悪魔と探偵
二人目の犠牲者が出てしまった。このことは屋敷中に大きな衝撃を与えた。藤堂はハンケチで口を押え、必死に吐き気をこらえる。その亡骸は、喉が真一文字に切り裂かれ、新鮮な血が未だ川のように流れ続けていた。職業上死体に慣れている大谷は冷たくなっているそれに近づき、手をとる。すでに脈はない様で、彼は首を横に振った。老婆がそれにすがり、泣き続けている。そこで探偵は顔を真っ青にしながら口を開いた。
「いつ頃に明史さんが亡くなっていることに気が付きましたか」
「さっき庭に出てみたら、明史が…ああ、明史が」
「僕は、母の声で気が付きました」
「私たちはおにわに出てきたときに」
「じゃあ、最初はおばあさま、ということだな」
大谷刑事が聞き込みを始めると、藤堂探偵は青ざめた顔で死体に近づき、明史だったものの口を開き匂いをかぐ。そこはかとなく、ツンとした薬品の匂いが生臭い血の臭いにまじり藤堂の鼻に入ってきた。藤堂が手を叩き、皆の注目を集める。
「僕の推測ですが、おそらく犯人は薬品と関係のある人物です。しかも先日亡くなった橘川翁の秘密を知っている方だ」
「主人の秘密ですか。もしや、我が家にとって恥ずかしい話である酒乱以外の秘密でしょうか」
「酒乱ではありません。あれは薬物中毒です。岡部さんに聞きましたが、昔翁は朝鮮朝顔の根を摂取し、岡部さんのところへ担ぎ込まれたそうですね。おそらく、そのときの快感が彼にとっては忘れられないものであったのでしょう。このことを知るもの、かつ翁の地下室を知る者が今回の事件の犯人です」
「地下室。主人はそんなものを拵えていたのですか」
「ええ、私とそこの大谷で見てまいりました。わずかですが、翁が使っていたと考えられる薬物は翁が死んだあとも使われた痕跡がありました。つまり、この薬物を使用した人間が犯人の可能性があります。申し訳ないのですが、武史さん手首を見せていただけないでしょうか」
「なぜ、俺なんだ。俺は人殺しなんかじゃあない。それにおやじの秘密なんぞは知らなかった」
「嘘、ですね。あなた、よほど急いでいたのですね。ズボンのすそに茶色いシミが見えます。動機はおそらくですが、相続といったところでしょうか」
探偵が武史を追い詰めていく。刑事は父親の哀れな様子を不憫に思い、昭子の肩に手を置いた。藤堂は、武史の腕をつかみ、袖をまくる。そこには注射の痕跡がみえた。
「やはり、あなたが犯人でしたか」
探偵は伏目がちに指をさす。六月の湿っぽい風に吹かれた男は笑う。ついにその仮面を脱いだのだ。
「そうです。わたしです。わたしが翁を継承する「悪魔」であります。」
そう、主たちを失った屋敷の前で、青い柳が揺れるよう男は身体をゆすった。さあっと生ぬるい風が吹く。
「あなたのやったことは「悪魔」の所業ではない。欲に満ちた「ヒト」の所業だ」
「では、私達の罪を暴いたあなたはさながら「悪魔」ですね。これでわたしが捕まれば、一族の滅亡だ。恩義のある翁の遺したモノを否定するのだから」
「それが恩義に反する行為であっても、僕は罪を暴きます。それが僕の役割です。恩義ある一族に「悪魔」と罵られようと、僕は「悪魔」の一族の葬列をやり遂げます」
品の良い悪魔がじりじりとヒトと対立している。悪魔は囁く。
「さあ、縄につきなさい。」
ヒトは嘲るように笑う。
「あなたに私を捕まえられません。今からわたしは死ぬのですから」
そういうと、武史は血にまみれたナイフを取り出し、自分に突き立てようとした。藤堂が割って入り、ナイフを弾き飛ばした。藤堂は手を抑えながらいう。
「いや、殺させはしませんよ。必ずあなたを捕まえて、この一連の事件を終わらせます」
そのやり取りを見ていた大谷がふと自分の元にいる幼女を見る。かわいそうな、いたぶられ傷ついた天使にしかその時の彼には見えなかった。しかし、彼女が手を口に当てた瞬間、彼はその腕に注射痕があるのを見つけたのだ。
「おい、藤堂。この娘にも注射痕がある。もしかして」
そこまで言った大谷は鮮烈な熱さを腕に感じた。昭子に切られたのだ。思わず大谷はそのてを離す。その隙をついて「お父様」と少女は叫び、ナイフを持って父を刺突した。父親はにこりと笑い、その場に倒れた。
「昭子、いとおしいお父様を刺したのはどうしてだい」
「お父様が家を継げないなら、あなたはいらない」
「そうでしたか、あなたもしかして最初から」
「ええ、そうよ。私お父様に家督を継がせてあげたかったの。でもお父様がおうちをつぐのはどだい無理な話。だっておじさま方は優秀だったんだもの。だからおじいさまの秘密を知る私がお父様をここまで導いてあげたの」
「それだけではありませんね」
探偵は、天使の皮をかぶった悪魔に写真を突き出す。
「あなた、翁にひどい扱いをされていたそうですね」
「ええ。おじいさまにはひどいことをされたわ。恨んでいるわ。だから、おじいさまの体にお絵かきしたの。ニ度とよみがえらないように、って」
「なるほど。そういう理由でしたか」
「私は罪には問われないのでしょう。おじいさまの遺言なんて関係ないわ。残った私が家をつぎたいの。おじいさまは私を愛した。おばあさまとお父様だけが私にモノを教えてくれた。私は誰よりも、愛されていたと思うの」
「いいえ。あなたは殺人教唆と父親殺し、おまけにこのことが世間に知られてしまえば、あなたは噂の的です。おとなしく大谷に捕まった方がよろしいと思います」
「あら、残念。私も死のうかしら。それともここから逃げようかしら」
「いいえ。あなたを死なせはしません。逃がしもしません」
「どうやって。私、凶器を持っているのよ」
そういうと昭子はくるりと後ろを向いた。そこを狙い、大谷が昭子に体当たりをした。軽い少女は小柄な男の体当たりでも吹き飛ぶには相当の勢いであったようだ。大谷はそのまま、携帯していた手錠をすぐさま悪魔にかけた。こうして一連の事件は幕を閉じたのだ。
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