第3話 慟哭


凜久は大きな怪我や病気をすることもなく、すくすくと育った。


凜久が小学校に上がる時に賃貸のマンションを出て、一戸建てを買うことにした。

由香は以前働いていた病院に復職するつもりでいたので、病院の近くで物件を探した。


高島町の、新築の家が12軒ほど並ぶ区画を見に行った。

凜久が遊べる庭があって、近くに大きい公園があって、病院にも消防署にも通勤しやすいこと。

この物件は、その条件を全てかなえていた。


引越してすぐに、凜久は小学校に入学した。

そして凜久が10歳になったのを機に、由香は元の職場である病院に復帰した。


初出勤の日、病院の前からバスに乗って最寄りのバス停で降りた。

その時、ふいにあの大雪の日のことを思い出した。

あの男の子のお母さんが待っていたバス停は、ここじゃなかった?


あの時、由香は車の中からこのバス停を見た。

あたりは一面雪で真っ白だったので、今とは景色が違う。


でも、確かにこの場所だ。


あの子に家の場所を聞いたとき、『高倉町』と言っていた。

これは、果たして偶然なんだろうか?

同じ町に住んでいる、同じ誕生日の男の子。


でも、凜久が10歳ということは、あの子はもう25歳。

立派な大人だ。

すれ違ったとしても気付かないだろう。



そして、1年後。


凜久が11歳になってすぐの、冬の日のことだった。


由香が勤務中、大きな火事でたくさんの負傷者が出た、と緊急情報が入電した。

地元では大きな総合病院だ。救急の指定病院でもある。


由香のいる病棟は内科だったけれど、緊急の時は看護師が集められる。

呼ばれて行くと、火事は工場で発生したもので負傷者には消防隊員も含まれる、ということだった。


由香は、戦慄した。

久志は今日は日勤で、いつも通り出かけて行った。


まさか。


救急車が来る搬入口に駆け付けた。

次々に運び込まれる負傷者たち。

その、一番最後に久志がいた。


いたる所にひどい火傷を負い、顔や手はすすで黒くなっていた。

由香は久志の手を取ると脈をはかった。

よわよわしいが、まだふれている。


「久志!久志!しっかりして。目を開けて!」


必死に声を掛けると、久志はうっすらと目を開けた。


「ゆ、か」


煙をたくさん吸い込んだせいで声が出ないけれど、口の動きでわかった。


「久志、もう大丈夫だから。絶対助かるから」


由香はそう言うと、救急の医師に向かって叫んだ。


「私の夫なんです!お願い、助けて!助けてください!」


傍にいた医師が久志の火傷と脈を診て、沈痛な顔で首を振った。


「そんな、嘘よ。助けてよ。まだ生きてる!久志!久志!」


久志は最後の力を振り絞るように、口を開いた。


「り、く、を・・・た、の、む」


そして、そのまま息を引き取った。


「いや!いや!久志、行かないで。久志ぃ…」


由香はその場に泣き崩れた。

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