悪魔の書斎

「血のついた十字架…これはどこにあったのかい」

「台所を捜索していたときに落ちていた。随分小さいものだな」

その十字架は金でできている小さな十字架であった。血にまみれていても、輝きは損なわれていない。藤堂は白いハンケチごしにその小さな十字架を摘み上げる。

「ねえ、大谷これこうやってかけるモノじゃあないかな。ほら、ここに小さな穴があるだろう」

藤堂の示したそれは逆さ十字になっている。逆さ十字、それはイギリスのとある魔術師が示した概念「悪魔崇拝」の象徴であった。血にまみれているということは、何かしらの事件があったということを明確に表しているものである。探偵と刑事は二人して事件のあった陰鬱な屋敷に足を運ぶこととしたのである。

屋敷に入った二人は、まず橘川翁の書斎を調べることにした。橘川翁の書斎は一番奥にあり、他の部屋と違い、仄暗く屋敷の主人の部屋にはふさわしくない、そんな印象を与える部屋であった。広い部屋の中は、必要最低限の調度品と書棚のみが置いてある。だがたった一つだけ無駄なものが置いてある。それは花瓶だ。花瓶には朝顔の花が活けてあり、そこにだけ「生」を感じさせるような部屋であった。

「なあ、何もないな。部屋に置いてある本もごく普通の小説だとか、経営とか経済に関する本ばっかりだ。新聞のスクラップ記事も世間の情勢とかそんなものだけだぜ」

「ちょっと、待ちたまえ。君、そんなところばかり見ているんじゃないよ。床の間も調べたかい」

「床の間か。床の間にきれいな朝顔があるな」

「馬鹿みたいなこと言わないで、その朝顔をちょっと持ち上げていてくれ」

 大谷が朝顔の花瓶を持ち上げると、藤堂は柔らかな足取りで襖に向かう。藤堂が襖を強く両方から閉めると、床の間が跳ね上がり、地下階段が現れた。大谷は思わず花瓶を落としそうになったが、それは堪えられた。何食わぬ顔の藤堂はその地下へと続く階段に何一つ表情を変えることなく、入っていった。

 その階段は、段数にして三十段ほどの短い階段であった。降りきった先には、もう一つの部屋があった。藤堂が扉を開き、灯りをつけるとそこには橘川翁のもう一つの顔が如実に表れていた。部屋には大きな逆さ十字がかかり、写真機が置いてある。何に使うか検討もつかないような器具、そして大量の書籍の山である。書籍も洋書、医学書、和書古今東西の様々な本がそこには置かれていた。大谷が何気なく、本を一冊取って本をめくるとそこには、写真が一枚挟んであった。その写真は、どこかで見たことのある女児に奇妙なポーズをとらせているものであった。

「不埒な」

「ご覧。この本は医学書なんだけれども、見事に麻とか朝鮮朝顔とか普通に使用したら危ない植物ばっかりだ」

「こっちの器具は…注射にも見えるが」

「ご想像の通り、注射だね。こっちの日誌を見ると翁はどうも危ない植物を売りさばいて相当儲けていたみたいだね。おまけに、ご自分でも遊ばれていたみたいだね。まるで悪魔の所業だ。翁は筆まめだね。陶酔したときにどんなことをしたかきちんと書いていらっしゃる。『徘徊して、××を殴り×しただの』、『××を×した』とか伏字だらけだけどね」

「おう、しかしこの事件とこれがどうつながる。お前は復讐だと睨んだんだろう」

「当初はね。でももしかして、これ、翁は何か薬物を打ちすぎて亡くなったのではないかな。この使用済の袋に書いてある日付、翁が亡くなった日だ。でもあの薊の紋は明らかに他者につけられたものだ。すると、故意に翁に薬物を打って殺した可能性も出てくる。」

「じゃあなぜ、そのあと殺しが起こる」

「相続争いとかかな。もしかしたら、この翁の秘密を知っている人が子供の中にいるんじゃないかな」

「どうやって探す」

「こっちの袋、一つだけ翁が死んだ日付より新しいが僅かに使用痕跡がある。つまりだ、これを使ったやつがこの秘密を知っている、即ち、犯人」

そう言うと藤堂は飴を一粒含んだ。静寂が二人の間に訪れる。わずかに流れる音は水が垂れてくる音のみだ。

「とにかく、一旦外に出て、屋敷の人間に聞き込みをしようじゃないか。そうでもしないと話は先に進まない」

「そうだな」

二人は短い階段を上る。その部屋はむわっと汗などの体液の匂いがしたので、清浄な空気を二人は求めた。階段を上りきると元の薄暗い、主のいない空っぽの部屋に出た。藤堂は何事もなかったように皆を集めようと大広間に向かう。探偵の後を追う刑事は何気なく後ろを振り返る。刑事にはその空っぽの部屋にまだ橘川翁がいるような気がした。

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