Memory of the snow

碧石薫

第1話  雪の日


最近の天気予報は、よく当たるなぁ。


由香は、少し苦々しい気持ちで、自分の楽天主義を呪った。

まさか、本当に積もるなんて。


定時まで仕事をして外へ出ると、真っ白に様変わりしている世界に言葉を失った。


駅のホームは人であふれ、電光掲示板を見ると、全部真っ黒。

アナウンスは、ダイヤの乱れと謝罪を繰り返すだけだった。


駅から出てタクシー乗り場へ向かうと、そこには長蛇の列。 あきらめて、少し離れたバス停へ向かうと、『運休』と書かれた紙が貼ってあった。


仕方ない。


ここで、やっと由香は携帯電話を取り出した。

由香の夫の久志は今日、夜勤明けで家にいるはずだ。


車は四駆だし、タイヤをスタッドレスに替えたばかりだった。

夜勤明けだけど、この時間ならもう十分睡眠を取っただろう。


「もしもし?私。大雪で電車が止まっちゃって。バスも運休みたいなの。 迎えに来てもらえないかな」


「いいよ!すぐ出るから、屋根のある所で待ってて」


優しい言葉に安心して、電話を切った。


由香と久志は結婚して7年目。

子供はすぐにでも欲しかったが、授からなかった。


結婚5年目から不妊治療をしていたが、時間もお金もかかる治療は本当に大変で、肉体的にも精神的にも続けることが難しくなった。


子供が欲しい気持ちに変わりはない。

由香は今年で32歳。まだ望みはある。

一度中断して、心と体を休ませることにした。


それでしばらくぶりに、趣味のスノーボードを再開させようと、次の休みを二人で合わせたのだった。


由香は少し歩いて、ガラス張りのコンビニで時間をつぶすことにした。


時間は6時少し前だけど、もう空は真っ暗ですっかり夜のようだ。

雪はまだまだ降り止みそうにない。


久志が迎えに来たのは、電話を掛けてから40分後だった。


「遅くなってごめんな。」


「ううん、私こそ急にごめんね」


「いいよ。起きたら外真っ白でびっくりした」


「そうだよね。私もこんなに積もると思わなかったよ」


すぐに車を出して、雪道を走り始めた。

バス通りはいつもとまるで違う風景になっていた。


窓の外はかなりの雪が降っていて、視界を確保するべくワイパーがせわしなく動いている。

これはもう、吹雪と呼んでも雪国の方に怒られないレベルなのではないか?

そう思いながら外を見回すと、自分たち以外に走っている車が見当たらなくなっていた。


「車、全然走ってないね」


「うん。バスもタクシーもチェーンまかないと走れないからな。 このへんじゃスタットレス履いてる車持ってる人なんて、スキーかスノボをやる人ぐらいだろ」


窓の外を吹き付ける雪は、粒も大きくて、ほとんど外がみえないくらいだった。


後ろに車もいないので、久志はゆっくり走らせていたが、少し先の信号が赤に変わるのを見て、ブレーキを踏んだ。


その時、信号の手前にあるバス停に、人の姿が見えた。


「え?ねぇ久志。あのバス停に人がいない?」


久志が、由香が指差す方を見ると、バス停に黒い上着を着た人が、傘を差して立っている。



「しかもあれ、子供じゃない?」


「ほんとだ。中学生ぐらいかな」


「待ってても、バス来ないのに。可哀想」


「そうだな」


「こんなに寒いんだもん。風邪ひいちゃう。乗せてあげようよ」


久志は少し驚いたが、由香は看護師が天職と言っているだけあって、誰にでも親切で情に厚い。もちろん久志に異存はなかった。


「うん。そうしよう」


久志はそう言って、迷わずバス停の方に車を寄せて止めた。

由香が助手席の窓を開けて、少年に声を掛ける。


「ねぇ、バス待ってるの?雪で止まってるから来ないよ」


「え。そうなんですか」


白い息を吐きながら、少年は答えた。


少年は、黒いダウンのコートのフードをかぶって、右手で傘を差していた。

首にはマフラー、手には手袋。

左手には白くて四角い紙袋のようなものを持っている


「私たち、家に帰るところなんだけど、乗って行かない?送ってあげるよ」


「え。でも…」


由香の申し出に、あきらかに戸惑う少年。


「そうだよね、知らない人の車に乗ったらいけないよね。 でもね、私たち怪しい者じゃないから。 私は看護師だし、この人は消防士。 それで信じてっていうのも変だけど、こんな所で凍えている子供を見過ごせない性分なの」


「そうなんですか!なら、お願いしたいです」


「よし!じゃ、乗って」


由香が助手席の後ろのドアを指差すと、少年はドアを開けて後ろのシートに乗り込んだ。


「家、どのへんかな?」


「高倉町です」


「それなら通り道だよ。おうちの人に電話する?携帯電話、貸そうか?」


「いや、大丈夫です。誰もいないので」


「そうなの。バス、どのくらい待ってたの?」


「時計がないからわからないけど、一時間半ぐらいかな?何度も歩こうと思ったんだけど、途中でバスに追い抜かれたらくやしいから」


「わかる。バスってそうなんだよね。 でも一時間半は辛かったね。」


そう言いながら、車内の暖房を強める由香。


「はい。でも、だんだん暖かくなってきました」


そう言って、少年はフードを後ろに外した。

由香は振り返って、少年の顔を見た。


色白の顔は、頬に少し赤い色が差している。

くりっとした黒い瞳は、少し恥ずかしそうに伏せられていた。


由香は、少年の顔に誰かの面影を見た。

でもそれが誰なのか、その時は思い出せなかった。


さっき彼が手に持っていた白い紙袋は、よく見ると透明のビニール袋を上からかけられていて、今は彼の膝の上にきちんと置かれている。


「こんな日に、お買いものだったの?」


「はい。今日、僕の誕生日で。 お母さんがケーキを予約してくれたので、取りに行ってきたんです」


「あら。今日お誕生日なの?おめでとう!いくつになったの?」


「ありがとうございます。14歳です」


「中学生か。こんなに大雪になって、思い出に残る誕生日になったね」


「はい。僕が生まれた日も、雪が降ったらしいです」


「そうなの。雪に縁があるのね。」


すると久志が


「明日は休みだけど、借り出されそうだな」


と言った。

由香が少年に向かって


「この人ね、消防士だから、災害の時にはお手伝いに呼ばれるのよ」


と言うと、少年はちょっと迷いながら教えてくれた。


「あの、実は僕のお父さんも消防士だったんです」


「え?そうなの?」


先に反応したのは久志の方だった。

急に同業者ということがわかって、興味津々で


「どこの所属かわかる?」


と聞いた。

すると少年は、申し訳なさそうに言った。


「あ、すみません。ちょっとわからないです。 3年前に死んじゃったから」


「えっ!」


由香と久志は同時に言って、顔を見合わせた。

確かに少年は、「消防士だったんです」と言った。

だったと、過去形で。


「それは、現場で?」


と久志が聞いた。


「はい。大きな工場の火事だったらしいです」


「どこだろう…三年前に、そんな火事あったかな」


久志は、独り言のようにつぶやいた。


「お気の毒に。じゃあ、今はお母さんと?」


由香が尋ねると


「はい。僕、一人っ子なので。お母さんと二人です」


と少年は努めて明るく答えた。


それを聞いて久志は


「そうか。悲しいけどお父さんは、人助けをして亡くなったんだよ。立派だったと思う」


と言った。 由香が


「危険と隣り合わせの仕事だからね。 でも、家族を残して逝くなんて、心残りだったでしょうね」


と言うと、久志は少年に向かって


「男の子だからな。 お母さんを支えてやってな」


と言った。


「はい。ありがとうございます」


と少年は健気に答えた。


由香は、素直で良い子だと思った。

会ったばかりでこんな話をしてくれたのも、たまたま久志が亡くなった父親と同業者だったからだろうけど、こうして車に乗せたのもただの偶然とは思えなかった。


「ねぇ?君の名前…」


由香が少年に名前を聞こうとした瞬間、彼は急に大きな声を出した。


「あ!お母さんだ」


由香はびっくりして、窓の外を見た。


「え?どこどこ?」


「あの、ちょっと先のバス停。僕がバスを下りるバス停です」


確かに、少し先のバス停に立っている女性の姿が見えた。

ベージュのコートを着て、青い傘を差している。

ちょうど赤信号で止まると


「僕、降ります!ありがとうございました!」


「あ、うん。走るとあぶないからね、気をつけて」


「はい!じゃあ」


そう言い残すと、勢いよく雪の中に飛び出して行った。


バス停にいた女性が気づいて、少年の方へ歩き出し、同時にこちらを見た。


一瞬、由香と目が合った気がした。


「あれ?」


「どうした?」


久志が聞いた。


「あのお母さん…見たことない?」


「え?」


久志がそちらを見ようとした瞬間、信号が青に変わった。

前を向いて車を走らせる。


少年と母親の前を通り過ぎる時、少年は大きく右手を振ってから、こちらに向かってお辞儀をした。


由香も、少年に手を振りかえした。

母親はこちらをじっと見つめている。

助手席の私を通り越して、久志を見ているような気がして運転席を見た。

久志も少年に片手を振っていた。


通り過ぎてから母親の方を見ると、この車を追いかけて何歩か歩いたようだった。

そして、そのままこの車を見送っていた。

見えなくなるまで、ずっと。


息子を送ってもらってありがとうございます、って感じじゃなかった。

由香は少し違和感を感じて、そのことを久志に話した。


「やっぱり、怪しまれちゃったかな。 ナンバー通報されちゃったりして」


「うーん、それはないと思うけど」


あの母親の様子を、上手く伝えられない由香。

少年のことも何故か気にかかる。


「あ!ねぇあの男の子、誰かに似てると思ったんだけど、わかったよ」


「へぇ、だれ?」


「将太だよ。将太の子供の頃にそっくり」


由香は自分の、5才離れた弟の将太の名前を挙げた。


「誰かに似てると思って、ずっと考えてたの。あー、すっきりした」


「そうかな。それより腹減ったな。何か食べて帰ろうよ」


そう言われて、由香も急に空腹に気づいた。


雪が小降りの場所に差し掛かったのか、周りを走っている車も増えてきた。

二人がガラガラのファミレスに寄って、夕食を食べている間に雪は止んでいた。

















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