03 どんぶらこどんぶらこ

 ● ● ●


 賢いアリスは理解していた。


「ええ。わたし達は狂ってはいますが、賢くないわけではないのよ」


 木々を抜け、走り抜けた先で見つけた川の側で腕組みをして仁王立つアリスは自分自身の発言に対し何度も頷いた。

 白い頭のてっぺんに居座るリボンが呼応して揺れる。


 真上にある太陽からの光を浴びて輝く水面は穏やかで、しかしけして流れが鈍いわけではなく、川幅もそれなりだ。


「ええ。何度もお会いしているもの。展開は把握済みですわ」


 アリスは肩紐を直してから口端にぴんと伸ばした両手をそえると、腹の底から声を張り上げた。


「どんぶらこー! どんぶらこー!」


 アリスの大声は細波の音と混ざり合い、潤む空気に波紋を描く。


「どんぶらこー! どんぶらこー!」


 一定のリズムを保ちながらアリスは同じ言葉を繰り返した。

 アリスは知っている。

 この呪文はシンデレラを着飾るフェアリーゴッドマザーの呪文『ビビデバビデブー』と同等の威力を持つことを。そしてなによりこの呪文によって得られるものは、いまのアリスにとっては何よりも誰よりも心強いと。


「どんぶらこー! どんぶらこー! どんぶら……あ!」


 突如として川上に現れたものにアリスの表情が輝く。

 上流からアリスのほうへと流れてきたのは、大きな大きな桃だった。艶のある表面はとても熟した色合いで、全身から堂々と美味しさを醸し出している。


「やはり、いらっしゃると思っていましたわ!」


 アリスは素早くエプロンのポケットに手を入れた。中から干しぶどうで『私を食べて』と書かれたカップケーキを取り出すと、それを急いで三口ほど食べた。

 頬を膨らませて咀嚼して飲み込むと、眼の焦点が歪み――あっという間にアリスは巨大化していた。


 先程出会った大サソリよりも大きくなったアリスは森の木々さえほんの少し追い越して、森の中で一番背の高い子になっている。

 ジャックと豆の樹にでてくる巨人にも負けないサイズになったアリスは、どんぶらこどんぶらこと流れてきている桃を親指と人差し指でひょいと摘み上げた。


 丁寧な所作で岸に桃を置くとアリスはポケットからトランプを一枚取り出す。

 ジタバタと騒ぐトランプに「良い子になさい」と注意をしてからアリスは大人しくなったトランプを構えた。


「首をお刎ね!」


 気合いを入れる掛け声とともにトランプを桃へと振り下ろす。

 真ん中から綺麗に分かれた桃。

 だが、桃を割ったのはアリスのトランプではない。


 アリスが桃を真っ二つにするよりも早く内側から桃は割れ、そんな桃の中心で白刃取りならぬトランプ取りをしている相手にアリスは表情を綻ばせた。


「ごきげんよう。お元気そうでなによりですわ桃太郎お兄様」

「ややっ! アリス殿でござったか! 久しく」


 かんざし代わりに小さくなった五振りの刀が飾られる高い位置でひとつに結われた黒髪が揺れる。アリスの髪と違って癖ひとつない真っ直ぐな髪は陽光を浴びて水面よりも艶やかに輝いていた。


 アリスはトランプをポケットに戻すと入れ違いに『私を飲んで』と書かれた小瓶を取り出し数口飲んだ。


 一口目はチェリータルト。

 二口目はカスタード。

 三口目はパイナップル。

 四口目はローストターキ。


 小瓶をしまいながら唇を舐め、美味しい美味しい小瓶の後味もすっかり堪能し終えた頃にはアリスは元の大きさまで縮んでいた。


「桃太郎お兄さま」


 元来の身長に戻った自分よりも小さな背丈の、まだ七歳にも満たない幼い外見をする英雄に、アリスは目一杯の愛嬌と敬意を現して一礼をする。


「突然の非礼。お許しくださいまし」

「なに。童子わらしは多少やんちゃな方が安心するでござる」


 桃の描かれた陣羽織を水気を含んだ風にはためかせながら、呵々と桃太郎は白い歯を見せた。


 アリスには些か馴染みのない和装を小柄な身で勇ましく着こなし、細腕には雄々しい篭手、華奢な腰にはボロ布で縫われたお手製と一目で分かる袋と房付きの太い和紐で雁字搦がんじからめにされた小箱と金色に輝く豪奢な小槌がつるされている。

 けれども、それらよりも先に目にとまるのは鉢巻きで隠された彼の双眼。


 暇を持て余した神様作者によって自分達と同様に彼の物語もひっちゃかめっちゃかになっていると知るアリスは桃太郎の容姿について突っ込む気はない。

むしろ前に出会った時となにひとつ変わっていない姿に安堵感すら覚えた。


「お変わりなく、ひっちゃかめっちゃかのままですわね桃太郎お兄さま」

「アリス殿もちんぷんかんぷんのままでなによりでござる」

「お互いに、前以上にひっちゃかめっちゃかになっていたらどうしようかと思いましたわ」

ッ! …………気まぐれなあの御方ならやりかねん」


 神妙な口調で「笑えぬわ」と呟く桃太郎。

 彼はアリスのようにを組み合わせられたのではなく、まったく異なる他の物語と混ぜ合わせられている。


 初めてアリスが彼と出会った時。

 彼は既に桃太郎の他にみっつの物語と合わさってひっちゃかめっちゃかにされていた。

 犬、猿、雉ではなく亀と鶴と龍神を共にし、刀だけではなく物の大きさを変化させる槌を使い、複数の宝を保持する竹から生まれた月の姫とその配下たる月の住人達と争っていた。


「そういえば……」


 アリスは考えるふうに顎に指先をそえながら辺りを見渡した。

 側にあるのは桃太郎が入っていた桃のみ。


「お供の亀と鶴とドラゴン――いえ、水龍はいらっしゃらないのですね」

「嗚呼。元々は違う物語故に出会わぬ限りは出会えぬでござるなあ。それがしの『はじまりはじまり』は元来お婆さんに拾われるでござる……だが」


 桃太郎は鉢巻きに隠された眼を川へと向けた。


「ちんぷんかんぷんになってからは永らく『はじまりはじまり』より共にあった仲間。ああなってしまったおばあさんの変わりに、彼等には幾度となく拾われたでござる」


 桃太郎は子供らしからぬ笑みを口元に携えると、腰に下げる箱を撫でた。


「こうして某の物語がちんぷんかんぷんのままならば、また会えるでござろう。其れに」

「それに?」

「桃を割るのに水神の力を使われるのはほとほと参っていたでござる。あれは流石に、うまく掴めぬ……」

「あらまあ」


 手を開いたり閉じたりしながらぼやく桃太郎。口端を引き締める姿はどことなく悔しそうだった。

 アリスが「乙姫お姉さまはやんちゃさんですのね」と微笑めば、桃太郎はなんとも言えない様子で頬を掻いた。

 それから彼は閑話休題とばかりに咳払いをひとつ。


 不思議の国の住人達は空気の読めない、もしくは読まない自由気ままな者達が多いが、アリスはきちんと空気を読めるし読む淑女レディ

 なので、桃太郎の咳払いの意味を察して大人しく言葉を待った。


「アリス殿とこうして出会ったということは、また複数の物語が混ざっているのでござろうか? アリス殿は他の方々とは」

「桃太郎お兄さまとしか出会っていませんわ。でもサソリさんに出会いましたの」

「サソリ?」

「とても大きなサソリさんで、わたし達がケーキを一口食べたらなるくらいの大きさでしたわ」

「ふむ。確か……バッタとサソリが出てくる物語があったでござるな。そちらの方で?」

「いいえ。それがどうやら違いますのよ」

「はて?」


 桃太郎は首を傾げ、アリスも困ったように眉を下げた。

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