僕が守りたかったもの

古代インドハリネズミ

王女様との婚姻

 歓声が場内に響き渡る。

 讃えられるのは褐色の美丈夫。


「……勝った、のか?」


 彼は自分の勝利が信じられないようで、呆然としていた。

 彼は始めたばかりのテストプレイヤーである。


 とあるエネルギー産業会社が作り出したゲームのβ版を彼はプレイしている。

 先進的でグローバルな企業が打ち出した新たなゲームがオープンワールドのVRMMORPGと聞いて、β版の抽選には人が殺到した。


 彼はβ版の当選権を人から譲り受けた。それも、当選からしばらく経ってからである。

 そのため彼は他の熱狂的なプレイヤーよりも出遅れたスタートとなった。


「おめでとうございます! 今回の優勝者は……ビーシュマさんです!」


 ビーシュマと呼ばれた褐色の男は、未だに信じられないような目でマイクパフォーマンスを行う司会者を見上げている。


 今回のイベントは武道大会。

 複数のグループでバトルロイヤルを行うシンプルな試合形式で、優勝すればレアアイテムがもらえると聞いていた。

 彼は大してゲームが上手くない。それに出遅れている。

 しかし、彼は優勝した。

 試合開始時から不思議な感覚が彼を包んでいた。敵の動きが見える、攻撃がよく通る。

 ビーシュマは夢現のような気分のまま優勝を決めたのだ。


 やがて、闘技場のステージから自動的に追い出され、入口へと戻される。

 入口には転送装置がある。ビーシュマは他のプレイヤーから声をかけられる前に転送装置を起動した。


「カンヤー・イシュ・アハルニシャ!」


 転送装置は、並べられた単語を組み合わせることでランダムに生成されたマップへと行くことができる。


 そうして、ひらかれた草原に彼は出た。


 ふと思い立ち、メニュー画面を手元に映し出した。

 彼は優勝はしたものの、賞品を確認していなかった。イベントでは表彰式のようなものがある場合もあるが、クリアすれば持ち物に追加されているシンプルな形式が多い。


「アイテム欄……『アンバーとの結婚』?」


 アイテム欄には、見たことのないアイテムが載っていた。


「あら、何を見ているの?」

「っ――誰だ!」


 後ろから声をかけられて、ビーシュマは思わず武器を手に現出させて振りかえった。


「まあまあ、物騒ね」


 ビーシュマが振りかえった先にいたのは、清廉な少女であった。

 白いワンピースに身を包み、彼女の赤褐色の髪が澄んだ青い目を際立たせる。


「君は……」

「わたくし? わたくしはアンバー。あなたはビーシュマ様でしょう?」


 少女、アンバーはたおやかに微笑む。


「アンバー? アンバーって」

「もう呼び捨てだなんて、気の早いお方」


 いまいち、この少女とビーシュマの話は噛み合わなかった。

 それよりも、先ほど手に入れたアイテムとプレイヤーネームの関連が気になる。


「君はこの『アンバーとの結婚』と関係があるのか?」


 ビーシュマはパネルのアイテム欄をアンバーに見せる。

 彼女はおかしそうに笑ってビーシュマの肩を優しく押した。


「いやだわ。あなたはそれを勝ち取ったのではありませんか」

「どういうことだ?」

「だから、わたくしと結婚する権利を手に入れたのです」


 ビーシュマは驚き、呆けた表情で固まる。


「そんな驚いて、武芸の達人の姿には見えないわ」

「だ、だって、結婚するつもりなんて……」


 あたふたとするビーシュマはパネルをアイテム欄からパーティの項目に誤って操作してしまう。


「それに、こ、これ! パーティ欄になんで君の名前があるんだ!」

「あら、これから結婚するんですもの。当然ではなくて?」


 アンバーのステータスはすべて『不明』となっている。

 ビーシュマはそれを見て、些か冷静さを取り戻した。これはイベントの続きなのではないか、と思い当たったのだ。


「もしかして……イベントの続きなのか? アンバーはえっと、NPCとかいうやつで、この子と行動して新しいイベントをクリアすることでレアアイテムがもらえるとか」

「えぬぴーしーってなんですの?」


 アンバーは首を傾げた。

 疑惑を確信へとつなげるために、ビーシュマは質問を繰り返す。


「今日は何年の何月何日?」

「……暦はよくわかりませんわ」

「君のジョブは? 僧侶……なのか?」

「僧ではありませんわよ。畏れ多い」


 ビーシュマの問いに対して、アンバーは首を横に振り続けた。

 このゲームではキャラメイクの際に職業ジョブを選ぶ。僧侶、戦士、商人というシンプルな三択である。

 アンバーのジョブは不明になっている。


「それなら君はいったい何なんだ」

「わたくしはわたくし。あなたの婚約者で、そして王女……いえ、元王女ですわね。あなたにもらわれるのですもの」

「王女だって?」


 続けざまに判明する爆弾的事実がビーシュマを混乱させる。

 青空に浮かぶ太陽に雲がかかり、彼らの周囲に陰を落とした。


「そう……あなたは優秀な戦士。ですが、わたくしの夫となるからには王になってもらわなくては」

「いや、ぼ……俺は戦士だよ。王様になんかならない」


 そもそも、そんなジョブはない。

 ビーシュマは戦士のジョブを気に入っていた。

 β版での戦士は剣、弓、槍の3つの武器を瞬時に換装して戦うことができる。

 魔法使いのような不可思議な力を扱う僧侶、戦闘能力のない商人と比べると自らの力で戦う能力を持つ戦士をビーシュマは気に入っていた。


 もしかすると、“王”とやらが隠しジョブなのかもしれないが、彼はそんなものになる気はさらさらない。

 しかし、武道大会のイベントの続きだとすればレアアイテムはまだ手に入らない。レアアイテムは欲しいのである。


「あなたは、王になるのです」


 アンバーが顔を近づけて、真剣な表情で言った。

 ビーシュマは彼女の繊細な顔立ちが近づいたせいで顔が熱くなり、高性能なバイザーがキャラクターの褐色の肌を赤黒くさせた。

 彼は観念した。


「……わかった、わかったよ。王になればいいんだろう。だから離れてくれ」

「ふふ、素敵ですわね。それでは、ラージャスーヤの始まりですわ」


 アンバーはパッとビーシュマから離れ、嬉しそうにくるくると回ってワンピースの裾をはためかせた。

 よく晴れた草原と彼女がとても似合っていて、ビーシュマは少し見惚れてしまう。


「……ラージャスーヤってなんなんだ」

「王になるための儀式です。まずは式服を新調しなくてはなりませんわね」


 アンバーは草原にポツンと置かれた水晶のオブジェ――転送装置の前に立った。


「ビーシュマ様は、行きつけの仕立て屋がありまして?」

「いや、ないけど……」

「それでしたら、こちらをおすすめしますわ……ブーシャナ・プラー・プラーヤム」


 アンバーが歌うように転送ワードを唱えると彼女とビーシュマの体が光り輝いた。

 パーティメンバーの転送に合わせてエリア移動するのだ。


 ビーシュマの視界が一瞬暗転して、次に瞬いた強い光に思わず目を瞑る。

 光は店の看板から発せられていた。アンバーのおすすめの店、なのだろうか。


「ん……ここは?」

「ひっそりとやっている仕立て屋さんです。庶民の服から戦士の衣装、王の式服、僧衣まで……」


 どこか深い森の奥。

 見上げるような、そして大木と称するに相違ない貫禄の木に埋め込まれる形でその店はあった。


「こんなフィールド見たことない……イベント用のフィールド?」

「仕立て屋さん、ですわよ」


 アンバーは茫然とするビーシュマを脇に置いて暖簾だけが掛けてある店に入った。

 中から、ベルの音がする。その音にハッとしたビーシュマは慌てて彼女を追いかけて行った。

 店の中は丁寧に掃除されているものの、服を売る店にしては暗い雰囲気だった。


「ここが仕立て屋なのか?」

「仕立て屋“さん”、ですわ。ほら、あちらにいらっしゃいますわよ」


 アンバーの指差した暗がりに目を凝らすと、ゆらゆらと揺れるロッキングチェアに腰かける人物がいた。

 アンバーはカウンターに置かれたベルを再び鳴らした。

 緩慢な動きで彼(彼女?)は立ち上がり、ベストに包まれた白いシャツの襟元を直した。


「そう何度も呼ばなくてよいのですよ、アンバー姫」

「あら、わたくしはもう姫ではないのよ。今はこのビーシュマ様の婚約者」

「それはめでたい」


 ビーシュマは婚約者の部分を否定しようとしたが、それよりもまず仕立て屋の身なり――特に顔が気になってそれどころではなかった。


「お、おい、その顔……」

「ふむ、昔色々とありましてね。顔を交換させられてしまったのですよ。牛と」


 その紳士は牛顔だった。

 牛に似ているとかではなく、本当に牛である。角の生えた黒い牡牛だ。

 質の良さそうなジャケットを羽織り、丁寧にお辞儀をする様は顔を除けばジェントルマンである。


「よくわからない設定だなあ」

「設定、ですか……それよりも姫、今日はどんな用事で?」

「姫ではありません。本日はこのビーシュマ様に式服を仕立てて欲しいのですよ」


 ビーシュマを両手で紹介するアンバーはどことなく楽しそうだ。

 仕立て屋はビーシュマをジッと眺め、何事かをぶつぶつと呟いて店の奥へと消えて行った。

 戻ってきた彼は何枚かの布を手にしていた。手触りの良さそうな、光沢を感じさせる質感がある。


「こちらの生地に……そうですね。虎の毛皮を用意しましょうか」

「ふむ、王道ですわね。それなら、狩りの時間といきましょう」


 仕立て屋とアンバーは示し合わせたように頷き、店を出て行く。

 展開について行けていないビーシュマは慌てて彼らを追った。


「ちょっと、どこに行くんだよ。虎って……」

「虎のいる場所には心当たりがあります。狩りは、ビーシュマ様が行うのですよ」


 アンバーはまたも水晶の前に立つ。


「モンスターと戦うってことなの……か?」

「虎を狩ることで王としての力を示し、虎の力を得るのですよ。式服の材料にもしますが。さて……パーティヴァ・ヴァス・パシュ」


 水晶がまたも光り輝き、転送の準備が始まる。

 やけに遅いロードの中、一緒に店を出た仕立て屋の体も転送の光に包まれているのが見えた。


「え、仕立て屋……さんも来るのか?」


 アンバーに見咎められ、ビーシュマは仕立て屋の呼び名を改める。

 確認してみると、なぜか仕立て屋もパーティに参加していた。


「質の良い虎を見分けなければなりません。そのためには私の目が必要となりましょう」

「それはいいけど……仕立て屋さんは職業ちゃんと見られるんだな。商人って書いてある」

「ええ、今の私は商売人ですので」


 そう言いながらも、仕立て屋はどこからともなく取り出した大剣を磨き上げている。


「腕がなりますね」

「ええ。久々の狩り、楽しみですわ」

「俺がやるんじゃなかったのか……」


 アンバーも光に包まれながら弓を取り出して意気揚々としている。

 メインであるはずの自分そっちのけで狩りへの意欲を見せる彼らに、ビーシュマはがっくりと項垂れた。

 商人のジョブは武器を装備できないし、王女が弓を持っているのも謎である。


「ふふふ、ご心配なく。トドメはもちろんビーシュマ様ですよ。私たちは援護か露払いしか致しません」


 仕立て屋が牛顔を歪めてそう言った。笑っているのだろうか。


「それにしても、こういうの――」

「どうした?」

「いえ……何というか、楽しい気持ちになってしまいますね。わたくしは父とよく狩りに出向きましたが、仕立て屋さんがいて、そしてビーシュマ様とともに行く狩りは特別な気がしますわ。ああ、なんて言えばいいんでしょうか、この気持ちは」


 表情豊かに笑みを浮かべ、興奮した様子で語るアンバーの姿はとてもNPCには見えない。

 ビーシュマはその姿に少し胸を動かされながらも、彼女の話が“設定”だと思って何気なく呟いた。


「そういうの、ワクワクするって言うんじゃないのか」

「ワクワク……ですの? それ、いいですわね。わたくしはワクワク、しますわ!」


 アンバーがそう言うと、転送の光が一層輝きを増した。

 そうして、彼ら三人は特別に生成されたフィールドに赴くことになる。

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