翼人物語

marushi SK

第1話


 君を忘れない。

 あの美しく輝いていた日々は、いつまでも色褪せることはない。

 君の笑顔、その声、あの温もりを、私は忘れることなどないだろう。


 今もどこかで生きているであろう、君へ。

 私のことを覚えているだろうか。

 そして、私の名を──




 ***




 その日、私は君と出会った。

 君は何故か傷だらけの身体で林の中に倒れていた。それも、一枚の白い布を体に巻き付けただけに見える不思議な服装をして。

 剥き出しの肩に細い手首。布の裾からはすらりとしたふくらはぎがのぞいている。靴などの類は見当たらず、全くの素足だ。

 豊かな金髪はうつ伏せの背中に広く流れていた。

 顔が見えないから歳の頃合いはわかりにくいが、どうやら若い女性のようだった。


 初めは追い剥ぎにでも遭ったのだろうか、と思ったが、とても問いただせる状態ではなかった。彼女は気を失っているのだから。

 とにかく、息があるのにこんな場所に置き去りにするのは忍びない。

 私は周囲を気にしながら──と言っても人里離れた土地だから人気はないが──彼女をそっと抱き上げ、自宅へ連れ帰ることにした。




 私は昔から人混みが苦手で、街から離れた小さな一軒家で暮らしている。

 すぐ側には鬱蒼とした森が広がっており、人が訪ねてくることなどほぼ皆無だった。


 その森の先、少し高台になっている所に、用途不明の塔が建っているのが見える。いつ、誰が、何のために建てたのかは誰も知らない。

 ただ、一つ言えることは、相当古いものだろうということだけだ。

 以前、興味を持って中をのぞいてみたが、ただのがらんどうの筒のようになっていて拍子抜けした。見上げると吹き抜けの先に遥か彼方の空が見える。


 窓の外、そんな空まで伸びる白く高い塔を見つめながら、私はさっそく不安を感じ始めた。

 目を覚ましたら見知らぬ男の家に連れ込まれていたと知ったら、彼女は何と思うだろう。

 もし、本当に追い剥ぎに遭っていたとしたら、私を犯人だと思わないだろうか。

 冷や汗が滲み始めた私の横で、寝台で眠っていた彼女が小さく呻きながら身じろぎした。


「こ、ここは…」


「…あ、その…」


 思えば仕事で街に降りる時以外、人と会話することなどなかった。会話と言っても、出品する品物に関しての事務的なことだけだ。

 ましてや一対一で女性と会話をするなんて、私にはほぼ経験のないことだった。


 いや、それよりもなによりも、私は彼女の中にある“海”に釘付けになっていた。

 金の髪に縁取られた、白い顔に浮かぶ鮮やかな青い双眸。

 それが街の向こうに見える海と重なる。

 人の顔など、こんなに注視したことはない。いつも気まずくて俯きがちなのだ。

 それなのに私は彼女の瞳から目が離せなかった。きらきらと輝いてすら見える。


「あの、ここはどこですか…?」


 不安げな彼女の声に、はっとして気を取り直す。


「わ、私の、家だ。森で倒れていたから勝手に連れてきてしまったんだ。すまない」


…?」


 その単語を反復して、彼女は首を傾げた。

「森で倒れていた」という事実にではなく、「森」そのものに疑問を抱いたように見えた。


 訝しみながらも彼女の名前を聞こうとする。すると名乗りはするものの、それ以外のことがわからないようだった。


「覚えていないのか?何も?」


「はい…なんだか、ぼんやりしていて…」


 一時的なことかもしれない。少しすれば彼女の記憶は回復するだろう。そう思ってしばらくこの家に留まることを提案した。


 本音を言えば、その海色の瞳を見れなくなるのが惜しかったのかもしれない。

 人と深く関わるのを避けてきたはずなのに、我ながら不思議でしかなかった。


「本当に、よろしいんですか?」


「構わない。記憶が戻るまでの間だけだ。…不快だったら街まで送り届けよう」


 それは本心だった。誰も好きこのんで見ず知らずの男と人里離れた家で過ごしたいとは思うまい。

 しかし、予想したものとは全く違う言葉を彼女は口にした。


「不快なんてことはありません。私の方こそ、お邪魔になるんじゃ…」


「そんなことはない」


 他に表現できる言葉が出てこなくて、ぶっきらぼうな言い方をしてしまった。

 そんな私に、彼女は初めて微笑んでみせた。


「ありがとうございます。それでは、記憶が戻るまでお世話になります。…よろしくお願いしますね」


 こうして、私たち二人の生活は始まった。

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