後日談(婚約編)


 謹慎を終えて公務に戻ったアレクサンデルだったが、参加する社交の場で感じるのは今まで感じたことがない程の厳しい視線の数々だった。


 あれほどの事を仕出かしたのだから当然の事ではあるのだが、中には王太子相手であっても隠すことなくその目を向けてくるものさえある。だが、アレクサンデルはそういった視線を甘んじて受ける。声を上げても受け入れられるはずがないと理解していた。


 間違いなく悪いのは自分なのだから。


 パーティに出かければ多くの女性に囲まれるアレクサンデルだが、その質も最近変わってしまったと感じている。

 有力な貴族の多くはアレクサンデルを遠巻きに見ているだけで挨拶はするものの、当たり障りのない程度ですぐに離れてしまう。近づいて来るのは明らかな野心を持った愚か者ばかり。


 アレクサンデルから見てもそう感じるのだから相当に侮られてしまっている。


 貴族に見放されてしまえば、国王は成り立たない。傀儡であれば相応に扱われるかもしれないが、アレクサンデルはそういった類の者ではない。

 ある意味、アリアという少女は上手くアレクサンデルの隙をついていたのだ。疑ってしまうような状況を作り上げ、その現場を見せるという神のような離れ業をやってのけた。


 未だにあの現象を説明できる者は居ない。


 まるで、何かの魔法にでもかけられたかのようだった。アレクサンデルの母でさえ完全に掴むことは出来なかったほどだ。せいぜい見つけることが出来たのは男を雇った事や嘘の証言をさせた者、そういった自作自演の証拠だけ。

 そこまでいくまでに起こったあの奇妙な出来事の数々は解明することができないのだ。

 彼女に良いように扱われたのは自分だけではない。言葉巧みに誘導され、偽りを信じ込まされたアレクサンデルの他にも同じような状況下に置かれた彼ら。

 そして、自分の側近たちに近づき懐柔した手腕もまるで彼らのすべてを知っているかのような言動もすべてが不可思議と言える。

 アレクサンデルがクリスティーナを疑ってしまうような状況を数々作り上げたアリアは正に天才と呼べる者だったのかもしれない。


 幾人もの貴族がアレクサンデルを見て遠くでこそこそと話をしている。


 会話は聞こえてこないが、さぞ滑稽に話されている事だろう。アレクサンデルに向けられるのはそういった視線の他にも社交界から姿を消してしまったクリスティーナへの悲しみとそこまで追いやったアレクサンデルに対する憤りを示すものも多い。

 いや、どちらかと言えばそういった怒りに近い感情を向けられることが多かった。今更ながらクリスティーナがどれ程社交界で認められ、多くの者たちの信望を集めていたのかが伺える。


 多くの者があの美しい月の女神のようなクリスティーナが去った事を悲しんでいるのだ。


「アレクサンデル様、喉がお渇きになりませんか?」


 そう言って差し出されるグラスを微笑んで受け取り、口に含んだ振りをして侍従に渡す。渡した相手を見れば、成功したと言わんばかりに頬を上気させ、口元を歪めている。あまりに稚拙。


 この程度の事さえ分からないと思われているのかとアレクサンデルは自嘲した。


 グラスの中に何が入っていたのかなど考えたくもない。

 あの男爵令嬢に騙されたのだから、自分の娘であれば上手くいくに違いない。きっとそう考えてけしかけたのだろうが、そのように思われるほど自分の評価は地に落ちている。アレクサンデルは悔しさのあまりに血の気が引くほど拳を握りしめた。


 そんなある時、クリスティーナが自殺を図ったという会話を耳にしたのだ。


「クリスティーナ様もお可哀想に。とうとう薬で自殺を図ったのだと聞きましたわ。」


「なんてこと。あれほど美しく聡明なご令嬢であったのに…それでご容体は?」


 アレクサンデルはその会話を聞いた瞬間、がつんと頭を殴られたような衝撃を受けた。そして、足元が見えなくなるほどの暗闇に落とされた感覚に陥る。思わず会話をしていた貴族に詰め寄って話を聞き出してしまう程だった。


 命は助かったと聞いてほっとする。


 だが尋ねられた貴族の方はアレクサンデルの様子に何とも言えない表情を浮かべている。

何を言いたいのかは聞かなくても分かる。今更アレクサンデルがクリスティーナを心配するなどおこがましい。


 彼女を傷つけ、追い詰めた重宝人なのだから。


 それでも…彼女を見た最後の表情が脳裏に浮かぶ。悲しみに染まった瞳と流れ落ちた涙。思い返すまでもなくアレクサンデルはその場から駆け出した。


 もう、彼女を失うなど考えられない。


 クリスティーナに会いたい。今すぐにでも会って、彼女の無事を確かめたい。アレクサンデルの気持ちはもう止められないところまで来ていた。ずっと、抑え込んでいた感情に名を与えたのなら、それは愛に他ならない。


 きっと呆れられるに違いない。


 これまで動けなかったのは彼女から拒絶の言葉を聞くのが怖かったからだ。


 だが、失ってしまえばもうその言葉さえ聞くことは叶わないのだ。


「クリスティーナ…。」


 思わず口から彼女の名が零れる。


 溢れる思いはアレクサンデルの重い腰をやっと動かした。突撃訪問のような形になり、それもまた後でお叱りを受けることになるだろうことは分かっていたが、もはや立ち止まっては居られない。

 屋敷へ到達するまでの間、アレクサンデルの脳裏にクリスティーナとの思い出が浮かんでは消えてを繰り返す。

 切羽詰まったような感情を持て余し、どう吐き出したらいいのか分からない。沸き上がる狂おしい想い。

 アレクサンデルはクリスティーナの無事な姿を少しでも早く見たいと願った。一度は昏睡状態に陥ったというクリスティーナにかつての自分を重ねる。

 あの時、目覚めるまでずっと傍についていてくれたクリスティーナ…。


 あぁ、私はもうこの気持ちを抑えることは出来ない。


「愛している…ずっと愛していたんだクリスティーナ。愚かな私をどうか、許してくれ。」


 自然と零れた言葉に気が付くことは無く、揺れる馬車の中で頭を抱えたアレクサンデルは屋敷に着くまでの間、悶々と自分自身の心に責められ追い立てられていた。


 クリスティーナの手を握り、彼女が眠りについてからも動かなかったアレクサンデルに、クリスティーナの父が一度顔を見せにやってきた。

 だが、彼はただ複雑そうな表情でアレクサンデルに目礼しただけで、会話をすることもなく出ていった。やっと落ち着いて眠れたらしい不眠症になった娘の姿とそこまで娘を傷つけて追い立てたはずの男…。


 親の心境としては複雑だろう。


 目礼をする事で最低限の礼節を通され、会話をしない事で無言の責め苦を受けている感覚だ。クリスティーナの侍女からはずっと厳しい視線を向けられて、それがアレクサンデルの心に強く突き刺さる。


 歓迎されるはずなどないが、王太子であるアレクサンデルを無下にも出来ないのだろう。


 それでも、愛おしいクリスティーナから離れることなど出来ないとこの先の事へ考えを走らせる。クリスティーナから拒絶される可能性も当然にある。クリスティーナが認めても多くの貴族がそれには反対するはずだ。


 一度反故にした婚約を再び結ぶなど普通は有り得ない話なのだから。


 だから、すぐには認めてもらえないだろう。きっと、苦難の道になる。覚悟が必要だとアレクサンデルは握ったクリスティーナの手をそっと包み込んだ。


 この手を離さない。もう、二度と―――…。


 アレクサンデルは安らかに眠っているクリスティーナに自ら誓いを立てた。


 勢い良く飛び出してクリスティーナの寝室に突撃し、結婚の申し出をしたアレクサンデルだったがそれがすぐに受理される事は当然なかった。


 クリスティーナから受諾の返事を受けて、アレクサンデルは浮足の立つような気分で城へと戻った。だが、浮かれたままでは説得など出来るはずもない為、少しだけ気持ちを落ち着かせてから両親へ報告に向かう。


「今、何て言ったの?アレクサンデル……。」


「ですから、クリスティーナが結婚の申し出を承諾してくれたと申し上げました。」


 頭を抱える王妃にアレクサンデルはもう一度同じ言葉を繰り返した。あり得ないという表情をありありと浮かべて王妃はアレクサンデルを見た。


「私達はもう、後押しなどはできません。分かっていますね?」


 一度反故にしたものを再び元に戻したい。これをすぐに認めてしまう事は国を背負う者としてあり得ない。

 だからこそ、王妃は自分たちが認めざるを得ない程の状況を自分で作り出せと言っているのだ。


「分かっています。ただ、必要な準備が出来たなら、認めていただけますか?」


「お前にその覚悟があるのなら、見せてみなさい。」


 それ以上の言葉は貰えなかったが、認めるとは断言していないものの考慮する余地があることにほっと息をつく。王妃の言葉に国王も黙って頷いた。

 アレクサンデルは二人に報告が終わった後で向かった先はこの国の政治を司る宰相の元だ。すでに時間を取って貰えるようにお願いしてある。

 話を聞いた宰相は難しい顔をして考え込むとテーブルの上をとんとんと指で数回叩く。そして、やっと口を開いた。


「殿下、我が国が今、他国にどのように思われているのかご理解いただけていますか?」


「私の行動のせいで色々と迷惑をかけていることは理解している。」


「いいえ、分かっておいでではないようだ。本来、婚約とは契約です。契約は信用の元に成り立つもの。殿下はそれを大々的に反故になされた。他国から我が国は信用を失っている状態なのです。今はまだ陛下がいらっしゃるから大きな問題にはなっていませんが、次期国王である殿下が継いだ時、果たして我が国を信用しても良いのかどうか試されている事になります。そして、今、反故にしたものを再び元に戻そうとしている。これでは信用ならないとご自身で宣言するようなものですよ?普通に考えて認められるはずがない。国にも民にも示しがつきません。」


 宰相の言葉は最もで、アレクサンデルは反論の余地はない。


「それでも、私はクリスティーナを諦めたくはない…。」


 声が多少小さくなってしまっているのは無理もないだろう。国を思えばアレクサンデルが取ろうとしている行動はとても褒められたものではない。

 その苦悩している表情をアレクサンデルから読み取った宰相はごほんと一つ咳払いをした。


「これはあくまで国として考えての私の意見です。ですが、殿下をただの一人の男性として考えた場合、愛する人を諦めたくない気持ちは私も同じ男ですから良く分かります。勿論、子を持つ父としても同様です。きっと両陛下も同じ気持ちなのでしょう。それだけクリスティーナ様は認められていましたから。」


「宰相……。」


「私に言えるのは、殿下であればどうすれば周囲の貴族たちの気持ちを動かし認められるようになるのか…すでに分かっているのではないですか?それならば、それを信じて貫くしかありますまい。多くの貴族が賛同すれば、国も殿下とクリスティーナ様の婚約を認めざるを得なくなるでしょう。勿論、簡単なことではありませんが。」


「ありがとう。感謝する。」


「……殿下一つだけ、女性とは噂が大好きです。特に色恋沙汰は。」


「必ず認めて貰えるように努力する。皆が賛同してくれたら協力してほしい。」


「考慮しておきましょう。」


 宰相の言葉もまた、同じ形で締めくくられた。

 この先の努力はアレクサンデル一人ではできない。クリスティーナが体調を戻し落ち着いてきた頃を見計らって共に奔走することになる。


「殿下が決められたのであれば従うまでですわ。」


 そう告げたのは社交界の中でも特に発言力があり、おしゃべりが大好きな婦人として知られているマデリン伯爵夫人だ。


「違うのだ。命令ではなく、認めて貰いたいと考えている。」


 王太子からのお願いなど命令に他ならない。多くの貴族に声をかけるも返ってくるのはこういった素っ気ない返事ばかり。


 そこで、アレクサンデルは方向性を変えた。


 ただ、真摯に認めて貰うだけでは足りない。


 宰相のアドバイスに従ってマデリン伯爵夫人の元へクリスティーナを伴って会いに来ていた。


「まあ、殿下。認めて貰いたいなんて一言命じれば済む話ではありませんか。」


「……あれは彼女が倒れたという話を耳にした時の事だ。」


 突然アレクサンデルはクリスティーナが倒れた時の事を話しだした。突然話を始めたアレクサンデルにクリスティーナも目を丸くしている。

 だが、クリスティーナの表情はみるみる真っ赤に染まり顔から湯気が出そうなほどになる。


「だから、私はもう彼女を手放すことなど出来ないと思い、彼女に結婚の申し出をしたのだ。」


 アレクサンデルが話を終える頃にはクリスティーナは恥ずかしさのあまり穴があったら入りたい気分になっていただろう。俯いてぷるぷると震えているが耳まで赤く染まっているのを見れば、誰もが気が付く。

 そんなクリスティーナを見てマデリン伯爵夫人は喜色をにじませてクリスティーナの両手をそっと握った。


「まぁ、ではクリスティーナ様は殿下の求婚を受け入れたのですね。」


 小さく頷いたクリスティーナにマデリン伯爵夫人はにっこりと微笑んだ。


 その後、社交界ではアレクサンデルとクリスティーナの話で大いに盛り上がることになった。アレクサンデルの葛藤とクリスティーナの献身的な愛、そしてかつての学院での話も交えていつしか壮大な愛の物語へと誇張され広がっていく。

 その話を耳にするたびにクリスティーナは頬を染め、アレクサンデルはそんな愛おしい彼女を支え続けた。二人は社交界でも公認の仲となり、少しずつではあるがアレクサンデルに向けられる厳しい視線は軟化していっているように思われた。


 そんなある時、アレクサンデルはファーメル王国のエルン王子が留学から帰ってくるという話を聞いたのだ。その時に感じた心の騒めきはじわじわとアレクサンデルを蝕むことになる。


 エルン王子はアレクサンデルがクリスティーナと以前婚約しているときに出会っている。

 姉のジュリア殿下はクリスティーナを一目見て気に入り、常々自分が男であったなら嫁にしたのにとアレクサンデルに文句を言っていたものだ。

 幼いエルン王子もクリスティーナには懐いており、よく一緒に遊んでいたのを思い出す。小さなお茶会と称したおままごとでは必ずエルン王子がクリスティーナに妻の役をやらせたものだ。

 幼い王子がクリスティーナと共に遊ぶ様子は見ていて微笑ましいものがあったはずなのに、今の自分は一体何を焦っているのだろう。

 あの時は何も思わなかったアレクサンデルだが、じわじわと込み上げてくる何かに焦りを感じる。クリスティーナとの婚約は未だ認められていない。


 落ち着かないのはそのせいだろうか。


 多くの貴族から信望を集めているクリスティーナはいつでも社交界の話題の的だ。一時期離れていたが、彼女が社交の場に戻ってしまえばすぐにそんな事は無かったかのように注目を浴びる。


 美しさ、気品、どれをとっても彼女以上の女性は居ない。


 この気持ちは一体何なのだろう。


 アレクサンデルはしばらくその感情に気が付かないままだった。だが、焦りは募るばかり。クリスティーナを見れば一瞬落ち着くものの、すぐに不安な気持ちが込み上げてくる。

 そしてとうとうアレクサンデルはもう一度両親に婚約の話をすることにした。


 婚約さえすればこの気持ちも収まるような気がしたからだ。


「なぜ駄目なのですか母上!クリスティーナの許可はきちんと貰いました。勿論ご両親にも許可を頂けるように話しをするつもりです。」


「あれだけ大騒ぎしておいて、よくもそんな事が言えますねアレクサンデル。私の息子でなければ城から叩き出していますわ。本当にクリスティーナは優しい子。私があの時、どれ程絶望したか分かりますか?あと少しであの可愛いクリスティーナを娘に迎える事が出来たというのに…。」


「それは…母上の仰る通りです。私が愚かだった事は認めます。だからこそ、二度とクリスティーナを手放したくはないのです。あのような悲しい思いは、もうさせたくありません。」


「………アレクサンデルよ。」


 ずっと静観していた国王がここで初めて口を開いた。


「何を焦っておるのだ?クリスティーナ嬢が承諾したのはもう二月も前の話しだ。その為に必要な根回しを頑張っていたのではなかったのか。」


「それは勿論分かっています。今後も根回しは続けていきます。ですが、せめて婚約だけでも先にと考えたのです。」


 アレクサンデルの言葉に国王は何か思いあたる事があったのか、意地の悪い笑みを浮かべる。


「そういえば、我国の友好国であるファーメルの王子が海を越えた場所にあるカラクリで有名なサラバード王国の留学期間を終えると報告が届いたのだったな。」


 ファーメル王国というのは珍しく女王の即位を認めている国だ。女性の意見を取り入れることで男社会だった国の方針が変わり、随分と女性が社会で活躍しているという。

 グッと何かが詰まったような表情を浮かべるアレクサンデルに王妃は呆れたような視線を向ける。


「アレクサンデル、エルン王子はまだ7つになったばかりではありませんか。」


「まぁ、そう言ってやるな。アレクサンデルも必至なのだ。」


 笑いを必至に押さえようとしている国王だが、本気で隠す気がないのかぷるぷると肩を震わせている。


「ファーメルの女王に即位したばかりのジュリア殿下も弟君であるエルン殿下もクリスティーナが大好きだからなぁ。」


 そんなやり取りをした一月後、何とかクリスティーナとの婚約に漕ぎ着けたアレクサンデルは届いた書簡に顔を盛大に引きつらせた。

 なんでも、エルン王子が我が国に留学から帰還したことの報告をしたいとこちらに向かっているというのだ。

 手紙が届いた2週間後、アレクサンデルは目の前の状況に頭を抱えていた。まるで図ったように手紙が届いてから1週間でエルン王子はこの国へと入国した。それから7歳とは思えない程の手際の良さでいつの間にかしばらくの間滞在する許可をもぎ取っていた。

 それも留学していた間に学んだからくりの技術を伝えたいというもので、国にとっては非常に有難い申し出だ。

 サラバード王国は海を挟んだ国であり、我が国からは遠く離れた国の為に国交はほとんどない。カラクリと呼ばれる不思議な人形を用いた技術は、人々の生活を豊かに変えていっているという。

 そんな素晴らしい技術を教えてくれるというエルン王子を無下にするわけがない。ちゃっかりとサラバード王国からも伝える許可を取ってきている辺り、元々そのつもりで留学し戻って来たのだというのが良く分かる。


その目的も。


「まぁ、そんなに凄いカラクリ……頂いてもよろしいのですか?」


「勿論だよ。僕からクリスに渡して欲しいって、姉上から頼まれていたんだ。」


 お互いに会話ができるという不思議なカラクリを渡して満足そうな笑顔を向けているエルン王子。クリスティーナの銀の髪を月だと例えるならば、アレクサンデルの金の髪は太陽、そして漆黒の髪と金の瞳を持つエルン王子は夜空に浮かぶ星だ。

 無邪気な笑顔の裏にある想いに以前のアレクサンデルは気が付かなかった。

 だが、エルン王子が留学から戻ると聞いて以前の事を思い返した時、アレクサンデルはエルン王子のあざとさに気が付いた。

 子供だからと甘えているふりをしているが、その裏にあるのは…。


「姉上、クリスにとっても会いたがっていたんだよ。」


「私も会いたいですわ。でも、今はとてもお忙しそうで。」


「そうなんだよ。女王を継ぐのはもっと後にしておけばよかったってぼやいていたくらい。」


 ジュリア殿下らしいですねと談笑しているクリスティーナにエルン王子も微笑む。

 そして、今さも思いついたかのように切り出した。


「そういえば、クリス……婚約を白紙にしたって聞いたんだけど。」


「一度白紙に戻ったのは確かですわ。でも、あれからもう一度アレク様の婚約者に戻ることが出来ましたの。」


 クリスティーナの言葉にがっくりと肩を落としたエルン王子。


「ええ?そんなぁ、せっかく僕のお嫁さんになって貰おうと思っていたのに。」


「あらあら、エルン殿下はお上手ですね。」


「むぅ。僕は本気なのに。でも、結婚はまだなんだよね?」


「半年後に挙式の予定ですわ。」


「そんなに早く結婚しちゃうの?やだよ。僕のお嫁さんになってよ。」


 ぎゅうとしがみついてクリスティーナに縋るエルン王子にずっと我慢し続けてきたアレクサンドルがとうとう痺れを切らした。


「エルン王子……そろそろ私の婚約者から離れて頂きましょうか。」


「やだ。クリスがいい。」


 普通に見れば子供が甘えているかのように見えるが、7歳で留学を終えるほどの頭を持つ子供の中身が普通の子供のままであるはずがない。

 アレクサンドルは平常心を必死で保ちながら笑顔を張り付けて対応に当たった。


「あんまりしつこいとクリスに嫌われますよ?」


 この一言が止めになりエルン王子はしぶしぶとクリスから離れる。


「じゃあ最後だから……。」


 ちゅっと音がしてエルン王子がクリスティーナの頬にキスを送る。挨拶と言われればそうなのだが、クリスティーナに見えない位置で黒い笑みを見せたエルン王子にアレクサンデルはこめかみに青筋を立てつつも表情を何とか保つ。

 だが、これ以上クリスティーナの傍には置いておけないとずりずりとエルン王子を引きずって連れ出していった。


「クリス!また遊ぼうね!」


 引き摺られながらもエルン王子の愛らしい笑顔は微笑ましい。エルン王子をファーメル王国から連れてきている護衛に引き渡したアレクサンデルはその足ですぐにクリスティーナの元へと戻ると共に庭園の中を散策しようと誘った。

 だが、散策中であるのに黙ったままのアレクサンデルにクリスティーナは思わず声を上げた。


「あの、アレク様?」


「……クリス、すまない。私はどうやら随分と余裕がないらしい。」


 茂みの陰で立ち止まった二人だが、クリスティーナと向き合ったアレクサンデルの表情はなんとも切ないものだった。


 そんな表情を見せられたら何も言えない。


 クリスティーナの頬を何度も撫でる。エルン王子に触れられた場所をかき消したいかのような行動にクリスティーナは戸惑う。


「君を他の男に触れさせたくない。」


「アレク様……。」


「おかしいと思うだろう?私もこんな気持ちになるなんて知らなかった。」


 アレクサンデルの瞳に映るのは戸惑っている婚約者の姿。


 クリスティーナを引き寄せてアレクサンデルはぎゅっと抱きしめる。切なさと愛おしさが入り混じって狂いそうになる。


 これが嫉妬という感情なのだとアレクサンドルは明確になった気持ちを知る。


 クリスティーナが自分以外の男と微笑み合う姿を想像するだけで、気が狂いそうになる。それが例え幼い子供であっても。婚約が間に合っていなかったならと考えるだけでも恐ろしい。


「あんな子供に嫉妬するなんて笑えるだろう?」


 情けない表情を浮かべたアレクサンドルにクリスティーナは首を横に振った。


「いいえ、だって私の事を思っての事でしょう?笑うなどあり得ませんわ。」


「……あの時、君にもこんな思いをさせていたのだろうか。」


「それは……。」


 アレクサンドルの言葉にクリスティーナは詰まる。そして少し視線を逸らして答えた。


「だって、私はずっと殿下の事を愛しておりましたもの。殿下は人気がありますし、彼女に全く嫉妬しなかったなんて言えませんわ。でも、殿下が望むのであればと…。」


「クリス…私は本当に愚かだ。こんな気持ちを君にも味合わせていたなんて。どうか許してくれ。」


「アレク様、それは私も同じですわ。子供だからと許してしまいましたもの。許してくださいますか?」


 二人の視線が混じり合い、まるで周囲の時が止まったかのように感じる。


 それは無言の同意。


「クリス……愛している。」


「アレク様。私も、愛しています。」


 ゆっくりとクリスティーナの瞼が閉じられて、アレクサンドルはその可憐で柔らかな唇に自らのそれを重ねた。

 甘やかなひと時はいつまでも戻らない二人を心配したアレクサンドルの侍従が探しに来るまで続いた。


-END-

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最近のよくある乙女ゲームの結末 叶 望 @kanae_nozomi

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