暗闇と歩く僕ら

馳怜

短編

僕は生まれつき目が見えなかった。暗闇の中で生き続けた僕は、光を知らない。普通の人は大学を卒業して働いて、親孝行などするらしい。しかし僕にはできない。このまま両親に世話を焼かせるのだろうか。両親は「そんなこと気にしなくていい。何も心配しなくていい」と言う。そのうち僕より先に年老いて死にゆく二人だ。何もできない僕は一生両親の荷物になる。世の中は目が見えて当然な世界だ、圧倒的弱者の僕は何もできない。迷惑しか掛けられないのなら、さっさと一人で先に死んでしまえたら良いのだが。しかし世間はそれを許さない。

現実はそんな風に出来ている。

さて、そんな偏屈な僕が何故出歩いているかというと、母からの命令だった。家に閉じ籠ってばかりだと不健康だから、らしい。余計なお世話である。

だから僕は、家から程よく離れた場所にある公園で時間を潰すことにしている。子供たちのはしゃぐ声や、たまに犬の鳴き声が聞こえた。「よく人が利用する場所」と分かれば、不安はなかった。

今日も独りでぼんやりしていると、足に「コツン」と何かが当たった。遠くから子供の声がする。

「すみませーん、取ってくださーい」

ボールか何かだろうか。微かな足音が聞こえ、子供がこちらにやって来るのがわかる。

僕は首をかしげ、手を足元に伸ばした。空を掠めるだけ手が虚しい。そして子供の声が頭上からした。

「意味わかんねー、そこにあんじゃん」

無知な悪態が降りかかる。

ああ、僕も意味がわからないよ、と言いたくなる。

その時、首から下げているキーホルダー型の音声時計が時刻を告げた。

『15時になりました』

無機質で味気ないアナウンス。僕のようだ。

僕は溜め息を吐き、公園を去ろうと立ち上がった。白杖で地面を探りながら、ゆっくり歩きだす。公園とは違う喧騒が徐々に大きくなる。家に帰ろうか悩んでいたその時、白杖が何かに弾かれたように手から落ちた。

「あっ……」

僕は慌ててしゃがみ、白杖を探した。ぺたぺたと地面に触れる。

誰かの足に当たったのかもしれない。だとしたら手の届かない場所まで転がってしまっただろうか。しかし、僕は動けなかった。白杖無しでは、動けない。

「あんた、どーしたの?コンタクトでも落とした?」

上から女性らしき声がした。

「あの、白杖探してもらえませんか」

「ハクジョウ?」

「白い杖です。多分、ここら辺にあるはずなんですが……」

「そこにあるけど」

「えっと……、どこでしょう」

「んー………。あー、拾ったげるわ」

手の甲に白杖の取手が触れた。ソレを掴み、掌で確認する。

「ああ、これです。ありがとうございます」

僕がお辞儀をしてその場を去ろうとすると、彼女ーー仮に女性としてーーが思い付いたように引き留めた。

「ねぇねぇ、あんた、目が見えないの?」

コンプレックスを真正面から深く抉るその質問に、僕は戸惑った。

「えっと……。はい」

か細い答えに、彼女は「ふぅん」と気の抜けた返事をした。それから彼女は何も喋らない。歩き去る音も気配もしないので、僕は不安になって口を開いた。

「あ、あの」

「ん?」

「もう良いですか?帰っても」

「んー……。じゃあ少し話そ」

彼女は僕の手を引っ張り、歩き出した。この方向だと、おそらく公園に戻っている。

「ベンチ座ろ」

そう言った彼女は僕の手を何か平たい物に触れさせた。これがベンチの座面なのだろう。僕は掌で確認すると、ようやく座った。

座ってから彼女が話し出すのを待ったが、沈黙は続いた。この人は何故僕と少し話そうと言い出したのだろう。冷やかしか何かだろうか。そうならこのまま無言で歩き去るのも手だ。目が見えないからと馬鹿にされるのは普通に頭に来る。

さてどうしたものかと思案していると、彼女がやっと口を開いた。

「あのさ、こういうこと訊くのって失礼だろうけど……。目が見えないって怖い?」

なるほど、好奇心からの質問を戸惑っていたのか。

「僕は生まれつきだから、怖いとかは思なかったですよ。慣れました」

「困ったこととか無いの?」

「それは毎日ですかね。人の助けなんて、身内とかじゃないと無理ですし。白杖がないと出歩けません」

「………」

彼女は再び黙り込んだ。そんな彼女に疑問を抱き、今度は僕が口を開いた。

「あの、まずお訊きしたいんですけど、あなたは女性ですか?失礼があってはいけないので」

「へ?あ、うん。ぴっちぴちのJKだよ、女子高生」

思いの外若い。

「女子高生?……平日の昼間に?」

「あー、あ~、今日はたまたま!たまたま休みだったの!」

「……そうですか」

この件を深く問うのは止めた方が良さそうだ。

「それで、目の見えない僕が珍しいですか?」

「えっと……そうじゃない、けど……」

少しの沈黙の後、彼女は口を開いた。

「あたしが中学生のとき、パパが仕事中事故に遭ってさ。それで後遺症で目が見えなくなって……」

こういうとき、何を言えばいいのだろうか。僕は誰かから相談されたことなど無かった。だからと適当なことを言うのも気が引けた。

「僕は……、君のお父さんとは違うから、欲しいアドバイスは言えないかもしれないけど……。僕は生まれたときから何も見えませんでした。だからといって、生きられないわけではないです。後遺症で見えなくなってしまったお父さんにとっては、最初は慣れないし不便だらけかも知れないですけど。あなたが助けてあげてください」

これで良かっただろうか。もっとましな言い方があったかもしれない。僕がぐるぐると悩んでいると、彼女が礼を言った。

「ありがと。ちょーっと楽になったわ。へへっ」

彼女は短く笑う。

「知らん人の相談に付き合ってくれてありがとね。帰ろ、ほら立って立って」

彼女は僕の手を引き、立ち上がらせた。

「ここから一人で帰れんの?」

「はい、道は覚えてますので」

僕の手を引く彼女の足は少し早かった。足がもつれそうだ。慌てて彼女に言おうと思ったが、すぐに彼女が立ち止まった。

「?……どうしました?」

「そこの女子生徒!何してるんだね?」

知らない男性の声がこちらに向かってきた。足音が近づいてくる。

「男性の方、大丈夫ですか?」

「えっ、僕です?大丈夫ですけど………」

僕は驚いて答えた。いきなりやって来て、彼は誰なのだろうか。

「あの、すみませんがどちら様ですか?」

「ああ、失礼しました。○○警察の者です」

「警察?何かあったんですか?」

「あなた、目が見えないんでしょ?この女子生徒に何かされませんでした?カツアゲとか、脅されたりしたんでしょ?」

僕はムッとした。警察とはいえ、失礼だ。

「何もされてません。彼女は白杖を拾ってくれましたし、親切にしてくれました。彼女に失礼でしょう。目が見えないからって、馬鹿にしないでください」

そこから、沈黙が流れた。十数秒だったかもしれないが、僕には何時間のようにも感じられた。

「……もう、いいですか?行きましょう」

僕は彼女の手を握り直し、警官から離れるように歩き出した。

「……あっ、待って待って、そこ左に曲がって!」

彼女が慌てて口を開いた。僕は曲がり角を確認し、ゆっくり曲がった。そこで僕は立ち止まった。

「すみません、大丈夫ですか?いきなり歩き出して……」

「だ、大丈夫、歩くのゆっくりだったから………」

そこで僕らは黙りこんだ。先程のこともあって、ここからどうしたらいいかわからなかった。

「あの、歩きながら話していい?」

「……はい。大丈夫ですよ」

彼女は僕の手を引いて歩き出した。

今度はゆっくりと。

「……あたし、パパが事故に遭ってから、どうしたらいいかわかんなくて。学校もあんま行ってないんだよね。たまに行っても、スカート短すぎとかピアス開けんなとか、せんせーの注意にイライラしちゃって、ほぼサボってるし。…………パパともどうしたらいいかわかんないし、喧嘩してばっかだし」

それを聞いて、僕は彼女に言ったあのアドバイスは間違っていると思った。彼女に言うべきことは「念頭にいれるべき行動」ではなく、「必要な心掛け」だ。

「お父さんとは、事故前と変わらず接してください。過剰にあれこれ心配されると、正直気分が悪くなります。僕やお父さんと、あなたとの違いは、目が見えないことです。それ以外は同じなんです。最初は戸惑うことばかりかもしれませんが、あなたもお父さんも、慣れていけばいいんです」

僕が言えるのはここまでだった。彼女がどんな表情であの話をしたのかはわからない。今彼女がどんな表情で聞いたいたのかもわからない。しかし、彼女が感じていたことはわかったような気がしたのだ。

すると、隣からぐすっと鼻をすする音と、嗚咽がした。

「仲直り、できるかなぁ……」

「……できますよ」

僕は静かにそう言った。



ゆっくり歩いて数十分が経ったろうか、あるいはそれ以上かもしれない。涙の落ち着いた彼女が「着いたよ」と言って立ち止まった。

「ぐるーっと回って、さっきまでいた公園に戻ってきたんだ。色々引っ張り回してごめんね」

「いえ、大丈夫ですよ。あなたも、大丈夫でさすか?」

「うん、帰ったらパパと話してみる。ありがと、じゃーね!」

遠ざかる足音がした。彼女が笑顔で去っていたのなら、少し嬉しい。

僕も家に向かって歩き出した。



それから数日後。

その日も僕はあの公園でぼんやりしていた。今日も子供たちのはしゃぐ声がする。

その時、足に何かが当たる感覚がした。またボールだろうか。

「ごめんなさーい、取ってくれませんかー?」

仕方なく僕は地面に手を伸ばす。やはり手は空を掠めるだけだ。

また子供から悪態を吐かれるのだろうか。

「ほら、次は気を付けるんだよ」

突然女性の声がした。子供が礼を言って去っていく。

「あの……」

「この公園、お気に入りなの?」

この声は聞き覚えがある。

「えっと、あの時の女性の方ですよね」

名前を知らないとは不便である。

「そうそう!白杖拾ってあげたり変なこと訊いたり、警官に怪しまれたあの女子高生だよ」

「またお会いできるとは思いませんでした」

「言いたいことがあってね、探してたの。休日だから公園にいるかわかんなかったけど。毎日ここに来てんの?」

「まぁ……そうですね。ぼんやりするのは嫌いじゃないですし。それで、言いたいことって?」

「あれからパパと話し合って、仲直りできたよ!まだ慣れないし、わかんないことばっかだけど」

「それは良かった」

嬉しそうに話す彼女が子供のようで、僕は口元がほころんだ。以前とは大違いだった。

「今は普通に高校に行って、必死に勉強してる。……それでね、あたし、介護の専門学校に行くことにしたの。わたしがわかんないことだらけじゃ駄目だと思って。パパも事故のせいで不安なのに、わからないことだらけだったらもっと不安にさせてしまうから。もっと勉強して、パパだけじゃなくて他の困ってる人も助けられたらなー、なんて」

僕のアドバイスで、彼女が生き生きとしている。それが無償に嬉しかった。

「出会ったときとは大違いですね……」

「でしょ?あの時はありがとう。パパと仲直りできたし、目標も出来たの、あなたのお陰だから。……本当にありがとう」

「そこまで言われると、なんだかこそばゆいです」

しばらく、静かな時が流れた。緩やかな風が吹き抜け、鳥の鳴き声がそこかしこから聞こえた。ここは、これほど豊かな公園だったのか。

「いつかあたしが介護士として一人前になったら、色んな所に連れていってあげる。だから待っててね」

「それは……。面白そうですが、気を使わなくても良いんですよ」

「あたしなりの恩返しだと思ってよ」

隣から笑い声がする。

「また会うとき、お互い名前知らなかったら不便だよね。あたし、銀山明莉(かなやまあかり)。あなたは?」

「内山暁(さとる)です。今更自己紹介と言うのも、何だか変な感じがしますね」

二人で笑い合った。

「暁さん、いつになるかわかんないけど、待っててね」

「……はい、それまで、お元気で」

さよならといって、明莉さんは去っていく。

彼女に会える日はいつ来るだろう。何年先になるだろう。遠いかもしれない未来の事を、これほど楽しみにしている自分がいる。この人生も、どうやら悪いことばかりでは無いようだ。

彼女に会う日まで。

生きていたいと思った。







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暗闇と歩く僕ら 馳怜 @018activate

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