第4話 奇跡

3年後


もうすぐ凜久の14歳の誕生日だ。


由香はいつものケーキ屋さんに電話をかけて、誕生日のケーキを予約した。


凜久は中学二年生になっていた。


部活でバスケットをやり始めてから急に背が伸びて、今では由香と同じぐらいの背丈になっている。

まだまだ伸びるだろう。久志は背が高かった。


顔は、由香によく似ていた。


そして、15年前の大雪の日に出会った、あの男の子にも。


あの子は、弟の将太にそっくりだと思っていたけど違った。

似ていたのは、由香自身。

つまり、あの子は14歳になった凜久だったのだと、今では確信していた。


あの時、あの子は「お父さんは3年前に工場の火事で死んだ」と言った。

その言葉の意味に気付いていれば、久志を死なせずにすんだかもしれない。


由香はこの3年、その思いがずっと頭から離れなかった。


あの子は15年後の未来から、父親を助けるためにやってきたのかもしれなかった。

それなのに、どうして気付けなかったのか。

それとも、これが抗うことのできない、運命だったのだろうか。



もしそうなのだとしたら、由香にできることはひとつだけ。


14歳の誕生日に、父親に会わせてあげることだけだった。

もし、本当にそんなことができるなら…。


凜久の誕生日には、大雪が降る。

天気予報を見た時、それは確信に変わった。


由香はその日の朝、登校する前の凜久に言った。


「いつものケーキ屋さんにケーキを予約しておいたから、学校から帰ったら取りに行ってね。 午後には雪になるから、ダウンのコートを着て、マフラーや手袋もしてね。 長靴とカイロも忘れないで。そして、必ずバスでいくこと。 帰りもよ?いい?」


何度も確認すると、凜久は不思議そうに言った。


「でも、本当に雪が降るかなぁ」


「降るよ。だって、凜久の誕生日だもの」


「うん、わかった。じゃ、行ってきまーす」


「行ってらっしゃい」


玄関で手を振って見送ると、由香は仏壇へ向かった。

久志の写真に手を合わせると


「お願い。あの子に会いにきてね」


そう言って、ぎゅっと目をつむった。


午後になって、雪が降ってきた。


一度帰宅する凜久と鉢合わせしないように、一人で家を出た。

ベージュのコートに茶のレインブーツ。青い傘を差していた。

近くのファミレスに入って、コーヒーを飲みながらその時を待った。


あの日は確か、定時で上がって駅に向かった。

久志に電話して、迎えに来たのが6時頃だった。

由香は、6時になるのを待って、ファミレスを出た。



いつもバスを降りるバス停に着いた。

ここで、凜久が帰ってくるのを待とう。


上手くいっただろうか。

あの子は、あの人に会えただろうか。


雪が一段と激しく降り始めた。

気が付くと辺り一面が真っ白になって、しん、と静まり返っていた。


バス通りには車が一台も走っていない。

さっきまで何台も通り過ぎていたのに。


不思議と、もう寒さも感じなかった。

ただ真っ暗な空から、白い雪が降り注いでくるのを見つめていた。


どのくらいそうしていただろうか。

向こうから、車のライトが近づいて来るのが見えた。


あれは… あの、懐かしい紺色の四駆。

凜久が生まれてすぐ、買い換えてしまった車だった。


音も無くゆっくりと近づいて来ると、赤信号で止まった。


すぐに後ろのドアが開き、中から出てきたのは凜久だった。

由香はそちらに向かおうとして、車の方を見た。


最初に目に入ったのは、助手席に座る、15年前の自分だった。

長い髪をかきあげながら、こちらを見て驚いた顔をしている。


でも、由香が見たかったのは。

目に焼き付けたかったのは。


運転席の、久志だった。


15年前の、若々しいその顔。

もう一度会いたいと、願い続けた夫の姿。


目の前を通り過ぎる時、どうかこっちを見て、と願った。

そんな思いは届くはずもなく、車は通り過ぎて行った。


最後に見た車のナンバーは「0425」。


二人の結婚記念日だった。

そのナンバーが見えなくなるまで、由香は車を見送った。


雪の日の奇跡に感謝しながら。

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Memory of the snow 碧石薫 @jasper503

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