04 混ざり合う滑稽な御伽噺

「サソリさんはレッドスコーピオンという子らしいのです」

「れっどすこうぴおん?」

「はい。レッドスコーピオンの他にも騎士と魔女と修道女と……とても、とてもお恥ずかしい格好をした方もいらっしゃって……けれど、その方々はすぐに退場なさってしまいましたわ。態度からしても、意地悪な役割の方々だと思いますの。ええ、それこそ亀をいじめるような方々ですわ」


 桃太郎は先程桃から生まれたばかり。

 ほんの少しだがアリスのほうが先に物語に介入した。なので、アリスは自分が見たものを桃太郎にできるだけ丁寧に分かりやすく説明する。


「レッドスコーピオンも役名ではなく総称だと思いますわ。ただ、あんなに特徴のある総称の方が出る物語なら多少覚えがあってもおかしくはないのですが……」

「某も初めて耳にするでござるなあ」

「桃太郎お兄さまもですか……」


 桃太郎は腰の小槌と、その力によって小さくした玉手箱へと隠れる目線を落とした。

 自分の物語を含めて基本的には常によっつの物語が合わさっている桃太郎。そのよっつの物語が減ることは稀だが、時と場合によりそこへ更になる別の物語が追加されることは数え切れないほど経験している。

 そんな桃太郎ですら知らない世界。


 ここは一体誰の物語であり、どんな世界なのか。


 アリスも改めて思考を巡らせてみる。

 隙を持て余した神様作者によって数多の物語がバラけ、混ぜ合わされ、新たなストーリーが生み出された。


 それでも必ず、その世界には軸となる主人公とその物語が存在する。

 なぜなら世界とは主人公を活かし、物語を進めるための舞台。

 物語のない世界など、何のために存在しているのか分からない。

 この世界にもこの世界にいる主人公のための物語があるはずだ。

 普通ならば。


「――ッ」


 アリスの背筋に嫌なものが走る。

 普通――それは暇を持て余した神様作者がもっとも毛嫌いする言葉。

 神様作者は何度も何度も何度も、とんでもないことを考えて、物語を、世界を、弄ぶ。

 ひっちゃかめっちゃかに、弄ぶ。

 アリスは震える手を胸の前できゅっと押さえつけた。


「此処は某の物語の世界ではござらん」

「わたし達の物語の世界でもありませんわ」


 二人は互いに断言する。

 物語が他の物語と混ざった際、自分の世界に別の世界が混ざってきたのならばすぐに分かる。

 けれども、逆の場合は分からない。

 大体の予想はできるが、確証を得るためにはそこがどんな世界なのか探る必要があるのだが――――


「某もそれなりに混ざる世界を見てきたが、此処まで気配に覚えの無い世界は初めてでござる」

「わたし達もですわ。それに……なんだか変ですのよ」


 アリスは空を見上げる。

 桃太郎もつられて天を仰いだ。

 薄い雲が流れていく青い空。丸い太陽は黙したままで、アリスの知る見境なく人の衣服を脱がそうとする太陽ではない。

 風も穏やかに肌を撫でるだけで、服を飛ばそうとはしてこない。


「アリス殿の云う通り、実に面妖でござるな」


 警戒心すら含んだ口調で訝しむ桃太郎にアリスは頷いた。


「ナレーションもまったく聞こえませんし、標となる文字もどこにも書かれていませんの」

「此処の所、語り部が語るのはうんと減ったでござるが……其れでも、何をすべきかは記してくれていたでござる」

「わたし達も『はじまりはじまり』から少し経てばナレーションが入ると思って、とにかく動いてみていたのですが……」

「某と会っても尚始まらぬわけでござるな」


 アリスと桃太郎は空を睨む。

 二人の知る世界では誰が何をすべきか空に内容が綴られる。

 もしくはナレーションや語り部と呼ばれる声のみの存在が話の流れを語り出すのだ。

 神様作者が好き勝手に遊び始めてからは困惑する住人達を見たいがために語られなくなることも多々あったが、それでもここまでうんともすんとも言わないのは初めてだった。いや、むしろここ最近では逆だったのだ。


 無機質とも言える丁寧さのみに特化した口調であった語りの言葉遣いや抑揚――それこそ性格と表現できるものが頻繁に変わり、挙げ句には人数が増えて実況と解説に分かれることすらあった。

 どんな世界と混ざろうが、必ず空には文字が浮かび、語りが入った。

 いまは、それがない。


 幾度となく同じ物語を繰り返し、いつからか幾度となく滑稽に歪んだ物語を必死に『めでたしめでたし』へと向かわせていたアリスと桃太郎。

 互いにおかしなことには慣れたと思っていたが、まだまだ認識が甘かった。

 初めての経験に二人は顔を見合わせる。


「以前、アリス殿と出会った時には互いの説明が入ったでござるな」

「はい。不思議の国、鏡の国、地下の国、子供部屋……ありとあらゆるアリスの物語が集まって、一国とすら呼べる存在になりましたわたし達の説明と」

「桃太郎のみならず浦島太郎、一寸法師、かぐや姫と混ぜ合わせられ、鬼のみでは無くと月の使者達とすら刃を交える事となった某の説明」

「あの時は、わたし達の中から白兎と三月兎が抜き取られ、かぐやお姉さまの配下にされてしまいましたわね」

「桃太郎を軸に浦島太郎、一寸法師、かぐや姫が混ざっている某の世界にアリス殿がやって来て」

「桃太郎お兄さまとともにかぐやお姉さまから白兎と三月兎を取り返して『めでたしめでたし』」

「今、兎方は」

「おりますわ」


 アリスは己に統括された他の住人達の気配を確かに感じていた。誰一人、失ってはいない。


「はたまた実にチンプンカンプンではあるが、ここが誰の世界であれ成すべき事はひとつでござろう」


 芯の通った声音に菩薩ぼさつの如くまばゆい微笑。

 元々やわらかな抑揚と落ち着いた声質ではあるが、アリスの不安を拭うかのように一層優しくされた声の響きにアリスの頬も自然と緩んだ。


「目指すは『めでたしめでたし』ですわね。桃太郎お兄さまがいてくだされば心強いですわ!」

「我等の目的は同じ。今回も共に切磋せっさ琢磨たくまするでござる」

「よろしくお願いしますわ桃太郎お兄さま」

「うむ。ただ……」


 ふと、桃太郎の表情から笑みが消える。


「アリス殿。ひとつ、頼みがあるでござる」


 子供特有の柔らかな頬肉をきつく引き締め、ふっくらとした唇を真一文字に噤み、一切の隙と乱れのない所作で桃太郎は膝を折り、アリスに向けて深々と頭を下げた。

 しかしアリスは驚かない。


 彼の礼儀正しさと覚悟を目にするのは初めてではなかった。だが、相変わらず外見に見合わぬ気迫にアリスの背は無意識のうちにぴんと伸びた。


「此の世界が誰の物語であり、どれ程の者達が混ざったか分からぬ今、某が最も懸念するのはあの女の存在」


 頭を落としたまま桃太郎は真摯に言う。


「今宵、月の姫がこの世界に現れぬか、其れだけはどうしても確認したいでござる。万が一、現れた其の時は何卒、某に今再びお力添え願えませぬか? 先を急ぐアリス殿には誠に申し訳ござらんが……何卒!」


 額を石が転がる地面に擦り付けるほど深く頭を下げて懇願してくる桃太郎。

 初めて出会った時、アリスが一人で一国の力を有すると知った時も桃太郎はこうしてアリスへと頭を垂れて頼んできた。いま再び頼んでくる桃太郎の律儀さにアリスは息を吐き、腕を組む。


「ひどいですわ桃太郎お兄さま」


 アリスは焼きたてのスポンジケーキのように頬を大きく膨らませた。

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