僕が守りたかったもの


 ビーシュマとアンバーの二人は、花畑にいた。

 仕立て屋が式服を作るまでの間に、アンバーがお気に入りの場所をビーシュマに案内したいと言ったのだ。


「どうです? この花畑は?」

「……綺麗、だと思う。ここがアンバーの好きな場所なんだ」


 ビーシュマは穏やかな気持ちで、花畑を眺めた。

 彼はアンバーと出会って、このイベントを通して、他者に傷つけられた気持ちが自分次第でどうにでもなるということを感覚的に理解した。


「綺麗ですわよね。ここは作られた場所、これは作られた花。永遠に枯れない花だけど、どこか儚さを感じるのはなぜでしょう」


 そう言ったアンバーの横顔は、どこか寂しそうに見えた。

 ビーシュマはその場にしゃがみこんで、花に手を伸ばす。手に触れた花は透き通り、彼が花を手にすることはなかった。


「花冠でも作ってやりたかったけど、ダメみたいだ」

「あら、こんなに綺麗な花を摘むんですの? 残酷なお人」

「ええっ、君にあげようと思って言ったのに」


 アンバーの言葉にビーシュマが驚き、その表情を見て彼女が花のような笑みを浮かべる。

 彼らの様子を、師匠は少し離れたところから微笑ましそうに見ていた。


 やがて、息を切らせた仕立て屋がこのフィールドにやってくる。


「ビーシュマ様、アンバー姫! 完成しました!」

「おお、ご苦労様です。仕立て屋さん」


 仕立て屋は毛皮をあしらった礼服を取り出した。


「こちらになります」

「これは……素晴らしい出来です。さあ、さあ、ビーシュマ様。袖をお通しになって……ああ、立派ですわ」


 アンバーに言われるがまま、ビーシュマは式服を手に入れた。

 それをパネルから操作して装備する。

 見事に式服はビーシュマにピッタリと合った。


「さあ、ラージャスーヤも大詰め。ワシから弟子へと、灌頂を授けよう」

「ビーシュマ様、頭を垂れてくださいまし」


 ビーシュマは師匠に向けて頭を垂れる。

 盃に入った水が、師匠からビーシュマの頭へと注がれた。


 光が周囲を包む。

 光はビーシュマとアンバーを包んだ。


 光が収まると、ビーシュマとアンバーの姿に変化が生じていた。

 ビーシュマの首には宝玉の首飾りが、アンバーは白いワンピースからドレス姿へと変貌していた。


「見事、貴き勇者よ。汝の王道が続くことを」

「ビーシュマ様、ご立派でございました」


 師匠と仕立て屋は手を叩いてビーシュマの王への即位を祝っている。

 ビーシュマが自分のステータスを確認してみると、ジョブが戦士から王へと変化していた。

 だが、今はそんなことよりも大切なことがある。


「ビーシュマ様……」


 アンバーは何かを期待するように彼のことを見つめている。

 彼と彼女は婚約者という形でイベントが進んでいた。

 ビーシュマが投げかけるべき言葉というものもあるだろうが、それを口にするのが彼には気恥ずかしい。


「アンバー、僕……いや、俺――」


 その時、空間に亀裂が走った。


「な、なんだ!?」


 空間の亀裂は大きくなり、穴と呼べるほど大きさへと広がる。

 そして、穴からは騎士のような姿をしたキャラクターたちが次々に現れた。


「あ、あなたたちは?」


 アンバーも困惑している様子だ。師匠も、仕立て屋もこの事態を把握できないでいる。

 騎士たちの中央にいた人物が一歩前に出て、休めの姿勢で止まった。


「……ゲームプレイ中に失礼します。私たちはこのゲームの管理者、特にデバックを担当する者です」

「デバック?」


 聞きなれない言葉に、ビーシュマは聞き返す。


「ええ。あなた様には新しいイベントのテストプレイをしていただいたのですが、我々の用意したAIに不具合が生じまして」

「AIって……」


 人工知能。もしくは人工知能を有した存在に向けられる言葉だ。


「彼女たちです。特にアンバーという固体には我が社独自の技術の粋を注いだのですが……自己成長するAIが、サーバーのデータを大きく圧迫しているのです」

「サーバーのデータを圧迫? つまり、どういうことなんですか」


 ビーシュマは嫌な予感がして、アンバーを隠すように前に立った。


「私どもの方でAIの再調整をしなくてはなりません。イベントは達成済みとして、クリア報酬のクラスチェンジステータスとレアアイテムを差し上げます」

「そ、それより、彼女たちはどうなるんだ?」


 ビーシュマには、それだけが気がかりだった。


「再調整をするだけです」


 返ってきたのは変わらぬ内容だった。

 ビーシュマは剣を手に持つ。


「アンバーたちは渡せない。彼女たちはこの世界で生きてるんだ」

「その世界を壊しかねないと言っているのです。あなたはログアウトしてください」


 騎士団も不穏な動きを見せる。元より武器を手にしていたが、臨戦態勢に入ったのだ。


「ふむ、話はよくわからんが弟子のためじゃ。助太刀する」

「私も、せっかく仕立てた衣装が無駄になるところは見たくありません」


 師匠が杖を掲げ、仕立て屋が大剣を構える。


「師匠、仕立て屋さん……」

「わたくしも――」

「アンバーは下がっているんだ。その格好じゃ戦えない」


 ビーシュマはアンバーを下がらせ、目の前の騎士のリーダー格に目を向ける。

 今まで会話をしていた騎士はため息を吐くと、その手に持った槍を構えた。


「……忠告はしました。キャラクターデータの保障はいたしません……かかれ!」


 騎士たちは、ビーシュマたちに襲いかかる。

 ビーシュマは襲い来る騎士を切り伏せ、時に槍に持ち替え、距離があれば弓で狙い撃った。

 明らかに、キャラクターの動きが素早くなっている。ビーシュマの思った通りに動く。


「いける! この程度の相手には負けない!」

「ふむ、流石は王といったところですね。デバック・スキルの使用許可。キャラクターデータを破損させても構いません」


 騎士たちの持つ槍が赤く煌めく。

 すると、ビーシュマが槍同士で打ち合うとビーシュマの槍があっけなく砕けてしまった。


「まずい! あれに触れると何もかも砕かれるぞ! 奴ら、世界の理を掌握しておる」

「ゲームの管理者って言ってたから、何でもありなんですよきっと!」


 ビーシュマは剣を取り出し、敵の槍に触れないように切り伏せていく。

 しかし、多勢に無勢。ビーシュマの体を槍が掠める時がある。

 騎士たちの槍が掠った部分は、真っ黒く変色してしまっていた。


「……ビーシュマ、お主、お嬢さんを連れて逃げよ。ワシが足止めする」

「だけど、師匠!」

「このままだとジリ貧じゃわい。なに、ほどほどに活躍したらすたこら逃げるから心配せんでええ」


 師匠は笑みを浮かべて、杖を掲げる。

 すると、地面が盛り上がり、壁となる。壁はすぐに騎士たちによって破壊されるが、師匠は壁を次々に築き上げる。


「私も、お師匠様に参戦いたしますよ」

「仕立て屋さん……」

「ビーシュマ様の即位、お見事でした。立派な王になられるよう祈っています」


 仕立て屋は大剣を振りかぶって騎士の群れに突っ込んで行く。

 何人かの騎士が吹き飛び、仕立て屋の体は黒く染め上げられていく。


 ビーシュマはアンバーの手を掴んだ。


「行こう」

「で、ですが……仕立て屋さんが! お師匠様が!」

「行くんだ! 彼らが、がんばってくれたのが無駄になる!」


 ビーシュマは強引にアンバーを連れ出し、花畑から離れていく。

 花の無い草原を走り、後ろを振り返らないように前を向く。

 草原は嫌になるほど静かで、後方の戦闘音が聞こえてくる。

 しばらくすると、距離が離れたこととは別の理由で後ろの音が消えた。

 ビーシュマは、バイザーの中で涙を流していたと思う。


「ビーシュマ様……お師匠様が」

「わかってる、わかってるんだよ。どうして、彼らだって僕らと同じように考えて、笑ったりする……人間と変わりないのに!」


 ビーシュマの足が止まる。


「だとしても、我々はAIよりプレイヤーを優先しなくてはなりません」


 目の前に、先ほどの騎士が一人で立っていた。

 手に持つ槍は赤い輝きを携えている。


「な、なぜ!?」

「我々は管理者です。任意の場所に移動するくらいはできます」


 騎士は淡々と答える。


「……俺は、アンバーを守る! 誰がなんと言おうと!」

「サーバーが破綻するのを肯定するのですか? あまり子どもじみた考えは持たないでいただきたい」


 剣を構えるビーシュマに、騎士は槍を構える。


「ビーシュマ様……」

「大丈夫、絶対に守ってみせる。アンバーを……仕立て屋さんや師匠だって取り戻してみせる!」


 ビーシュマは集中する。

 一切の音が消え、目の前の騎士だけを見る。


「覚悟と……勇気を!」


 小さく呟いた後、二人は同時に動き出した。

 輝きを放ち始めたビーシュマの剣は騎士の赤い槍を弾く。

 弾かれた槍にはひびが入った。騎士は目を見開き、驚きの表情を浮かべる。


 そして、次の打ち合いで槍は粉々に砕け散った。

 そのまま、ビーシュマが剣を振りかぶる。


「いけええええ!」


 ザン、と騎士を切り伏せる。

 騎士は膝をついて倒れ伏した。


「やはり……王の力は厄介です。我々でも御することができない」

「勝った……勝ったぞ、アンバー!」


 ビーシュマは勝鬨を上げる。しかし、アンバーはそれを不安そうに見ていた。


「……お見事です。残念ですが、これ以上逃げることは叶いません。私自身がデバック・スキルとなっています」


 騎士の体は赤く光輝いている。


「何をしているんだ!?」

「自爆、するのです。このフィールドを巻き込んで。最後の手段です……使いたくはなかった。あなたのデータも消し飛んでしまう」


 騎士は申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 ビーシュマは何度か騎士を切りつけるが、赤い光の膨張は変わらない。


「このフィールドごと……どうすればいい、どうすればアンバーを」

「もう、いいのです」

「アンバー!?」


 アンバーはビーシュマの手を握り、膝をついた。

 何かに祈るようにビーシュマの手ごと自らの手を合わせる。


「わたくしは、幸せでした。だって、あなたが王になる瞬間をこの目にすることができたんですもの」

「何を言ってるんだアンバー! 諦めるなんておかしい」


 ビーシュマはなんとかして、この事態を打開しようとしている。

 騎士の放つ赤い光はまるで限界だと言わんばかりに濃く、強くなっていた。


「どうかこの人を、無事に……」

「何を……」


 アンバーの祈りは、届いたのか。

 ビーシュマの体は光り輝いて薄い膜に包まれる。

 そのまま、体が宙に浮かび出す。


「カンヤー・イシュ・アハルニシャ」


 ビーシュマはそのまま、どこかに飛ばされていく。


「アンバー! アンバアアアア!!」


 ビーシュマを見送ったアンバーは、憑き物の落ちたような顔でゆっくりと腰を下ろした。


「……英断でしたね」

「あら、AIに話かけたりするのですね」

「私も、できればこのような策は採りたくなかったものです。あなたの気持ちを、わからないでもない」


 騎士の言葉に、アンバーはたおやかな笑みを浮かべる。


「ふふ、最後に理解者がいてくれてうれしいですわ。ねえ、ビーシュマ様、わたくし――」


 アンバーの最後の言葉は、その騎士の爆発にかき消されたか。それはあの場にいなかった者にはわからない。







 ある裕福な家庭の一軒家、その子ども部屋の中で項垂れ、慟哭する者がいた。

 小学生の彼はいじめを受け、不登校となったことを機にゲーム好きの父親からあるゲームのβ版のプレイ権を譲り受けた。

 これまで勉強とスポーツに追われていた彼にとって、ゲームは初めての体験で新鮮だった。


 子ども部屋の騒ぎを聞きつけ、母親は心配して中に入ろうとした。それを父親が止める。

 まだ幼稚園の妹も心配そうに子ども部屋の外から親にしがみついて眺めている。


「お兄ちゃんは、どうして泣いてるの」

「何かつらいことがあったんだ。だけどな、男にはああやって何かに向き合って、思い切り泣くことがあってもいいもんさ」


 父親の言葉に、母親はため息を吐いて「ゲームなんてやらせるから」などと愚痴をぶつけた。

 父親は苦笑いを浮かべるも、息子を慰めもせずそっとしておいた。


 数日後、息子は学校に再び通うようになる。

 決意を浮かべた目をし、他者に判断を委ねないようになった。

 勉学も、交友も、自分で選ぶ。その覚悟と勇気を身につけたのだ。

 彼は電子工学を学びたがった。そこにも、彼の大きな決意があると踏んだ父親は一緒に母親に頭を下げてプログラミングの習い事の許可を得る。


 ある小学生がゲームで体験した、彼にとっては大きな、世界にとっては小さな出来事。

 だけど彼の世界はそれを切っ掛けに勢いよく、稲妻が迸ったかのように動き始めるのである。

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僕が守りたかったもの 古代インドハリネズミ @candla

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