儀式の試練

 生い茂る木々が寄り集まり、空を覆い隠し、視界を遮る。

 このフィールドに転送されてきた三人は、自分たちを囲むように立つ木々を見回した。


「ここに虎がいるのか?」


 褐色の美丈夫、ビーシュマは槍に手をかけながら他の二人に問いかけた。

 紳士服の牛頭、仕立て屋は頷く。


「ええ、それもとびっきりのがいるでしょう」

「まずは水場を探さなくてはなりませんね」


 矢筒の中身を確認しながらアンバーが言った。

 彼女は恐れず木の根っこをずんずん越えていく。


 ビーシュマは仕立て屋とアンバーの後を追うばかりである。

 段々と、見える木々に変化が生じてきた。地面も水気を含んだものになる。

 密林を迷いなく抜けた先は、確かに川が流れている。


「川があったけど、ここに来てどう――」


 ビーシュマの言葉を遮るように、動物の雄たけびが鳴り響いた。

 その声は川の水面を揺らし、川に入ろうとしていた虎の体を震えさせた。

 木々の隙間を縫いながら、時に木々を薙ぎ倒しながら現れた“それ”。


「出ましたね」


 先ほど見た虎の何倍もの大きさ。

 白い毛を逆立たせ、バチバチという音とともに何かを迸らせている。

 ビーシュマは、あの姿を見たことがあった。


「あれって……レイドボス!?」


 乗り遅れたビーシュマがゲームを始める前のこと。

 β版の初イベントに用意されたレイドボス――複数人で協力して倒す形式のボスキャラクター――がビーシュマたちの視線の先にいる虎である。


「あの虎……白虎が我々の目標です。私が囮になり、姫が気を引くのでビーシュマ様がトドメを」

「えっと、あのボスって誰も勝てなかったって聞いたんだけど、本当に俺たちでやるの?」

「わたくしの婚約者であり、王になる方なら負けるはずがありません」


 目をキラキラさせて言うアンバーに、ビーシュマは思わず引いてしまったが、イベントをクリアするためなら仕方がない。


「わかったよ……よし、やるか」

「では、まず私が一太刀入れましょう。時間がありません、合図をしたら飛び出しますので合わせてください」


 仕立て屋は覚悟を決めた顔で大剣に手をかける。


「え、作戦とか」

「ビーシュマ様なら、やれますわ」


 根拠の無い後押しを受け、考える間もなくその時が来てしまう。


「行きます――」


 アンバーが矢を放ち、そちらに気を取られた隙に仕立て屋が大剣を担いだまま川を横断した。

 白虎が反応した時には大剣の一太刀を入れている。

 白虎が仕立て屋に攻撃を加えようとするも、アンバーの矢がそれを阻む。

 ビーシュマもワンテンポ遅れて飛び出していった。


「GAAAAAAA」

「くらえ!」


 雄たけびを上げる白虎に、ビーシュマは槍を突き立てる。

 流血はしない。ゲーム内のキャラクターは攻撃を食らった箇所が黒く塗り潰されるのだ。

 もしもHPがふんだんにあるのなら、攻撃された部位は黒く塗りつぶされない。

 ビーシュマの攻撃は、白虎の体を黒く塗ることができなかった。


「GARURURURU!」

「っ――」

「助太刀します!」


 白虎の鋭い反撃がビーシュマを捉えたが、彼は武道大会の時から鋭敏になった感覚に任せて見事に回避した。

 攻撃を空振りした白虎の背を仕立て屋が切りつける。


 ビーシュマは槍から剣へと換装して、白虎の懐に潜り込む。


「これで!」


 ビーシュマは剣で何度も何度も白虎の腹を切りつける。

 そして、剣が淡く輝いたかと思うと、ビーシュマの切りつけた切り口が初めて黒く染まる。


「GUAAAAAA!」

「……今のは?」


 ビーシュマが疑問に思うよりも前に、白虎が彼らから逃げるように体を捻った。


「ヤバい、逃げるぞ!」

「いえ、これは……離れてください!」


 ビーシュマが白虎を追いかけようと飛び出した瞬間、仕立て屋が彼を突き飛ばした。

 程なくして白虎の体が光り輝き、周囲を白く塗りつぶした。


 バリバリバリという音ともに、白虎から放たれた電撃が木々を燃やす。

 ビーシュマは間一髪雷の雨から逃れられたが、仕立て屋はその光に飲まれてしまった。


「し、仕立て屋さん!」

「ビーシュマ様、ダメです! 危険です!」


 アンバーが駆け寄ろうとしたビーシュマを止めた。

 放電が終わり、白虎は体を震わせるとビーシュマたちの前から姿を消した。


 仕立て屋は川の中に倒れ込んでいる。

 ビーシュマはすぐに駆け寄り、彼を引っ張り上げた。


「大丈夫、なのか?」

「何とか……死ぬところでした」


 仕立て屋は力なく笑う。

 その時、ビーシュマは彼らが死亡したらどうなるのかと考えた。

 キャラクターが死亡すると幾ばくかのペナルティとともに、プラットホームに戻される。


 彼らはおそらく、NPCである。会話が成立して、自分で考えて行動する。

 高性能な受け答えが可能なロボットをビーシュマは思い出していた。彼らはきっと、そういった機能が搭載されたNPCなのだろう。

 だけど、彼らが死ぬとどうなるのか。

 自分と同じようにプラットホームに行くのか。

 それとも永久に動かなくなるのか。


 ビーシュマはそんなことを考えて、そわそわと落ち着かない気分になった。

 恐怖のようなものを感じる。それは失うことの恐怖。

 短い付き合いの中で、彼らのある種の人間性にビーシュマは惹かれていたのかもしれない。


「さっきの技で前回のイベントもみんなやられたのか」

「ふむ、あれを攻略しないことには打ち倒すことはできませんね」


 アンバーはあの強さを見てもまだなお、白虎を倒す気でいるようだ。


「まずは仕立て屋さんを休ませてあげなければいけませんね。ビーシュマ様をよく守ってくださいました」

「……有難きお言葉です、姫」


 仕立て屋が頭を垂れる。

 ビーシュマは回復アイテムがないか持ち物をパネルで確認した。


「何か仕立て屋さんを回復できるアイテムなかったかな」

「ほうほう、それで自分の情報を見れるのかえ。便利だのう」


 ビーシュマのすぐ背後から声がした。

 思わず、その場から距離を取る。


「誰!?」

「ワシか? ワシはしがないジジイじゃよ」


 声の主は、黄衣をまとった老人であった。

 髪や髭を際限なく伸ばし、マンガに出てくる仙人のようである。


「あら。このお方、高位の僧侶ですわ」

「よくわかるのう、お嬢さん。何やら困っておるようじゃが」


 老人は上機嫌に髭を撫でている。

 ビーシュマはとりあえず、仕立て屋に回復アイテムを使った。彼は少し表情を和らげてお礼を言う。

 アンバーと老人の話は続く。


「……白虎を狩りたいんですの」

「ふうむ、そりゃ大物じゃな。勇者は?」

「そこにおられる、ビーシュマ様ですわ」


 自らに注目が向き、ビーシュマは固くなる。

 老人はビーシュマを眺めた後、眉を困らせて首を振った。


「……このままじゃ勝てんの」

「そんな! それでは困るのです。ラージャスーヤを成功させるためには」


 アンバーの言葉を聞き、老人の目つきが鋭くなった。


「ラージャスーヤ……そのために白虎を狩る。ふむ、無謀じゃな」

「それでも、やり遂げねばならぬのです」

「お嬢さんの覚悟は立派じゃが、そちらの御仁はどうかの」


 老人はちらりとビーシュマを見る。


「俺は……」


 覚悟とまで言われて、ビーシュマにはそこまで熱心にやる動機がないことに気づいた。

 人から譲り受けた当選権。ゲームの経験もほとんど無し。

 過酷な環境からの現実逃避に始めたようなものだ。何かをやり遂げる覚悟があれば、今ここにはいない。


「ビーシュマ様。わたくしは、ビーシュマ様に王になってもらいたいと思っています」

「王に……だけど、俺は覚悟なんて……このイベントも言われたから何となくクリアしようとしてただけで」


 弱気になるビーシュマ。

 彼が俯いたその時、視界が大きく揺れた。


「わたくしが! ビーシュマ様に! 王になっていただきたいと申しているのです!」


 ビーシュマは、アンバーに張り飛ばされていた。

 大きな声で、身振り手振り全身を使ってビーシュマに言葉をぶつける。

 強引で、傲慢。アンバーの物言いは無茶苦茶だ。

 だけど、それはビーシュマの心を打った。

 自分に気をつかう周囲とは違う。まったく気をつかわない彼女。


「はっ……ハハハハ! なんだそれ、変なの! そんなの君のわがままじゃないか」


 笑いながら、心底おかしそうに言うビーシュマの言葉は少し素に戻っていた。


「ええ、わたくしのわがままですわ。わたくしはわがままなんですの」

「そうだね。君はわがままだと思うよ。でも、そのわがままに王になる覚悟ってのがもらえたかもしれない」


 老人は黙って二人のやり取りを眺めていたが、破顔すると上機嫌に口を開いた。


「ほっほっほ、こりゃ将来尻に敷かれるの」

「ですね」


 老人の横で仕立て屋が神妙に頷いている。

 そして再び、老人が真剣な表情を浮かべた。


「では、覚悟が決まったということでよいかな」

「……まだわからない。でも、アンバーの期待に応えたいっていう気持ちはあると思う」

「ビーシュマ様……」


 老人は頷くと、ビーシュマに手をかざした。


「お主に授けるのは、一時的に神の加護を受けて力を引き出す技。そのために必要なのは困難に立ち向かう覚悟と勇気じゃ」

「困難に立ち向かう覚悟と勇気……」


 ビーシュマの脳裏に、嫌な思い出が過る。

 アンバーはそっと彼の手を握った。


「ビーシュマ様なら、できます!」

「できる……そうだな! 俺はやる!」


 ビーシュマの言葉を聞くと、老人の手が光り輝いた。

 手のひらから球体上の光が生まれ、光はビーシュマの胸に吸い込まれていく。


「……これで、お主は神の力が引き出せるようになったはずじゃ。加護は剣に宿る。覚悟と勇気を持ち、光り輝いた剣を白虎の喉元に突き刺せば討ち取れよう」


 老人は踵を返し、白虎が去って行った方へ歩き出した。


「どこへ?」

「あの傷じゃ。そう遠くへは行ってない。ついて来るがよい、ワシが案内しよう」


 老人は杖を掲げ、先頭を務める。


「なぜそこまでしてくれるんですの?」

「お主らの行く末を見たくなったのじゃよ。もしも感謝しとるのなら、ワシのことは師匠と呼ぶことじゃな」


 そう言って師匠は、木々を避けて川上を目指した。

 ビーシュマがパネルを確認すると、パーティに師匠が加入していた。ジョブは僧侶である。


「さあ、行くぞ」


 ビーシュマたちは頷き、師匠の後を追った。







 白虎は川上、そこが縄張りの中枢なのか無警戒に横たわって休んでいた。

 しかし、ビーシュマたちが近づくと直ちに起き上がり、周囲を警戒する。


「GUUUUUU……」


 既に放電の準備が始まっているようで、白虎の体からは微量な電撃が漏れていた。


「ワシが術で動きを止める。しかし、雷の攻撃までは防げぬ。ビーシュマよ、かいくぐれ」

「わかった……いや、わかりました。師匠」


 師匠が前に出る。

 白虎は師匠の姿を目に止めると襲いかかろうと前足を屈伸させた。


「ふっ! 縛!」


 師匠が指を立て手をかざすと白虎の動きが止まる。

 見えない鎖に縛られているかのように身動きが取れないでいる。


「行け! 今のうちじゃ!」

「はい!」


 ビーシュマが駆け出す。

 白虎は近づかせないためか、放電を始めた。

 襲い来る雷撃を、間一髪のところでかわしながら前へ進む。

 白い光がチカチカと点灯し続けるせいで、ビーシュマの忘れたい記憶を蘇らせていく。


 家族の期待、周囲の心ない言葉、裏切り。

 期待に応えられず、友人と思っていた人物が彼を傷つける。

 彼は自分が何者なのか、わからなくなってしまった。

 雷撃が迫る。彼の目の前は真っ暗だ。


「ビーシュマ様! 他者の言葉に惑わされないで! あなたのことは、あなたが決めるのです!」


 アンバーのその言葉にハッと我に返り、ビーシュマは雷撃を避ける。

 ゲームの中で幻覚を見るなど、危険な兆候だ。

 しかし、彼の忘れたい記憶への解答が彼女の言葉の中にあった気がした。


「困難に立ち向かう覚悟と勇気……自分のことは、自分で決める」


 ビーシュマは、白虎へと肉薄する。

 その手に握った剣は、アンバーの言葉を受けてから輝き続けている。

 やがて、雷撃を受けながらもビーシュマは白虎の喉元に剣を突き立てた。


「GAAAAAAA!」

「や、やった……やった!」


 ビーシュマは勝鬨を上げ、アンバーがすぐさま駆け寄る。


「やりましたわね、ビーシュマ様」

「あ、ああ……ありがとう、アンバー」


 師匠も、負傷していた仕立て屋も彼の側にやってくる。


「見事じゃった。お主の覚悟が伝わったわい」

「ビーシュマ様。白虎の皮、確かにちょうだいいたします。素晴らしい式服を仕立て上げましょう」


 仕立て屋が白虎の体に触れ、毛皮がアイテムとしてドロップする。

 これで式服が作れるのだろう。


「あとは高位の僧に灌頂をいただくだけ……もしよろしければ、お師匠様にやっていただくのはどうかしら」

「ふむ、ワシは構わんぞ」


 師匠は髭をいじりながらアンバーの提案を快諾する。


「灌頂って?」

「水を頭に注いでいただくのですわ。それで、王として承認されるのです」

「そうなんだ。王、か……」


 短い期間だったが、ビーシュマには長く感じた。それだけ濃密な時間だったのだ。

 ビーシュマのつぶやきに、アンバーは笑みをこぼして彼の顔を覗き見る。


「これで王になる準備が整いました。ビーシュマ様、今のお気持ちはどうですか?」

「どうって……なんだろうな、そう――」


 二人は声を揃えて。


「「ワクワクする」」

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