスは微笑んだ。

 新月以外の夜は月からの襲撃がくるため桃太郎の眠りは妨げられていた。

 夢見る少女であるアリスにとって、心地の良い眠りに旅立てないことはとても辛く悲しく痛ましい。

 アリスは桃太郎の手を取った。


「桃太郎お兄さまが健やかな眠りに導かれ、不思議の国に訪れてくださることを――わたし達は切に願いますわ」


 不思議の国のアリスは祈る。

 自分よりも小さな姿をしている桃太郎の、小さな小さな手を両手で握り締め、祈る。

 夢見る少女の代表として、英雄の健やかな安眠を心より祈る。


「桃は薔薇のお友達ですのよ。桃太郎お兄さま。いつか一緒に白薔薇を赤く塗ってくださいませ」

「うむ。いつか、アリス殿の夢にお邪魔しよう」

「必ずですわ」


 顔を居合わせ、二人は笑む。

 夜の空気は澄んでいて、流れる川の音は優しくて、心地良く二人を包んでくれた。

 平和な夜。

 月からの侵略に身構えず、夜の闇を落ち着いて味わえる。


「さあ、桃太郎お兄さま! 良い子はお休みのお時間ですわね。ならば早速、お越しくださいな」

「い、今でござるか!?」

「そうですわ。なにより桃太郎お兄さまは常に気を張っていて、夢に訪れるほど眠れなくなってしまっているのですもの。むしろ早く寝る用意をすべきですわ」

「ま、まだ心の準備が……」

「眠るのにそんなものは必要ありません! 微睡みに身をゆだね、ティーポットで丸くなっている自分でも想像しながらそっと目を瞑るのです! 心の準備だなんて気にし始めたら余計に」


 アリスの説教じみた声がとまる。

 アリスだけではない。苦笑いをしていた桃太郎の表情も一瞬にして引き締まり、二人は同時に川の向こう側へと瞬時に顔を向けた。


 対面する川辺にも同じような森が広がる。


 頭上から降り注ぐ月光のヴェールは殆どが生い茂る木々に遮られ、微かな色を滲ませるだけ。

 全体的に夜闇が沈殿している。


「心の準備が必要なのは……」


 アリスは静かに広がる闇を凝視したまま呟いた。


「こういう時ですわ」


 闇の一部が、揺らぐ。

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