第2話 誕生

その年は、もう雪が降ることもなく、春になった。


桜も終わり、初夏を感じる季節になった頃、由香は体調の異変に気付いた。


まさか…まさかね。

不妊治療を再開したわけでもないのに、そんなはずないよね。


あまり過度に期待しないで、妊娠検査薬を買った。

今まで何本、無駄にしてきたことか。

結果が出るまでのわずかな時間が、永遠のように感じられた。


陽性。

由香は、信じられない思いで、そのサインを見つめた。


涙がこぼれて、止まらなかった。


産婦人科で診察を受けて、予定日は来年の1月だと言われた時、初めて実感した。

久志に電話で告げると、しばらく黙った後、言葉にならない雄たけびを上げた。


梅雨に入ると重い悪阻が由香を苦しめた。

とても仕事を続けられる状態ではなく、勤めていた病院を退職した。


安定期に入ると悪阻は嘘のように収まり、今度は押し寄せる食欲に悩まされた。

看護師のプライドにかけても、体重コントロールはしなければならない。

毎日散歩を日課にして、久志が休みの日は一緒に買い物をし、赤ちゃんを迎える準備をした。


赤ちゃんは、男の子だ。


生まれるまで性別を聞くのはやめようと思っていたのに、検診の時モニターを見ていてわかってしまった。


新年を迎えると、いよいよ出産が近づいてきた。

大きくなったお腹を愛しみながら、二人で名前を考えた。

一生変わらないものだから、呼びやすくて意味のあるものにしたかった。


予定日に軽い陣痛が来て入院した。

すぐにでも生まれると思ったのに、微弱陣痛で5分間隔まで来ると消えてしまう。

翌朝から陣痛促進剤を使い、丸一日経って、ようやく出産となった。


出産日がはっきりしたおかげで、久志は立会うことができた。

長くて苦しい陣痛の間、ずっと由香に付き添って一緒に呼吸法をやっていた。

そして生まれた瞬間、まるで自分が産んだかのようにガッツポーズをして見せた。



病室に戻ると、久志が言った。


「窓の外を見て」


由香が外を見ると、雪が降っていた。


「雪だね」


「うん。覚えてる?去年の大雪の日。あれ、ちょうど一年前の今日だよ」


「え。ほんとだ。また同じ日に雪が降ったんだね」


「うん。あの子の誕生日と一緒だね。ほら、あの時車に乗せてあげた男の子」


「あ!確か、14歳の誕生日って言ってたね。今日15歳になるんだね。元気かな」


「そうだな。なんだか縁がありそうな気がする。また会えるかもな。」


「そうだね。将太に似てたし」


二人があの少年の話をしたのは、あの日以来初めてだった。



息子は、凜久(りく)と名付けた。


凜という字は、りりしいという意味で使われることが多いけど、実は「すごく寒い」という意味の冬の漢字だ。

『凜とした空気』というと、寒くて張りつめた空気という意味で、雪の日の朝に生まれた息子に相応しい字だと思った。

久志から一文字取って、凜久。

小さな手や足をくすぐりながら、何度も呼んだ。


由香は、幸せってこういうことなんだなと毎日思いながら 、一生懸命凜久を育てた。



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